異次元の無能である私がラノベ作家を志した経緯 高校~大学時代に漫画や深夜アニメに嵌ったからこそ、就活で数多の醜態を晒したのちにラノベ執筆意欲が沸いたのだと思う。
第1話 私がラノベ作家を志した経緯~異次元の無能っぷり~
異次元の無能である私がラノベ作家を志した経緯 高校~大学時代に漫画や深夜アニメに嵌ったからこそ、就活で数多の醜態を晒したのちにラノベ執筆意欲が沸いたのだと思う。
明石竜
第1話 私がラノベ作家を志した経緯~異次元の無能っぷり~
私がアニメ・漫画・ラノベ業界に興味を持つようになったきっかけは、赤松健先生の作品との出会いでした。
≪高校時代≫
2000年夏、ラブひな他赤松健作品に嵌る。
この年の週刊少年マガジン27号で、ラブひなの存在を知りました。
2001年春、ラブひな春スペシャルの特集記事にて、水樹奈々さんの存在を知る。
2001年初冬、人生で初めてアニメ雑誌を購入する。フルーツバスケットが表紙だった【アニメージュ2001年12月号】
高校時代、萌えアニメではサクラ大戦、ギャラクシーエンジェル、天使のしっぽ、フルーツバスケット、シスタープリンセス、コメットさん、ココロ図書館、魔法少女猫たると、Kanon、ちっちゃな雪使いシュガー、まほろまてぃっく、プリンセスチュチュ、おねがい☆ティーチャー、七人のナナ、東京ミュウミュウ、ぴたテン、ちょびっツ、あずまんが大王、りぜるまいんなども流行っていたが、それらのアニメを見る気は起こらず赤松健先生の作品の方が圧倒的に面白いと感じていました。
2003年2月26日、大学受験の翌日、高校の卒業式の前日が、赤松健先生の新連載『魔法先生ネギま!』が掲載される週刊少年マガジン公式発売日だった。
≪浪人時代≫
2004年2月25日、大学受験のあと、人生初アニメイト訪問。(当時はポッポ街商店街にあったアニメイト徳島店)。『魔法先生ネギま! 声のクラスメイトシリーズ5月:近衛木乃香』を購入した思い出があります。
≪大学時代≫
2004年4月、一浪の末、地方国立大学入学。
2004年10月10日、STARCHILD DREAM in KOBE2ndを観覧。堀江由衣さん、金田朋子さん、能登麻美子さんなどなど、生の声優を初めて目にする。
2005年6月25日、徳島にて、こやまきみこさんのイベントを観覧。この時戴いたサイン色紙は今も大切に保管しています。
2006年12月10日、南海ブックス2号店主催、minoriの[ef - the first tale.]体験版配布会&何か&トーク的小イベントを観覧。
大学時代に特に嵌った漫画・アニメ
【魔法先生ネギま、ARIA、ひだまりスケッチ、まほらば、ぱにぽに、苺ましまろ、
かみちゅ!、月詠、びんちょうタン、かしまし ~ガール・ミーツ・ガール~、
もっけ、しおんの王、みなみけ、こどものじかん、涼宮ハルヒの憂鬱、らき☆すた】
初めてリアルタイムで試聴した深夜アニメ
【美鳥の日々】
MBS、ABC朝日、関テレ、読売、TVO、サンテレビに加え、四国放送とテレビ和歌山も映ったため、深夜アニメの試聴環境には恵まれていた。
ちなみに大学時代、毎週“火曜日”に発売されていた週刊少年マガジン(当時240円)を大学生協ショップで会員割引の228円で購入していました。
大学時代の特に印象に残っているアニメ界の出来事
1.マリア様がみてる~春~放送枠のマツケンサンバのCM
2.ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!
