強くてニューゲーム

美由紀

強くてニューゲーム

「なあ、おい、聞いてくれよ、おい、そこの兄ちゃん、話を聞いてくれ」

 バス停でバスを待っていると十歳になるかならないかぐらいの少年が私に話しかけてきた。

 冬場だというのに首元がよれよれのシャツ一枚と半ズボンで、やけにあざや傷が浮かび、熱湯でもかかったのだろうか、やけどの傷が痛々しい。

 それになんというか、その、獣臭とも、アンモニア臭ともとれる風呂に入っていない特有のにおいがする。

 虐待でもされているのだろうか、面倒なガキに絡まれた。

 私は今後を考えて読んでいた本に再び、目を落とした。

「なあ、お兄ちゃん、俺はそう、人生をもう一度やり直してこうなったんだ」

 興味深いことを少年は語り始めた。

 ちょうど私にとってはタイムリーな話題だ、気味が悪いぐらいに。

「変な話だろう? 出来の悪いアニメやSFの類じゃないが、そう。大人の知能のまま、人生をやり直せたらそれこそバラ色の人生、酒池肉林が成し遂げると思ったんだ」

 そう少年は私が怪訝そうな顔をしているのにもかかわらず語り始めた。

「俺は子供のころから頭がよかったが、親が貧乏でいい高校に入学できたのに大学に行けなかった。高校をでたあとは地元の仲間たちと年寄りどもから振り込み詐欺で金をだまし取っていたんだが、まだ今みたいにテレビで警鐘が鳴らされる前だから、それはもうたんまりと稼げた」

 あまりにも唐突な話で不審に思い私は話を遮り、その卒業したという高校名を聞いた。

――ここらへんにはない地方の進学校で念のために教師の名前も聞き検索したところ、その教師もどうやら実在する。

 ガキがこうした話を急にし始めて私をからかうにしては何というか、おかしい話である。

「へへ、兄ちゃん。話をちゃんと聞く気になったな。話に信頼性があるだろう? なんせ実話だからな。そうだ、そう。詐欺ではクソみたいに金は稼げたが簡単に使えない。車やら家やら急に買えば足が付く。事務所や飛ばしの携帯の斡旋なんかでヤクザとのかかわりがあったからやつらにもいくらか金を納めなければならない。後輩が納めるはずの金を持ってトンだ時なんかはヤクザじゃないのに指を詰めさせられた……あれ、スプレーかけて麻痺させようがえらい痛いんだぞ」

 少年の顔をしているのに話す内容は実話系のルポのインタヴューみたいであり、私の脳は異様なバグでも起こしそうであった。

 話を戻すように促す。

「ああ、話が脱線した。話を戻そう。それでだ、兄ちゃん。俺はそんなクソみたいな毎日にそう、ひどく疲れていたんだよ。正直言って、人をだまして金をとるなんて、まともな人間ができる仕事じゃない。老後の資金をだまし取った老夫婦が一家心中したなんて聞いたときは心が痛んだ。使っていた地元の後輩は俺ほど頭がよくないから目先のことしか考えず、ヤクザは任侠なんててんでないゴキブリみたいな屑共ばっかりだった。毎日毎日ろくでもないことばかりして頭がおかしくなりそうだったんだ」

 語る語る。

 立て板に水とはこのことだろうか、子供の声で子供とは思えない内容を離す異様な空間。

 バスはあとどれぐらいで来るのだろうか、腕時計を見るがまだ時間がかかりそうだ。

「三十を過ぎて人生を考えるとやり直したくて仕方なかった。親が兎に角金を稼げ、どんな仕事でもいいからすぐに働けと言うのを無視して大学に行けば、こんな畜生みたいな悪いことをせずにオフィスで働くお洒落なドラマに出てくるようなサラリーマンになれたんじゃないかとか、詐欺で金なんて稼ごうとせずに馬鹿な後輩でもうまく使って店の経営でもすればよかったんじゃないかとか、あの時ヤクザにかかわらなければよかったんじゃないかとか、後悔後悔、選択肢を誤った苦痛にさいなまれた毎日だった」

