【コラム1】なぜ親会社は子会社の契約書をレビューできるのか

 正義がモラトリアムを謳歌する師走某日。


「……そういや、気になったことがあるんだが」


 朝の気付けたるブラックコーヒーを片手に某教授の『契約法』を読んでいた俺は、ソファに寝転がってソシャゲの日課を消化している真純に問いかける。ちなみにここは俺の家であり、ソファの持ち主もこのアパートの借主も当然俺である。


「なに? なんであたしの髪色は会社で許されているのかって話? まぁ社内規程の網の目を掻い潜ってるようなものだから褒められたことじゃ――」

「いや、全然違うけど。というか、真面目な話」

「……気にならないの?」

「全然。うち……いや、前職なんか真純より派手な髪色の社員たくさんいたしな」


 とはいえ、営業のような外回りの部隊ではなく、内勤メインの女性に多かった。男性は髪色より髪型を奇抜で派手にしていた。編み込みしていた経理の中年男性は本部長から叱られていたが、そうはいっても世間をみれば比較的自由な社風だったと思う。

「で、真面目な質問なんだが、真純は前、松川電工に所属って名乗ってたよな? でも、正式な所属は松川総合電機ってのは、どういうことなんだ」

「ああ、セミナーのときのか。所属は松川総合電機よ。で、業務のメインは松川電工関係ってこと。あたしはその時々で適当な社名で挨拶してるってだけ」


 適当にも程度ってものがあるだろうに……。

 バレたら髪色よりよっぽど怒られ案件だ。


「松川電工が請け負う案件絡みの契約がメイン。総合電機本体の契約のほうが数は多いけど、チームごとにフォローする関係子会社が割り当てられているの」

「子会社って、普通法務がいるもんじゃないのか?」

「まぁ、大きな子会社とか海外子会社にはインハウスがいるわね」


 欧米では、日本でいうところの司法試験に相当する試験をパスして資格を保有していなければ独立しようが勤め人だろうが法務業務に携わることはできないとされている。世界から見れば日本だけがイレギュラーである、というのは大学の講義で聞き覚えがあった。


「諸事情あって、国内に限っては法務系の仕事は本体に集約してるってワケ」

「ふぅん……、いや、そもそもなんで子会社の法務業務を親会社に所属する法務があれこれできるのかが気になって。ほら、普通はダメじゃなかったっけか。他人同士の契約を見たり紛争案件をやったりって。非弁行為、だっけか」

「ああ、72条か。正義の前の会社って子会社とかなかったの?」

「売り上げは大きかったけど、あくまで専門商社だったし。あっちこっち手を出す余裕もなかったから、子会社みたいなのはなかったな。営業所とか支店はあったけど」

「なら、知らないのも無理ないか。ちなみにその答えは法務省が見解を出してるわよ」

「そうだったのか……。それも知らなかった」

「例えばだけど、契約審査、法令に関する情報提供、社内規程のチェック、取締役会の運営補佐、コンプライアンス教育、紛争対応、ざっとこんなところは親会社が子会社の面倒を見るくらいなら弁護士法72条には違反しない、とされているわね」

「へぇ……。普段あまり気にすることなかったから勉強になった。まめ知識みたいだな」

「この見解とか弁護士資格とか、こういうのは結構大事なことだから覚えておきなさい。組織作りとか要員の話では必ず出てくるわけだし」

「そんなことを考えないといけないような役職に就く予定はないんだけどなぁ……」

「男は出世してなんぼでしょ。20代のうちからそんなこと言ってどうするの」


 真純に肩をぺちっと叩かれる。


「出世欲がなくて平々凡々に給与を稼ぎ、仕事よりも家族や自分の時間を大事にするのがいまの若人の思考だぞ」

「後者を選択できる法務部員が世の中にどれだけいるんでしょうね」

「恐ろしいこと言うなぁ……」

「忠告しておくけど、研鑽を怠った従業員にくれてやる席はない、ってのがうちの本部長の方針だからね。正義の採用を決めたのだって、前職で馬車馬のように働いていたからこそ業務で身につけたであろう知識が同世代と比べても抜きん出ている、ってところだし」


 面接で根掘り葉掘り業務経験やら知識レベルを問われたのはその評価のためだったのか、と得心がいった。業務量だけで言えば一昔前のブラック企業そのものだったので、契約交渉も含めてそれなりに場数を踏んできた自負だけはあるが。


 そうか、それなりに勉強はしないとならないのか……。


「日々是精進、というわけか……」

「電工の契約はそこまで大きな案件もないから心配しなくていいわ。まぁ、売買とか請負契約の量は多いと思うけど」

「量こなすのは慣れるんで心配無用です」

「なぁ、その本を一通り読み通すのも難なくいけるはずよね」

「うっ……」


 俺は奥歯を噛みしめた。

 眼前で悠々と聳える本の山々。これを崩し終えるのは、まだまだ先になりそうだ。


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・参考文献:法務省HP - 親子会社間の法律事務の取扱いと弁護士法第72条

https://www.moj.go.jp/content/001400727.pdf

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この契約書は結べませんっ! 辻野深由 @jank

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