第37話 愛情
夜道を三人で歩きながら、俺は改めて安城さんにお礼した。
彼女がいなかったらどうなっていたことか。
恐縮する安城さんと、ぶーぶーと不平不満を零す奈々。
左手の怪我を忘れてしまいそうなほど愉快な時間が流れる。
そんなときだった。
ふと、何かを思いついたように安城さんがおずおずと口を開く。
「あの……もしよかったら、なんですけど」
「ん?」
彼女の声に俺は振り返る。
安城さんは俺と奈々の一歩後ろについている。
肩越しに彼女を見ると、なぜかパッと目を逸らされてしまった。
不思議に思いながら彼女の言葉を待っていると、やがて躊躇いがちに切り出される。
「その……透さんの怪我が治るまで、私がお世話、してもいいですか?」
「へ?」
「こ、これからしばらく自転車に乗れないわけですし、荷物が多いときとか、通学大変だと思いますっ。それに、今日みたいにお夕飯の準備とか、お掃除とか手伝えますしっ。あとあと、お昼ご飯も、ママに言えば――」
「安城さん、落ち着いて」
「……ぁ、ご、ごめんなさい」
早口で捲し立てる安城さんを、立ち止まって宥める。
すると彼女は申し訳なさそうに俯いた。
まるで女の子を虐めているようなその構図に俺も狼狽えてしまう。
すると、隣から助け船が出された。
「要するにあーちゃんは、おにぃの怪我にかこつけてイチャイチャしたいんでしょ?」
……助け船ではなかったかもしれない。
「おい、奈々。そんな言い方、安城さんに失礼だろ。ごめんな、うちの妹が」
「い、いえ……その、透さんとイチャイチャ、したくないわけでは、ないですから」
「そ、そっか」
「は、はい」
周囲の街灯の頼りない明かりでわかるほど顔を赤くして、安城さんが上目がちに言う。
泥船を出してきた奈々が「あ、おにぃ照れてる。もう付き合っちゃいなよ~」などとヤジを飛ばしてきたので、軽く脇腹を小突いた。
そんなやり取りをしているうちに、安城さんは体の前でパタパタと両手を振る。
「で、でも、透さんの力になりたいというのは本当でっ」
「わかってるよ」
下校の時に俺の鞄を持とうとした時みたいに、純粋に俺のことを心配しての提案だろう。
正直助かる。
この半日で奈々が家のことをすべて担うことになった時の危険性をまざまざと見せつけられた。
俺だけの問題ならまだいいが、奈々がまともな生活を送れるかも怪しくなってくると話は変わってくる。
「いいんじゃない? おにぃ、二週間ぐらいで治るんでしょ? それまであーちゃんがうちに泊まってくれるならあたしも楽しいし」
「へ? 泊まる?」
奈々の言葉に目を丸くする。
すると、奈々もまたこてんと小首を傾げた。
「え? 今のってそういう話じゃなかったの?」
「! そ、そういう話だよっ!」
「うおっ、びっくりした」
奈々の言葉に安城さんがずずいと身を乗り出してくる。
その反応はどう見てもそういう話ではなかったようだが……。
しかしまあ、色々と手伝ってもらうなら泊まってもらった方がいいのか?
道の端で立ち止まり、うんうんと悩む俺。
そんな俺を、二人のキラキラとした視線が貫く。
「……じゃあ、俺の手が治るまでお願いしようかな。色々と面倒をかけると思うけど」
「は、はい!」
「あ、でももちろん、ご両親の許可がとれたらってことで。俺も父さんに確認してみるし」
「わかりましたっ」
まだ許可を貰っていないのに、安城さんはすっかり楽しそうな笑顔で大きく頷いた。
◆ ◆ ◆
「愛だねぇ~」
「……からかうなよ」
安城さんを無事家まで送り届け、俺は奈々と二人で自宅へ帰っていた。
歩きながら奈々がニマニマとした表情で覗き込んでくる。
「これってあれでしょ? 通い妻、ってやつ? きゃー、生徒会役員が不純異性交遊だぁ~!」
「だからそういう言い方はやめろって。安城さんは俺のことを気遣ってだな――」
「それだけじゃないって、おにぃ、わかってるでしょ?」
「っ」
「確かにあーちゃんはおにぃの怪我のこと、心配してるよ? だから力になれるようにって話なのもわかる。でもさ、あーちゃんも言ってたじゃん。イチャイチャしたくないわけじゃないって」
「……ああ」
いつになく鋭い指摘に俺は口を閉ざす。
ただの友だちの兄の怪我に、泊まり込みで面倒を見ようとしないことなんてわかってる。
俺が言葉を返せずにいると、奈々は一歩前へ出た。
そうしてくるりとこちらを振り返る。
「ね、もう付き合っちゃえばいいじゃん。もうあーちゃんのこと、妹のようには見てないんでしょ? あーちゃん、可愛いじゃん。いい子だし、何よりおにぃのこと大好きだし。これ以上何を望むのよ」
「望むとか望まないとかじゃなくてだな……」
奈々の言っていることはたぶん正しい。
安城さんが恋人になったら、間違いなく幸せな気がする。
それは彼女が良い子で、俺のことが好きで――だから付き合うのか?
