エピローグ
第49話
病院を出た僕たちは、無言で夕方の道を歩いていた。
赤みを帯びた細い道は美しくもあり、どこか物悲しいようにも見える。二つの影が細くなって伸びている。僕はただゆっくり道を進み、ぼんやりと空を見上げていた。星野さんはそんな僕に何も言わず歩調を合わせてくれている。
今日体験した出来事が凄すぎて、呆然とするしかない。もう他に何も考えられない。
ショックと安堵とごちゃまぜの気持ちだ。気分はずんと落ちて上がる気配はない。さっき星野さんに貰って食べた鷹の爪の辛みが、未だ口の中に残っていて不快だった。
足音だけが響く静かな帰り道に、星野さんの凛とした綺麗な声が響く。
「夕焼けが綺麗だね」
「……そうだね。綺麗な色だ」
オレンジ色で僕らの肌も染まっている。あと少ししたら、あれは沈んで夜が訪れる。空の色は黒に変わる。
「大山くんの好きな色はなに?」
突然、彼女がそんな質問をした。元気がない僕の気分を変えようとしてくれているのかな、と深くは考えず答える。
「何だろう。青とかかな。爽やかな色がいい」
「そう。私はね、『恐怖の色』が好きなの」
聞きなれない言葉に隣を見た。夕日色に染められた、星野さんの綺麗な横顔が見える。
恐怖の色……?
一体それはどんな色なんだろう。
星野さんは僕の視線に気づいたのかこちらを見る。そして、目を細めて微笑んだ。
「私ね。時々色が見えるの」
「……色?」
つい足を止める。彼女も同じように立ち止まり、僕と夕日を交互に見ながらゆっくり話す。
「オーラ、って呼ぶと大げさかな。人が何か強く思っていたり感じていたりすると、時々ぼんやり見えるの。大山くんは幽霊を見る能力、私は人の色を見る能力がある」
「色を、見る?」
「常にじゃないんだけどね。その色も、言葉に説明できない不思議な色なの。オレンジ色だよとか、青色だよって説明できない、特別な感覚。そして……誰かが恐怖を感じている時の色は、最も複雑で恐ろしくて、でも美しくて惹かれるの」
そういえば、と思い出す。いつだったかひき逃げ犯を当てることがあった。もしかして、その色を感じ取る能力で何かを察したのだろうか。そして、僕が怯えていたりするときは、いつもすぐに気づいていた。
何か強く思っていたり感じていたりすると見える色……恐怖を感じている時の色……。
彼女のガラス玉みたいな目が気になる。あの美しい瞳に一体どう映っているんだろう。
星野さんは続ける。
「そして、あんな色を出させる恐怖という感情自体が凄く気になる」
「だから、君はあんなに憑かれたいって……」
星野さんは再び足を踏み出した。ゆったりとした歩調で歩きながら、僕に話し続ける。
「怪談話は一番メジャーな、恐怖を起こすものだからね」
「まあ、確かに……」
「それに、一番手軽でもある」
怪談話を手軽呼ばわりとは。面喰うが、彼女は淡々と続けた。
「私にとっては手軽なの。だって分かってる、この世には他にもたくさんあの色を出す原因があるって。むしろ、理不尽で溢れかえったこの世が一番恐ろしい。苦労したからって報われるとは限らない。罪を犯したからって不幸になるとも限らない。正直に生きていくのがばからしくなるほど、この世は理不尽という恐怖で溢れかえってる。人を殺しても傷つけても笑って人生を全うする人間がいる一方で、誰のことも傷つけずまっすぐ生きてきた人間が苦しみながら死んでいくこともある。そんなことばかりよね」
「……」
「恐怖の色は好きだし興味がある。だから怖い話も好き。でも死んだ人が一番怖いわけじゃないって思ってるの。私が一番恐ろしいのは理不尽だから。大山くんは、どう?」
僕は何も答えなかった。
小さな頃からたくさん怖い物を見てきた。血だらけの女性、足のない男性、焼けただれた皮膚の子供。
どれも恐ろしくて、僕は未だに慣れない。
でも、『じゃあ死んだ人間がこの世で一番怖いのか?』と訊かれると、よく分からない。
幽霊以外にも、恐怖はそこらじゅうにある。
「夕日が綺麗ね」
星野さんが、もう一度言った。確かに、美しい。
でも彼女の目には、僕とは違うように映ってる気がした。
完
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では、またお会いする日まで。
憑かれたい彼女 橘しづき @shizuki-h
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