第20話

・・・・・・

 二か月前のあの日の夜。ボクは暇だったので散歩をしていた。適当に商店街を通る。辺りは静かで、涼しかった。星空を見上げながら、歩を進めていた。 

 その時、悲鳴が聞こえた。ボクは何事かと、声がした方へ走った。

 着いたその場所で、一人の男性が蹲っていた。「どうかしたんですか?」とボクは恐る恐る尋ねてみると、男は死にそうなほどの擦れた声で、「助けて」とボクに言う。

 どういう状況か掴めなかった。男の上体を起こそうと背中に触れたとき、ヌメッとした何やら生暖かいものが手についた。薄暗くてよく見えなかったが、ボクはそれを血だと認識する。

 ボクは気が動転していた。男は何度もボクに「助けて」「助けて」と言う。急いで携帯で救急車を呼ぼうとしたが、ボクの手は止まった。

 この男の顔を思い出したのだ。最初、知らない男性かと思っていたが、実はそうでなかった。

 加藤博一。近所で噂が立っていた最低な奴。

 どうしてここで血だらけになっていたかは分からなかったが、ボクは自分が今どうするべきなのか迷った。

 こいつがやったことは知っている。でも、助けないと死んでしまう。

 男は何度も「助けて」という。ボクは怒りを覚えた。お前はその言葉を何回かけられたか分かっているのか。お前は救済の手を求める相手に苦しみを与えてきたじゃないか。

 ボクは困惑する。ボクはどうすればいいのか。こいつには怒りを覚えるが、恨みはない。だけど、このまま死ねば助かる人もいる。

 結果――ボクは逃げ出した。

 仕方ない、これは仕方がないんだ。と根拠不明な言い訳を自分に言い聞かせて、逃げ出した。

 翌日になってボクはあいつが死んだことを耳にする。

 ボクがやったことは正しかったのだろうか。誰か教えてほしかった。

 だけど、これだけは分かる。少なくともボクはあいつを見殺しにした。

 誰か教えてほしい。これは、罪なのかな?

・・・・・・



「ボクが至った結論としては、やはり……罪だった。あの家族のその後がどうなったか。聞いた時、もうそれがはっきりした」

「どうなったの?」

「どうやら……自殺してしまったらしい。ボクがよかれと思った行為が逆効果になってしまった」

「そう……死んでしまったのね」

 弥月は顔を伏せた。

「もしも春がその場で連絡をしていれば、助かっていたのかもしれないわね。だって、加藤博一はもう少し早ければ死なずに済んだのだから」

「……そうだね。……?」

「私が前に言った事を憶えている?」

「どれだい?」

「私は前に貴方の事を見たことがあると言った。あれはね、まさにそこで、だった。私はあそこで逃げていく貴方を見たの。だから……貴方がしたことを知っていた」

「そういえば、通報者は女性って……弥月の事だったのか」

「ええ。そうよ」

 ボクは息を吐いた。

「だから私はその事を気にせずに呑気に暮らしている貴方が嫌いだった。でも、そうではなかったようね」

 ボクは何も答えなかった。

「ボクはキミの口から聞きたい。キミは何を罪だと思っているの?」

「もう……いいわ。どうだって。どうせ、知ってしまっているのだから。話すわよ」

 弥月は顔を上げた。

「……愛よ」

 弥月はゆっくりと話し始めた。



・・・・・・

 私の最初の悲劇は七年前の、私が六歳の頃だったわ。アレはGWの初日の夜に起こった。あの事件から私の運命が激しく動き始めたの。

 私は両親を愛していたわ。それは今でも変わらない。それほどまでに大切な人だった。

 家の近くのファミレスへ外食をした帰りにそれが起こる。家族で仲良く歩いていた。そうすると、車道から車が私たちを目がけて走って来たわ。私は固まってしまっていた。金縛りにあったかのように動けなかったわ。そんな私をかばうように両親は私を突き飛ばし、目の前で車の下敷きになってしまった。


 即死よ。


 私は突然天涯孤独のみになったわ。まあ、そんなことはどうだっていい。愛しい父親と母親を同時に失った悲しみなんかに比べれば、とても些細なこと。

 私は両親の死を中々受け止めきれないまま、親戚に引き取られた。

 私は見知らぬ土地や面識の少なかった人と突然に過ごさなければならなかったわ。

 それは辛いものだったわ。愛着があった土地や知人と離れなければならなかったのだから。

 でも、住めば都というのかしら。案外すぐに新生活には慣れたわ。だけど、中々腑に落ちないことはあったわ。私は両親への想いが私の心を引きずらせていた。

 義父と義母には申し訳なかったけど、あまり好きじゃなかったわ。だけど、あの二人はそんな冷たい態度を取る私に対して、いつも優しく接してくれたわ。

 あの日の光景を夢に見て怯えてしまう時は一緒に眠ってくれたり、私が悩んだりしたら一緒に悩んで解決に導いてくれた。血のつながりのない私に、本当によくしてくれたわ。

 徐々に私の冷えた心は温かくなっていった。そうして、次第に打ち解けて好きになっていった。やがて私はあの人たちを愛するようになったのだ。


 引き取られて二年が経った頃。義父が病に倒れた。末期がんだったわ。もう手遅れで助からない。義父は入院し、私の元から離れてしまった。それから一年後に義父は死んでしまった。父親と母親のように愛した義父が亡くなってしまい私はまた泣く。

