第27話

 桜仙郷に戻ったソフィたちは、アルの案内に従って最後の分身のもとへ向かった。

 桜仙郷の中でも一際入り組んだ地形──枝分かれした川をまたぎ、滝の脇にある洞窟どうくつを進み、異様に成長した木々の根を越えて、ソフィたちはやがて目的地に辿り着く。


「あれが、最後の分身か」


 甲冑かっちゅうまとい、大剣を握る、人型の分身がたたずんでいる。その全てが樹木でできており、甲冑の表面は枝を幾重にも連ねたように節くれ立っていた。大剣は分厚い木の板のように見える。


「まるで騎士のようですわね」


 なので騎士タイプと名付ける。

 騎士タイプについてアルは詳しかった。元々仙龍せんりゅうにとっての最終防衛線を担う分身らしく、その性質上、持ち場からは動かないらしい。しかし百年の年月が経った今、敵と味方の区別がつかなくなり、自分からは動かないが何者かが近づけば問答無用で迎撃する分身になってしまった。


 近づかなければ無害。しかし一度動けば、その強さは他の分身とは比べ物にならない。

 そんな樹木の騎士を前にして、アルは口を開く。


「俺にやらせてくれ」


「え?」


 唐突に告げるアルに、フランシェスカが訊き返す。


「俺が、そいつを倒す」


 フランシェスカは意図が分からず、アルを見つめる。

 アルの目には──すさまじい熱量の決意が込められていた。

 これまでとは違う。今のアルはまるで覚悟の結晶だ。触れると火傷やけど

してしまいそうなくらい強い熱を帯びている。


「危なくなったら止めますよ」


「おう」


 今のアルなら信頼できる。ソフィたち三人はそう思った。アルが抱く決意は、純真な子供には似つかわしくない、痛みや苦しみと向き合った末に生まれる泥臭い強さに見えた。


 子供の成長は早い。出会ったばかりの我儘わがままな子供という印象は、とうに消えた。


「うらぁッ!!」


 アルは一瞬で騎士に肉薄し、殴った。

 頑強な甲冑に包まれた騎士は、反応こそするがアルの俊敏な動きに追いつけない。まずは畳みかけると言わんばかりのアルの猛攻に、騎士はわずかに後退する。


「速い」


「強化魔法を簡易的に使っていますわね」


 ルイスとフランシェスカが、冷静な眼で戦況を見る。


「元々、この魔法に関しては無意識に発動できていましたから、コツを教えただけですぐに習得してくれました」


 肉体に魔力を込めることで身体能力を底上げする魔法――強化魔法。アルは以前からこの魔法に関しては無意識に発動できていた。初めて会った時の素早い動きもこの魔法によるものである。

 だから、軽く教えるだけで意識的に発動できるようになった。

 アルの猛攻は続く。

 だがその時、騎士はよろめきながら大剣を振るった。


「うっ!?」


 大気ごとはらうような騎士の剣にアルは動揺した。人間の膂力りょりょくではない。アルは咄嗟とっさに剣をけたが、風圧だけで地面がえぐれる様を見て硬直する。

 一瞬アルは躊躇ちゅうちょする。しかしこぶしを握り締め、再び騎士に立ち向かった。


「おおぉおおおぉおお――ッ!!」


 アルがえる。大剣を紙一重で避けたアルのりが、騎士の胴を強くたたいた。

 殴る。防ぐ。蹴る。避ける。熾烈しれつな応酬が続く中、騎士もアルも傷だらけになった。アルの拳が騎士の腕を折り、騎士の大剣がアルの腹を叩く。アルはうめき声を漏らし、吐き気をこらえる素振りを見せたが、その目に宿る戦意は衰えていなかった。


