勇者サイド 9

 どことも知れぬ場所で、シャインは目を覚ました。


「どこ、だ……ここ、は……」


 口が上手く回らない。

 まるで舌が麻痺しているかのような――否。全身の感覚が鈍い。


 両手を鎖か何かで拘束され、吊るし上げられていることはわかる。

 爪先は頼りなく空中に投げ出されていて、どうやら裸でいることも察した。


 シャインは過去に思いを巡らす。


 なぜ、俺はこんなところにいるのか――?


 憎きマリオ・ルーザリオンの一味に敗北を喫し、逃げ延びた先でもグールの集団に襲われ、最期は死んだはずのかつての仲間に殺された。

 それがシャインの終わり――傲慢勇者の末路だった。


 最初にシャインが気付いた違和感は、自分の両腕があることだった。

 シャナクとの戦いで失った生身の腕。

 それに義手を施し、再びシャナクに挑んだものの力及ばず、それすらも失われたはずだった。


 加えて、目覚めた瞬間から鼻に香ってくる血の臭い。

 吐き気を催すほどの凄まじい悪臭のはずなのに、不思議と嫌悪感はなかった。


 周囲の様子をうかがってみても、真っ暗な空間が広がるばかりで、自分がどこにいるのかまったく見当がつかない。


 ここは死後の世界か?

 はたまた、死に損なって何者かに捕らえられたのか?


