風丸とヘイズの旅

端庫菜わか

第1話

 乾燥した平原に、灰色の雪が風にあおられながらひらひらと降っている。

 まばらに降るだけの小さく細かい雪は地面のわずかな熱に触れるだけで融けて、色を無くしていく。その冷たく湿った大地を、とある一行が鈍重な足取りで横切っている。

「さ、むい……」

「がんばって、きっともう少しの辛抱だから」

 ガラガラと草の根を踏み越えながら後列をついてくる荷車から、かすかに囁き声が聞こえてくる。ブランケットで身をくるんだ少女と、傍らに座る母親らしき若い女性。その荷車を、励ましも文句もなく男が乾いた手を赤くして引いている。また周囲に二、三人、連れ立って歩く者もいた。彼らは集落を離れ、新しい定住地を求めて流れている最中だった。

 彼らは先頭を歩く案内人に、時折縋るような視線を向ける。食糧やテントもないのにいつまで歩けばいいのか、この荒野に果てはあるのか。そんな疑問を、不安を抱えながら、彼らはただ歩く。

 

「なあ、これ、こんなに歩いて国境越えちまうんじゃないのか」

 荷車の近くを歩いていた彼ら集落の長が横にきて、疲れ切った掠れ声で先頭の二人に問いかける。

「越えません。隣国へ行くにはまだ数日かかりますし」

 答えたのはフードを被った背の低い子供。隙もなく装着された防塵ゴーグルと厚い装備で、少年なのか少女なのか判断できない。暗いレンズの奥で、大きな瞳が青年を見上げる。

「はじめに言ったとおり、私たちは貴方がたをシェルターまで送り届けます。このまま歩けば大きな交易路に差し掛かります」

「だけどみんなそろそろ限界だ。せめて休憩しないと倒れちまう」

 長は掠れた声で言う。それならまた休憩を取ろうかと辺りを見渡している時、

「……風丸」

「はい」

 子供の隣にいた長い髪を結い上げた女性が話しかけてきた。年の頃は見たところ二十から三十。凹凸の激しい砂地を歩くのには少し心許ないサンダル風の靴に、一枚の布を纏うような形の外套で砂塵から身を守っている。

 長年の旅の友が自分の名を呼ぶのに、風丸はいつものように返事をした。

「どうしましたか、ヘイズ」

「この先に難民を一時的に保護する野営施設があるようです」

「ようやくか……」

 彼らの疲れを背中に感じ取りながら随分と歩いてきた。風丸は誰一人欠けることなく導ききれたことに少し安堵して、吐息のような声で言った。けれど気は抜けない。同じような風景の道なきステップを四日も歩いているのだ、自分たちと違って長旅に慣れていない彼らの疲労はとうに限界を超えている。

「引き続き先導をお願いします。でもその前に一度足を休めてもらいましょう」

「では先を少し見てきます」

 そう言って、彼女は相変わらず進路に変更なくまっすぐ進んでいく。その後ろ姿を見送りながら、長の男は呟くように言った。

「……本当に大丈夫なんだよな?」

「はい。」

 機能している施設をヘイズが見つけ出したのなら後はそれについていくだけ。風丸にとって彼女の検索は絶対だ。しかし数日前に出会ったばかりの彼らにとってそうではない。憲兵でもなく、ただの女子供にしか見えない二人組に命を預けることに迷う気持ちも伝わっている。

 だから風丸はせめて淀みなく答える。

「この旧帝国で、彼女のガイドに狂いはありません」

 旧帝国。かつて大陸の五割を占める大国の領地だったこの国は、文明発展の全盛期から時代は遠のいて荒廃した。人口は減り、大地は乾いていくばかり。広大なステップの真ん中で、滅びを待つ寂しいところとなってしまった。

「おーい、休憩だってよ」

 長が風丸の代わりに号令を出すと、後列の一家が枯れた喉で気力が抜けたような声を出す。

 地面に腰を落とす人たちを、しかし風丸は浮かない顔で眺めていた。休憩するのに反論はない。しかし皆気付いているだろう大きな問題が一つある。補給するべき水がないのだ。

 昔から広大な平地ゆえに貧弱な水資源にはずっと悩まされてきたこの国は、百年前までに多くの国民は湿潤な土地を求めて他国へ流れて行ってしまった。彼らも同じような理由で故郷を離れて彷徨っていたところを風丸たちが偶然見つけた、今は遠くの集落に暮らしていた人たちなのだが。