3.ネコミミモード
4.うおっまぶしっ
5.ハッピーマテリアルオリコン1位運動
6.いぬかみっ! 18話ED
7.nice boat
8.涼宮ハルヒの憂鬱とらき☆すたのブーム
空前の売り手市場と呼ばれていた2006年秋、就活開始。
ソフトウェア開発会社を中心に、食品メーカー、農協、社会福祉法人などなど様々な業界に属する企業や公務員&独立行政法人の採用試験を受け個人面接、集団面接、集団討論で見苦しい姿をさらけ出す。
出没場所は主に大阪。他に神戸や加西、小野、地元の明石、徳島、松山、高松、観音寺、広島、東京にも。
就活初期にリクナビのログインパスワードをうっかり忘れ、再登録しようとしたら個人情報の関係で既に登録されていますと表示され退会も出来なくなり、以降マイナビしか使えなくなってしまう致命的なミスを犯す。
2007年1月、学内企業合同説明会会場に他の皆がスーツな中、普段着で訪れてしまった。
2007年3月、NECエンジニアリング株式会社から記念すべき一社目の不採用通知(お祈りメール)。ここから不採用人生がスタートする。
初めて受けた面接は、二人での集団面接で面接官から交互に質問される個人面接に近い形式だった。相手の方は自分の大学の滑り止め(産近甲龍)の滑り止め(大阪工○大学)の滑り止めに使われるような大学(大阪電○○○大学)だったものの、相手の方が所作、受け答えの仕方が優秀で明らかに面接官から好印象、好感を持たれていることが実感出来た。
他にも、
1.採用試験で違う職種用の席に着き、試験用紙が配られてから間違っていたことに初めて気付く。
2. 会社説明会&採用試験会場のある建物内(大阪ビジネスパークにあるIMP & TWIN21)に早めに着いたけど、会場の場所を探すのに迷い結局開始時刻ギリギリに到着する。しかもその説明会にて、採用担当者からの質問で「学生と社会人との違いは何か? 一番後ろの席に座っている人に答えてもらいましょう」と指名され、答えると聞き返されてしまった。
ただ、説明会後に受けたプログラマー職採用試験は筆記は通過し面接試験までは辿り着けました。2007年初夏、株式会社テイジイエルに応募した時の思い出です。
3.社員用のカードがないと開かない扉を無理やり開けようとした。
4.一番に採用試験会場に辿り着き、採用担当者に会釈したにも拘らず悪い第一印象を持たれてしまう。
5.集団面接にて、同じグループで整列し自分が先頭になり最初に入室することになった時、面接試験会場とは違う部屋の扉をノックした。
6.公務員試験の集団討論にて、場をしらけさせる発言をしてしまう。曖昧な記憶ですが、子供に携帯電話を持たせるのは是か非かというテーマの時だったと思います。
7.面接は一時間を予定しております。と試験案内に書かれていたが、開始から五分ほどで帰らされた。
8.大学からの紹介で特別に受けさせてもらえた、香川県観音寺市にある冷凍食品で有名な某会社(社名変更前)も、面接試験は予定よりもかなり早く終わった。ちなみに面接終了後、交通費は余分に頂けました。
9.親のコネで受けさせてもらえ、交通費まで支給してもらえた会社もあったが、面接を受けたその日のうちに、頼りなさそうな感じだったからという主旨で親宛てにお断りの電話連絡を入れられる。数日後、郵送にて書面での不採用通知が届く。
10.徳島から、大阪へ向かう高速バスと間違えて路線バスに乗ってしまった。
11.高速バスで徳島から大阪に向かって移動中、就活用の革靴ではなく普段使っているスニーカーを履いて来てしまったことに気付く。仕方ないのでその靴のまま企業説明会と採用試験に参加。その会社は面接に呼ばれることなく不採用。ちなみに2013年に倒産したらしい。
12.梅田駅の地下で迷い、地上に出られてからもハービスOSAKAバス乗り場の場所を探すのに迷い、折り畳み傘が風で壊れてずぶ濡れになった挙句、帰りの高速バスに乗り遅れる。
13.就活中、昼食を取るために立ち寄ったマクドナルドにて、「召し上がりで」と伝えたはずなのに上手く伝わらず、持ち帰り用の包装で渡されてしまった。
などなど数え切れないほどの失態&醜態をさらす。(一部、大学卒業後の就活での出来事)
2008年2月23日、徳島にて白鵬のパレードを観覧。紗代子夫人や当時赤ちゃんだった長女の愛美羽ちゃんや、飯泉嘉門知事の姿も目撃する。
2008年3月、内定が出ないまま大学卒業。
≪大学卒業後~現在≫
2008年4月、ある日突然、文筆活動に目覚める。
秀和システム刊の『改訂版NScripterオフィシャルガイド』を購入し、NScripterでノベルゲームを作ろうとしたりしてみた。
大学時代、電撃hpや芳文社KR文庫などを読んで、ラノベ新人賞に応募しようかなと考えたことはありましたが、その時はまだ執筆活動には至りませんでした。
2008年6月30日、小説新人賞に初応募。【第4回電撃リトルリーグ】
