第3話
落ち着かない日々を過ごしていたメイルの元に一通の手紙が届いた。
持って来てくれたのはイーグレット家の伝書鳩だ。
イーグレット家が築き上げた伝書鳩システムはこの国の中心部に鳩の巣箱を置き、そこから各地に鳩たちが手紙を運んでいけるようになっている。
考案したのは祖母で、陸路では数日から十数日かかる郵便配達を最短で可能にしたのだ。
現在、メイルは鷹を用いた伝書鷹システムの構築に力を入れている。
今はまだ相棒の鷹で試験中だが、いずれは最短一日、場所次第で半日で郵便配達が可能になるだろう。更に鳩よりも力の強い鷹であれば軽い荷物も運搬が可能になると想定していた。
このシステムを用いて、メイルは送り主を特定できないように敢えて匿名での密告書を王都へ送りつけた。
深呼吸してから封筒の表裏を確認する。
そこにはグエル王子のサインが書かれ、王家の封蝋印が押されていた。
『きみは何者だ』
至極真っ当な問いかけで終わるかと思ったが、改行されて文章が続いていた。
『名乗らない者の報告は受け付けられない。ルイズは私の婚約者だ。名誉毀損で処罰することもできるのだから、面白半分の悪戯はやめろ。いつでもきみの居場所を調べて拘束できるぞ』
最後は脅迫されてしまった。
しかし、怖がるわけでもなく、メイルはむっとして筆と紙を取り出した。
(なにを呑気なことを)
メイルは更に強い言葉で注意喚起を促す文章を書いた。
目撃情報が信じられないのなら、と日付や時間、場所やシチュエーション、相手の男性の背格好まで詳細に記載した。
メイルは一通目の手紙で、あなたの婚約者は浮気していますよ、としか書かなかったことを思い出し、頭を抱えた。
王子に伝えないと! という焦りと、差出人がわたしだってバレないよね!? という不安で頭の中がぐちゃぐちゃだったとしても酷すぎる。
もっと説明文を加えるべきだった。
深く反省して三枚の手紙を封筒に入れた。
返信を書き終えたメイルは、再びグエル王子からの手紙に目を落とした。
決して綺麗とは言えない字だ。
インクの扱いにも慣れていないのだろう。滲んでいる箇所がある。意図的に滲ませて誤字を隠している部分も見つけた。
インクが乾かないうちに腕が触れてしまったのか、所々が霞んでいる箇所もあった。
「イライラが伝わってくる。何度も書き直したのかな」
後半の脅迫文へと向かうにつれて、文字が雑になっていく。
そして、最後のピリオドでペン先が潰れたのだろう。
「ルイズ様を想ってのことね。優しい人。グエル殿下には幸せになっていただきたいわ」
手紙に鼻先を近づけて、肺一杯に空気を吸い込む。
「いい匂い。さすが王族ね。高級なインクを使っている」
証拠隠滅のために破棄するべきなのだろうが、メイルは机の引き出しにそっと封筒をしまった。
それから更に数日後。メイルの元に手紙が届いた。
蝋封印が解かれていないことを確認してから、封を切って中身を取り出す。
『きみの情報は間違っていたぞ。ルイズはその日、スール領には行っていない。友人たちと一緒だったそうで証人も多くいた。きみは嘘つきだ』
この人、ただ優しいだけじゃない。
不敬なことを思うメイルは決してそれを口には出さず、そっと心の奥にしまった。
汚い文字と頭の悪い文章にだんだんとグエル王子が可愛らしく思えてきた。
なんなら、ちゃんとペンを持てているのかも怪しい。
熊のようだと言われる成人男性が一生懸命にペンを握りしめて、机に向かっている姿を想像すると可愛くて仕方がなかった。
『それに相手の男性の特徴についてだが、男なんて誰もが背が高くてガタイが良いだろう』
子供の相手でもしているように目を細めていたメイルは堪えきれずに吹き出した。
「あなたのお兄様は華奢な男性ですよ。あなたを基準にするのはあまりにも他の男性が可哀想です」
いちいちコメントを入れながら、手紙を読み終えたメイルは便箋に筆を走らせた。
「顔も名前も性別も分からない相手に返信を書くなんて律儀な人」
ご機嫌なメイルはベランダから顔を覗かせる鷹のくちばしに手紙を咥えさせて、羽を優しく撫でた。
それからしばらくの間、グエル王子からの返信はなかった。
彼らの行く末を気にするメイルだったが、代筆屋としての仕事が忙しく、郵便受けを見る機会も減ってしまった。
グエル王子がルイズ嬢のことを信じているのであれば、あの密告書は余計なお世話だったかもしれない。
そんな風に思うようになった頃、やっと返信が届いた。
『こんにちは。お元気ですか。私は元気です。肌寒い日が続くようになり、冷え性の私は我慢しながら日々の訓練に耐えています』
きょとんとしたメイルは何度も冒頭部分を読み返した。
代筆かしら?
そう思ってしまうほどに丁寧な文章に目をしばたかせる。
『さて、以前いただいたお手紙の内容ですが、私はルイズ公爵令嬢との婚約を白紙に戻す運びとなりました』
思わず声が漏れてしまい、手紙を握り締めて食い入るように続きを読む。
『恥を晒すようですが、浮気相手は私の一族の者でした。このような形になってしまい言葉もありません』
手紙の内容が衝撃的すぎて口を閉じることもできない。
『国王陛下の命により、ルイズ公爵令嬢の逢瀬相手は国外へ住まいを移す手筈となりました。彼女の処罰も慎重に検討しています。貴殿のおかげで王室の危機は去りました。心より感謝申し上げます』
最後までなんて丁寧な文章なのだろう。
そして、字が上達している。
癖は抜け切れていないから、代筆を頼んだのではなく直筆だとすぐに分かった。
「こんなことを書いてしまってよかったのかしら」
イーグレット家の伝書鳩は優秀だが、万が一にも手紙を紛失してしまえば一大事だ。それを承知で手紙にしたためるなんて、度胸があるというか、無謀というか。
『つきましては、直接お礼をさせていただきたく存じます』
それはつまり密告書の送り主を特定しているということだった。
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