 その二か月後よ。義母が階段を踏み外して亡くなったのは。義母は義父の介護に疲れ、さらに葬式とかそういったことで疲労困憊していた。

 私はそんな義母を気遣う事が出来ずに、苦労をあの人に背負わせてしまっていた。私がもう少し手伝っていれば、そんな事は起こらなかったかもしれない。

 私はあの人たちを心の底から愛していた。嘘偽りなく純粋に、愛していた。本当の両親と遜色なく好きでいた。

 また……愛した人が私の傍からいなくなってしまった。

 私はまたショックを受ける。

 悲しみに暮れる私は、学校を休んだ。不登校になったわ。そこまで精神的に追い詰められていたのよ。

 その時に私が考えていたことは、あの人たちの事だった。

 どうして私が好きになった、愛した人が亡くなっていくのか、と。

 私にある疑念が浮かび上がる。ひょっとして……私が好きになったことが原因なのでは? と。実のところ、私と関わった人は死ぬまではいかないけどよく大きな怪我をしていた。仲が良い友達は一生残るだろう傷を作ることがあった。そんな私がこんな事を思わないわけがなかった。

 私が好きになった人、愛した人を傷つけてしまっている。

 疑い始めたらもう止まらない。その疑念の闇はどんどん深くなっていく。

 そんな私は次の人に引き取られたわ。それが彼女。私より十五も上の人。義父と義母の娘さん。私はその人と暮らすことに。

 あの人はちっぽけでぼろいアパートに住んでいたわ。私を引き取ってもそこを離れることはなかったわ。

 私はその人と暮らすこととなったわ。あの人は、本当に義父と義母に似ていたわ。人のいい所とか。そういった所が特に。

 私は新生活を始めるにあたってあることを決意していたわ。それは絶対に好きにならないこと。決して好意をよせてはならない。 

 そうすれば、あの人は傷つかずに済む。そう思っていた。

 だけど……もう、結果は分かっているわね? そう。三年も一緒に住むにあたって……その決意が揺らいでしまった。いわば、私は忘れてしまっていたわ。

 また……愛してしまっていた。

 でも、これといった事故は起こらなかったわ。それが私の決意を鈍らせてしまっていたのかもしれないわね。

 私が無様にも悲劇を忘れかけてしまっていた頃にその事件は起きたわ。去年の夏ごろね。よく憶えているわ。林間学校から帰って来たその日に、アレは起きた。

 殺人事件。そういえば、もう分かるわよね。アパートの中であの人は惨殺された。ナイフで何度も刺されていた。さらに、暴行を受けた痕もあったわ。部屋が荒れていないことから顔見知りによる犯行だという事が推測されたのだけど、その犯人は未だに逮捕されていないわ。



 私の何かがそこで切れた。

 私がバカみたいに、自分の決意を忘れ、あの人を愛してしまったから、あの人が死んでしまった。

 だから……。

 私はその日から決めたわ。誰も愛さないって。でも、この感情がある限り、それはあり得ないかもしれない。じゃあ、どうすれば簡単に感情を殺せて、他の人にも迷惑をかけずに済むか。そんなのは、決まっているわ。


 ――自殺よ。

 自分で自分を殺すという事はただの恐怖でしかない。人にとって死というのは畏怖の塊。だから私はその恐怖を自分にも味あわせる事にしたわ。だって、大切な人にその恐怖を味あわせてしまったのだから。