そういう相手だったら、俺は誰でもいいのか?
そんな面倒なことを考えてしまうのだ。
俺が煮え切らない態度を取っていると、奈々はこれ見よがしに大きなため息を零す。
「おにぃが何を悩んでるのか大体想像できるけどさー、そんなの、付き合ってみたらわかることじゃんか。世の中のカップル全員が付き合ってそのままゴールインしてるわけじゃないんだし」
「それぐらいわかってるって」
「わかってたらあーちゃんと付き合ってるよ」
ジッと、奈々の瞳が俺を射貫く。
その瞳の奥底には苛立ちのようなものが見え隠れした。
「……お前、何をそんなに焦ってるんだ」
「え?」
「前は『これからってことだ』って言って、応援してくれたじゃないか」
「っ、それはほら、いつまでもだらしないおにぃの背中を押してあげようという、妹なりの愛情表現ってやつ?」
どこか誤魔化すようにいいながら、奈々は再び歩き出した。
俺も慌ててその後ろを追う。
「大体、家のことはすべて任せてなんて言ってたのに、安城さんにお願いしてよかったのか? てっきりお前のことだから、『大丈夫! あたしがいるから大丈夫!』って言うもんだと」
「流石のあたしも自分の家事スキルの低さを痛感したの」
「お前にも謙虚さってものがあったんだな」
「馬鹿にしてる?!」
ふんがぁっとかみつくような勢いで睨んできた。
しかし俺としてはやはり意外だ。
こういうときの奈々は逆にムキになりそうなものだが。
「……だってさ」
これが成長ってやつなのか。
そんなことを考えていると、奈々がぽつりと呟く。
「今日一日、おにぃにいっぱい迷惑かけちゃったじゃん。……別にあたし、本当は家事とかしたくないし、ずっとぐうたらしてたいもん。できるならおにぃの脛をかじって生きていきたい」
「兄として妹からそんな言葉は聞きたくなかったな」
「でもそれ以上に今回はおにぃの力になりたくて、だから色々とやってみたけど、全部ダメで。……おにぃに迷惑かけるぐらいなら、あーちゃんに任せた方がいいかなって」
いつぞやの夜みたいに、弱々しい声。
奈々は奈々で、色々と思うところがあったらしい。
俺はそんな奈々の頭に、怪我をしていない右手を乗せてくしゃくしゃと撫で回す。
「な、なにっ」
「確かにキッチンは散らかすわ洗濯済みのタオルを洗濯するわ、湯の栓は閉めないわで散々だったけど、カレーは美味しかったぞ」
「……なにそれ、褒めてるつもり?」
「つもりもなにも盛大に褒めてるって。偉い偉い」
「うがーっ、子ども扱いして!」
暴れ出す奈々。
しかし怪我の一件があるからか、その抵抗はいつもよりは弱く、結果として俺の手を振りほどけはしなかった。
「ていうかあのカレー、あーちゃんがほとんど準備してくれたし……」
「ならあれだ、妹からの愛情のスパイスが美味かったな」
「なにそれ、てきとーすぎ」
ふんっと鼻を鳴らす奈々。
しかしその足取りは少しだけ嬉しそうだった。
百合に挟まりたくない俺は全力で妹の友だちから距離を取る。え? 好きなのは妹じゃなくて俺?! 戸津 秋太 @totsuakita
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