2008年8月、地元市役所の面接試験に落ちたのをきっかけに、ラノベ作家を目指そうと思い立ち長編小説の執筆に目覚める。(その他ありとあらゆる業界業種からも不採用にされ続けて来たことも相まっていた。せめてクリエイター業界では実績を残して認められたい。この業界からは見放されるわけにはいかない。という思いも強く芽生えた。
『ラノベ作家を目指しなさい』という社会からのメッセージであるとも強く実感した。)
高校~大学時代に漫画やアニメに嵌っていたからこそ、こんな意欲が沸いたのだと思います。
(ちなみに地元市役所はその後も2011年まで四年連続で受験し、筆記だけは毎年通過。北口寛人市長時代に3回、暴言問題で話題になった泉房穂市長時代に1回受験)
2008年9月、榎本秋さんの『ライトノベルを書きたい人の本』を購入し、執筆の参考にする。それまでラノベを読んだことはほとんどありませんでした。
2008年10月1日、ラノベ新人賞長編小説に初投稿。【第14回スニーカー大賞】
以降、毎月のようにラノベ新人賞に投稿し、常に選考中のラノベ新人賞があるという状況を保ったまま現在に至る。
2008年12月上旬、長きに渡る就活経験からか、ふと、『ベテラン就職活動家』という用語を思いつく。
2008年12月24日、第1回メガミノベル大賞にてラノベ新人賞に投稿し始めて以来初の選考途中経過発表が行われ、一次落ちの現実を突きつけられる。のちに、主催の学研の採用試験に応募し、書類選考落ち不採用も経験する。
2008年12月下旬、週刊少年マガジン主催のネーム原作賞にも応募する。
2009年~、業界とのコネを作ろうと思い立ち、ゲーム会社、アニメ制作会社、エンタメ系専門学校教務スタッフ、レコード会社、出版社、玩具メーカーなどエンタメ企業の採用試験にも応募するようになる。
この手の企業については、書類選考または筆記試験落ちで面接試験まで辿り着けたことはただの一度もありません。
【不採用となった主なエンタメ企業(社名は当時のもの)】
《京都アニメーション、講談社、芳文社、学研、アスキー・メディアワークス、ソニーミュージックグループ、アミューズメントメディア総合学院、コナミグループ、ポニーキャニオン、ユーフォーテーブル徳島、株式会社あわわ、キングレコード、タカラトミー、アニメイト、JCスタッフ、ブロッコリー、任天堂、コーエー、ハドソン、ユークス、HAL研究所、日本一ソフトウェア、カプコン、ケイブ、テンキー、AQインタラクティブ、フロムソフトウェア、ファルコム、スクウェア・エニックス》
集英社、小学館、秋田書店、メディアファクトリーにも応募しようと思ったが、当時でもすでに応募資格外(募集条件:卒業見込みの者)だったため断念。
スクウェア・エニックスからは【せっかくエントリーいただきましたが、当社の本年度の新入社員採用につきましては、2011年3月に大学院または四年制大学をご卒業予定の方を対象とさせて頂いており、今後、選考のご案内はいたしかねる状況です。一方的な話で誠に申し訳ありませんが、当社の事情をご勘案いただき、ご承知くださいますよう、何卒よろしくお願い申しあげます。】という文面のお断りメールを頂いた始末。
フロムソフトウェアの中途採用に応募した時、正社員歴がない方の応募は受け付けていないという旨で、採用担当者から電話で直接お断りされたこともあります。
ユーフォーテーブル徳島からは2011年7月4日付で、『毎年ご応募していただいているのですが、現在徳島スタジオや東京本社において〇〇様の希望されるような職種は募集しておりません。何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。つきましては、ご応募に際しお預かりしました作品等を返却いたしますのでご査収ください。』という文面の不採用通知を頂きました。
2009年4月、けいおんに嵌る。
2009年初夏、サイン入り寸評ハガキ目当てで赤松健先生のアシスタント募集に応募。
2009年6月1日、秋葉原、人生初訪問。ラジオ会館、ソフマップ、アニメイト、とらのあな、ゲーマーズなどに立ち寄る。
2009年6月22日、赤松健先生アシスタント募集の件で、サイン入り寸評ハガキが届かないのでメールで催促をした結果、赤松健先生ご本人から以下の文面のメールを頂いた。
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こんにちは、漫画家の赤松です。
この度は、アシスタントへのご応募ありがとうございました。m(_ _)m
>アシスタント応募者への寸評はがきが、まだ私の所へ届いておりません。
寸評ハガキは、メールでの応募者のみの特典となっております。
(※日記帳の5月2日・8日を参照のこと)
でも、特別に書いてあげよう、と思って郵送封筒を調べてみたのですが、
4月3日の募集要項に書いてある「課題」が一切入っていませんでした。
課題に対する寸評なので、入っていないと評することが出来ません。
もしかして他の封筒に入れてたりしますか?
