宇宙人

保地一

 宇宙人とりんご

もう40年近く前のことだろう。

僕は、東京の、とある私立大学に通っていた。

時代は、まだ昭和だった。


僕は、駅の前で立ち止まった。

駅のホームを見ると、大勢の人たちが、今まさに満員電車に乗り込もうとしているところだった。

総武線の平井駅は、東京都心へと向かう人たちが、毎朝ひしめき合っている。その光景を見た僕は、うんざりして、来た道を引き返した。

ポケットから煙草を取り出して、火をつける。一口吸って、天を仰いで吐き出す。白い息とたばこの煙が混ざりながら、冬の青い空に溶けていく。なんだか、忌野清志郎の歌のシーンのようだな、と思う。


すっかり大学に行く気を無くした僕は、街をうろついたり、コンビニで立ち読みをしながら時間をつぶした。やがて開店したパチンコ屋に入ると、「ハネ物」と呼ばれる台に座って金を入れた。


パチンコ屋に4時間くらいいただろうか。いつもなら、一文無しになってアパートへ帰り、たばこもなくなって、シケモクを探して吸うといったことになるのだったが、その日はなぜか珍しく、数千円のプラスになった。


パチンコ屋を出た僕は、ラーメン屋に入った。

そこは、「中華園」という名前のラーメン屋さんだった。中国人がやっているラーメン屋さんで、注文を聞いてから麺を伸ばし始めるという店で、お金がある時は時々来ることがあった。

午後2時という時間もあって、客は、僕と、もう一組の家族連れしかいなかった。その家族連れは、若い夫婦と、7~8歳くらいの女の子と、その弟らしき兄弟の4人だった。彼らは、小あがりの上の畳敷きのテーブルの席に座っていて、その隣には扇風機が回っていた。

僕は、小上がりに背を向ける形で、空いてるテーブル席に座ると、ラーメンと餃子を注文した。そして、店の角に、見上げる位置に設置してあるテレビに流れるニュースを見た。

ニュースでは、豊田商事という会社が、老人を相手に詐欺を働き、そのために巨額の損害を被っている人々がいると報じていた。


今思えば、あの時代は、その後の数年間の、のちにバブルと呼ばれる、みんなが浮かれまくった時代の幕開けの時にあたっていた。にもかかわらず、なぜか僕は、どうにも暗い気持ちを抱えて生きていたような気がする。


やがて注文したラーメンが運ばれてきた。

そのラーメンには、よく見ると、何か細くて黒いものが、半分スープに浸り、半分はどんぶりにこびりつく形でついていた。

髪の毛だった。

別に、髪の毛が入っていることなど、よくあることに違いない。それを店員に言えば、おそらく作り直してくれるだろう。だが、まだ若かった僕は、そんなことを伝える勇気も持ち会わせてはいなかった。

僕は、その髪の毛をつまみだすと、後から店員が餃子を運んできた時にも何も言わずにいた。そして、黙々とラーメンの麺と餃子を食べ終えた。が、ラーメンのスープだけは飲む気にはなれなかった。

食べ終えた僕は、会計をしようと席を立った。

髪の毛が入っていたというだけのことなのに、何か不快なものを食べてしまったような気になっていた。そして、そんな小さなことを許せない自分も、また許せなかった。


その時、後ろの方で声がした。

「ワレワレハウチュウジンダ。ワレワレハウチュウジンダ」

振り返ると、家族連れの中の女の子が、扇風機の前に座って、楽しそうに笑っていた。扇風機のハネで、自分の声が機械の声のように変わるのが楽しいのだろう。

そういえば、子供のころは自分もよくやったな、と、一瞬ほほえましい気持ちになった。

僕が会計を済ませて店を出るときは、女の子と弟が、扇風機を取り合っているのが見えた。


店を出た僕は、通りをアパートの方面へと歩いた。冬晴れの快晴の空の下、通りにはまばらにしか人がいなかった。


店を出て10メートルくらい行ったところに、八百屋があった。

店先に、広い縁台のようなものが置かれ、野菜や果物が並べられている。たまたまそこには人の気配がなかった。店番をしている人の姿も見当たらない。

周りを軽く見まわしてから、僕はその中からりんごを一つ拾い上げ、ポケットに入れようとした。

しかし、りんごはポケットには入らず、僕の手から滑り落ちると、ころころと通りを転がった。僕は店番の人が中から出てくるのではないかと心配したが、誰も出てこなかった。

りんごは、僕の後ろ側に5メートルくらい転がり、そこで誰かの手に拾われた。

それは、あの女の子だった。ラーメン店の扇風機で遊んでいた、あの子だ。

女の子は、僕のところまで歩いてくると、こういった。

「ネリリ、キルル、ハララ、ピュー」

僕は、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなった。そして、女の子の目を見つめた。そこには、丸い大きな瞳が、ただきらきらと輝いていた。

それは、おそらく言葉なのだろう、しかし、言葉というよりは、空気自体が振動して音になった、と言うのが適切かもしれない。

そして、その直後に、その言葉の意味を、僕は感じ取ったのだ。


『おじさん、気を付けて』


それはもう、感じ取ったとしか言いようのない感覚だった。音が聞こえたとか、テレパシーを感じたとかではなく、そう言ったんだなと、感じたのだ。

その女の子は、後ろの方に立っていた親と弟のところへ行き、また僕の方を見た。ぼくは、彼らにお辞儀をすると、戸惑いを抱えたまま、アパートの方へと歩き去った。


アパートに帰った僕は、部屋のかどに置いてある14型のテレビの上の、室内アンテナの隣に、持ってきたりんごを置いた。転がって傷がついたりんごを眺めながら、人生初の万引きをしてしまったことを悟った。そして、あの家族のことを考えた。

おそらくあの家族は、地球外からやってきたのだろう。何の理由かは知らないが、地球人の格好をして、周囲に溶け込んで暮らしているのだ。


それから一カ月くらいは、そのりんごは、そのまま置いてあった。そして、次第に干からびてゆくそのりんごを見るたびに、彼らのことを考えた。彼らがどこに住んでいて、どんな目的を持っているのか、いつか動き出して世間を騒がせることがあるのかを、考えた。そして、ちょっとだけわくわくした。


それから約40年が経った。

ふと思い立って、久しぶりに平井を訪れてみた。平井駅前はだいぶ変わり、にぎやかになったように感じるが、商店街は、昔とそれほど変わってないようだ。

あのラーメン屋は、もう跡形もなくなってしまった。ただ、その店があったはずの場所の近くの電人柱に、『中華園』の看板がまだ残っているのを見つけ、あの時の思いがこみ上げてくるのを感じた。


あの家族とは、結局あれ以来会うことはなかった。彼らが地球を征服しに来たというのなら、それでもよかった気がする。今ではもはや地球外の、どこか快適な星に帰ってしまったのかもしれない。この地球にあきれはててしまったのだろう。


空を見上げてみた。

あの時と違い、灰色の雲が寒々と一面を覆っていた。この空のどの方面に、今彼らはいるのだろう?

目を閉じて、あの時の女の子の声を思い出してみた。でも、もうその女の子の声も、顔も、思い出せなかった。ただ、しばらくの間部屋に置いてあった、あの傷のついたりんごの姿だけは、今でもくっきりと、目の奥に残っている。


                                   ー終ー














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宇宙人 保地一 @wbnn247

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