いつかを夢見てシャイニング・フューチャー!(下)(side.シグルド)
アニエスは多くを語ってはくれなかった。
ただ次に自分が儀式のために登城したら、アニエスがまとめた荷物を持って、指定の場所で、指定の時間まで待っているようにとだけ言われた。
もし指定の時間を過ぎたら、荷物を持って帰りなさいとも。
それは一体どういう状況だと詰め寄っても、アニエスはなかなか教えてくれなかった。そこからつついてつついてつつきまくって、ようやく、運が良ければ指定の時間までには落ちあえるから、とぽろっとこぼしたので、「じゃあ絶対来てください。いつまでも待ってます」と伝えて、溜飲を下げた。
その結果。
儀式に向かったはずのアニエスは。
冤罪がかけられ。
崖から飛び降り。
渓流を逆流してきた。
どうしてそうなる、うちのお嬢様。
しかも本当に契約魔法が完結されて、シグルドとアニエスの間にあったつながりは断ち切られた。
だがしかし、自分が社会的に死んだら完結される契約魔法とは。
いやでも、本来は物理的に死んだら完結される魔法だったのかもしれない。
あとから聞いた話、アニエス自身も生き延びられるとは思っていなかったようだった。
その上で、アニエスは自由になったシグルドを解放してくれようとしたけれど、シグルドとしてはむしろこれは待ちに待ったチャンスだった。
いつかアニエスを、あの寂しい場所から逃してやりたいと思っていたこと。
それが叶う。
そして、その隣にいるためには。
「俺、お嬢様が欲しいです。一生隣にいさせてくださいよ。令嬢でも皇太子妃でもなくなったんなら、孤児の俺がお嬢様を娶ってもいいでしょう?」
ずっとずっと、隠していた本音を表に出してみる。
彼女はもう、誰かのものじゃない。
シグルドの手の届く位置にまで堕ちてきた。
追手がいるかもしれない現状で不謹慎ではあるけれど、シグルドは嬉しかった。
そこまで言って、押しに押して、ようやくアニエスの隣にいる権利をもぎ取った。
そこまで来れば、あとはもう、シグルドの独壇場だ。
人の目を気にせず、アニエスを口説いてもいい。
アニエスが自分の一言で頬を染めてくれる。
男として見てもらえる。
アニエスの世界に残ったのはシグルドだけ。
その事実が、シグルドをさらに欲深くさせた。
アニエスと一緒にいられたら。
二人の世界を少しずつ大きくしたくなった。
貴族の冷めきった世界や、スラムの薄暗い場所では見られなかった、人並みの営み。
国を旅して、笑顔と活気のあふれる町並みと、優しい快活な人たちに触れるたび、シグルドは家族がほしいと思った。
アニエスと、自分と、そして大切な大切な宝物。
寂しかったのは、シグルドもだったらしい。
むくむくと湧き上がるシグルドの衝動に気づかないまま、アニエスは元気に国を飛び回る。
いや、あからさまにアプローチしても、アニエスはまだシグルドの気持ちを受け止められるような準備ができていなかっただけ。
そんな、まさか、とあたふたするアニエスも可愛かった。自分の言葉一つで、予想外に感情を動かすのが嬉しかった。
だからアニエスの心が追いつくまで、シグルドは待つことにした。
今のアニエスは、忙しい。
あっちにこっちに、やりたいこと、やらないといけないことを持っていて、シグルドは二の次、三の次。
それが不満じゃないのかと言われれば、不思議と不満ではなかった。
よそを向いていても、アニエスはシグルドが呼びかければ、女性にしては高すぎない落ち着いた声で「なぁに」と振り返ってくれる。楽しいこと、おもしろことを思いついたら、いつもより高い声で「ねぇ、シグルド」と声をかけてくれる。シグルドがいることを当然と思ってくれている。
今はそれで満足。
それが、決壊したのは。
「私、今ここで死んだら、ちゃんと死ねるのかしら」
アニエスを陥れた者たちのそれぞれの末路が確定し、まるで呪いのようにも思っていた金色の瞳が消えたとき。
彼女のこぼした不安定な言葉が、呼び水になった。
―――ちゃんと死ねる?
―――お嬢様は死にたかったのか?
そう認識した瞬間、シグルドの中で、何かが切れた。
「死なないでください! 俺、嫌だって言ったじゃないですか! 二度と置いていくなって言ったじゃないですか! 俺が味方です! 貴女が誰に裏切られようが、傷つけられようが、俺だけは貴女の側にいさせてくださいよ!!」
俺を生かした貴女が死ぬなんてこと、あってはならないんだ!
なんで誰よりも優しく、気高く、自由だった貴女が、そんな思いをしないといけないんだ!
