声の道を辿って

Tempp @ぷかぷか

第1話 声の道を辿って

『右へ行け』

 耳元で声がして、思わず左耳を塞いた。声を無視して真っ直ぐ進む。ちょうど目的地のはずの河原にむけてナビ通り直進して、予定通り左に曲がる。しばらく行けば土手が見えてくる。

 ほら、やっぱり普通に着いた。あの土手を超えれば再青川が広がっている。そこの大きな中洲が今日の目的地。 


 私の耳元で誰かが囁くのは昔からのこと。

 その声はいつも同じ落ち着いた男性の声で、いわゆるイケボというやつ。けれども一方的にちょくちょく囁かれるものだから、どちらかというとイラつきが大きい。地元を離れて聞こえなくなっていたから忘れていたけど、地元に戻ったら再発した。

 昔、この声が何なのか親に聞いた。そうしたら怪訝な顔で神様かなんかじゃないのと言われた。どうせ私の話なんて誰も真剣に聞いちゃいない。これは幻聴かなにかの類だ。そう思って、私は声を無視して生活していた。だって声に従っても何も起こらないから。

 その時々でたまたま声に従ったりすることもあるけれど、従わないことが大半。でもそれで何か幸不幸が訪れることもなかった。

 声はいつも方向を指示している。

『上に行け』

 ほら、また。左耳を塞ぐ。

 車を駐車場にとめて、なんとなく上を向いた。BBQ日和の今日はまさに天高く馬肥ゆる秋、だ。うす青い空にはぷかぷかと羊雲がたなびいている。そもそもここは河原で上なんでないし、行きようがない。空を飛べとでも言うのだろうか。バカバカしい。

 だんだん声を不快に感じてきて、ぞわりと肌が粟立つようにまでなった。きっと今日は特に回数が多いからだ。久しぶりに実家に戻ってきたからかも。


 今日は中学の同窓会。

 はがきが舞い込んで、なんとなく懐かしいと思って『参加』に丸を付けて投函した。私は親の転勤について高校からこの町を出た。だから本当に久しぶりの郷里の集まり。会場はこの川原でBBQ。肉が焼ける音と香りがふわりと漂い、それに誘われて幹事っぽい人に声をかける。

「あれ、栗原くりはらさん。お久しぶり」

「ん? えっと……」

「やだな、淡口あわぐちだよ。っていっても……覚えてないかな。2年の2学期に転校した」

「……あぁ」

 栗原さんとはそんなに親しくはなかった。でも、なんだか目を逸らされた、気分。

「あれ、ええと、淡口、さん?」

「そうだよ、久しぶり~」

 久しぶりすぎる同窓会は、私の席は既にそこにはなかったみたいだ。何人かの仲が良かったはずの友人も地元同士で繋がり合っていて、縁の薄い私はその繋がりから少し浮いていた。

 仕方がない、か。ここを離れてもう随分たつんだもん。

 本当は今日は私の誕生日だった。祝ってほしいとまでは思ってはいなかったけれど、折角だったら誰かと楽しく過ごしたかったのに。参加しなければよかったかな。きっと参加は期待されていなくて、きっとお義理で同窓会の正体が送られてきただけだ。そう思って小さくため息を付きながら小さなピーマンを更に取ったときだった。


「あれ? 那津なつ、久しぶりじゃん」

 少しの疎外感を感じ始めていた時に聞こえた懐かしい声に振り返ると、幼馴染の一真がいた。最後に見たときと殆ど変わっていなかった。それはどこか若く見える容姿も、声も、そして何より私を見る視線が他の人と違って暖かかった。懐かしい。

「久しぶり。一真かずま

「遅れてきた?」

「うん、ちょっと混んでてさ」

『右へ行け』

 また声が聞こえて思わず左耳を押さえて目を上げると、目の前で彼も右耳に手を当て、私の視線に気づいて少し驚きで眉を上げた。

「ひょっとして、声が聞こえる?」

「うん、左へ行けって」

「左? 私には右って聞こえた」

「ん? ……あ、そっか。俺の左はお前の右」

 言われて初めて、そのことに思い当たって思わず吹き出す。

 向かい合っているから私の右は一真の左。

「行ってみる?」

 一真は記憶の通り、いたずらっぽく笑った。懐かしいな。

「行っても何も起こらないよ?」

「俺もそうだった。でも折角同時に聞こえたわけだからさ、2人なら何か起こるのかも」


 久しぶりの一真との再開と意外な共通点が面白くて、私達は声に従うことにした。方向は一致したけど、やはりデタラメでどこにもたどり着けず、町境を超えたところで声は聞こえなくなった。

「やっぱりね。声に従ってもどこにもいけないよ」

「全くだ。結局何なんだろ。心当たりある?」

 心当たり……私はこれがなんだかさっぱりわからない。昔も今も。

「そういえば俺が最初に聞いたのは那津の家に行ったときかもしれない」

「あれ? そういえば私も一真の家に行ったときかも」

 あれはいつだったっけ。何で一真の家に行ったんだろう?