 その気持ちは私も痛いほどわかった。

 この男と同じ、いや、私のほうが神童と言われ誰が聞いても知っているような大学に進んだ訳であるのだから。

 だが、二十を過ぎれば神童もただの人である。

 私より全くもって優れない、ちょっと口先だけ上手い同期が最大手に就職する中、連中より資格も技能も持った私が中堅どころのちんけな会社にしか就職できず、上司は私より学歴が低い無能でそんなやつの指示に従い、日々苦痛と屈辱を覚えながら生きてきた。

 痛いほど気持ちはわかる、今も後悔し、選択肢をいくつも誤った気がする。

 だからそう、私も人生をやり直す機会には非常に恋い焦がれた。

「兄ちゃんも俺と同類だろ? 目を見ればわかる。俺は仕事柄な、色々なやつを見てきたが、周りを見下しているが自分が見下されている立場。辛いよな、苦しいよな、悲しいよな、こんな人生をやめたくなるよな……」

 後半は自分に言い聞かせているのだろうか、誰に聞かせるのでもなく声が小さくなった。

「でだ、そんな俺にも転機が訪れた。ある日、事務所で一人で仕事しているとな、奇妙な男が表れた。見た目はそうだな……確か、黒い背広に中折れ帽を被り、気どったポケットチーフがやけに目につく当時の俺と同い年ぐらいの男だった。セキュリティは万全、部外者が簡単に入る事なんてできない場所に入ってきたので強盗、タタキの類かと思って慌てて身構えたが、男は張り付けたような笑顔で『人生をやり直しませんか?』なんて言ってきたんだ」

 私はそれを聞いて、頭から指先までの血管に氷をぶち込まれたかのような感覚がした。

 震えそうなのを我慢し、少年の話を聞き続けた。

「は? と思ったわけよ、急に現れたそいつが人生をやり直す? ふざけたことを言うなと思ったわけだ。だが、突然幽霊みたいに現れたそいつに動揺して言葉も出なかったんだが、するとこちらの心を見透かしたように『なら、今後の人生どうなるかご覧になりますか?』なんて言って、俺の頭に手をかざしてきたんだ」

 手が震え、持っていた本を落としてしまった。

 なんだ、なんなんだ、このガキは。

 人生をやり直して――いるのか。

 なぜそれを私に語る、なぜだ。

「――地獄だった。仕事で失敗した俺はヤクザに死ぬ寸前まで切り刻まれた後に病院の前に投げ込まれ、そのまま警察に逮捕されて十年以上刑務所。そのあとはゴミみたいなアパートで障碍者手当で細々と生きながら最後は孤独死、腐ってどろどろになって大家に数週間後に発見される……最悪の結末だろ? 何のために生まれて生きていたのかわからんが、そいつが言うにはこのまま生きていればこうなるというんだよ。恥ずかしいが、すべて明確なあり得る未来過ぎて怖くて失禁しちまった」

 動揺を抑えようと私は煙草を吸おうと思い、取り出したそれを咥えようとしたが手が震え地面にへと落としてしまった。

 少年はそんな私の動揺を気にもしない。

 使命感にかられたかのように言葉の流れは止まらなかった。

「それでその男は笑顔で『契約してくれれば、この人生からは逃れられますよ』と言ってきた。どうやら話を聞くと、なんと今の知識を持ちながら赤ん坊からやり直せる、そんな魅力的な提案をしてきた。正直、俺の頭が狂ってしまったのかもしれないと思ったが、蜘蛛の糸を垂らされたような気分だった。なんせその当時は親ガチャなんて言われていた時代だ。俺も親がかわって今まで積み重ねた知識を持ち込めれば人生を、華やかな人生を手に入れられると思ったわけだ」

 完全に興奮しているのだろう、口から泡を飛ばし、まくしたてるように私に語り掛ける。

「その男は、長々とあくびが出るような説明をした後、これまた、辞書みたいに厚い内容の契約書にサインさせた後に、三つの条件を提示しろと言ってきた。生まれ変わる先の条件だ。だから俺は『日本』で『金持ちの家』に『男』として生まれるそう言ったんだ――それがこのありさまだ、このありさま! 悪夢だ、こんなことってあるか! 何で俺がこんな目に!!」