「愛しています。どうしようもないくらい貴女を愛しているんです。死にたいなんて言いたくなくなるくらい、愛してやる」
誰もがアニエスを愛さなくても、シグルドはアニエスを愛している。シグルドの隠していた懐には、アニエスが溺れてしまうくらいの愛情がたっぷり波打っている。
あふれるその思いの片鱗をこぼせば、アニエスはようやくシグルドの思いに向き合ってくれた。
「今ここにいるシグルドは、今この瞬間にしかいないのでしょう? 死に戻ったら出会えないかもしれないし、もしもう一度出会えても、それは私が愛したシグルドじゃないでしょう?」
アニエスは、彼女に「今」触れているシグルドを愛して、「今」この瞬間にいるシグルドを大切にしてくれた。
もしまた死に戻ってシグルドに出会っても、それは「今」ここにいるシグルドじゃない。
アニエスに出会って、振り回されて、いっぱいの気持ちを抱え込んだシグルドじゃない。
アニエスは全てわかっていて、「ちゃんと死にたい」と望んだ。
そしてそのアニエスの本音はきっと。
―――シグルドのいない世界で生きていくのは寂しくて、耐えられない。
言葉にならなかったアニエスの心を、シグルドはつかまえた。契約魔法でつながっていた影響なのか、不思議と昔からアニエスの気持ちがなんとなく分かることが多くて、その時もまた、彼女の本音がシグルドの中に直接伝わったから。
「アニエス、愛してます。だから、俺と結婚してください」
今までで一番真剣な気持ちと言葉を、彼女に贈る。
泣きたいくらい、優しくて、苦しくて、もどかしいこの気持ち。
何度も何度も、笑ってかわされてきたシグルドの気持ちは。
―――ご褒美に私をあげる。
初めてアニエスに同等の想いを返してもらえて、シグルドは報われたような気がした。
◇
ふ、と意識の持ち上がったシグルドは、数回目を瞬くと、気怠い身体を起こして息をついた。
また、夢を見た。
懐かしい夢だ。
自分の人生がくるりとひっくり返ったような、怒涛の日々の夢。
似たような夢をいくつか見るけれど、今日の夢はシグルドの人生そのものを追憶したような夢だった。
シグルドがよく見る夢には二種類ある。今日のように「今」につながる夢と、つながらなかった、もしかしたらあり得たかもしれないような、もう一つの未来を示唆するような夢。
もう一つの未来では、シグルドは悲惨な生き方をし、悲惨な死に方をたどることが多い。おおよそそれは、懇意にしている古書店の主が実は闇ギルドの盟主で、彼に拾われ数多の暗殺技術や諜報技術を学び、最後には皇太子や皇太子の婚約者に殺されるような夢だ。夢の果て、死の際ではいつも、「来世では運命の人に出逢いたい」と願い、見様見真似の東洋術式を行い、力尽きる。アニエスに拾われなかったらあり得たかもしれないような「もしも」の未来のようで、そんな夢を見た日には朝から一日気分が下がることが多い。
今日は良かった。夢とはいえ、ちゃんと隣に―――
「ん……シグルド?」
身体を起こしたシグルドに気がついたのか、隣で眠っていた最愛の人が、寝ぼけたように手を伸ばしてくる。
まだ外は薄暗い。
まだ眠っていてもいい時間。
シグルドはその手を取ると、その指先に口づけた。
「アニエス、まだ眠っていていいですよ」
「シグルド……ねむれない?」
「たまたまです。また眠りますよ」
「そう……。ねむれないなら、はなしかけて……わたし、はなしあいてに……」
とろとろと半分眠ったように夢現で話すアニエスに、シグルドは微笑んだ。
「大丈夫。貴女の体温があるので、すぐ眠れます」
「ひとを……ゆたんぽ、みたいに……」
「アニエスが温かいのは事実です。おこちゃま体温で冬は大変助かります」
そう囁いて、シグルドはもう一度ベッドに身を横たえた。シーツを引っ張ってアニエスと自分にかぶせれば、アニエスがシグルドに寄ってくる。
「んん……、しぐるど、ぎゅう……」
「……寝ぼけてるんですか? わざとですか?」
「すょ……」
眠さゆえが舌足らずに自分の名前を呼んで、ぴっとりと寄り添ってくる愛しい人。むらっ、としたシグルドは悪くないと思う。
それでも平和そうに、間抜けな顔をさらして眠るアニエスを見ていれば、シグルドの表情も自然とゆるんだ。
花の匂いのするアニエスの身体を抱きしめる。
アニエスがミュレーズ伯爵を継いでからもう一年が経つ。
最初はこうして夫婦の寝室で眠るのも恥ずかしがっていたアニエスは、今ではすっかり自分からシグルドに寄ってきて眠るようになった。
まるで幼い頃、アニエスに昼寝の添い寝を頼まれたときのような、温かい距離感。
シグルドはこの距離感がとても愛おしい。
「……アニエス、俺、やっぱり子供がほしいです」
アニエスの耳元で囁やけば、彼女の耳がぴくりと動く。
そっと彼女の腰に腕をまわし、密着した。
「貴女の子供なら、きっと可愛いと思います。親子三人で川の字で寝るの、実は夢なんですよね」