「まだ、まだぁッ!!」


 時折ひざを震わせながら、アルは騎士の懐に潜り込む。

 横薙ぎに放たれた大剣を屈んで避け、すくげるように騎士のあごを拳で穿うがつ。

 だがその攻撃は読まれていたのか、騎士は倒れることなく、力強く剣を振り下ろした。


「が──ッ!?」


「アル!?」


 フランシェスカが悲鳴を上げる。

 咄嗟に腕を交差させて防いだアルだが、衝撃を受けきることができず派手に吹っ飛んだ。

 起き上がったアルは、ふらりと倒れそうになり、かろうじて踏み留まる。意識が一瞬飛びかけたのだろう。あまりの激痛に唇を噛んで堪えていた。


「限界ですわ! これ以上は、アルが──」


「──うるせぇ! 邪魔すんなッ!!」


 駆けつけようとしたフランシェスカを、アルは血反吐ちへどを吐きながら制止した。


「俺が──俺が、ちゃんとしねぇと! 仙龍が安心して旅に出られないだろッ

!!」


 それは、自分に言い聞かせるかのような言葉だった。

 アルの願いを知って、フランシェスカが足を止める。


「仙龍は、ずっと俺のことを守ってくれたんだ!」


 己を鼓舞するかのように、アルは叫ぶ。


「仙龍は、俺にとって、たった一人の親になってくれたんだッ!!」


 おもいがあふすかのように、アルの目から涙がこぼれる。


「だから、せめて俺が……ッ!!」


 涙を流しながら、アルは騎士を殴り続ける。


「俺が、仙龍の背中を押してやるんだ──ッ!!」


 あまりにも健気な想いがアルを突き動かしていた。

 フランシェスカの頬を涙が伝う。

 アルは決して我儘なだけの子供ではない。仙龍が抱える孤独を感じ取り、それでも送り出さねばならないことを知って、その中で自分にできることを精一杯考えている。


 この決闘は、恩返しだった。

 十年間、育ててくれた親に対する、アルなりの恩返し。

 自分にはこのくらいのことしかできないのだから。無知で、無力で、守られてばかりいた自分にできることなんて限られているのだから。


 だから、せめて──

 やるんだ。

 仙龍の背中を押してやるんだ。


 ソフィでもフランシェスカでもルイスでもない。俺が成し遂げてみせる。そんな、強い意志がアルの一挙手一投足から溢れ出していた。


「うぉおおぉおおおぉおおぉおおお──ッ!!」


 騎士の剣をくぐったアルは、右拳を鋭く打ちつけた。

 騎士の身体からだが、微かによろめく。

 好機。そう思った瞬間、ソフィは叫んでいた。


「アル! さっき教えた魔法を!」


「分かってるよ、師匠ッ!!」


 アルはポケットからつえを取り出した。

 ソフィから教わった通り、魔力を杖に移動させて操作する。


「ぶっ飛べ──ッ!!」


 アルの杖から、巨大な炎が放たれた。

 灼熱しゃくねつが騎士を吹き飛ばし、アルも反動で後方へ転がる。

 爆発の衝撃によって騎士の甲冑が砕けた。炎はあっという間に騎士の全身を燃やす。

 騎士は、やがて地面に倒れ……動かなくなった。


「か、火炎魔法……」


「いつの間に、覚えていたんですの……」


 本当についさっきである。

 分身を自らの手で倒したいと願ったアルの集中力は凄まじかった。その集中力があれば、もう一つくらい魔法を覚えられるとソフィは判断したのだ。


 まだ拙いし、魔法が失敗する可能性だって充分ある。

 それでも、最後に見事使いこなしてみせたのは――執念によるものだろう。

 魔力が枯渇寸前になったアルは、うつぶせに倒れて動けずにいた。

 その時、アルと同じように倒れていた騎士がゆっくり立ち上がろうとする。全身を黒焦げにした騎士はガタガタと音を立てながら剣を持ち上げ、幽鬼の如く不気味にアルをにらんだ。