 恐怖はなかった。

 代わりに、困惑と不審が彼の心に満ちていた。


 その時、重々しい音と共に暗闇へと光が差し込んでくる。

 光はまるで真っ白な絨毯じゅうたんのように暗闇を照らしだし、その光の道を何者かの影が近づいてくるのが見えた。


「目を覚ましましたか。さすがと言うべきか、勇者の血筋は目覚めが早い」


 聞こえてきたのは、その人物の声に違いなかった。

 シャインからは逆光になっていてどんな姿をしているのか判然としないが、声色から女であることはわかった。


「だれ、だ……?」


 女は途中で足を止め、手にしていた鞭を振るった。

 鞭はシャインの頭上を通り、直後に彼の体は重力に従って落下する。


 シャインが落ちた先は、無数の白骨の山だった。

 骨には血や肉が残っていて、まるで猛獣が食い荒らしたかのような有り様。

 さっきから鼻に届いてきた血の臭いはこれが原因なのだろう。


 しかし、シャインの思考はとても穏やかで、不快とすら思わなかった。


「さっさとこちらへ来なさい」


 言いながら、女は鞭を床へと叩きつけた。

 まるで獣をしつける調教師のようだとシャインは思った。


「く……くくくっ」

「何がおかしいのかしら?」


 今の自分には何もない。

 地位も、名声も、希望も――すべてを失い、挙句に見も知らぬ女に犬扱いという屈辱を受けている。

 自嘲のあまり、込み上げる笑いを押さえられずにいた。


 シャインは骨の山を掻き分けながら、光の差す場所まで這い出していった。

 足に力が入らず、立つことすらままならない。

 無様にも獣のような姿勢で地面を這いながら、ようやく扉から差す光の場所までたどり着いた。


 静かにたたずむ女を見上げると、ようやくハッキリと顔を見ることができた。


「……どこかで見た顔だな」

「あなたとはこれが初対面です」


 女は嘘をついているようには見えない。

 しかし、シャインにはたしかにどこかで彼女の顔を見た覚えがあった。


「俺をどうする気だ……?」

「これからあなたにはわたくしの主に会っていただきます」

「主?」

「はい。わたくしの――いいえ。あなたの主でもある、いと高きお方です」

「……はっ。神様にでも会わせてくれるのか」

「わたくしとあなたにとっては、まさしく神のような存在でしょうね」

「なんだと? それはどういう――」


 口上の途中で、突然シャインの首に鞭が巻きつけられた。

 女は踵を返すと同時にその鞭を引っ張り、シャインは受け身も取れずに地べたに引き倒されてしまう。

 まともに鼻を打ったものの、鼻の穴から血が垂れ落ちることはなかった。


「あなたの詮索に時間を費やすのは無駄です。さっさと来なさい」

「あぐぐっ」


 女はか細い腕とは思えないほどの力で、抵抗するシャインを引きずり始めた。

 そして、暗闇の部屋から引きずり出されたシャインが目にしたのは――


「お加減はいかがかな? 勇者シャイン殿」


 ――無数の燭台に囲まれた部屋の中、無数に積み上げられた棺の上に座る黒装束の人物だった。


 声色からして男。

 どうやら若くはないが、かと言って老いているとも言えない。

 フードを深く被り、その素顔はうかがい知れないが、黒装束をまとう体格は平均的な成人男性のそれと変わりない。

 それゆえに、周囲とのギャップがその不気味さを掻き立てている。


「な、なんだ……お前は――っ!?」


 口を開いた直後、シャインは首に巻かれていた鞭で締め上げられた。

 喉笛が潰れるかと思うほどの怪力を前に、シャインは首に食い込む鞭を引き剥がすことも敵わなかった。


「リーフ、もういい」

「恐れながらアーリマー様。この者はあなた様の下僕にございます。にもかかわらず、主に向かってお前だなどと……立場をわからせる必要があるかと」

「必要ない。彼は彼のままでいい。離してやれ」

「……承知いたしました」


 リーフと呼ばれた女は、即座にシャインの首から鞭を引き剥がした。


「げほっげほっ! ……この、クソアマが……っ」

「ふん」


 シャインが睨みつけても、リーフはまったく臆することはなかった。

 むしろ、シャインをまるでムシケラのように見下すような視線を向けている。


「彼女が失礼したね。かしこまる必要などない。楽な姿勢でいたまえ」

「お前、何者、だ……っ」

「しがない死体収集家だよ」

「死体……? ネクロマンサーか!?」

「古来、私のような人物がネクロマンサーと呼ばれたのだろうとは思う。だが、この時代では別の呼ばれ方をしているね」

「?」

「魔王、と」

「な……っ!?」


 魔王と聞いて、シャインは驚きを隠せなかった。

 自分が――世界中の国々や勇者達が――今まで打倒を目指していた存在が、急に目の前に現れたのだ。

 取り乱すのも当然のことだった。


 しかし、その一方で失望の感情もある。

 凶悪かつ強力な悪魔達が仕える存在が、人間と変わらぬ姿をしていることに。

 仮にも勇者であった自分に対して、威厳を一切感じさせない気安い口調で語りかけてくることに。


「私が魔王でがっかりしたようだね」

「……」

「無理もない。私自身、戦える力があるわけでもないからね。一対一で戦えば、勇者であるきみの足元にも及ぶまい」

「……そんな話をするために俺を呼んだのか?」

「そうだね。こう見えて私も忙しい身だ。単刀直入に話すとしよう――」


 魔王はマントの下から地図を取り出すや、シャインの眼前に開いた。

 地図には赤い点で塗りつぶされている場所がいくつかある。


 シャインはその点がセレステ聖王国近隣の国々であると察した。

 そして、魔王軍によって支配、もしくは滅ぼされた場所であることも。


 しかし、同時に違和感を覚えた。

 地図の点は不自然に離れた位置にまばらに打たれているのだ。

 わざわざ別の国を挟んで、離れた土地の国に侵攻を繰り返している。

 そんな非効率なことをする意味がシャインには理解できなかった。 


「――この地図を見てわかるかな? まだ足りないんだ」

「何を企んでいる」

「この地図の点を結ぶと、ある形が見えてこないかい?」

「形? ……これは……まさか」

「そうさ。私はこの大地に五芒星の血の陣を描きたいのだが、あと一ヵ所――つまりあと一国滅ぼさなければならないんだ」

「その場所は――」


 すべての点を結んで五芒星を描くために必要な最後の点。

 それあるべき場所は、シャインがよく知る国だった。


「――セレステ聖王国、か」


 魔王は地図をしまうと、話を続ける。


「あの国にはどうやら想定外の戦力がいるらしい」

「……」

「すでに渇求のザリーツと灼熱のタルーウィが斃されてしまった」

「……っ!!」

「世間では、勇者シャナク・リース・ワルキュリーと名乗る少女が、きみの後任として名声を一身に集めているようだね」

「……くっ」


 シャインの脳裏に、かつての屈辱的な敗北の記憶が蘇る。

 シャナクとは過去に二度戦っているが、いずれもまったく歯が立たずに敗北を喫している。

 その敗北は彼の自信に消えない傷を刻み込み、すでにその心は折れかけていた。


「私の目的を果たすためには邪魔な存在だ。どうにかして排除したいが、三魔将最強であるタルーウィまで敗れてしまっては、うかつに部下をぶつけるわけにもいかない」

「俺に……何をさせたい?」

「察しがいい。すでに私への敵愾心はないようだね」


 魔王の言葉はシャインの図星を突いていた。

 すでに彼の敵意は魔王に向けられておらず、自分の立場を奪ったシャナクと、その主であるマリオにのみ向けられていたのだ。

 それは使命によって帯びた敵愾心を遥かに超越し、すべての憎悪をぶつける対象となっていた。


「シャイン殿。きみならば悪魔達よりも優れた働きをしてくれそうだよ」


 魔王は踵を返すと、積み上がった棺の山に立てかけられた大柄な棺へと触れる。

 そして、その蓋を開いた瞬間――


「!? な、なんだそれは!!」


 ――棺の中にあるものを見て、シャインは目を丸くした。


「これは大昔、この城の主だった大悪魔の遺産だよ」

「大悪魔の遺産? ……あの大悪魔ベルゼバブのことか?」

「そう。彼は――いや、彼女だったのかもしれないが――当時、後のセレステ聖王国の礎となる小国の女王によって殺されてしまった。しかし、これを身に纏って戦っていれば、今の世界は悪魔のものになっていたかもしれない」


