国中大騒動

 大内裏の朝堂院大極殿前広場は詰めかけた多くの国民であふれ返っていました。これから皇帝陛下臨席の下、記者会見が行われるのです。


「まさかこのようなことになろうとは」


 騒然とする民衆を見下ろしながら関白は苦々しくつぶやきました。これほどまでに読みが外れたのは関白にとって初めての経験でした。一年前、御前定の場でブヒ姫が見せた余裕綽綽しゃくしゃくな態度はただの空威張りではなかったのです。

 最初にブヒ姫に課せられたのは教養を身につけることでした。


「今日から和歌と漢詩を学んでいただきます。万葉集、古今和歌集、白氏文集、全て覚えてください」

「お安い御用じゃ」


 その言葉に嘘偽りはありませんでした。ブヒ姫はたった半月で全て暗記してしまったのです。


そらんじるだけでは意味がありません。手習いもまた重要です」

「任せよ」


 ブヒ姫は大変な能書家でした。力強い楷書、流れるような仮名文字。三筆もかくやと思われる達筆ぶりに誰もが舌を巻きました。


「雅楽の心得は必要不可欠です」

「わかっておる」


 ブヒ姫の音楽的才能は目を見張るほど素晴らしいものでした。箏や琵琶だけでなく笛、笙、鼓などにも精通し、左手で琵琶を弾きながら右手で口に咥えた笛を吹き、さらには尻尾で鼓を叩くという一人三役の演奏までも可能だったのです。


「せっかく教養を身につけても発揮できねば意味がありません。宮中の全ての行事に参加してください」

「望むところじゃ」


 ブヒ姫の立ち居振る舞いは完璧でした。節会、除目、歌会、曲水宴、様々な祭。まるで生来の貴族の如き自然で優美な姿を見せられ、居並ぶ公卿たちも考えを改めざるを得ませんでした。


「まさか白豚族の娘がこれほど優秀だったとは。口惜しいが認めるしかあるまい」


 約束の一年を待たずにブヒ姫の婚約が正式に認められました。そして亥の月亥の日に開催される白豚料理祭に合わせて結婚の儀を執り行うことが決定されたのです。


「号外、号外!」


 直ちに帝国の報道機関がこのニュースを報じました。国民は腰を抜かさんばかりに驚きました。何回縁談しても断られ続け、これはもう一生独身かと思っていた皇帝の相手が見つかっただけでも驚きだったのですが、さらに驚愕したのはその相手が生贄として献上された白豚族の娘だったことです。国民の大多数が反対の声を上げました。


「次の妃が雌豚だと。冗談じゃない」

「皇帝はだまされているのよ。早く目を覚まして」

「ふざけるな。豚は食うもんで敬うもんじゃない」

「オレたちの税金で豚を養うなんてトンでもないぞ」

「今すぐ破談にしろ。しないのなら税金は払わん」


 国民の不満は収まりません。困り果てた公卿たちは皇帝陛下臨席の下で記者会見を開くことにしました。皇帝から直々にお言葉を賜れば国民も納得するだろうと考えたのです。

 こんなわけで大極殿前広場には報道機関を始め大勢の国民が詰めかけることになったのでした。


「皇帝陛下の御成なり~」


 大極殿高御座たかみくらに皇帝とブヒ姫が着座しました。帳が降りているので顔は見えません。


「おお!」


 広場は一瞬水を打ったように静まりました。しかしそれは本当に一瞬でした。一年前の公卿たちと同じように国民たちも一斉に怒鳴り始めました。「考え直せ」「税金泥棒」「目を覚ませ」それはもう酷いものです。


「みんなあ~、聞いてえ~」


 皇帝は声を張り上げました。拡声器を使用しているので皇帝の声は朱雀門の外に押し出されている群衆にもよく聞こえます。


「ブヒ姫はみんなが思っているような愚鈍な雌豚じゃないよ。頭もいいし、手先も器用だし、お尻も大きいし、妃として申し分のない相手なんだ。だからさあ、祝福してくれない」

「できるわけないだろ」

「所詮は豚だ」

「豚は食うもんだ」


 皇帝が何を言っても馬耳東風です。関白を始めとして見守っている公卿たちは心配でなりません。


「皇帝よ、こうなれば第二段階に移行じゃ。直ちにアレを告げよ」

「そうだね」


 皇帝は玉座から立ち上がり帳の外に出ました。思い掛けない行動に国民だけでなく公卿も驚いています。


「みんなあ~、これからすごく大事な話をするよ。人族と白豚族はもっと友好的になるべきだと思うんだ。だからボクは決めた。年一回の生贄献上の儀式は廃止する。この国から白豚料理を一掃する。そうすれば白豚族とはもっと仲良くなれるでしょ」


