皇帝と生贄の姫
沢田和早
今年の生贄
今年も亥の月亥の日がやってきました。年に一度、魔族からの生贄が宮中に奉げられる日です。
すでに夜は更け間もなく亥の刻になろうかというころ、大内裏の北東にある
「来たぞ! お知らせしろ」
一人の門番は扉を開け、もう一人の門番は内裏へと急ぎました。牛車に乗せられているのは生贄として供せられる魔族の姫です。魔族の国は都の鬼門の方角にあるので、生贄献上の際には必ずこの門が使われているのでした。
「関白様、本年の生贄、ただいま達智門に到着いたしました」
「わかりました。速やかに内裏へ搬入しなさい」
「ははっ!」
使いの者が退席すると関白は安堵の息を漏らしました。
「ふう、なんとか間に合ったようですね。亥の刻の半刻前までに必ず届けるようにと何度も通達しているのに、いつもいつも刻限ギリギリにならないと参上しない。名は体を表すの言葉通り白豚族の
数十年前、長く続いた人と魔族の戦いはようやく終結しました。ほとんどの魔族は死に絶えたのですが唯一白豚族だけは滅亡を免れました。帝国が彼らを根絶やしにしなかった理由、それは美味しいからでした。
「こいつらの肉は他の魔族とは一味違うぜ。煮てよし、焼いてよし、揚げてよし。白豚肉サイコー!」
帝国の民は白豚料理が大好きでした。とろけるような角煮、ピリ辛味噌の回鍋肉、サクサクした豚カツ。これほど素晴らしい食材をこの世から消し去ることなどできようはずがありません。
「白豚族よ、毎年我が帝国に生贄を差し出すのなら生存することを認めてやる。どうだ」
「是非もなし。ぶひ」
こうして白豚族は自国の安寧と引き換えに毎年七百頭の平民と一頭の貴族の娘を帝国に献上することになったのです。前者は国民への、後者は皇帝への生贄です。
ほとんどの白豚族は四足歩行で知能が低く文盲で語彙も貧しく「ぶひぶひ」くらいしか言わないのですが、貴族の白豚族は直立歩行し帝国民と遜色ない知能を有していました。しかも貴族の肉は平民に比べて段違いに美味しかったのです。そこで皇帝には貴族から選抜された食べごろの雌白豚一匹が供されるのでした。
関白は届いたばかりの白豚姫を連れて清涼殿に入ると、重々しく皇帝に報告しました。
「皇帝様、本年の生贄が届けられました」
「待ちくたびれたよお。亥の刻過ぎたらどうしようかと心配してたんだから」
「申し訳ありません。迅速な参上を心掛けるよう白豚族にはきつく申し渡しておきます」
「頼んだよ。で、今年はどんな子が来たの?」
「これです」
「へえ~、結構カワイイね」
皇帝は二十代の若者です。五年前、先帝が早死にしたため留学先から急きょ帰国して即位したのでした。
「今年こそはきちんと召し上がっていただきたく思います」
「努力するけど、たぶん無理かなあ。あっ、もう下がっていいよ」
「それではよしなに」
関白が退室すると部屋の中は生贄の白豚姫と皇帝だけになりました。白豚姫は絢爛豪華な十二単をまとい、水引で束ねた長い黒髪の前面には黄金の平額が輝いています。
しかし所詮は白豚。頭には大きな耳が垂れ、顔の中央には丸い豚鼻がくっ付いています。皇帝は白豚姫に近寄るとその手を取りました。
「やっぱり手は豚足なんだね。ところで君、名前は?」
「わらわはブヒ姫じゃ。生贄の身なれど無礼な振る舞いは許さぬ」
皇帝は面食らいました。皇帝になってから今日まで四度生贄と対面しましたが、これほど態度のでかい生贄は初めてだったのです。
「ああ、ブヒ姫ね。よろしく」
「して、わらわをどのように食うつもりじゃ。角煮か、チャーシューか、しゃぶしゃぶか」
「安心して。君は調理されたりなんかしないよ。実はボク、菜食主義者なんだ。だから君を食べたりなんかしないよ」
「なんと!」
今度はブヒ姫が面食らいました。それでは自分が生贄として連れて来られた意味がありません。
「ならばわらわは何のためにここへ呼ばれたのじゃ」
「あ~、それはね」
皇帝の長い説明が始まりました。皇帝は離乳食が始まったころから獣肉、鶏肉、魚肉などを一切食べようとせず、無理に口に押し込んでも吐き出してしまうほどの肉嫌いだったのです。
しかし帝国民は一人の例外もなく肉好き。生贄が捧げられる亥の月亥の日には、白豚七百頭を用いた料理が全国民に振る舞われ、この日から一週間、帝国はお祭り騒ぎになるのです。
それなのに皇帝が「実はボク、肉が嫌いなんだ」などと言おうものなら国民の支持率が急落することは必定。皇族の経費は全て国民の税金で賄われています。国民の機嫌を損ねて税金未納が多発すれば皇族の台所は火の車になってしまいます。
しかも生贄献上は百年続いた伝統行事。菜食主義だという理由で中断するわけにもいきません。そこで仕方なく食べもしない生贄を呼び寄せ体裁を取り繕っているのです。
「食われなかった生贄はどのように処置されているのじゃ」
「国民には内緒でコッソリ逃がしているんだ。南の遠方に黒猪族の国があるでしょ。これまでの四人の白豚姫たちはそこへ行ってもらった。君もそこへ行くことになるよ」
「あのような蛮族の国になど行きとうない。わらわを食さぬのであれば元の白豚族に帰してくれ」
「そんなことしたら生贄の儀式が嘘ッパチだってバレちゃうじゃん。命が助かるだけでも有難く思ってよ」
ブヒ姫は腹が立って仕方がありませんでした。黒豚族は魔族ではなく獣人族、言葉は話せますが生活も思考もほとんど獣と同じなのです。そんな土地で一生を過ごすくらいならここで食べられた方がよっぽどマシだと思いました。
「そなたが食わぬのなら他の者が食えばよい。覚悟はできておる」
「ボクもそう言ったんだけどさあ、『皇帝に献上された生贄を臣下が食するわけにはまいりません』とか言って誰も食べようとしないんだよね」
「一口くらい食えぬのか。耳をカリカリになるまで焼けば煎餅みたいになるであろう」
「う~ん、そーゆー問題じゃないんだよなあ」
「どーゆー問題なのじゃ」
「それは、あっ、もうすぐ亥の刻になる。すぐわかるよ」
ぼーんぼーんと亥の刻を知らせる音が鳴り響きました。と同時に驚くべき現象が発生しました。皇帝の頭に平べったい耳が生え、鼻が豚鼻になったのです。ブヒ姫は驚きのあまり鼻を鳴らしてしまいました。
「ぶ、ぶひっ、何が起きたのじゃ。そなたの姿、白豚族にそっくりではないか」
「そうなんだよ。実はボク、人族と白豚族のハーフなんだ。亥の日亥の刻になるとどういうわけか白豚族の姿になっちゃうんだよ。ね、これでボクが白豚料理を口にできない理由がわかったでしょ。共食いになっちゃうもん」
「う、うむ。よくわかった。されど純粋な人族でない者が何故皇帝に選ばれたのじゃ」
「そりゃ跡継ぎがボクしかいなかったからだよ、たぶん」
「他の者は知っておるのか」
「知らないよ。国民や宮中の者は言うまでもなく、あの関白だってこの秘密は知らない」
「よく今まで隠し通せたな」
「そりゃ父ちゃんがうまいことやってくれたんだよ。亥の日になると人払いをして、ボクのそばには蟻一匹近付けないようにしていたみたい。その習慣は今でも続いているからボクの正体がバレることはないのさ」
「さりとてそなたの妃までは騙せぬであろう」
「妃? ああ奥さんのこと。やだなあ、ボクはまだ独身だよ。許嫁とかもいないんだ。これまでそれなりにいくつかお話はあったんだけど全て向こうから断られちゃった。最近の女子は理想が高いみたい」
「さ、左様であったか」
「さあ、それじゃ今日は休んでいいよ。明日からは年に一度の白豚料理祭が始まるから、そのドサクサに紛れて黒猪族の国へ旅立ってね」
「う、うむ……」
度重なる予想外の事態に遭遇しブヒ姫の頭は混乱を極めていました。皇帝の菜食主義。密かに解放されていた生贄たち。半分白豚族のモテない独身男。そして蛮族の国になど行きたくない自分。これらの事実を踏まえてブヒ姫が導き出した最適解は次のようなものでした。
「ならばこうしよう。そなた、わらわを妻にするがよい」
「え、ええ!」
今度は皇帝が面食らう番でした。
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