 だが、その姿は明らかに風前の灯火。


 ──無粋。


 ソフィが杖を小さく振る。すると、目視できない風のやいばが騎士の四肢を切断した。

 騎士は今度こそ完全に沈黙した。だが倒したのはソフィではない。成し遂げたのは──。


「よく頑張りました」


 地面に横たわるアルに近づいて声をかける。


貴方あなたの勝ちですよ、アル」


「へ、へへ……どんなもんだ」


 アルは身体を仰向けにして笑った。

 全身が震え、顔もあおめている。最後の一滴まで力を絞り尽くしたのだろう。身体には無数の生傷があり、火炎魔法の反動で右腕が軽く火傷していた。

 子供の姿ではない。彼は戦士だった。


「アル。最後に仙龍様とお話ししますか?」


「……できるのか?」


「少しの間だけ、私が神気を防ぎます」


 正直かなりの無茶をしなくてはならないが、弟子がこれだけ頑張ってみせたのだ。師匠が踏ん張らなくてどうする。


「……頼む」


「お安いご用です」


 ソフィは騎士が落とした核を回収する。

 それから皆で仙龍のもとへ向かった。

 仙龍の姿が見えると、ソフィが自分だけでなくアルにも耐性魔法をかける。

 身体が木になってしまったアルを治した時と同じだ。本来、自分自身にかけるこの魔法を他人にかける場合、効果が著しく下がる。だから本来よりも大量の魔力を注ぎ込まねばならない。

 魔力を激しく消耗するが、ソフィは疲労感を表には出さなかった。

 二人の会話を邪魔しないように。


「アル」


「……仙龍」


 二人は互いの名を呼び合った。

 そういえば二人は喧嘩けんかわかれした後だ。

 でも、その件について話す必要はないのだろう。お互いに、相手を大切に想うがゆえにすれ違ってしまっただけなのだと気づいている。二人はそれを視線を交わすだけで分かり合っていた。


「見ていたぞ」


 仙龍が目を細くして言う。

 その目はやはり、子の成長を見守る親のそれだった。


「強くなったな」


「……全然強くねーよ。仙龍せんりゅうと一緒にいられないんだから」


「それは、そこにいる引っ越し屋たちですら難しいことなのだ。恥じることではない」


 仙龍の言う通りだ。ソフィたちの耐性魔法も神気に対しては一時いちじしのぎに過ぎない。


「アル。もう一度くが、里はどうだった?」


「…………楽しかったよ」


 アルは微かに視線を落として言った。


「俺、知らなかった。外の世界には、あんない飯があって、あんな楽しい遊びがあるなんて」


「……すまない。私では教えることができないことだった」


「仙龍のせいじゃねーだろ」


 アルが微笑する。


「宿屋のおばちゃんがさ、俺に言ってくれたんだ。一緒に暮らさないかって。……俺、そんなこと言われるなんて思ってなくてさ。何も答えられなかった」


 唇を軽くみながらアルは言う。


「今なら答えられそうか?」


「うん。…………うん」


 アルの目尻めじりに涙が浮かぶ。


「仙龍……ごめんな……。俺、外の世界が楽しかったんだ……っ」


「それでいいんだ。……それが、自然だ」


 アルは罪を告白するかのように言ったが、仙龍はそれを肯定する。

 初めて里の中に入ったアルは、とても楽しそうだった。やはりその感情に嘘はつけないと思ったのだろう。

 仙龍は、うれしさと寂しさを同居させた笑みを浮かべる。


「アル。私も孤独だったのだ」


 仙龍は思いの丈を口にする。


「私もアルに救われていた。アルがいたおかげで、今まで生きてこられた。……だからこそ、私は行かねばならない。アルみたいな子供が安心して生きられるように、この世界を守りたいのだ。私がこんな気持ちになれたのは、アルのおかげだ」


 神獣は生まれつき世界を守るために旅をするという使命がある。

 しかし仙龍はその使命に初めて本物の意義をいだしたのだろう。それはきっと仙龍にとって掛け替えのないものだった。


「アル、いつか私に会いに来てくれ」


 仙龍のひとみに、泣きじゃくるアルが映っていた。


「いつか、成長したお前を見せてくれ」


「ああ……ああ……っ!! 絶対に、会いに行く……ッ!! 約束だ……ッ!!」


「そうだな、約束だ」


 仙龍の声も震える。


「その約束さえあれば……私の心は、もう二度と沈まない」


 いつか会える日が来る。──その約束は、アルと仙龍の心をつなぐ。

 たとえ別れても、心はいつまでも繋がっている。だからアルは前を向き続けられるし、仙龍も孤独に陥ることはない。


「引っ越し屋」


「はい」


 ソフィは仙龍の頭に乗った。

 引っ越し屋として、念のため仙龍が次の土地でも安全に暮らせるか確認したい。だから仙龍が次の土地に着くまでは、ソフィだけが同行するはずとなっていた。『時代の魔法使いロード・オブ・ウイザード』のソフィならばしばらく神気にも耐えられる。