 決壊したダムのように感情の濁流を突如ぶつけてきた。

 興奮しきっているのだろう、涙を流しヒトラーの演説のように身振り手振りをする。

 それをなだめ、私は続けて話を聞いた。

「俺は……俺は、それを提示した直後、事務所に乗り込んできた暴漢に襲われて一瞬で殺された。で、次に意識が戻ったら、赤ん坊になっていた……赤ん坊の間は夢を見ていたかのようにすぐに過ぎ去り、気が付けばそう、五歳ぐらいになっていたんだ。それで親のパソコンを使って調べたら、俺が殺されてから五年以上経過していた。生まれ変わったんだ――地獄に」

 そう言うと少年は頭を抱えた。

 そのくちゃくちゃの紙のように歪んだ顔は疲れた中年のようにも見えた。

「生まれ変わった先は、地獄だった。金持ちの両親さえいれば順風満帆な生活を送れるかと思ったがそうじゃなかった。俺の元の両親ぐらいかそれ以上のくそ野郎で、子供離れした俺の頭脳を不気味に思い、毎日酷い暴力を振るいやがった。だから、ぶっ殺してやろうかと思って、包丁で刺し殺してやろうかと思ったり、放火でもしてやろうかと思ったが、なにか遮られたかのようにうまくいかない。不思議な運命が働いているかのようなんだ」

 それでこのなりなのか、納得がいく。

 しかし、すぐに殺そうとするのは物騒な話だ、だが、相手が油断していれば子供でも包丁さえあれば大人を殺せるはずだ、しかも元は犯罪者でこんな知能を持ち合わせているやつだ。

 それが何回も失敗する――異常だ。

「殺されそうになったことに気が付かれたあいつらは更に手ひどい目にあわせるようになった。悪霊が付いていると思ったのか怪しい除霊師を呼んで拷問みたいな除霊もされた。だが、俺は悪霊じゃない、この体は俺の物だから離れられないんだ。だから奴らは俺を鍵の付いた座敷牢のような部屋に軟禁した。だから酷い身なりだろう?」

 自嘲するように少年は笑った。

 その笑みは上司の前で浮かべる道化師のような笑みにも似ていた。

「自殺も考えた。やり直してもこんな目に合うのであれば、死んでしまって輪廻転生をしたほうがましだ――そう思いロープで首をくくろうとしたがその時、あ、あの、あの男、あの――道化悪魔が現れたんだ!」

 今度は顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべ、手を握り怒りをあらわにして叫ぶ。

「あいつはあの時の張り付けたような笑みを浮かべ『自殺したら生まれ変われずにずっと地獄で苦しみますよ』そういって俺に地獄での苦しみを一瞬体験させてきやがった。想像を絶する苦痛だった、どういう目にあったかは覚えてはいないが耐えがたい苦痛、今の現状が天国に思えるようなものだった。だから自殺はできない、死ねないんだ……」

 私は少年にその男が現れた時、抗議しなかったのかと聞いた。

「もちろんしたさ! するに決まってんだろ! だがやつはけんもほろろでな……俺をあざ笑い『生まれ変わりの条件に良い親の元に生まれ幸せな人生を送る』とは契約していないと言ってきた」

 契約! そうだ、契約と言えば悪魔だ。

 弱っている人間をたぶらかし、地獄へといざなう。

 それがこの少年であり――私でもある。

「じゃあ、俺はそう望めば幸せな人生だったのかと聞けば、幸せな人生は数年で終わる場合もあるなんてほざきやがる! そうだ、ヤツとの取引に乗った時点で地獄行きは確定していたんだ。――兄ちゃんもしてしまっただろう?」

 そうだ、私もその男の容姿に覚えがある。

 いくらか横領したのや同僚におしつけて自殺に追い込んだ不正が明るみに出そうになってどうしようもなくなり、私が職場で首を吊ろうとしているときにその男は現れて――『人生をやり直しませんか?』と言ってきた。

