宮中大騒動
ここ数日関白はイライラしっ放しでした。気を揉んでいるのは関白だけではありません。大臣も大納言も中納言も参議も、宮中に参内している公卿全員がやきもきしながら毎日を過ごしていました。
「今日でもう三週間だぞ」
「皇帝様は如何がなされるおつもりなのか」
「こんな状態では職務に身が入らぬ」
彼らの不満の原因は生贄として献上された白豚娘、ブヒ姫です。本来なら食われなかった生贄は白豚料理祭開催期間中に黒猪族の国へ搬送されるのですが、ブヒ姫はずっと宮中に居座ったままなのです。
関白が、
「皇帝様、そろそろ生贄を搬出してはいかがですか」
と訊ねても、
「う~ん、もうちょっと待って」
と答えるだけです。
「搬出しないのであれば調理して召し上がってはいかがですか」
と意見しても、
「う~ん、どうしようかなあ」
と曖昧な返事をするだけです。
そんなこんなで祭りが終わってからひと月近く経ってしまいました。気の長い関白の忍耐袋の緒もついに切れてしまいました。
「調理するのか搬出するのか、今日こそは御決断いただかねば」
意を決して内裏に向かおうとする関白。そこへ皇帝からの使者が到着しました。差し出された詔書には次のように書かれています。
――今から
「やれやれようやく生贄の処遇について御決断なされたようですね」
長らく苦しめられていた胸のつかえが一気に取れた関白は上機嫌で内裏の清涼殿に足を運びました。すでに大勢の公卿が参内しており、その顔には一人の例外もなく安堵の色が浮かんでいます。関白は着座して皇帝のお出ましを待ちました。
「やあ、みんな、元気そうでなにより」
ほどなくして皇帝が姿を現しました。その瞬間、列席していた公卿たちの安堵の色は驚愕の色に変わりました。皇帝の隣には生贄のブヒ姫がいたからです。
「皇帝様、ここがどのような場所かお分かりでしょうか。高位の貴族しか立ち入ることを許されぬ内裏なのですよ」
「うん、わかってるよ」
「それなら何故そのような下賤で汚らわしい魔族の生贄などを隣に侍らせているのですか」
「ああ、それなんだけどさ。実はボク、このブヒ姫を妃にしようと思うんだ。みんな、喜んでくれるよね」
一瞬、水を打ったような静けさが辺りを包みました。しかしそれは本当に一瞬で、あっという間に大騒ぎになりました。
「皇帝様、ご乱心か!」
「雌豚にたぶらかされたのだ」
「こんなことならさっさと適当な貴族の娘を当てがっておけばよかった」
などなどあっちこっちから憂愁と後悔と悲嘆の声が上がりました。関白は気を静めると穏やかな声で問いました。
「皇帝様、理由を教えていただけませんか。その者は魔族、しかも生贄、しかも豚なのですよ」
「ああ、実は脅迫、うぐっ!」
皇帝が変な声を出しました。隣に座っているブヒ姫の鉄拳が左脇腹にヒットしたからです。
「じゃなくてブヒ姫は妃に相応しいからだよ。丸々してかわいいし、頭脳明晰だし、品行方正だし、お尻も大きくて子供をたくさん産みそうだし」
「かわいいを除けばその通りですね」
「でしょ、えへえへ」
(これは皇帝様の本意ではない)
口には出せないものの関白は皇帝の言葉を疑っていました。明らかに作り笑いをしていたからです。そして関白の懸念は正解でした。
ひと月前、亥の月亥の日のあの夜、次のような遣り取りがあったのです。
ブヒ姫から「妻にするがよい」と言われた皇帝は即座に拒否しました。
「冗談じゃないよ。君は魔族、しかも豚。ボクの妻になれるわけないじゃん」
「人族と魔族が夫婦になってはならぬという掟はない。そもそもそなたの母は白豚族なのじゃろう。そしてそなたは半分白豚、つまり魔族。魔族のわらわと夫婦になったとて何の不都合があろう」
「そ、それはそうだけど、君と一緒になっても何のメリットもないしなあ」
「メリットはある。わらわとそなたが夫婦になれば白豚族への見方が変わる。これまでの敵対的な関係は改められ友好的な関係へと変わるはずじゃ。そうなれば年に一度の生贄献上の儀式はなくなり、白豚料理を食え食えと周囲から責められることもなくなる」