 仙龍が百年ぶりにその身体をうねらせた。

 身体を覆っていた桜の木が、メリメリと音を立ててがれちる。


「アル! たとえ何十年─何百年とうと、私はお前を待っているぞ!!」


 仙龍の身体が浮くと、桜仙郷を彩っていた桜が急激に枯れていった。

 まるで、夢が覚めたかのように。桜は次々と砂のようになって消えていく。


「これは……っ!?」


「神気が土地から消えて、桜仙郷が元の姿に戻っているのか……っ!!」


 フランシェスカとルイスが、いち早く異変の正体に気づいた。

 仙龍の旅立ちを祝うかのように、桜の花弁が派手に舞う。

 その中で──アルは、悲しそうな顔をした。


「……嫌だ」


 かすれるようなその声が、ソフィの耳に届いた。


「消えちゃ嫌だ……っ! 俺たちの居場所が……俺たちの、思い出が……っ!!」


 これ以上、舞わないでくれ。

 これ以上、散らないでくれ。


 俺たちの思い出が。

 俺たちの、大事な繋がりが──。




「──消えやしません」




 ソフィは杖を握りながら言った。


「貴方たちの思い出は──消させやしません」


 ありったけの魔力を込めて、ソフィは魔法を発動した。

 仙龍が離れるにつれて、桜仙郷の桜は次々と消えていく。

 しかしその中心に、突如、巨大な根が生まれた。


 根は大地を力強くつかみ、それを土台にして太い幹が天高くへと昇り、やがて無数の枝葉となってアルたちの頭上を覆った。

 枝葉の先から、一斉に桃色の花が咲く。


 それは桜──桜仙郷を象徴する、美しい花だった。


 造形魔法。ソフィはこの魔法で巨大な桜の木を再現してみせた。

 桜仙郷のように、この渓谷を丸ごと包むほどの規模こそないものの……里からは見えるくらいの大きさにした。


 ここに貴方たちの思い出は確かにあったのだと、示すために。

 泣き止んだアルを見てソフィは杖を仕舞う。

 仙龍は雲と共に飛んだ。


「ありがとう、引っ越し屋」


 大きな桜を見下ろして、仙龍は言う。

 膨大な魔力を込めたので、かなり無茶をした。でもそのおかげで、あの桜は当分魔力を込めなくても消えない。十年か二十年はつはずだ。


「仙龍様。私が、ちゃんとアルを育てます」


 風に髪をなびかせながら、ソフィは言う。


「いつかあの子が、貴方あなたに会いに行けるように」


「……それは信頼できるな」


 ソフィの魔法使いとしての腕前が卓越していることには、仙龍も気づいている。

 そのソフィが育てると言ったのだ。安心できる。


「感謝するぞ、魔法使いの引っ越し屋」


 空を泳ぐように進みながら仙龍は感謝を述べた。


「こんな晴れ晴れとした気持ちで旅立つことができたのは、生まれて初めてだ」


 千年以上生きている仙龍の、重みのある言葉だった。






※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


本作は12/8に発売する書籍の試し読み版となります。

発売日まで毎日3~4話ずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。


発売日まで、あと0日です。




――――本日発売です!!



ここまでお読みいただきありがとうございました。


本作を気に入っていただけた方は、きっと書籍のカバーを見て更に気に入ってくれるかと思います。書籍の方では挿絵にちょっとした演出があったりするので、是非お手に取っていただきたいです。


作品ページ

https://kadokawabooks.jp/product/mahoutsukainohikkoshiya/322307000846.html


書籍では三章『魔法図書館の引っ越し』と、四章『???』が収録されています。???の正体は是非皆さん自身でお確かめください。

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【12/8発売】魔法使いの引っ越し屋 ~勇者の隠居・龍の旅立ち・魔法図書館の移転、どんな依頼でもお任せください~ サケ/坂石遊作 @sakashu

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