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あの時は赤松健先生に失礼なことをしたと思っています。応募条件を見落としたうえ、ネーム原稿しか同封していませんでした。
2009年8月16~18日、韓国・ソウル訪問。教保文庫(光化門店、江南店)や仁川国際空港内の書店にて『けいおん』『涼宮ハルヒの憂鬱』『ハヤテのごとく』『よつばと』『生徒会の一存』『けんぷファー』などの韓国語版が売られているのを見かけ、将来は自分の著書も韓国他海外でも販売されるようになりたいという意欲が沸いた。
ちなみにウサイン・ボルトの100m9秒58の記録は、ホテル内のテレビで放送されていた韓国のニュース番組で知りました。
2009年10月12日、マチ★アソビVol.1訪問。俺の妹がこんなに可愛いわけがない 著者トークイベント、豊崎愛生 TALK EVENTを観覧。これをきっかけに徳島を舞台にしたラノベを書いてみようと志す。
2010年1月3日、『けいおん!』の舞台探訪。鴨川デルタの飛び石、京都造形芸術大学、修学院駅前、宝ヶ池公園、松ヶ崎橋、マクドナルド北白川店(前を通りがかっただけで店内へは入ってない)、今宮神社、JEUGIA三条本店、南禅寺水路閣などを巡る。ついでにアニメイト京都店も。
2010年5月3~4日、マチ★アソビVol.3にて三木一馬さんの講演会、俺妹イベント、業界関係者トークイベントを観覧。4日の徳島よ!私は帰ってきた!「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」トークイベント終了後、原作者の伏見つかさ先生に第17回電撃小説大賞に徳島を舞台にした作品を応募したことを口頭で伝えに行きました。2010年6月10日に発売された電撃文庫MAGAZINE Vol.14マチ★アソビイベントレポート(34ページ)に私の姿が写っているかも。
2010年7月9日、ツイッターに登録する。
2010年10月10~11日、マチ★アソビVol.4にて電撃文庫「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」アニメ化記念(表)!作家&関係者トークショー、電撃文庫「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」アニメ化記念(裏)どうしてこうなった反省会を観覧。
2011年7月1日、ラノベ新人賞に応募し始めて初の一次選考通過。【第13回エンターブレインえんため大賞】作品名『社会的脱落者のわたくしが学習塾講師を任された!?』
現在、小説家になろうで公開中の作品はほとんどが一次選考通過出来るようになって以降に創作したものであり、最近のでも非公開な作品も数多くあるため初投稿作以来、今までに制作した全作品数は公開作品の倍以上は優にあります。
2011年12月3日、『けいおん!』の映画鑑賞。映画館を訪れたのは2001年、高二の夏休みに『千と千尋の神隠し』を観に行って以来だった。
2012年2月4日、自宅近くにアニメイトイオン明石店がOPEN。ラノベ作家デビュー出来れば自分の著書がここの店頭にも並ぶということで、ラノベ執筆へのモチベーションがさらに高まる。
2012年6月、【ベテラン就職活動家】という用語をタイトルに使った作品で、第14回エンターブレインえんため大賞にて一次通過。『女子生徒寮管理人はベテラン就職活動家』
2012年12月28日、同じ大学出身の小川淳次郎さんが『百億の魔女』で講談社ラノベ文庫からデビューされる。(公式発売日)
2013年1月11日、小説家になろうにユーザ登録する。
2013年2月23日、小説家になろうに作品を初投稿。
2013年4月25日、第26回冬期ファンタジア大賞にて徳島を舞台にした作品で一次選考通過。作品名『異星人三姉妹が徳島のマチにアソビに来たよ♪』
ドラゴンマガジン2013年7月号の一次選考通過作品一覧にも掲載されています。記念すべき出来事だと思ったので、学生時代にも何度か利用した南海ブックス宛にメールで伝えたところ、激励のメッセージを頂きました。
さらにその後、5月4日に訪れたマチ★アソビVol.10では、ユーフォーテーブル・シネマに備えられていた書置き用ノートにもこの件を記して来ました。
帰ってきた「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」大反省会 ゴールデン!!も観覧。
2013年9月30日、百本以上落選で話題になっていた広岡威吹さんが第6回GA文庫大賞前期にて奨励賞を受賞される。(公式発表日)
私の落選回数は、そんな彼の数倍にも及びます。その当時でも、ひょっとしたら私の方が彼の落選数を上回っていたかもしれません。
2013年10月、のんのんびよりに嵌る。
2014年~2015年にかけて、ミライショウセツ大賞に48作品エントリー。
2014年9月、第11回MFライトノベルJ新人賞一期にて徳島を舞台にした作品で一次選考通過。作品名『リアルRPG旧阿波国道中』。このことは近藤光さんのツイッターや、ユーフォーテーブル徳島宛にハガキを送って伝えました。
2014年10月7日、母校の先輩の中村修二さんがノーベル物理学賞を受賞される。
2015年1月13日、20代が終わり30代に突入。振り返れば『不採用と落選の不遇な20代』だった。
2015年4月、第28回後期ファンタジア大賞にて愛媛を舞台にした作品で一次選考通過。作品名『いよ色モンスター蔓延る現実世界』
ドラゴンマガジン2015年7月号の一次選考通過作品一覧にも掲載されています。
2015年6月19日、Pixivにて、“明石竜様の作品を拝見させて頂きました。突然のメール申し訳ございません。”という文面のメッセージが届き、やっとラノベ作家デビュー出来るっ! と思いきや、誰宛にでも送っているような『WTRPGマスター』募集のお知らせだったことに落胆する。
2015年9月20日、ミライショウセツ大賞出張編集部in京まふ2015に参加し、『リアルRPG旧阿波国道中』についてファミ通文庫編集部の方からアドバイスを受ける。
2016年1月、第4回ネット小説大賞に37作品エントリー。
2016年2月11日、カクヨムに作品を初投稿。
第1回カクヨムWeb小説コンテストには9作品エントリーする。
2016年5月4日、マチ★アソビVol.16にてJR徳島駅一日駅長・逢坂良太さん&下屋則子さんのトークショーを観覧後、三木一馬さんと旺季志ずかさんの講演会を観覧。17:30発の高速バスを予約していたため、残念ながら質疑応答の途中までしか聞けず会場を去る。
2016年7月28日、当作品の『カクヨム エッセイ・実話・実用作品コンテスト』落選が確定する。
2016年9月、モーニングスター大賞に30作品エントリー。
2016年11月1日、アルファポリス主催の第9回エッセイ・ブログ大賞に向けてブログを開設。
2016年秋、オタクの生き方拝聴サイト『オタハナ』からインタビュー依頼が来る。作家デビューに繋がる依頼を早く受け取りたいものである。
2016年11月11日、ブログのコメントに『月刊ハッピーネットワーク』からの怪しい勧誘が来る。もちろんスルー。
2016年12月6日、ツギクルに作品を初投稿。
2016年12月、ツタヤリンダ大賞に35作品エントリー。
2017年1月、第5回ネット小説大賞に14作品エントリー。この年は2016年以上に複数の賞に応募を分散させているため、一つの賞当たりの応募数は少なめ。
2017年2月、第2回カクヨムWeb小説コンテストには3作品エントリーする。
2017年4月20日、『ラノベ新人賞落選界の白鵬』というペンネームを使って応募した作品で、第30回後期ファンタジア大賞にて初めて一次選考を通過する。