「それはいいね」
「縁談を断られ続けた経緯を考えればそなたが高貴な娘を娶る可能性はほぼゼロじゃ。このままでは生涯独身のままじゃぞ。それでもよいのか」
「ヤダ!」
「であろう。ならば早急にわらわを娶れ」
「う~ん、どうしよう」
皇帝は逡巡しました。ブヒ姫の言い分はよくわかるし反論もできないのですが、心の底には拒否したい気持ちが残っているのです。
「ちょっと考えさせて」
「良き返答を待っておるぞ」
こうしてその夜は終わりました。それから皇帝はずっと考え続けました。しかし基本的に優柔不断な性格だったのでひと月近く経っても結論が出ません。ブヒ姫もさすがに痺れを切らしてしまいした。
「皇帝よ、いい加減に心を決めよ」
「う~ん、もう少し考えさせてくれない」
「考えたところで結論は同じじゃ。わらわを妃にする以外の選択肢はない」
「でもなあ、一生の問題だし、う~ん」
いつまで経っても煮え切らない態度を取る皇帝に業を煮やしたブヒ姫は、ついにこんな言葉を口にしてしまいました。
「わらわを娶らぬと言うのであれば、そなたが白豚族と人族のハーフであることを宮中に言いふらしてやる」
「ええっ!」
そんなことをされたら皇帝の権威は地に落ちます。絶対に阻止しなくてはなりません。
「ボ、ボクを脅迫するつもり」
「そう思うならそう思ってもらって構わぬ」
「白豚で生贄の君の言葉なんて誰も信じないと思うよ」
「ふっ、甘いな。そなた、これまでずっと亥の日亥の刻には人払いをしてきたのであろう。それを不審に思う者が居らぬはずがない。わらわの言葉を確かめるために亥の日亥の刻にそなたを衆目に晒そうとするであろう。そうなった時のそなたの泣きっ面を見るのが今から楽しみじゃ」
「うぐぐ、わかったよ」
このような次第で本日のお妃決定大発表会と相成ったのでした。関白の言葉を切っ掛けに列席した公卿からは再考を促す声が続々と上がりました。
「しかしながら相手は雌白豚、しかも魔族。妃にするにはあまりにも不釣り合いなお相手かと存じます」
「そうです。それに妃が白豚とあっては国民が納得いたしません」
「皇帝様、どうぞお考え直しください」
皇帝は何も言い返せずただへらへら笑っているばかりです。脅迫されているのですからどうしようもありません。
「皆の者、静まれ」
何も言わない皇帝に代わってブヒ姫が言葉を発しました。
「臣下の分際で皇帝陛下のお考えに逆らうつもりか。そもそも憲法二十四条一項に『婚姻は両性の合意のみに基いて成立し』と書かれているではないか。おまえたちにとやかく言われる筋合いではない」
ブヒ姫の剣幕に圧されて公卿たちは沈黙してしまいました。なにしろ正論なので反論もできません。やがて関白が穏やかな声で言いました。
「確かにその通りですね。さりとて皇帝様の御婚儀は国の大事。慎重に進めるべきかと存じます」
「慎重に進めるって、具体的にどうするの?」
「ブヒ姫が妃に相応しい者であるかどうか見極めたいと思います。今日より一年間、ブヒ姫には人族の貴族としての教養と作法を身につけていだきます。さらに国政に関わる様々なお役目も引き受けていただきます。それらを見事に成し遂げられれば妃として認めましょう」
これを聞いて公卿たちは胸を撫でおろしました。如何に貴族とは言っても所詮は愚鈍な白豚族。こんな無理難題をこなせるはずがありません。
「関白、グッジョブ!」
皇帝はサムアップで関白の機知を称えました。さすが先代から仕える重臣中の重臣だけのことはあります。そんな周囲の様子とは裏腹にブヒ姫は自信満々な様子で答えました。
「承知した。見事やり遂げてみせようぞ」
「いや、やり遂げなくてもいいよブヒ姫。んじゃ結論も出たことだし今日はこの辺でお開きにしようか」
こうしてその日の御前定は終了したのでした。
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