【エッセイ】自分の年上ヒロイン好きの根源は、自分の弱さを認められる安心感の渇望
赤茄子橄
本文
今回は初めてエッセイなるものを書いてみようと思います。
結構な自分語りになっちゃってて、客観的な分析とかないので、そういうのがいらん方は即ブラバを推奨しておきましょう。
今まではエッセイとか書くつもり全然なかったんですけどね。自分の思想とか知りたい人いるわけねぇでしょうから。
そのことは十分承知していますが、今回は書いてみようかなって。
っていうのも、今後の物語執筆のために、自分の趣味嗜好を見直すきっかけになるかなーっていう考えが中心です。
最近、自分が自分の作品に何を求めてるのかよくわからなくなってきて、物語執筆が途中で止まっちゃうんですよね。『あれ、自分が書きたかった話ってこんなんだっけ?』的な。
いやまぁ別に今まで書いてきたものも、自分が書きたかったことがしっかり表現できてるかって言うとそんなになんですけど、少なくとも自分なりに書きたいことはある程度あって、自分なりに書き出したつもりにはなれてたんですよね。
基本的にはテンプレ的というか、まぁそうなるよね的な既定路線の一発芸的な物語しか書いてないわけなんで、大したこと言えないですけども。
それが最近は書きたいことも不明瞭になっているし、ここらでいっちょ自分を見つめ直してみるかってことで、思考を書き出して整理してみようっていうコンタンです。
『お前の思想とか独り言とか知りたくもねぇし、どうでもいいわ。そんなことに大切な時間を使わせんなクソがっ』って方は、すみませんでした。次回作でお会いできれば嬉しく思います。
前置きが長くなってしまいましたが、今回の主題に入りましょう。
本エッセイで考えたいのは、「
自分の作品を読んでくださってる方の中には、自分が描く物語のヒロインの多くが男側よりも年上であることにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。
この嗜好性は自作に限りません。自分の推しキャラ全般に共通の傾向です。
最近1番ハマったのは、冴えカノの霞ヶ丘詩羽。あるいはエンキスのキサラとアヤノ。丸戸作品がそもそも好きなんですよね。
他、昔からイチ推しの多くは年上で、らんま1/2では天道かすみさん、ハヤテのごとくではマリアさん、アマガミの森島先輩、ハイスクールDDのリアス、青ブタの桜島麻衣、俺ガイルなら雪ノ下陽乃か平塚先生、サマーウォーズのナツキ、ラブプラスの姉ヶ崎寧々、ホワルバの澤倉美咲、マジコイの川神百代、ひぐらしなら園崎姉妹、CLANNADの古川渚とかも実は年上。
君の名は。のメインヒロインが年上だったのは俺得すぎましたね。その理由だけで劇場に2回観に行きました。新海誠監督は年上ヒロイン大好きなので共感がエグい。望公太先生も神。
挙げればキリがありませんね。
そう、自分は年上ヒロインが狂おしいほど好きなんです。そんで、その嗜好性は物語の中だけじゃなく現実世界でも一緒です。彼女・嫁になっていただくお相手は自分よりも歳上だと嬉しいんですよね。
年齢的な属性だけで人を見るのは人として相当愚かだとは思うんですけど、自分にとってはかなり重要なファクターだってことは間違いなさそうです。
ならば、「年上女性のどこにそれほどの魅力を感じているのか?」を掘り下げて考えてみれば、自分が書きたいものがもうちょっと見えてくるのではないか。ってなわけで今回の主題を設定した、ということです。
年上ヒロインの魅力。
典型的なのは、母性とか包容力とか大人の色気とか、そういうあたりですかね。
調べてると、外部サイトで、かつ他の方の記事で恐縮なんですけど、ペシミさんという方が【丸戸史明の描く「年上キャラ」について -丸戸システムの構造化】というタイトルですごくガッツリ年上キャラに感じる魅力を解説されていました。年上ヒロインへの深い造詣が感じられて個人的に割りと感動しました。(Noteの記事です。URLは、外部サイトになるため記載なしとさせていただきます。ご興味ある方はタイトルで検索なされるとヒットするかと)
