第10話

 呉服店も百貨店もデパートも一斉に新年一発目の開店号令を轟かせる一月四日。ショッピングの荷物持ち要員として呼び出された俺は、JR秋葉原駅前にあるスターバックスで軽い朝飯にありついていた。


 窓の外、駅前広場は大勢のオタクたちと振袖姿の男女たちが各々にスマホへ目を落とし、つれの到着を待ちわびている。大半の目的は神田明神への初詣、そうでなければ家電量販店の新春セールだろう。さすがに三が日を過ぎたので、神田方面へ向かう人の数はまばらだ。

 SNSで確認する限り、神田方面には気が滅入るような行列もない。その後のショップ巡りでは地獄をみる羽目になるだろうが、そればかりは覚悟して臨むほかない。


「おまたせ」


 待ち合わせ時間どおりにやってきた真純は、テーラードのロングコートにチェック柄のテーパードパンツという欧州スタイルだ。派手に染め上げた麦水のような髪色もあいまって日本人離れした外見のせいか、周囲の視線を集めてしまっている。


「おはよ、正義。今年もよろしく」


 おう、と生返事を返す。真純はコンビニで買ったらしいカフェオレに少しだけ口を付けると、店外へと向かっていく。飲みかけのブラック珈琲をダストボックスへ放り込んだ俺は早足でその背中に追いつき、歩幅をあわせて三歩後ろを歩く。


「……それで、ライブには行ってきたんでしょうね?」


 感情を押し殺したような声音の真純の問いに、俺は息を整えてから答える。


「……行きましたよ。真純からの誘いを断った以上は他に選択肢なんてないし」


 結局、幸城恋裏のライブに脚を運んだ。桐谷の誘いがあったあと、真純から食事に誘われたのだが、悩んだ末に男同士の約束を優先した。

 季節はずれのサングラスにハンチング帽と当たり障りない紺色のジャケット、そして黒色のウィンドブレーカーパンツに身を包んだ俺の姿をみて、桐谷は「変装が下手な素人探偵みたいだな」と目尻に涙を浮かべながら笑っていた。けれどこればかりは仕方がない。かつての時間をともにした同胞の多くはまだ彼女のファンクラブに加盟しているだろうし、クリスマス武道館公演となれば十中八九現場にいたはずだ。彼らと顔を合わせるのを避けるには、下手くそでも変装していく必要があった。

 そして、そこまでして行った甲斐は、あったのだろうと思う。舞台の上で華々しく華麗に踊り歌う推しの勇姿をこの目で見届けることができたのだから。


「ライブは、まぁ、行って良かったと思ってますよ」

「そう」


 ちなみに今日はクリスマスと同じ上下のセットだ。ただし変装は必要ないのでグラサンと帽子のかわりに首元から鮮やかな紅色のマフラーを巻いている。けれど、坂の上から吹き下ろしてくる寒さを凌ぐには少し心許なくて、彼女の背後で身震いした。もう少し厚着をしてくればよかった。


「……というか、そのマフラー、まだ持ってたんだね。流石に買い換えたほうがいいと思うけど」


 神田明神への参拝列に並ぶや否や、真純が俺を見て呆れたような表情を浮かべていた。


「マフラーって、そういうもの?」

「そもそも着てる服にもマッチしてないし。もしかして、それ以外に持ってないの」

「ご明察」


 こんなことを見抜いたところでちっとも嬉しくない、と真純がため息をこぼした。


「服のセンスも感性もあの頃から微塵も……というか、むしろ退化してるじゃない」

「仕事が忙しくて、普段着てる服に思考を割く時間なんてなかったんだ」

「先が思いやられるわね。新春セールもやってるし、何着がセットで服を買い足しましょう」

「別に俺のはいい。真純が自分の買いたいからこその今日だろう?」

「……ついでよ、ついで」

「さいですか」


 隨神門をくぐり、境内に踏み入ると、さすがに参拝客でごった返している。祭務所で神籤や御守り、破魔矢を買う人が無秩序に列を伸ばし、巫女服姿の女性が大声で整理しはじめていた。三が日はもっとひどいことになっていたに違いない。