「ひょっとして俺とお前を勘違いしてるんじゃないのか?」

「どういうこと?」

「俺がお前の家に行った時に俺の声は聞こえ始めて、お前はその逆なんだろ?」

「うん」

 一真は謎はすべて解けたとでもいうかのように、偉そうに肩をすぼめた。

「つまりさ、俺が聞くのは那津宛の声で、那津が聞くのは俺宛の声ってこと」

「何それ」

「何かはわかんないけどさ、もしそうなら聞こえる声は全部逆のはず?」

「逆、逆。あぁ。私に聞こえる右に行けは一真に対する右に行けだってこと?」

 一真は大きく頷いた。

「だから声の反対にいってみようぜ」

 ややこしくて少し混乱する。けれども見上げた太陽はまだ高い。時間はまだある。


 だからお互いに聞こえる声を伝え合いながら、探検を再開することにした。

 それは何だか不思議な言葉の交換で、久しぶりに昔に戻ったようで少しわくわくした。

 当然ながらまたBBQ会場に辿り着く。けれども今更ここに戻ろうとは思えなかった。ここには多分、私の居場所はない。私達BBQ会場の脇をすり抜け、川を遡る。さらさらと川の流れが耳に入る。心地良い。

 それにしても、これまで従うどころか遠ざかっていたのか。

 お互いが相手のメッセージを聞いているというのなら、一緒にいない限り向いている方向も場所もバラバラだ。どこかに辿り着けるはずがない。

「さっき上に行けっていわれたけど、どこにいたのよ」

「うーん、土手の下にいた時かな?」

「ああ、なるほど」

 いつのまにか私達は昔に戻って手をつないで、川縁をゆっくりと歩いていた。

 そういえば一真とは中学の頃付き合ってたんだっけ?

 なんとなく記憶がぼんやりしている。そう思い出して振り向けば、一真の顔が真っ青になっていることに気がついた。

「どうしたの? 大丈夫?」

「嫌な、予感がする。この先に行きたくないような」

「やめようか?」

 もともとこの声に従いたかったわけじゃない。ただこのちょっとした冒険が楽しかっただけだから。けれども返ってきた一真の視線は真剣味を帯びていた。

「いや、でも、はっきりさせたい。そうすべきって感じる」


 道はだんだん細くなり、いつしか風景に木が増えた。その風景にどこか見覚えが合った。私も何かがひっかかる。ええと。

「思い出した」

 突然一真が呟く

「何を?」

「那津も忘れてたんだね」

『ここだ』

 そこは古びた神社の小さな境内。あれ?

 私もすっかり思い出した。心臓がバクバクと音を立てた。

 気がつけば、走り出していた。どうして忘れてたんだろう。昔はなかった手すりを急いで越えて茂みをかき分けると、その先は唐突に崖で、下に川があった。

「多分この辺……あった。那津。随分遅くなったけど、誕生日おめでとう」

 一真が拾ったのは茂みの奥に落ちていた薄汚れた白い紙箱だった。開くと猫のストラップが小さく収まっていた。

「今のスマホは付ける所なんてないのに」

 自然と涙が頬を伝った。何故忘れてたんだろう。今日と同じ、私の誕生日。

 あの日、私はこの神社に一真に呼び出されたんだ。好きだって告白されて恥ずかしくて、思わず茂みの方に逃げちゃったら川に落ちそうになって、危ないって手を引かれて、一真が代わりに川に落ちた。辺りを探しても見つからなくて、ひょっとしたら帰っているかもと思って彼の家に飛び込んだけど結局彼は見つからなくて。それで私の家族はこの町にいられなくなって高校を機に引っ越したんだった。

 本当に、どうして忘れていたんだろう。

「ごめん」

「どうして一真が謝るの?」

「俺が那津を呼び出さなかったら、那津が引っ越すこともなかった」

「私がこっちにこなければ、一真が死ななかった。本当にごめんなさい」

 15歳のときの夏のことだ。私は何故、逃げてしまったんだろう。本当は一真が好きだったのに。

「俺は幽霊になって那津に会いに行ったんだ。このプレゼントを探したけれど見つからなかった。だから謝りたくて。ここの神様が僕らの家に伝言をくれたんだ。逆さまだったから気がつくのに時間がかかっちゃったけど、捜し物の場所を教えてくれた」

「私も一真が落ちたことを知らせにあなたの家に行った。忘れててごめんなさい」

 一真の死体は結局見つからなかった。今まで。一真は幽霊になって、時間が止まったままなんだ。

「ごめんなさい。私も見つけるのに時間がかかった。本当に何て謝ったらいいかわからない」

「那津。いいんだ、もう。終わってしまったことだから。それより」

 一真は居住まいを正して少し緊張する。

「好きです、付き合ってほしかった」

「私も好きだった」

 一真は少し背伸びして私にキスをして、さらりと空気に溶けていった。

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