彼は記事の中で、年上を魅力的に描く作家の1人として丸戸史明先生を取り上げ、その作家性における年上キャラの魅力を「自然体でありながら無償の愛を提供してくれるキャラクター」であると論じています。『母的な存在』という位置づけです。
そして、その本質が単純な年齢差にあるとは限らないことに言及しています。
彼の主張のほとんどは個人的にも受け入れられるものであり、間違いなく年上キャラの魅力がしっかりと分析された素晴らしい分析だと思います。
ですが、唯一、『年齢差がなくても母的な存在であることが大切』という部分には必ずしも共感できませんでした。
具体例としては、ペシミさんは、五等分の花嫁の中野一花はある種の年上ヒロイン属性を有していると論じています。主張として理解はできますし、尤もだと思います。ヒロインとしての魅力もとても感じます。
ただ、自分の心は、中野一花を『年上ヒロイン』としては認めてはくれないのです。
霞ヶ丘詩羽のような、夕桐アヤノのような、森島先輩やマリアさんらのような、そんな方々に向けて感じる執着心にも似たクソデカ感情を、感じることはできないのです。
同じように、いくつかの事例を挙げながら考える中で、実体としての年齢差があることこそが、赤茄子橄にとっての年上キャラの欠かすべからざる本質属性である、ということに気がつきました。
もちろん自分も、安心感や包容力、大人の色気といった魅力に惹かれている部分は大きく、年上好きの精神の根底に根付いているとは思います。
ただ、それが自分が感じている魅力の本質なのかと言うと、必ずしもそうではない気がしたんです。
自分の場合は、同い年ならまだギリいけますが、年下は絶対に無理です。人を属性だけで見るなんて最悪だとは思いますが、年下と付き合うことは考えられません。
仮に見た目や振る舞いが大人っぽい子であっても、自分より余裕やらなんやらの『年上ヒロイン属性』があったとしても、です。
失礼で最悪だとわかっていても、「実質年齢が自分≦相手の女性」でなければ、付き合えないと判断してきました。それくらい、自分にとって実年齢は重要な属性であり、一般に言う『年上ヒロイン属性』自体にはそこまでの興味はないようなのです。
では、なぜ、これほどまでに「実年齢の差」という本質的に意味のなさそうな属性を重視する歪んだ精神性が育まれてしまったのでしょうか。
*****
これを考えるために、自分語りで恐縮ですが、僭越ながら自分という人間の人格とその形成の歴史を考えてみます。
自分は結構自分に自信があるタイプの人間です。もっと言えば、自己肯定感の塊みたいな人間です。
自己肯定感の低い人の気持ちを、頭で理解することはできても、本心からは共感できない質の人間だと自覚しています。
生まれた環境は、上流階級とかとは無縁ですけど不自由のない家庭であり、素晴らしい両親に恵まれたと思います。
生んでもらったこの身体も、平均以上であると自負してます。小学生のころから運動部で中学高校でも完全な体育会系。トップアスリートみたいな戦績ではなかったですけど、恥ずかしいってこともなかったんじゃないかと思います。体育の授業がキライとか言ってる子の感情が心底理解できなかったですし、運動自体好きで、いい仲間に恵まれて、脳筋と言って差し支えない青春時代だったと思います。
頭も悪くはありませんでした。高校・大学入試のときは必死に勉強したとは言え、勉強ができなくて苦労したって記憶は特にありませんし、一流大学ってわけじゃないけど一応国内でも指折りの大学に現役で入学できて、その後も自分が願った仕事に就けている。
一応、ありがたいことに過去に数名の女性に告白をしていただき、お付き合いさせてもらってきたので、見た目も、そこまで悪くないんじゃないかと思ってます。
運に関してはかなりいいと思います。部活やらサークル、学部、研究室、その他を通じて出会った仲間たちは良いやつばかりで、今でも親友だと思える人も数人はいる幸せ。人生で1番愛していると思える人と出会うこともできました。
性格的にも、それなりに前向きで、社交性もままあるんじゃないですかね。
