番外編

私、鳥になる!

 アニエス・ミューズ伯爵令嬢、五歳。

 避暑のため、ミューズ伯爵領の別荘地にやってきたわ!


「ここなら誰の目もなく過ごせるわ! ね、シグルド!」

「使用人はいますがね」


 荷ほどきをシグルドに任せて、私は別荘の私の部屋でゴロゴロと転がってみる。ふふ、教育係の目も、マナーに厳しいタウンハウスの使用人の目もないから、こんなはしたないことだってできちゃうわ!


「それでお嬢様、これからどうなさるんですか?」

「今日はこのままゴロゴロするわ! そして明日からの修行に備えるのよ!」

「修行ですか?」


 拾ったばかりの二年前はシグルドも反抗的なことが多かったけれど、最近はわりと私の言うことを聞いてくれるようになった。伯爵家のご飯は美味しいみたいで、血色も良くなったし、身だしなみにも気を使うようになったからか、将来期待できるくらいの顔の良さが際立ってきているの!

 そんなシグルドの疑問にはにっこり笑って返すだけで、詳細は秘密。

 だってこの修行にいたった経緯まで話さないといけなくなったら、私のこれまでの人生やり直しストーリーまで話さなくてはならなくなるもの!


「というわけでシグルド、今日は美味しいおやつと美味しいご飯で英気を養うのよ! 私、おやつには冷たいゼリーが食べたいわ!」

「よく分かりませんが、ゼリーが食べたいことだけは分かりました。でも今から作ってもゼリーはすぐに食べられませんよ」

「いいわ! その間私は、お部屋でゴロゴロしているから!」


 ゼリー作りはシグルドに任せて、私はゴロゴロするのよ!

 シグルドが呆れたような視線を向けてくるけれど、夏の私はわがままなの! 普段いい子にしているのだから、たまの羽休めに付き合って頂戴ね!



 ◇



 私の我儘をちゃんと聞いて、ゼリーを作ってくれたシグルド。

 おやつでお腹が満たされた私はダラダラとその後も一日を過ごし……お夕飯をちょっと残してしまって、シグルドに明日のおやつは無しだと言われて泣きべそもかきつつ、私の別荘暮らしは一日目が終わった。

 そして翌日。

 私は昨日宣言した通り、修行を開始した。

 その修行とは。


「お嬢様? こんなところに来ても何もありませんよ。というか崖があるので危ないと、別荘の管理人が言っていましたよ。お嬢様は忘れちゃったんですか? 戻りますよ」

「忘れてないわ! でも私はこっちに行きたいの!」


 私の体を抱えて崖の方から離れさせようとするシグルドと、その魔の手から逃れようとする私。

 通せんぼ状態のシグルドのすきをついては追いつかれ、逃げ出してはまた捕まりを繰り返している。

 これは目的に着く前に私の体力が尽きそうだわ!

 でもこれも修行かもしれないわ! しつこい追手に対する判断力を求められているのかもしれないわ!


「シグルド、命令よ! 待機してて! 私はこっちに行きたいの!」

「崖があるんです危ないっつってるでしょうが。張り倒されたいんですか?」

「シグルドが私に手を挙げるよりも早く、私が魔法でシグルドのズボンを消してあげるわ!」

「仕返しの仕方がえぐい」


 すっとズボンを握りしめるシグルド。

 ふふん、そうして両手を塞いでいるがいいわ!

 私は言い合う間にも、シグルドの脇をすり抜け走る!

 さぁ、目的地はすぐそこ!

 別荘の北の方には林が広がっていて、その端は崖になっている。崖の下には湖があって、一応そこに降りるための階段とかも設置はされているし、一応は柵も設置されているんだけど。

 これ、子供なら簡単にくぐり抜けられちゃう感じの、すっかすかの柵だったりする。

 だからこの別荘の管理人は子供には近づくなって口酸っぱく言うの。

 けれど。


「私は鳥になる!!」


 そんなものはお構いなしよーーー!!

 お行儀は悪いけれど柵の上に飛び乗って、私は空へと羽ばたいた!