 魔王が撫でているのは、漆黒の全身甲冑フルプレートだった。

 全長2mをゆうに超えるそれは、シャインが過去に見てきた各国兵士の武装よりも遥かに優れた逸品に思えた。


「本当は別の使い道を想定していたんだが、きみが来てくれたので使い方を変えた。この甲冑はきみに差し上げよう」

「な……っ。本気か!?」

「ただし、この甲冑は大悪魔の所有物だ。人間が身に纏えば、肉体は甲冑に食われ、もしかしたら心も食われてしまうかもしれない」

「……」

「だが、それでも復讐したいだろう? きみに取って代わった勇者シャナクに」

「……はっ」

「きみに私の傘下に入れとは言わない。甲冑を纏ってもし自我を保っていられたのなら、あとはきみの自由にすればいい」

「はははは……」

「復讐の対象はシャナクだけかな? きみには、間接的にでもセレステを滅ぼす手助けをしてもらえそうな気がするんだが」

「はははははは!!」


 シャインは歓喜に打ち震えていた。

 復讐という言葉に甘い蜜のような味を感じた。

 断る理由などなかった。


「そんなに俺を利用したいなら、されてやるよ! その大悪魔の甲冑をくれぇっ!!」


 興奮気味に立ち上がったシャインを見て、リーフが鞭を構える。

 しかし、そんな彼女を魔王は片手をあげて静止した。


「気に入ってくれたようで幸いだ」

「そういえば、俺のこの両腕……どうやって再生したんだ」

「再生などしていないよ。きみの体に合うものを適当に見繕って縫い付けただけさ」

「縫い付けた?」

「ここには世界中の優れた戦士の死体を集めているからね。きみもその一つだったわけだが……魂が帰ってきてくれてよかったよ」

「どういう意味だ……!?」


 シャインはぞわりと全身に悪寒を感じた。

 そして、自分の体の決定的な違和感に今、ようやく気が付いた。


「!? 俺の心臓……止まって……っ!?」

「きみはすでに死んでいるんだよ。今はいわゆるゾンビ状態――別の言い方をするなら、動く死体といったところか」

「すでに死んでいる? なるほど、な……」


 魔王の言葉を聞いて、シャインは今まで不可解だったことに合点がいった。


 死に寄る種族であるグールが魔王軍の尖兵だったことも。

 死んだはずのヤンが目の前に現れたことも。

 何より、自分がこうしてこの場に立っていることも。


「どっちみち、俺はあんたの手の内だってことか」

「先ほども言った通り、私達の間に主従関係は存在しない。それではきみの真の力は発揮されないからね。きみには何も命じない――これは約束しよう」

「人形使いならぬ死体使い・・・・か。時代が時代なら、まさにネクロマンサーだ。死体を操るギフトってのは、一体どんなもんなんだ?」

「よくあるギフト〝人形支配マリオネイト〟だよ。ただ、私に限っては死体も・・・人形と・・・変わらない・・・・・というだけのことさ」

「……そうかよ」


 シャインは大悪魔の甲冑の前に立ち、その胸部へと手を触れた。

 手のひらを通して、彼の体内に邪悪な感覚がひしひしと伝わってくる。


「ふむ。どうやら相性はいいらしいね」

「俺は俺のために戦う。お前らに尻尾を振る気はない」

「それでいい。私のギフトが真に力を発揮するのは、対象の精神に一切の干渉をしないことだからね」

「甲冑はありがたくいただくぜ。そして俺は――」


 瞬間、甲冑がばらけた。


「――俺を裏切ったすべてを滅ぼす!!」


 兜、肩当て、胸当て、籠手、具足――各部の装備が、それぞれシャインの全身へと装着されていく。


 全身を漆黒の甲冑に包まれたシャインは、断末魔のような悲鳴を上げた。

 体のあちこちに身を引き裂くような激痛が走り、息もできないほどの圧迫感が彼を襲ったのだ。

 それは欲深き者に対する甲冑の制裁でもあり、試練でもあった。


「……良い結果を期待しているよ。シャイン殿」


 そう言い残して、魔王はその場を後にした。





 ◇





 その祭壇には、白銀の棺が置かれていた。

 周りには棺を取り囲むようにして五つの燭台が置かれ、それぞれ太陽のように明るい黄金色の炎が灯っている。


 魔王はその祭壇の前で膝を折り、祈りを捧げていた。


「恐れながらアーリマー様。それは一体、何者に捧げる祈りなのですか?」

「……さぁな。昔からの癖だ。別に誰にも祈っちゃいない」

「左様ですか」


 遠くから、にわかにシャインの悲鳴が聞こえてくる。


「あの男、甲冑をものにできるでしょうか」

「するだろうさ。あの男の目は、昔の私にそっくりだ」

「……はい」


 魔王は立ち上がるや、深く被っていたフードを下ろした。

 そして、白銀の棺を優しく撫で始める。


「灰になってしまった者の魂までは、私のギフトでも呼び戻せない。だから開くしかないのだ、死の世界の扉を。向こうへ行けば、きっとまた彼女・・に会えるはず――」


 その表情は、魔王と恐れられる男とは思えないほどに優しく、穏やかだった。

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愛しき死体と人形使い R・S・ムスカリ @RNS_SZTK

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