 その魅惑的な提案、ハチミツのように甘美な未来であるとおもったが、まさかこんな落とし穴が――。

「ああ、ほら、今兄ちゃんの横にヤツが現れた。このろくでもない男が」

 横を振り向くと今までいなかったのに霧のように突如合わられた。

 散々述べたように張り付けたような笑みを浮かべながら、帽子を取り軽く会釈してくる。

「こんにちは、生まれ変わるには良い日ですね」

 そう白々しくよく通る声で言ってきたのである。

「てめえ、今すぐ俺をどうにかしろ! ふざけるな、こんな、こんなことがあってたまるか! 悪魔め!」

 少年は子供とは思えない剣幕で男につかみかかった。

 だが、動じる様子もなく

「事前に説明した通り、記憶を持って転生した人生は天寿を全うしない限り、生まれ変われないと述べたはずです。だから、貴方は寿命で死ぬか、他者に殺されるかしないと生まれ変われません。そうそう、罪を犯したのを悔いていましたから、サービスで今生では重度な犯罪は置かせないようにしておきました」

 淡々と男は語る。

 それを聞き、少年はつかみかかった手を放し、その場に崩れ落ちた。

「今すぐ、この、この苦しい人生から解放されるには、誰かに殺されるしかない……?」

「そうなりますね。ですが、簡単に殺されるかというとわたくしめにもわかりかねますね。なんせ、因果というものはめぐってきますから」

 涼しい顔で男はそう言う。

 少年は初めて年相応に泣きそうな表情をし、男にすがった。

「おい、助けてくれ助けてくれよ……! 何で俺がこんな目に今すぐどうにかしてくれ、何を差し出せば助けてくれる!? 何を出せばいい、助けてくれよぉ……」

 そう縋り付く少年を男は相変わらず張り付けたような笑みで眺めていた。

「――おい、そこにいたのか! 帰るぞ!!」

 突然、身なりのいい会社経営者風の男が現れた。

 そして、少年の腕を引っ張り連れて行こうとする。

 これが例の話に出ていた、転生した先の父親なのだろう。

 少年は引っ張られながらも、こちらを向き

「おい、助けてくれ! この人生から救ってくれよ! あんたならできるだろ! おい!! ああ、だめだ……兄ちゃん、地獄へようこそ!! あはは!」

 最後は狂ったように笑い、引きずられて外車に押し込まれて何処かへと去って行った。

 私は男のほうに振り向いた。

「契約解除はできませんよ」

 私がなにかを話す前に男は切り出した。

 思考を呼んでいるかのようであった。

 私も先ほどの少年と同じように泣きそうだ、なんせ、出した条件が先ほどの少年とほぼほぼ同じ条件だったのだ。

 つまり、あの少年は私の未来である。

――地獄が待っている。

「残念ですが、因果はめぐってきます。貴方が周りのことを考えて善い行いをすればそれはいつか巡ってきますし、逆に悪い行いをすればそれもまた、巡ってくる。次の記憶を持ってやり直す人生はある種、今世の総決算のようなものになるはずです」

 すがりつき、嗚咽を漏らしながら、命乞いをした。

 助けてくれ、そんな未来は嫌だ。

 だが、今生きていても破滅は見えている、八方ふさがりだ、ならばと、ペンケースに入ったカッターを取り出し、首へと突き立てようとした。

 だが、なにか不思議な力が働いたのか刃が折れて首に刺さらなかった。

「自殺はできませんよ。すでにあなたが死ぬのは決まっていますので。人はいつか死ぬ、だが今じゃないってやつですよ」

 男はそう、私の行動を嘲笑するかのように告げた。

 もうどうしようもない、心の底から冷えたかのように暗い、身を包むような絶望感に全身が浸されていく。

 バスが来た。

 男が先に乗り、私も続いて乗る。

 後ろの座席に並んで座り、発車し移り変わる窓の外の景色を眺める。

 この身体での人生はこれで終わり。

 これからやってくる地獄にどう対処すればいいのであろうか、私は横から急に飛び出してこちらに向かってきた車を眺めながら、意識が途切れるまで思案するのであった。

                                      【完】

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