 一瞬の浮遊感、そして落下。

 だけど大丈夫。

 空へと身を投げ出す前に、魔法を使っているから――


「お嬢様ぁっ!!」


 びっくりするくらいの大声量。

 私じゃない。

 この声はシグルドで。

 ただ事じゃないくらいのシグルドの声に、私は思わず空中で静止する。

 落下が止まる。

 ふよふよと宙に浮きながら、私は後ろを振り返った。

 そこには。

 今にも絶望に突き落とされそうな顔になっているシグルドがいて。

 私は慌てて柵の向こうの地面へと戻った。


「し、シグルドっ? 大丈夫? 大丈夫よ、ほら。どうしたの? 驚かせちゃった? ごめんなさい、でもほら、私は大丈夫だから」


 ストンと地面に降り立って、ぴょこぴょこジャンプしてみる。ふりふりシグルドの顔の前で手を振ったりして、彼の気を引けば。


「お嬢様の馬鹿野郎!! 二度と崖から飛び降りるな!!」


 じわっと目尻に涙を浮かべたシグルドが、ものすごい剣幕で怒鳴ってきた。

 私はその勢いにびっくりしてしまって肩が跳ね上がってしまう。

 今まで私が多少の無茶をしたところで、自己責任だと誰もが呆れて見て見ぬふりをしてきた。

 シグルドが言った言葉は、よくよく咀嚼してみれば、至極真っ当な言葉だと思う。万全を期して崖から飛び降りているから、きっと大丈夫だと分かっていた私だけれど、シグルドには何も言わずにいたし……。


「ごめんなさい、シグルド。私の気遣いが足りなかったわ。でも二度と崖から飛び降りるなというのは、約束できないわ」


 私にも約束できることと、できないことがある。

 シグルドのお願いはできることなら叶えてあげたいけれど、この先のことを思えば約束なんて難しい。

 だからそこはちゃんと伝えておこうと思って、伝えたら。

 顔を真っ赤にして怒りの形相になったシグルドが、私の腕を掴んで。


「お嬢様は馬鹿なんですか!? なんで崖から飛び降りる必要があるんですか!? 二度とやらないって約束してください!」

「無理よ! 私絶対にまたやる自信あるわ! 死ぬつもりはないけど、大丈夫よ! 私が死んだところで、誰も困らないし――」

「ふざっけんっな!!」


 あんまりの怒号にびくんっと体が跳ねた。

 私何か間違えた? と目を白黒させていれば、シグルドの緑の瞳が私を射抜く。


「つぅか俺を置いていくな!! お嬢様が飛び降りるなら俺も飛び降りるし、二度と離れねぇからな!! 約束だからな!! 置いてくんじゃねぇよチクショウ!!!」


 はぁはぁと肩で息をしながら、力いっぱい叫んだシグルド。

 私はそれに――すごく感動してしまって。


「すごいわ、シグルド貴方、そんな風に感情をむき出しにすることができたのね!」

「話を聞けこのお転婆! スラムのちびでももう少し大人しいぞクソが!」

「まぁ、その言葉遣いはいけないわ。せっかく綺麗な言葉になってきていたのに」

「誰のせいだと思ってるんだこのクソガキ!」

「主人に向かってクソガキは駄目よ。やり直し」

「話を聞け鳥頭令嬢!」

「まぁ令嬢がついたから、それくらいの悪口なら許してあげるわ」


 感謝しなさい、シグルド。

 貴方の主人はとても心が広いのよ!

 それにしても。


「貴方、私との契約を忘れたの?」

「あぁ?」

「こら、主人を睨まない。私との契約。私が死んだら、貴方は契約がなくなって自由になるのよ。前はあんなに契約を解除しろってうるさかったのに。今、もしかしたらチャンスだったかもしれないのに」


 すっかりと忘れている様子のシグルドに、私は教えてあげる。

 契約をした当初はなんやかんやと脱走したり、契約解除しようと私を脅したりしてきたのにね? 忘れてしまったのかしら。

 私が小首をかしげていれば、シグルドはぐっと言葉を飲み込むように唇を引き結んだ。

 それから、私を掴んでいた腕とは反対の手で、涙をぐいっとふいて。


「……お嬢様は」

「私は?」

「……スラムのちびにも援助してくれてるから」

「当然よ。だって貴方がいないと彼らも困るのでしょう? なら、私が彼らから貴方を取ってしまった分は、補助してあげないといけないでしょう?」

「……」


 シグルドがむすっと唇を引き結んで黙ってしまう。

 そんな当たり前のことを聞いて、シグルドの中で何か落ち着くのかしら?


「……俺、絶対、お嬢様から離れませんから」

「前は逃げようとしてたじゃない」

「心変わりしました。チビ達を食わせていくには、あんたの側にいるほうが都合がいいみたいなんです。なんで、死なれたら困るんです」

「じゃあ、死なないから崖から飛び降りる特訓はしていい?」

「駄目です。危ないんで。そもそもなんでそんな特訓が必要なんですか。意味わかりません。お嬢様は馬鹿なんですか? 馬鹿なんですよね。知ってました」

「いつもの調子に戻ってきたわね? 危なくても必要なのよ。もしかしたら将来、崖から飛び降りないといけないかもしれないじゃない」

「そんな未来は来ません。伯爵令嬢が崖から飛び降りるってどういう状況ですか。それにお嬢様は将来、皇太子妃になられるんでしょうが。ますます必要ないです。やめましょう」

「いいえ! 必要になるわよ! だから私は特訓したいの!」

「必要ないです。五歳児が身投げする将来を想像する必要はありません。帰りますよ」

「えっ、あ、ちょっと!」


 掴んでいた腕が引かれて、ひょいっと肩に担がれてしまった。

 足がっ! 身体が! 宙ぶらりんになって、怖いわ!