「………………」
ぽつぽつと呟く、ひとりごと。
アニエスは身じろぎ一つしない。
「男でも女でもどちらでもいいですが、俺よりもアニエスに似てほしいですね。小さいお嬢様にもう一度会いたくなります」
「………………」
夜の寝室に、シグルドの言葉だけが響く。
シグルドは、そっとアニエスの腰に回していた腕に力をこめた。
「きゃあっ」
「寝たふりは良くないですよ、アニエス。いたずらしてもいいんですか?」
ぐっとシグルドはアニエスの身体ごと寝返りをうつ。
驚いたらしいアニエスの悲鳴が上がった。
仰向けになったシグルドの体の上に、うつ伏せになるように乗せられたアニエスは、顔を真っ赤にして彼を睨みつける。
「い、いつから気づいていたの……!」
「アニエスがぎゅうをねだったときからです。可愛すぎて俺の目はすっかり冴えてしまいました。責任取ってくれないと困ります」
「は、恥ずかしいわ……!」
アニエスはシグルドの上に乗ったまま、彼の胸元に顔を埋めた。夜着代わりにしているシグルドのシャツを握りしめて、羞恥に震えている。
そんな可愛いことをする妻の頭をよしよしとシグルドは撫でる。
「な、なんで撫でるのっ」
「俺の奥さんがいじらしくて、いじらしくて。頭を撫でたら顔を上げてくれるかと」
「なんで頭を撫でられたら顔を上げるって思うのよ!」
「現に上げてくれましたし。俺の奥さん、ちょろいので」
抗議の声を上げるために顔を上げたアニエスの額に、シグルドは首を持ち上げてキスを贈る。
アニエスは恥ずかしそうにまた顔を下げてしまった。
「アニエス、顔を見せてくださいよー」
「いやよ、いやよ! 恥ずかしいわ! もう! 寝る! 私は寝るんだから!」
「仕方ありませんね。分かりました。寝ましょう。俺も明日早いですし。ではアニエス、おやすみなさい」
「待ちなさいシグルド! このまま!? このままの状態で私に寝ろって言うのかしら!?」
「え? 何がですか?」
「おろして頂戴!! このままじゃ寝にくいでしょう!!」
もぞもぞとシグルドの身体の上で動くアニエス。
割と際どいところにアニエスの四肢があたるけれど、シグルドは心頭滅却して平静を装った。
「アニエス……わざとですか?」
「なぁに?」
不思議そうな顔をしているアニエス。完全に無意識らしい。
この無邪気で可愛い人を、そろそろどうにかしなければ、シグルドは眠れない。心頭滅却が実際のところ、追いついていなかったりする。
仕方なくシグルドは、アニエスを自分の身体の上からどかした。
アニエスがほっと一息ついている中、不意打ちで、その唇を奪う。
唇と唇が触れ合うだけのキスではなく、大人の、もっと深いところでつながれるような、ディープなキス。
固まったアニエスをこれ幸いと、好きなだけキスを貪ったシグルドは、満足するとくるりとアニエスに背を向けた。
「では、アニエス。おやすみなさい」
「待って! 無理! 無理だわ! 私が眠れないわ! なんで! えっ!? シグルド、なんで!?」
「アニエス? なんで、とは?」
「えっ!? な、なんでって……!」
シグルドの背中でもぞもぞとアニエスが動いている。
小声で叫ぶという器用なことをしながら、アニエスはついついとシグルドのシャツを引っ張った。
しばらくしどろもどろとしていたアニエスが、こつんとシグルドの背中に額をこすりつけた。
「……あ、あんなキスしておいて……ずるいわ、シグルド……」
「あんな、とは?」
「シグルドのいじわる……」
アニエスが泣きそうな声を出したので、シグルドはこれ以上焦らすのはやめてあげることにした。
くるりと寝返りを打ち、アニエスの方を向く。
ちょっとうつむきがちだったアニエスの顎をすくうと、もう一度口づけた。
「んっ」
「俺の奥さんは誘い上手ですね」
そっと身を起こし、アニエスへと覆いかぶさる。
シーツはめくれ、暗い部屋の中、彼はアニエスの輪郭をなぞった。
「シグル、ド」
「黙って、アニエス。俺の理性を壊したら、後悔するのは貴女ですよ」
アニエスがシグルドを見上げている。
その表情は恥ずかしそうではあるけれど、何かを期待しているようにも見えて。
夢の果てでいつも願っていた、シグルドの運命の人。
そんなアニエスが愛しくて、シグルドは何度でもキスを繰り返す。
それはいつか、キスだけじゃ、おさまらなくなって。
「愛しています、アニエス。死にたくなくなるくらい、俺が愛してやりますから、覚悟してください」
そうして夜闇の中、二人の身体が重なった。
その夜、あんまりにもねちっこく彼女をいじめてしまったものだから、翌日のアニエスに魔法でしばらく女の子に変えられてしまうのだけれど、それはまた別のお話。
【【連載版】追い詰められた悪役令嬢、崖の上からフライング・ハイ! 完】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます