第5話「スプラッシュ・キリング」
「は!助手くん!」
博士は助手の所在が見当たらないことに気が付きました。辺りを注視すると、先ほど降り注いだ砂が形成した盛り上がりから細腕が一本突き出していました。新手の墓標のようです。
博士はそそくさと駆け出すとそれを引っ張り上げて中に埋もれていた助手を救出します。
「そおぉい!!」
──ザパァ
釣れました。
「おーい助手くーん、大丈夫かー」
博士はまだ砂がまぶされている助手の頬をペチペチと叩きます。
「う~ん、砂なななー……砂なななー……クワガタ安産型……」
「おーいしっかりしろーい」
「んん……マリオ?」
「違う。ワシじゃ」
「あぁ、なんだ博士か……アリジゴ君は?」
「ほれあっち」
博士が顎を突き出したその先。巨大な黒い塊が地面に横たわっています。
助手が起き上がるのを合図に二人は顔を見合せ、恐る恐るそれに近づいていきます。確認するまでもなくそれは件の昆虫大帝でした。
「死んでるんでしょうか……?」
「死んでてくれないと困る……」
立派な甲殻は全体に渡ってヒビが走り、欠けて露出した内部からは何とも言えない渋い色合いの体液が溢れています。大顎は左片方の先端が折れてしまっていました。砂まみれの体はピクリとも動かず、さっきまで暴れ回っていたのが嘘のようです。
「…………」
「…………」
「行きましょうか」
「えっ」
「……、なんです?」
「え、放っとく感じ?素材回収とか……」
「……」
助手は露骨に嫌そうな顔をしました。
「虫ダメなんですよ……」
「え~今更ー?後々なんか役に立つかもしれんじゃろ。装備とか!換金とか!」
「そもそもこんなデカイの持ってけませんよ」
「だから解体すればいいじゃろ?」
「それが嫌なんですって。やるなら博士一人でやって下さい」
「こんなの一人でやってたら日が暮れちゃうじゃないか!」
「だから放っておこうって言ってるんです!」
「もったいないじゃないか!」
二人があーだこーだと悶着していると博士の足元が途端に暗くなりました。
「ほらもう暗くなって来ちゃった!ん?流石に早くないか?さっきまでお日様が……」
助手は走り出しました。
「え?助手くーん!?話は終わっとらんぞ!なんじゃよもう……仕方ないキバだけでも」
博士がそう言って振り向くと、居ました。立っていました。
「ギシャ……」
「あ、どうも」
博士は熊と対峙した場合の対処法としてよく聞くように視線を離さず静かにゆっくり後退りを始めましたが、なんとなくもう間に合わないことにも気付いていました。アイツとうとう見捨てやがったなと思いながらも引き留めたのは自分なのでそこまで文句も言えません。
「いやーもう困ったもんじゃ某狩りゲーならここからが山場だってのにあーでも剥ぎ取り箇所多くて分けられてるのだと一分以内に間に合わなかったりしてねーうんほんとあれは悔しかったなー」
博士はそこでようやく踵を返しました。
「それじゃ!」
それなりに全力で逃げたのですが、後ろから近づいてくる翅音がそれに追いつくのは自明の理でした。博士は泣きべそを掻きました。
「博士……どうか安らかに……」
博士のことは完全に見放した助手は砂漠を全力で駆け抜けていました。作戦の最中でも街の方向は大凡把握していたのであとは逃げ切るだけです。幸い相手は負傷中で食べるのに時間がかかりそうな大きな餌もあります。自分に追い付くことはないだろうと高を括っていました。
「──い、おーーーい」
博士の声がした気がしましたが、きっと自分を恨んでいるであろうその人への罪悪感から知らない内に生み出してしまった幻聴でしょう。
「う……ごめんなさい博士……悪霊退散ドーマンセーマン」
「──けれー、たすけてくれーーー」
「あぁ……まだ聞こえる」
「──助けてくれーーー!!助手くーーん!後生じゃからーーー!!おねがーーい!」
「──博士ッ!?」
助手がようやく立ち止まって空を見上げると、太陽を背に黒い巨体が飛んでいるのが分かります。言わずもがなアリジゴ君です。しかしそのシルエットの先端から別の影がぶら下がっていました。光に目をしばたきながらもよくよくそれを注視すれば、博士です。生きていました。
「博士ーー!無事だったんですねーー!」
「うんーー!でも引っ掛かっちゃたみたーーい」
「引っ掛かっちゃったか~」
アリジゴ君はやはり傷のせいか博士の重みのせいか、はたまたその両方か、フラフラと蛇行を続けています。
助手は少しだけ考え込むと再度同じ方向へ走り出しました。
「じゃ」
それだけ言い残して。
「えっ、おい!意地でも見捨てる気かー!この薄情モンが!!ちょ、え、マジ?待ってよー!助手くーーん!」
──ブブブブブブブ
静寂の空にアリジゴ君の翅音だけが響きます。
「…………」
そして次の瞬間暴れ出しました。煩わしい博士を振り落とそうと残る力でぶんぶんと身体を振り回します。
「ギジャアアアアア!!!」
「ちょっ……わ、おわ!落ち着け!そんなんで取れるならとっくに落ちとるって!うわ!やめっ…酔うから……!うっ……」
「ギジャラァ……」
「もうやだぁ……」
その時です。
────カーーーン
甲高い壮快な音が響きました。
──カーン、カーン、カーン
次は連続して。それは奇しくも先ほどアリジゴ君を罠に誘き寄せたものと同じリズムでした。
「この音……」
音がするその方向に博士がどうにか頭を向けると、平地からなだらかに盛り上がった低い山の上にぽつんと一つの人影が立っていました。その孤独なシルエットはまぎれもなく。
「助手くぅん!!」
「気付いてくれよ……」
祈るように助手は呟きます。両腕の肘当ては幸いにも鉄のような素材で出来ており、それを外して打ち付け合い音を出していました。
──カーン、カーン、カーン
しかしアリジゴ君に反応する様子はなく、また博士を振り落とそうと上空で暴れまわっています。
「くそっ駄目か……」
助手は肘当てを一旦地面に置くと、ポケットから何か取り出します。手に握られた小さなそれは例の『発熱石』の破片でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アリジゴ君を土のう爆弾に誘き寄せる為、石を打ち付け合い始めた時。
──カーン、カンッ
──カコッ
「ありゃ」
今までそれなりに酷使してきたのが祟ったのか、石の片方が砕けて二つに割れてしまいました。助手はその片割れの小さな方をポケットにしまい入れていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかしそれは本当に小さな欠片で肘当てに打ち付けても音は鳴らないどころか熱も帯びず、小さすぎて掴んでいた指から弾き飛ばされてしまいました。助手はそれを拾い上げて再度肘当ての上に置きます。今度はその上からもう片方の肘当てを打ち付けましたが、それでも鈍い微かな音がしただけで反応はありません。それどころかその衝撃で欠片は更に細かく砕けてしまいました。
「くっ……」
助手は博士の方に目を向けます。未だアリジゴ君は壊れたロデオマシーンのように暴れまわっており、博士の表情はよく見えませんがおそらく酷く青い顔をしているでしょう。
「何か~何か~」
助手は自分の体をまさぐります。そして石を取り出したのとは別のポケットでその感触に気付き、動きを止めました。
「……」
中身を取り出すと、黒光りする二つの破片が姿を現します。
「あはは、博士のこと言えないな……」
助手は『発熱石』の欠片が残ったままの肘当てにその“不発弾”を乗せました。そしてもう片方の肘当てを両手で掴むと、思い切り振りかぶります。その行為の危険性は身を持って知っていましたが、助手の行動は迅速でした。
「これなら──どうだっ!!!!!」
────キャコオオオオオォォォォン
響き渡る高音。汚い頬袋を作っていた博士はすぐさまそれを胃に返還しました。助手の居た位置からです。一瞬目映い光のようなものも見えました。
「うえっぷ、助手くん……?」
「ギギギギャ……」
アリジゴ君も流石に気付いたようです。
「はっ!」
衝撃でひっくり返っていた助手が起き上がりました。体のあちこちに切り傷を作り血が滲んでいますが、大きな怪我はありません。肘当ては何処かに吹き飛ばされ、設置箇所の砂が軽く抉れています。砂に混ざって散り散りになった破片がほのかに橙色の光を帯びていました。
そして近付いてくるものの気配。助手は残しておいたもう一つの不発弾を手に取りました。薄く平べったく握りやすいそれは、遠い過去の記憶を思い起こさせます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
丗ヰ歴2X-50年代、水切りは大衆的スポーツへと成長していました。世界チャンピオンであった助手の母はその凱旋パレード中、何者かが放った暗殺水切によって還らぬ人となります。それは彼女の活躍を妬んだライバルの犯行によるものでした。その後、父親も心労が祟って後を追うように病死。まだ幼かった助手少年は両親と深交のあった博士に引き取られることとなり、なし崩し的にフィクション・レジスタンスのメンバーとなりました。母の死から4年後、助手は復讐を遂げます。奇しくも同じ凱旋パレードの最中、犯人が使ったのと同じ暗殺水切によって。
いつか博士は助手に訊いたことがありました。
「助手くん、もう水切りはやらないのかの?」
それに対し助手はこう答えました。
「オレは神聖な水切りを血で汚しました。この手で人を……水・キリングしてしまった」
「水・キリング……」
「そんな人間は賽の河原で石を積んでるのがお似合いなんですよ。オレにはもう、水切りをやる資格がありません」
「…………」
思い返せば浮かぶ母の優しげな眼差し。膝の温もり。カーテンの隙間から差し込む淡い光の中、幼い助手は訊ねました。
「ねぇ、おかあさん。ぼくもおかあさんみたいにみずきりうまくなれるかな?」
それに対しにっこりと微笑んだ母はそうねぇと少し考えるそぶりをしてから言いました。
「じゃあ、じょっくんには特別に母さんの強さの秘密。教えちゃおうかしら」
「ほんと!?ねぇほんと?」
「ふふ……ほんとよー。でも誰にも秘密。じょっくんと母さんだけの、ここだけの秘密よ」
「うんわかった!」
「いい?じょっくん──」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
急降下したアリジゴ君は滑走路を駆け上がるかの如く、周囲に砂を撒き散らしながら盛り上がりの天辺を目指します。引きずられる博士の平衡感覚はもはや上下左右が狂ってぐちゃぐちゃでしたが、それでも博士は叫びます。
「助手くううぅぅぅぅんんん!!!!やれぇぇぇぇぇぇい!!!!!」
見下ろす先で自らを捉え襲い掛らんとする怪生物に助手は狙いを定めました。互いの焦点が交わり居合いの様相を呈する中、助手は母の言葉を思い出します。
「──“水切り”は心で撃つのよ」
助手の右手からアンダースローで放たれた破片は超速で進んだ先の砂に接地。影が消えると同時にその上をアリジゴ君が通り過ぎ、助手を直線上に捉えました。脇に引っ掛かっていた博士は自分の膝を目一杯引き絞ると、全体重を乗せてその巨躯を傾けます。助手の脇ギリギリをアリジゴ君が通り過ぎ、風圧で茶髪が激しく乱れ砂が舞います。後ろ手に過ぎ去った標的に対して助手は冷たく言い放つのです。
「負けて死ね〈バイツァ・ダスト〉!!!!!!!!!!!」
直後、アリジゴ君の身体が弾けました。内側から亀裂が入り肉体を分割するように空中で爆散。引っ掛かったパーツごと切り離された博士はそのまま大地に打ち付けられ転がります。
「──ぶぎゃっ!!ぶろぉぉぉおおおろろろろろろらろろ」
頭蓋は推進力を保ったまま爆発に押し出される形でその先の砂丘に突っ込み、勢いで先端から殆どを消し飛ばしました。本日三度目。
膝を付いた助手が振り返ると、抉れた砂のなだらかなアーチだけが静かにそこに佇んでいました。
砂を踏む足音が聞こえます。
「いやーものの見事に爆発四散したのぉ。これには流石の彼奴もオダブツ!じゃろう」
「博士……」
全身砂だらけの博士は体に付いたそれを払いながら助手の元へ歩み寄ります。
「無事で何よりです」
「お互いにな」
「……なんかすっきりした顔してますね?」
「あぁ、さっき出すもん出したからな」
「漏らしたんです?」
「そっちじゃないわ!上じゃ上」
博士は怒ったフリをしながらも次にはにこりと微笑んで助手に手を差し出しました。
「立てるか?」
「はい……」
助手も博士の手を取ると、立ち上がって微かな笑みを返しました。
「それより彼奴が飛んでった向こう、良いものが見えるぞい」
「え?」
二人が半球状に抉れた砂丘の残骸を越えると、その見下ろす先には吹き飛んだアリジゴ君の頭──と更にその先に見えるものがありました。普段は死んだ魚のような助手の瞳が潤いを得たように輝きます。
「街じゃ」
博士の言う通りそこには街がありました。石造りのベージュの壁に囲まれ、そばには大河が流れ木々すら茂っています。細かくは把握出来ませんが、その囲いの中に確かに他の建造物や道、水路や畑、その他の人々やその営みが生み出しているであろう雑多なモザイク柄が確認出来ました。
「つ、ついた……やっとついた……」
助手はその場にへたり込むと、そのまま上半身も砂に倒して仰向けになります。
「あはは……!はぁ、やっとですね博士!ははっ」
「おいおい、気を抜くにはまだ早いぞい。じゃがここまで頑張ったなぁお互い!」
「ふふ!」
「はは!」
博士もその場に尻と手を突いて少し砂に体を預けました。見上げると太陽は頭上を通り過ぎて、少し傾いています。暫し無言で互いの健闘を讃え合う二人。焼け付くような日差しが、燦々と大地を照らし続けていました。
~つづく~
ヒロシとジョッシュの冒険 阿毛ダメダ @a_moudameda
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ヒロシとジョッシュの冒険の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます