地方代筆士メイルの密告書

桜枕

第1話

「いくら手紙に想いをしたためても相手には顔が見えない。だからこそ、手紙は手渡しに限る」


 田舎の代筆屋兼郵便配達員から名誉宮廷書記官まで上り詰めた祖母の言葉だ。


 本人に成り代わって手紙や重要文書を書くことを生業としている代筆屋の一族・イーグレット家の生まれで、自身も代筆士として働くメイルは、王宮で開かれている華やかな夜会の席でそんなことを思い出した。


 つい先ほどまで壇上に上がっていた国王陛下の話の中に祖母の名前が出たことで、懐かしい気持ちになった。


 夜会が始まってすぐに多くの参列者の中に紛れてしまったメイルは、ホールを抜け出して一息ついた。


 普段は辺境伯領で過ごすメイルにとって、この夜会はあまりにも煌びやかすぎた。なにより人が多くて、酔いそうになってしまう。


 水の入ったグラスを片手に涼んでいると、廊下の先が騒がしくなった。


 こちらへ向かってくるのは美青年と美女。

 艶のある金髪と王妃によく似た中性的な美貌。誰もが足を止めて見入ってしまうほどの容姿をしているのは王太子殿下だった。

 その後ろでは彼の婚約者が姿勢を正している。


 メイルは小動物のように廊下の隅っこにそそくさと移動して頭を下げた。


(うわぁ……。本物の王族だ)


 メイルは真っ赤なカーペットを凝視しながら、足音が遠くなるのをじっと待つ。


「ん? あなたは」


 軽やかな足音に続いて、地響きのような重苦しい足音が近づき、メイルの前で停まった。


 王太子たちがホールに入り、王宮で働く父の知り合いが自分に声をかけてくれたのかしら、と頭を上げる。


 その瞬間、メイルは呼吸の仕方を忘れた。


 国王陛下によく似た強面。武人を思わせる背中、腕、太ももの筋肉が発達した体。ひと睨みされたら、王太子とは違った意味で硬直してしまう容姿をしている好青年だった。


「グエル殿下」


 声に出してその方の名前を呼び、勢いよく頭を下げる。


 王都の街並みにも王宮での夜会にも慣れていないメイルは、まさか王族に声をかけられるとは夢にも思わなかった。


 グエル第二王子は文芸よりも武芸に秀でていると有名で、熊のような男と評されるお方だ。


「驚かせてしまってすまない」


 野太くも、心地の良い優しい声をかけられ、メイルは閉じていた目を開けた。

 しかし、目線はカーペットに釘付けのままだ。


「よく顔を見せてくれないか」


「……はい」


 おそるおそる顔を上げると、グエル第二王子の彫りの深い顔が目の前にあった。

 第一王子のような貴公子面ではないが、とにかく男らしさが全面に出ている。


「もしかしてメイカ殿のご令孫か?」


「はい」


「やはりそうか! その澄み切った空のような瞳の色はメイカ殿にそっくりだ。メイカ殿には大変世話になった」


 メイカ・イーグレット。

 メイルの祖母にあたる彼女は田舎で代筆屋を始め、その能力を認められて唯一の女性宮廷書記官として活躍した。

 彼女の功績は大きく、メイルの父も兄も宮廷書記官として現在も召し抱えられている。


「き、恐縮です。グエル殿下にそのように思っていただけるなら、天国へ旅立った祖母も喜んでいることでしょう」


 自分でも驚くほど声が裏返っていた。


 メイルは祖母がどのような仕事をしていたのか見たことがない。

 周囲の人から「イーグレット家のメイカ殿はすごかった」と聞かされても、メイルにとってはただの優しいおばあちゃんでしかなかったのだ。


 しかし、王族にまで評価され、初めて王都に出てきた孫である自分にまでわざわざ声をかけたくなるほど人望が厚かったのだと知り、メイルの心は温かくなった。


「ねぇ、その子だぁれ? 早く行きましょうよ」


 そんな心を一気に冷めさせた一言。

 ついさっきまでグエル王子の背後をつまらなさそうに歩いていた女性は、メイルに見せつけるように王子の腕に自分の腕を絡めた。


「こら、ルイズ。こちらは宮廷書記官イーグレット家のご息女だ。無礼だぞ」


 ぶ、ぶぶぶ、無礼!?

 滅相もない、とメイルは再び頭を下げる。


 こっちは田舎から出てきたしがない文字書き。そちらは王子の婚約者で公爵家のご令嬢。身分は天と地の差だ。

 それなのに、身分の低いメイルを庇ってくれるグエル王子には恐縮するしかない。


 メイルとは反対にルイズ嬢は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「気を悪くしないでくれ。では、私たちはこれで失礼する」


 エスコートして進むグエル王子に気づかれないように、ルイズはメイルに勝ち誇った笑みを向け、舌を出した。


(感じの悪い人。こんな場所で生きていける気がしないわ)


 いわれもなくグエル王子の婚約者にあっかんべーをされたのだ。そう思っても仕方はない。


 宮廷書記官である父が「せっかくだから参加しなさい」と招待状を用意してくれたのはいいが、メイルには苦い思い出となってしまった。


 もう二度と王都になど、ましてや王宮になんて行くもんか! 


 メイルがそう心に決めた出来事だった。

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