指先を噛んで
硝水
第1話
林檎にとって赤は要らない波長なんだって、と彼女は言った。真白な光を浴びて、そのほとんどを吸収して、跳ね返す赤色だけが私たちには見えていて、でもそれって林檎にとって塵みたいなもの?ごみを纏った状態でしか対象を見られないということ?
「人間も一緒じゃないの」
イライラしていたくないから怒る。悲しんでいたくないから泣く。誰にも渡しくない幸せを噛み締める。彼女の肌は薄暗がりでぼうっとひかりを放っているようで、ああそれって彼女は要らないんだ。彼女が全身で跳ね返した光線を余すことなく吸い取ってしまう。要らないなら貰ってしまおう、と、昔から端数のお菓子を遠慮なく掻っ攫っていくような子供だった。
「愛しているんだけど、」
何を、と彼女は紫煙を吐き出しながら微笑む。愛煙家のくせに、その歯はひどく白くて。雪が降っている。午前二時の窓際はひりつく冷気が漂う、昼寝から起きたばかりの瞼の裏みたいに明るい。
「ええと、ルイのことをね、でも、それって私、愛が要らないのかなって」
文脈的には……ああでも、反射と吸収だから、内から生まれる感情は、あれ?
「ふーん」
彼女は鳥肌ひとつ立てないでもこもこのルームウェアに包んだ脚を組み替える。私が混乱しているのも心底どうでもよさそうだった。青箱をとんとんと叩く。
「要らないならくれてもいいけど」
「でもどうなのかな、本当に要らないのかな、もしかして何かに使えたりしないかな」
「だぁからあんたの家はゴミ屋敷なのよ」
彼女は一回来たきり、私の家に来ようとしない。だからこうして広くて、なんにもない彼女の家に入り浸っていた。窓が大きくて、夏は暑くて、冬は寒い、おおよそ過ごしやすいとは言えない、でも美しい部屋だった。彼女ってほんとうに生きているのかな、と時々おもう。
「生きてる?」
「死んでるように見える?」
「死んではなさそうだけど、でも、生きてるという感じがしない」
「酷い子」
手の甲は袖ですっぽり覆っているくせに、豊かな胸の谷間は隠そうともしない。青紫に変色した爪の私よりずっと冷たいのに。
「ルイは美しすぎるから」
「作り物だとしても?」
「作り物だからだよ」
「そんなこと言うのはあんただけ」
新しい煙草に火を点ける。彼女のライターは初めて会った日に、私があげたというか、借りパクされた品で。別に要らなかったからいいんだけど。ああそうか。
「私、ルイにあげる。そういうことなら捨てられるのかも」
「うちもゴミ屋敷にする気?」
「しません」
切長の目がきゅっと三日月を描く。
「じゃああたしを汚して、あんたの要らない愛を捨てて」
ふっと、真赤な唇の隙間から溢れた煙が目に染みる。うわぁ、映画みたいだなぁ。と他人事のように思っていた。目に刺さらないぎりぎりでばさっと、切り揃えられた前髪がさらさらと流れる。角度を変えるたび瞳の奥できらきらと反射して、光ばかりが行き来する。
「ぜんぶ返してあげる」
彼女が反射した愛はきっと、私が余さず取り込んでしまうんだろうなとおもう。彼女は要らないんだ。でも、私の愛なんか要らない彼女は私を、愛してくれると言うのだから。恒星だって惑星だって衛星だっておんなじように遠くからは、どうせ光ってみえるのだ。
「その前に煙草買ってきて」
「やだよぅ」
時刻も憚らずに笑う声はすこし枯れていて、そこだけがなんとなく、同じ世界に繋ぎ止めていてくれるような気がして。彼女の喉が潤うことがありませんように。世界で一番の我儘をのせて、私たちは愛を循環する。
指先を噛んで 硝水 @yata3desu
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