「シグルド、おろして頂戴! 自分で歩けるわ!」

「目を離すと崖にダッシュしそうなので却下です。罰としてこの夏は、別邸の外に出ることは禁止します」

「えっ、嫌よ! 私、まだまだやりたいことが……!」

「反省してください。管理人には報告させてもらいます」

「そんなぁっ」


 ひどいわ! ひどいわ!

 この夏を頼りに頑張ってきたというのに……!

 私の折角の修行ヴァカンスを邪魔するシグルドをにらみつける。

 でもシグルドはスン、と澄まし顔のまま。


「俺を出し抜いて抜け出したら、速攻王都に帰りますのであしからず」

「シグルドひどいわ! お休みが終わっちゃうじゃないっ!」

「お嬢様が危険なことをしなければいいんです」


 ぐうの音も出ないわ!

 でもでも、やっぱり私は今後のことを考えると、崖から飛び降りて華麗に着地する練習をしておくべきなのは本当で――


「王都に帰りましょうか」

「私何も言っていないわ!」

「ろくでもないこと考えている顔をしてました。ここにいてもお嬢様にはお休みにならなさそうなので、王都に帰りましょうか」

「いやよ! しないわ! しないから! あんなお屋敷に帰りたくないわ!」


 じたばたしながらシグルドに懇願すれば、シグルドは深くため息をついて。


「……なら、ちゃんと大人しくしますね? なにかする前に俺にちゃんと相談できますか?」

「する! するわ! するから、もうちょっとここでお休みを頂戴!」

「……わかりました。じゃあ予定通り別荘に滞在しましょう。でも、お嬢様が危険なことをしたら速攻王都に戻りますんで」

「分かったわ! ありがとうシグルド!」


 あんな魔窟みたいなお屋敷にいたら息が詰まっちゃうもの! 修行云々はおいておいても、安息の地というのは必要だわ!

 私はなんとか別荘での滞在をもぎとれて、安心する。

 シグルドがため息をついているけれど、最近のシグルドはなんだかため息が多い気がするわ。


「シグルド、ため息はよくないわ。幸せが逃げてしまうのよ?」

「それをお嬢様が言いますか? お嬢様が突飛なことしなければ俺は今頃穏やかにお嬢様のおやつを作って、ため息もついていなかったと思います」

「おやつ? シグルドのおやつ? 食べたいわ!」


 シグルドのおやつは美味しいのよ! これを食べ逃してしまうなんて、私の何たること!


「戻りましょう、シグルド! シグルドのおやつが私を待っているわ!」

「戻ってもありませんよ。お嬢様が別荘を飛び出したんで、下拵えすらできてません。もともと昨日のお夕飯を残していたので、なくても良かったんですが、管理人が作ってやりなとうるさかったので」

「……ごめんなさい」


 シグルド、おやつを作ってくれようとしていたのね……。

 しょんぼりとしてると、頭をよしよしと撫でられた。

 シグルド?


「大人しくお部屋で待っていられるなら、すぐにおやつを作りますよ。暑いですし、なめらかプリンとかはどうです?」

「素敵! 素敵よシグルド! 私のお腹はプリンを求めてるわ!」

「ちょろい……」

「何か言ったかしら?」

「なんでもないです。あ、でもプリンなら、冷やすときにすこしお嬢様のお力を借りても?」

「いいわよ! 美味しいプリンのためなら!」

「じゃあちゃんとお部屋で大人しくしていてくださいね」

「もちろんよ!」


 やったわ! おやつがもらえるわ! シグルドのプリンは舌触りがよくてとても美味しいのよ!

 私はわくわくしながら別荘へと戻る。

 別荘の部屋のベッドに放り込まれるまでシグルドに担がれたままだったけれど、私は気にしなかった。だってプリンが食べられるんだもの!

 だけどシグルドがプリンを作りに部屋を出た後、ベッドの上でころんと転がって、考えた。


 思い出すのはさっきのやりとり。

 私が崖から飛び降りたくらいで、あれほどシグルドが取り乱すなんて思っていなかった。

 私はひょいっと身を起こすと、窓の方を向く。ガラスに映る私の左目にふれる。

 この左目の呪いがある限り、多分私は何度でも同じ死に戻りを繰り返すような気がする。

 だから、私はシグルドに崖から飛び降りないなんて約束はできなくて。

 でも、シグルドが望むのなら、何が何でも生き延びてやろうと思った。

 だってあの感情をむき出しにしたシグルドの言葉は、私に生きてほしいって言っているようで。

 それがなんともむず痒い気持ちにさせるものだから、私は彼を拾って良かったと、心からそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追い詰められた悪役令嬢、崖の上からフライング・ハイ! 采火 @unebi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