作品名『アクロバット相撲少女うららちゃん』
同日付の常木らくださんのブログ、『らくだ図書館』の記事でもこの作品のことがネタになりました。
2017年5月5日、マチ★アソビVol.18にて、アニメ『エロマンガ先生』 最近(もっとも近い)のアニメをみんなで作ります 第10回@マチ★アソビ会を観覧。
2017年5月、BOOK☆WALKER BWインディーズコンテストに16作品エントリー。
2017年6月1日、小説家になろう公開作品数100作品達成。
2017年6月、HJネット小説大賞に18作品エントリー。
2017年8月、第二回モーニングスター大賞に36作品エントリー。
2017年9月25日、第14回MF文庫Jライトノベル新人賞第一期予備審査にて、東京を舞台にした作品で初めて一次選考を通過する。
作品名『いくほ・はぐくむ』
2017年12月5日、羽生善治が史上初の永世七冠を達成したこの日、ワナビ界の永世七冠の定義を思い付く。
2017年12月、きららファンタジアに嵌まる。きんいろNew year!の強敵クエスト、メカこけし戦は18戦全勝。ちなみに芳文社は採用試験で書類落ちした経験があります。
2018年2月23日、小説家になろうに作品初公開から5周年を迎える。
2018年4月、プリンセスコネクト!Re:Diveに嵌る。
クラン名は『ラノベ賞落選界の白鵬』
2018年7月5日、第8回前期集英社ライトノベル新人賞にて、ラノベ新人賞一次選考通過20回達成。
2018年7月10日、第25回電撃小説大賞にて、2009年の第16回に投稿して以来、10回目の投稿で初めて一次選考を通過する。
作品名『のんほい愛知でリアルRPGしよまい~無職無能ひ弱な俺が勇者にスカウト!?~』
2018年10月1日、ラノベ新人賞に初投稿した日からちょうど10年を迎える。
2018年11月12日、2009年4月の第16回に初投稿して以来、一次以降の選考通過者に送られる電撃小説大賞からの評価シートを、初めて受け取ることが出来た。
2018年12月31日、MFライトノベルJ新人賞初投稿から10周年を迎える。第5回第三次予備審査から皆勤、この日〆切の第15回第三期予備審査にて通算41回目の投稿をした。
2019年以降の出来事は『ラノベ新人賞歴代最多落選数を持つだろう私がラノベ作家を志した経緯』を参照下さい。
ラノベ新人賞落選作品数に関しては前人未到、孤独な道を歩み続ける。
ラノベ新人賞落選界の白鵬の境地に達したそんな私が今後ラノベ作家デビュー出来れば、今までの人生で受け取って来た数え切れないほど膨大な不採用通知、落選通知が感謝状へと変わります。
著書のあとがきで百回以上落ちました。170作落選しましたという旨のことを書かれていた、先にデビューされたラノベ作家達の投稿時代の苦労話もすっかり霞んでしまうことになります。
言い換えれば、
“歴代最も多くのラノベ新人賞落選数を持つラノベ作家”となることは間違いありません。
さらに言い換えれば、”たった1冊の著書を出版させてもらうために、最も無駄な行動を取ってきた人”だともいえるかもしれません。
現時点でデビューしても、それどころかもうずいぶん前から余裕でその境地に達していることでしょう。
私のような異色の経歴でデビューするとなれば、ラノベ業界にとって歴史的で衝撃的な出来事となり、前代未聞の大きな話題性を呼ぶことは確定的。
ゆえに一日でも早く、ラノベ新人賞やネット小説からのスカウトを通じてデビューという人生最高の朗報を受け取り、ラノベ作家として大成したい次第です。
異次元の無能である私がラノベ作家を志した経緯 高校~大学時代に漫画や深夜アニメに嵌ったからこそ、就活で数多の醜態を晒したのちにラノベ執筆意欲が沸いたのだと思う。 明石竜 @Akashiryu
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