第4話
手紙の返事は書かなかった。
わたしはただ、あなたの婚約者が浮気していますよ。という事実を伝えたかっただけで、王子と文通がしたかったわけではない。
メイルはふとした瞬間に筆を持ってしまう自分に何度もそう言い聞かせた。
これまで通り、仕事漬けの日々に戻ったある日、家人に呼ばれて出迎えてみれば想像通りの相手が玄関にいた。
晴れ晴れとした表情の屈強な男性――グエル王子が丁寧に頭を下げた。
「約束通り会いに来た。少し話せるだろうか」
グエル王子が持つとティーカップも小さく見えてしまう。
筆ならなおさらだろう。
「どうして、わたしだと? 父に聞いたのですか?」
「夜会の参加者名簿から炙り出した。この手紙はメイル嬢の筆跡で間違いない」
懐から取り出した数々の手紙を取り出しながら何でも無いように告げられる。
な、なんて気の遠くなる作業を……!
その視線と言葉から、絶対に見つけ出すという執念を感じてしまった。
「メイル嬢のおかげだ。ありがとう」
「いえ。余計なことをしてしまったのではないかと後悔していました。そう言っていただけると救われます」
「正しい行いをしたのだ。胸を張ってくれ」
「しかし、殿下が大切に思ってらっしゃるルイズ様と引き離すような結果となってしまいました」
王子はあっけらかんとして告げる。
「婚約者として粗末に扱ったことはないが、愛情を抱いたことはない。特に今回の件で幻滅した。縁が切れて清々しているくらいだ」
豪快に笑うグエル王子の姿に拍子抜けしたメイルはやがて強ばらせていた表情を緩めた。
「そ、そうでしたか。密告するような形をとってしまい、申し訳ありません」
そして、メイルは目を伏せた。
「おばあさまの教えにも背いてしまいました」
「それは私も同じだ。手紙は手渡しに限る、だったな」
照れ臭そうにするグエル王子は懐から取り出したもう一通の手紙をテーブルに置いた。
メイルは折り畳まれた手紙を取り、王子の目を見つめる。
「開けても?」
「も、もちろんだ」
確かに許可を得たはずなのに、手紙を開きかけた手を止められた。
耳まで真っ赤に染まった顔を大きな片手で覆い隠しながら、待ってくれと懇願されてはどうすることもできない。
「こ、こんなに緊張するとは知らなかった。メイカ殿やメイル嬢はこれを平然とやってのけていたのか」
「本来であれば、わたしもそうするべきでした。一生の恥です」
グエル王子は何度か深呼吸をして、ふんすっと鼻息を荒くしてから椅子に座り直した。
「読んでくれ。そこに俺の気持ちを全て書き綴った」
一人称が変わった。
メイルは唾を飲み込み、真剣に向き合って手紙を開く。
その内容は恋文だった。
確かにこれを目の前で読まれるのは恥ずかしいだろう、と思えるほどに情熱的な文章だった。
なにもそこまでしなくても……。
そう思ったが、これがグエル王子というお方なのだろう。
綺麗な字で紡がれる愛の言葉が、目を通してメイルの心へ澄み渡っていく。
「不躾ですが、とても字がお上手になられて驚きました」
「これからは代筆を頼まなくていいように、と練習したのだ」
「本当ですか? 殿下は滅多に代筆を頼まないと聞いていますが」
しばしの沈黙の後にグエル王子がぱんっと頬を叩いた。
「嘘だ。本当はメイル嬢への返事を書くために練習した。きみのように綺麗な字で自分の気持ちを伝えたかった」
口にしなくても、その努力は十分に伝わってきていた。
それこそ、どんな顔で書いているのかも想像できてしまうほどに。
グエル王子は「あ、あと!」と慌てながら付け足す。
「より速く郵便配達が可能になった伝書鷹の考案者として、メイル嬢の叙爵も考慮されるだろう。そうなれば王宮に来ることになる。それにメイル嬢は私と秘密を共有している。それも国家機密を、だ」
笑ってはいけないのだろうけど、言われた内容を真剣に考えれば考えるほど、言い訳に聞こえてしまって我慢できなかった。
「もう手紙を手渡ししたくない。自分の気持ちは直接口頭で伝えたい」
「では、わたしの気持ちをしたためた密告書は不要ですね」
メイルは取り出した手紙を裏向きにしてテーブルの上にそっと置いた。
「それは、是非とも読んでみたいものだ」
愛らしい熊のような大きな手がメイルの華奢な手を包み込んだ。
地方代筆士メイルの密告書 桜枕 @sakuramakura
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