「どうですか、ヘイズ」

 風丸は耳元の通信機でヘイズに連絡をとる。すると朗報が帰ってきた。

『施設へ到着しました。受け入れは十分可能なようです。トラックがありましたので、それを借りてそちらへ迎えに行きますね』

「助かります。良ければ水と防寒着も」

『かしこまりました』

 少女の細い声がおなかすいた……と囁いたのが鼓膜に届いた。

「可能な限り早くお願いします」

『承知しております』

 向こうの風音が途切れ、通話は終了する。良かった、これ以上この人たちを歩かせずに済むらしい。ふ、と息をついたその直後のこと。

 降っていた雪が強くなり、溶けた水が地面に染み込んで辺りを暗く染めていく。

「ひっ……」

「なんだ!?」

 寒さに震えるような地鳴りが底から足元に届き、驚きと怯えの混ざった声がそれに重なる。

 背後の地面が一層黒くなる。それはゆらりと細長くうねり、巨大な影を象る。

「なんだこれは……」

「うわあ…………!」

 それぞれ悲鳴が重なって、その声に呼ばれるように轟音とともに風丸の数メートル先の地面から大量の砂が間欠泉のように吹き上がる。

 それは巨木のように太く、蛇やムカデのように長い体は深海のように暗く黒い。鱗も皮膚もない表面の奥が流動するように光っている。まさに人が想像する恐怖を形にしたような、身も竦むような姿の化け物。全長はおおよそ十五メートル。今まで処理してきた記録の中でも稀な大型だった。

「大きい……」

 風丸はその塊を見上げてぼそりと言った。声が聞こえているのか、風丸の呟きに反応するように化け物は顔もない先端をゆっくりと下げてこちらに向ける。認識された。まさか日に二度も現れるとは予想外だったが、やることは変わらない。

「ああ、神様。どうして私たちにつきまとうの!」

「落ち着いて、後ろに下がっていてください。巻き込んでしまうので」

 壮年の女性が恐慌状態に陥って叫ぶのを鎮めようと冷静に声をかけて、頭上から矢のように降ってくる雨のような鋭い水を飛び退いて避ける。

「おい! だめだ、逃げよう。お前みたいな子供が敵うようなもんじゃない!」

 長の声が少し遠くから聞こえてきて、もう一定の距離を避難していることを確認した風丸はその言葉に耳を貸すことなく、風丸のみに注目させるために化け物の相手を続ける。

「ヘイズ、【井戸の子】が出現しました。合流次第、彼らの避難を最優先に行ってください」

 返事を待つ間も無く化け物が全身を地面に打ち付けてくるのを転がって危なげなく回避する。巨大な体に見合った鈍重な動き。地下の霊脈を吸って肥大化しただけでそのスペックは他の比較的小さな型ともそう差はないらしい。

『すぐに到着します。あと五十二秒お待ち下さい』

 ヘイズの返事を受信しながら横に跳ねて同じパターンの攻撃を捌き、着地した一瞬でエペを抜くと地面を蹴って【井戸の子】へ距離をつめる。と、その巨体が大きく変形して剣山のように全身から無数の棘を伸ばした。

 眼のすぐ傍を掠める硬化した触手に一瞬も怯むことなく、風丸は手元のスイッチを入れて武器を先端を化け物の胴体に突き込んだ。

「還りなさい。」

 低い声で囁く。と、黒く光る体の表面の剣が突き立ったところから振動し、全体へ大きく波打った。

 風丸の剣が発する衝撃波に耐えきれず、化け物は形を崩して四散した。透明な水が周囲へ飛び散ると、そのまま再生することなく大地へと染み込んだ。

 雨のように【井戸の子】が散った水たまりの真ん中で風丸は電気剣の電源を落とし、鞘に納める。それから慣れた様子で試験管を取り出し、溜まった水を掬って蓋をする。

 コポポ、と泡が立ったような音が足元で鳴る。風丸は慎重にその場を離れ人々の元へ戻った。

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風丸とヘイズの旅 端庫菜わか @hakona

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