第19話
夕方の展望台にて。
ボクはそこに一人でいる。ボクはここの場所が好きである。それは昔から変わらない。
展望台からは橋里町を一望出来る。沈みゆく太陽の光を全身に浴びるその美しい景観を黙って静かに見届けると、自然に心が安らぐ。ボクはここの風景がイイと再認識する。ここから見える橋里町は夕暮れ時しか見栄えのない儚い町だけれども、そんな儚い時間が濃密で、きっと心を暖かくするんだろう。そしてボクに心の安寧を与えてくれる。
「久しぶりね」
後ろから声がした。振り向くまでもない。ボクは「遅かったね」と町を眺めながら静かに言う。
「あの時以来ね。元気そうで何よりだわ」
弥月はボクの横に立つ。
「うん。怪我もよくなったし」
ボクは弥月の顔を見る。
「……」
深刻そうな顔をしている。だが、すぐに表情を無にする。
「キミとボクとが最初にあったこの場所で、キミはなんていったか憶えている?」
「いいえ」
「死ぬわよ。って言ってた。だけど、外れたね。この程度の怪我で済んだ」
「……。今回はこればかりで済んだだけよ」
「よかったよ」
「ねえ。これっきりにしましょう? 私たちがこれからも一緒にいる意味はないわよ。貴方の目的は果たされたのだから。もう、いいでしょ?」
「本当にそう思っている? ボクはまだ、目的を果たせていないよ。それに、キミの目的もね」
「いいえ」
「ううん。ボクにはまだ、やるべきことがあるんだ。それは、今やらなくてはならないこと。後悔をしないように、ね」
「どういうこと?」
「ボクは久井が差し伸べてくれた手を取らなかった。だからきっと、久井は浮かばれなかったんだ。ボクは久井に後悔させたまま死なせてしまった。ボクはせめてもの償いとして、犯人を捕まえようとした。少しでもあいつの心を浮かばせてあげるためにも」
「なら、終わりじゃないの?」
「だから、違うんだ。まだ、終わっていない。うん。半分だ」
ボクは頬を緩める。
「今度は、ボクが久井の番になるんだ。ボクが手をさし伸ばし、助けたい人の手を握りしめ、地の底に沈むその人をすくいあげる。それでこそ、目的が果たされるわけだ」
ボクは弥月に手を差し出した。弥月は「その手は?」と眉を潜めて言う。ボクは笑顔を絶やさずに手を差し出し続けた。
「ボクは、キミにこの手を取ってもらいたい。だって、キミはボクに手を差し伸べてくれた。今度はボクがやる番だ。そうしてボクは本当にキミを掴んでみせる」
「馬鹿馬鹿しいわ。別に私は困ってなどいないわ。きっと貴方の気の所為よ」
「あの時のボクも……気の所為だ、と言ってその手を取らなかった。そうして、ボクは後悔した。ボクは分かるよ。優しいキミだ。きっとこの手を取ってくれる」
弥月はボクを睨み付ける。体をプルプルと震わした。
「ずるいわよ。その手を取らないと、貴方は彼女のように、死んでしまう、というのでしょう?」
「ボクは死なないよ。根拠はないけど、でも、絶対と言い切る。だって……それが優しいキミの、望みであり、目的なんだから」
「……!」
「きっとキミは、今度こそと運命に一縷の望みを賭けたのだろう? 自分の身近な人が死なぬように、と」
「何を馬鹿なことを。そんなことを私が思うわけないでしょ?」
「キミの大好きだったお父さんとお母さんは、交通事故で亡くなってしまった」
「な……!」
弥月はたじろぐ。
「そして親戚に引き取られた。だが、その二人も死んでしまった。義父は病気で。義母は不慮の事故で」
「……うるさい……」
弥月は小さな声でボクの言葉を遮ろうとする。だが、その程度で止まるわけがない。
「次に預かってもらったのは親戚のお姉さん。その人も……」
「うるさい!」
パシン! 鋭い音が展望台に響いた。頬がジンジンする。弥月に叩かれた所がひりひりと痛んだ。