「ところで。なんで神田明神なんだ?」

「明治神宮とか川崎大師よりは空いてるから」

「なら、もっと色々選択肢あったろ」

「気分よ、気分。それに、商売繁盛といえばここでしょ?」

「……まさか真純が願掛けとか御利益を意識するようになるとは」

「海外あっちこっち飛び回って、思ったわけ。このまま常識知らずでいるのはよくないな、教養は身につけないとな、って。政治、宗教、経済、社会、そういうのって大人になっても色んな場所で使うことになる。大学生のときはなにも知らずに海外に飛んだけれど、あたしは生まれ育った場所のこともよく知らなかった。世間知らずにもほどがあると自覚したのは海外に行ってからだったわ。日本のこと教えてとか言われて、受験で勉強したことを話したら、それは知ってる、って。そう言われて、あたしは恥ずかしくなった。海外の学生ってみんな頭いいんだよね。あたし、日本のことも海外のことも知らなかったのに、海外の同世代はみんな日本のことを知ってた。それも衝撃だった。それと同時に思ったわけ。馬鹿みたいなことばかりしてる暇ないな、って」

「……で、それと商売繁盛はなんの関係が」

「務めている会社が商売繁盛するように、って拍手して頭を下げるのはおかしい?」

「……いんや、別に」

「でしょう? 年末年始はそうやって過ごすんだって世間話にもできる。それに、商売繁盛を願う気持ちはビジネスマンなら世界共通。こんな時期に日本にきたなら是非行ってみたらいいと薦められるしね」


 まともになったんだな、と思った。同時に、真純に興味を持ったあの頃の彼女らしさがなくなってしまったようで、少しだけ寂しい気持ちになる。大人になるというのはこういうことなのかもしれない。

 いよいよ先頭が近づいてきて、俺はジャケットのポケットにあらかじめ忍ばせておいた五円玉を取り出す。ちいさい頃、親父から「誰かと縁を結びたいなら、5円玉を賽銭箱に投げ入れるといい」と教わり、なんとなくそれが毎年の習慣になっているけれど、本当は別の意味があって、中心に穴が空いている5円玉を投げ入れるのが風物詩になっているのかもしれない。


 ふと真純を見ると、彼女はさも当たり前のような顔をして、右手に一万円を握っていた。


「大盤振る舞いすぎやしないか」

「ケチくさい奴の願いごとなんか叶えてくれると思う?」

「日頃の信仰と行いが真っ当ならいけるでしょ」

「ここになんの神様が祀られているかも知らなかったやつの願いごとをたった5円で見繕ってくれるだなんて、神様はなんて心が広いんでしょうね」

「その嫌味なところ、神様はみてると思うぞ」

「正義に対する嫌味であって、神様のことはなにも悪いこと言ってないし」


 一歩前に出ると、真純は賽銭箱に手を近づけて、丁寧に一万円札を入れた。


「そもそも、五円玉だからって特別な意味なんてないのに」

「……マジかよ。十分ご縁がありますようにとか、ああいうのも?」

「ああいうのっていったいなにがきっかけで通説みたいになるんでしょうね」


 真純の二礼二拍手一礼する姿を横目に見ながら、俺は財布から昼飯代を取り出し、賽銭箱の上で手を離す。ああ、さようなら、俺の大事な夏目漱石……。


「それじゃ、渋谷にでも行きましょう」

「もう少しだけ待ってくれ。お願いごとが終わってない」

「……そう」


 せめて、転職先では安らかな日々を送れますように。

 ありきたりで、ちんけで、なんの面白みもない願いを、どうか。

 ようやく取り戻せたものを、やっと手に入れたものを、少しでもながく。

 悲痛で、切実で、それでいて静謐な祈りを、せめて。


 なんでもないような穏やかな日々が、いつまでも続きますように。

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