 そこにいる全ての者が我が耳を疑いました。関白でさえそんな話は聞かされていなかったのです。


「皇帝様、そのような重大案件、本当にできるとお思いなのですか」

「できるかできないかじゃない。やるんだ。これからは野菜と果物と穀物だけを食べて……」


 皇帝の言葉は国民の怒号によってかき消されました。彼らの怒りは頂点に達していたのです。


「あのサクサクのトンカツが食えないだと。クソ食らえ!」

「あたしはトロトロの角煮だけを楽しみにして今日まで生きてきたのよ」

「豚肉しゃぶしゃぶが食えないのなら死んだ方がマシだ」


 皇帝の会見は完全に裏目に出てしまいました。もはや収拾がつきません。ブヒ姫はゆっくりと玉座から立ち上がり皇帝に近寄りました。


「こうなれば最後の手段じゃ。真実の姿、顕現せよ!」


 ブヒ姫が呪文を唱えると皇帝の姿は白豚に変わりました。そこにいる全ての者が我が目を疑いました。公卿や国民だけでなく皇帝自身も目をこすっています。


「えっ、何で? 今は亥の日亥の刻じゃないよね。なのにどうして」

「ふっふっふっ驚いたか。わらわは魔族じゃ。真の姿を暴く魔法くらい心得ておる」


 ブヒ姫はほくそ笑むと国民に向かって叫びました。


「わかったか。おまえたちの敬愛する皇帝は人と白豚のハーフなのじゃ。ならば白豚のわらわを娶っても何の不都合もない。同族の生贄を禁じて何が悪い。おまえたち人族こそ白豚料理などという野蛮な行為を即刻中止すべきなのじゃ」


 このブヒ姫の言葉は国民の怒りをさらに燃え上がらせました。


「皇帝は裏切り者だ。オレたちを騙していたんだ」

「屠殺しろ。血祭りにあげろ。皇帝なんかやめちまえ」

「こうなりゃ皇帝を食ってやる。さぞかし美味いだろう」

「みんな、かかれー!」


 広場の国民が大極殿高御座に殺到しました。警護の衛兵が必死で押し返そうとしますが多勢に無勢、彼らの勢いは止まりません。


「まずいよ、このままじゃボク殺されちゃう。関白、何とかして」

「やれやれこの期に及んで命乞いですか。皇帝様は国民だけでなく私たち臣下全員も騙していたのです。観念してブヒ姫ともども調理されて食われなさい。私はもう知りません」

「そ、そんな~」


 泣きべそをかく皇帝。ブヒ姫は深くため息をつきました。


「やれやれ人族の忠誠心とはこの程度のものか。わらわたち白豚族ならば、たとえ君主が人族であろうと最後まで忠義をつくすものを」


 そうこうするうちに群衆は衛兵を押し倒し大極殿の高座に上り始めました。皇帝、絶体絶命です。


「うわ~ん、死にたくない。食べられたくない」

「喚くな、見苦しい。聡明なわらわが何の脱出手段も準備せずにこのような危険を冒すはずが無かろう。出でよ豚龍!」


 途端に大内裏の空が黒雲に覆われました。そして一匹の豚鼻の龍が姿を現したのです。


「ブヒ姫様、御用ですか」

「うむ。わらわと皇帝を運んでたもれ」

「承知」


 豚龍はブヒ姫と皇帝を背に乗せ空高く舞い上がりました。国民はそれでも何か叫んでいましたが、やがて聞こえなくなりました。


「ふう、助かった。でもこれからどうするの。もう帝国へは戻れないし白豚族の国に行くのもヤダなあ」

「案ずるな。こんな事態も想定してわらわが搬出される予定であった黒猪族の国で受け入れ準備を整えておったのじゃ。先に搬出された四名の生贄姫の指導の下、我が国から派遣された白豚族の技術者、労働者によってインフラ整備を進め、民衆を教育し、もはや蛮族とは呼べぬほど文明化された国になっておる。言うまでもなく誰も肉料理など食べぬ。野菜と果物と穀物だけで満足しておる。人と白豚のハーフであることを隠す必要もない」

「それはいいね。さすがブヒ姫」

「であろう。どうじゃ、わらわを妃にしてよかったであろう」

「うん!」


 こうして皇帝とブヒ姫は黒猪族の国へ行き、平和で穏やかに暮らしたということです。

 一方皇帝が亡命した帝国は皇位継承順位一位の関白が次の皇帝になり、今まで通り生贄献上の儀式を存続させたので、国民は毎年白豚料理を腹いっぱい食べて幸せに暮らしたということです。


 めでたしめでたし。

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皇帝と生贄の姫 沢田和早 @123456789

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