「演技の感情が崩れてきてるよ」
口の中を切ったようで鉄の味がした。ボクは血が混じったつばを地面に吐き捨てると、弥月を睨み付けるようにして見た。
弥月は顔を伏せ荒くなった息を整えようとしていた。
「……寛……さんね……あの人から、聞いたのね」
「ああ。だから、キミの過去の事は全部知っているよ」
「……」
「そして、ボクはある仮説に辿り着いた。キミがなぜ、自殺を始めたのか。そして、感情を失くしたような演技をするようになったか」
「演技……ですって?」
「ああ。ボクはキミに、抱いていた疑問があった。なぜキミには死がないのか。そしてその死がキミの周りをウロウロするだけなのか、と。それは、キミが死んだフリをしていただけに過ぎなかったんだ」
ボクは語り始める。
「キミは今までの経験を得て、感情を失わせることが正しいと考えた。そうすれば他人は傷つかないし、何よりも、自分も傷つかずに済み、楽だから。そうしてキミは何もかもを捨てようと自殺を始めた。感情を殺し、自分の魂をも殺す。だからキミは死ねないというペナルティを受けたんだ。なぜなら? それは逃げにしか過ぎないのだから」
「貴方に何が分かるの? 私の何がわかるの? 私は逃げてなんかいない。逃げているのは、私じゃなくて貴方よ」
「ああ。そうだ。ボクも逃げていた。ボクはある罪を犯したんだ。だけどそれを罪と認めたくないから、逃げ続けた。だから、ボクもペナルティを受けた。感情を失った」
「……だけど、私と会って、そんなの消し飛んだじゃないの」
「いいや。アレは、勘違いだった。加野が言っていたようなことだよ。どうやらキミに惹かれるのは、自分の罪を認めない者らしい。まさしく、キミと同じ部類の人間だ。そういう人たちが、キミにシンパシーを感じるんだ」
「私は……自分の罪を認めているわ」
「だけどさ、その罪が何なのか、勘違いしていたとしたら? それだったら認めているとは言えないよね」
「暴論! 何度も言うけど、私は正しいの。あの人たちを殺してしまったから、その罪の償いをしようと自殺をしたのよ」
「なるほど。やはり……そういう感じか」
弥月はハッとした。余計な事を喋ってしまったと後悔していた。まるで苦虫を噛み潰したような苦い顔だった。
「そう。キミは……彼らを自分が殺したと思っている。そしてそれが自分の罪だと勘違いしている。ボクが思うに、キミの罪はその人たちの分まで生きるという事を放棄しようとする所にある」
「勝手なことばかり言わないでよ。私が死ねば、他のみんなは幸せになれるのよ。それのなにがいけないの? 私がいなかったら、あの人たちはもっと生きていられた」
「だから、違うだろうに。キミが前に言った「私の死は未来へ繋ぐ希望」は、キミが今言った言葉その通りだろうけど。そういう事じゃない。死んでいてもいいと思っていたボクは、死んでしまった久井のために、生きようとした。それと同じで、キミも彼らの分まで生きねば……ならないんだ」
「だから……! そうしてしまうと他の人が……」
「だから、ボクに賭けてみたんだろ? ボクが死なないかどうか。最後の賭けをした。どうだ? ボクはまだ生きているよ」
弥月は唇を震わした。
「これからまた危険な目に合うかもしれないが、ボクは絶対に……死なないさ」
ボクは弥月と目線を交わらせる。
「助けられる人は助ける。決して見捨てずに、救う。それがボクに出来るせめてもの償いだ」
弥月は一歩下がった。そして深呼吸する。
「貴方は……貴方の罪が分かっているの?」
ボクは静かに頷いた。
「懺悔しよう。ボクはあの日にある過ちを犯した」
ボクはあの日の出来事を語り始めた。
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