 それを私自身の手で……誰にも迷惑をかけずに自分自身に恐怖を与える。それこそが、私の罪に対する償い。

 私が初めてやった自殺はリストカットよ。

 だけど、失敗してしまったわ。

 その次に試してみたのは、入水自殺。

 でも、失敗してしまったわ。

 次に試したのは、首つり自殺。まあ、結果は言うまでもないわね。

 次々に失敗する私は焦ったわ。だって、早く私が死ななければ新たな被害者が出てきてしまう。

 でも……死ねない。

 私はどうしたらいいか悩んだわ。そうして、出た結論はアレだったわ。そう。感情を殺す事。そして、誰とも関わらない。まずそれさえ守れれば、誰も傷つけずに済む。

 それだけでは駄目だというのは重々理解しているわ。だから、あくまでも最終手段であり、本来の手段は自殺。それに変更はなかった。

 それからの私は自殺を繰り返した。面白い事ね、そんな奇行を繰り返せば、私に近寄ってくるものがいなくなった。

 貴方を除いてね。

 私は本当に迷惑だったわ。もう理由は言う必要もないだろうけど、言っておくわ。私は好意を抱く可能性がゼロではない限り、人と関わる事を避けたかった。

 私は貴方を傷つけたりや死なせてしまう可能性があった。だから貴方を私から遠ざけたかった。でも、貴方はそれを無視してくれた。

 やがて、私は貴方の事を思いだす。貴方があの加藤博一を殺した人であると。まあ、どうやらそうではなかったようだけど。それはさておき。

 私は罪を犯したのにもかかわらずに償わない貴方を軽蔑していた。私に無理やり絡んでくるしね。それもあって本当に嫌いだったわ。

 私は貴方に償うチャンスを上げようと思ったわ。でも、出来ない。そうしてしまうと、貴方を傷つけてしまうから。


 貴方は言ったわ。運命だって。


 私は……本当に意志が弱いようね。いけないとはわかっているのに意志がぐらつき始めたわ。

 だから……賭けたわ。貴方ともう一度会う事を望んでいたのは、本当は私なのかもしれないわね。僅かな希望に賭けたくなった。もし貴方が言うように偶然に出会えたのなら、私は最後のチャンスだと思ってその運命に賭けてみる事にしたわ。

私の存在が死神ではない、と。

 私は水面に石を放り投げ、その波紋がどのように広がるか、それを見届けたくなったの。

 そうして私は貴方と関わり……今に至るわけよ。

・・・・・・


 語り終えた弥月はもう、演技をやめていた。

 風がなびき、彼女の髪が流される。彼女は薄く笑っていた。

「だから……もう、これまでにしましょう? 私は、本当に貴方を殺しかねない」

 弥月は悲しそうに言うのだった。

 ボクは彼女を見て、静かに言う。

「やっぱり、弥月は優しいんだね。だからこそ、そうやって傷つく」

「いいのよ。そんなことは。だから……もう……」

「断る」

「……どうしてそんなことをいうの?」

「言っただろう? ボクは、キミに死んでもらいたくないって。そして、ボクはキミと共に生きていたい」

「結局何も分かっていないじゃないの」

「分かっていないのはキミだよ。いいかい。キミが死んでどうだっていうんだよ。ただの偶然が重なっただけで、キミが死んでも、死ぬ人は死んでしまう」

「酷い言い方よね」

「人は誰かが死んで、ようやく物事に気づくバカ者だ。人が積み重なり、自分という存在が築かれていくんだよ。もしキミが死んでしまったら、キミの土台になってくれた人はどうなる? ただの無意味な死にさせる気かい? ボクはしない。久井の死を無為にはさせない。ボクは彼女の為に生きて、そして苦しんで、罪を償う。それがボクの考えた贖罪だ!」

「生きる? 私が? ただ人を傷つけるしかない私が生きたって、また誰かを苦しめるしか出来ないのよ!」

「ああ。そうかもしれないね。でも、人はそうやって生きていくものじゃないのか? 傷つけ傷けられる。そうやって学んで強くなって生きていくんだ。それが……成長というものだ」


「……」


「ボクはそのまま死ぬことはただの逃げだと思っている。死ぬ苦しみは辛い? いいや。罪を意識して背負い続けて生きていき、償い方を考え続け苦しみもがく方がもっともっと辛いんだ。ボクはそう考える」

「でも……私が生きては……」

「大丈夫だ。ボクがいる。ボクが生きて証明してみせるよ。そうすれば弥月が余計な事を考えずに生きていける」

「でも……そうしたら、貴方は死んでしまうかも……」

「だから! 死なない!」

「根拠は?」

「それはない! だからこそ、それを今から証明するんだ。だれも先の事なんか分からない。ただ、そこに光があると信じて突き進むのみなんだよ。その光はまやかしかもしれないけれど、進まない限り、そのことにすら気づけない」

 弥月は膝から崩れた。そして、地面に手をついた。涙がポトリ、と地に落ち始める。

「だから……やり直そうよ。ボクと一緒に。そして、生きて償い続けよう? それでようやくボクたちは前に進める。成長が出来るんだ」

 ボクは弥月を抱きしめる。

「ボクはキミと一緒に、前を向いて業火の炎に焼かれたい」


 ――誕生した赤ん坊は、一人で母親の腕にぶら下がれるほどの強い腕力を持っている。だけど、そんな力を持っていても、一人で生きていけるとは限らない。誰かと共に生きねば、死んでしまう。


「うっ……うっ……」


 弥月から嗚咽が漏れる。そして、ボクの手を握りしめる。彼女のその力は手の骨が折れてしまいそうなほど強く、痛かった。

「辛かっただろうね。演技は……疲れるんだよ。ずっと、続くはずはない。いつかボロが出る」

 ボクは自分でも気づかぬうちに泣いていた。目がしらが熱くなる。ボロボロとみっともなく涙を流す。ボクと弥月は展望台で泣きわめく。


 ――赤子は初めて空気に触れて泣く。


 ボクは背後を見た。日は沈んでいた。そして、陽に照らされる月が新たに高く昇り始めていた。

 ボクたちは生まれ変わった。だけれども、前の自分がなくなったわけではない。ボクたちは前の自分で得た経験を活かして、これからを生きていく。途方もない旅路を歩いていく。


 ――日は沈んでも生きている。月が陽の恩恵を持って生きているのだから。

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日は沈み月が昇る 春夏秋冬 @H-HAL

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