「運動ができない」とか「勉強ができない」とか「モテない」とか嘆くような人に対して、『いやそれ努力足りてないだけなんじゃないですか? 自分をもっと磨けよ』って思っちゃう脳筋なとこはありますけど、人に思っても許される程度には自分を磨くよう努力してきた自負があります。
もちろん、そう思えるよう活動できたのは周囲の環境が恵まれてたおかげであることも自覚していますが、与えられた環境をさらにさらに良くするための努力もしてきたつもりです。ですので、結果的に環境も自分の手柄の一部だと思っちゃってます。
ナルシスティックでウザい精神性であることは自覚しつつも、自分のことをここまで褒められるとか自分なかなか凄いやん、って思える程度に、自己肯定感のカタマリかもしれません。
もっと言えば、こんなに恵まれてる自分が自分のことをダメだと思うなんて、自分よりダメな人に失礼だ、とも思ってるまであります。
あぁ、すみません、どうやら性格はあんまり良くないみたいですね。
他人に悪感情をぶつけたりはしない程度の良識があるだけ、よしとするとしましょう。
長々と自慢話をしてしまったわけですが、自分が優れた人間だとひけらかしたかったわけではありません。ここで言いたいのは、自分がかなりの自己愛の持ち主だということです。
別に大した人間でもないくせに、過剰に肥大化したプライドを持っているわけです。やっかいなヤツですね。
ここで問題なのが、大きな自尊心は、時として大きな恐怖心を生み出すことがあることです。ムダプライドを持っている同士の方には共感してもらえるかもしれません。
徹頭徹尾自分のことを100%愛していてキライなところが一切ない、という人の場合は知りませんが、まぁ人間誰しも自分のスキなとことキライなとこくらいありますよね。
自分の場合は、例えば以下のようなダメさを自覚してます。
・どんなことでもある程度卒なくこなせるものの、世界で1番の突出したなにかがあるわけではないこと。
・人の気持ちを推察しようとする気概はある程度あるものの、本質的な部分で共感できてない、空気が読み切れないこと。
・大阪人のくせに、話がおもんないこと。
・顔も最悪ではないけど特別イケメンってわけでもなく、異性受けするような気が利く人間でもないこと。
・周りには爽やかぶってるくせに、本心は、何もかもを面倒くさいと思ってるとこ。
まぁ、よくある欠点です。
もしもこういう自分のキライな観点に注目が集まってしまえば、好きなはずの自分が周囲からの否定の対象になってしまいかねないことも、強く自覚しているわけです。
このことが自分は特に苦手なんだと思います。
つまり、他の人から『こいつ、期待してたほど大した人間じゃねぇな』と思われることに、とても強い忌避感を覚えるってことです。自分の弱い部分の自己開示が苦手、と言い換えても良いかもしれません。
この精神性が、普段の生活の中での振る舞いにも大きく影響を与えています。
他人に自分が大したことのない人間だと知られるのが怖くて、強い人間に見せかけるよう振る舞うことになるわけです。
極端に言えば、演技やら知ったかぶり、ハッタリをかましてでも、自分を強く見せ続けようとしてしまいます。
恋愛に落とし込んだときには、特に中高生の頃は、クールでカッコイイ男、気が利く男を演じてしまっていました。それ自体が悪いことだとは今でも思ってませんが、それを継続するのは、自分にとっては難しかったんでしょう。
本来の自分とは違うキャラを演じ続けることは大変ですし、ストレスになります。本来の自分はベタベタ甘えるような恋愛をしたいのに、クールを繕おうとする。そうしていると、なんかが滲み出てしまったんでしょうね。
相手から告白してきたのに振られるのは自分。そして、その理由は決まって「思ってたのと違う」とか「想像してたより甘すぎる」ってな文句。
本心での理由なのか、シンプルに他に男ができてたのかはわかりませんが、少なくとも形式上はこの理由で振られたことが複数回あって、再現性が確認できてしまったわけです。
そう、自分がもっとも苦手とする『期待してたような人間じゃなかった』と思われるような人間だということが、証明されてしまったんです。
こうした経験は、特に大学生のころからの自分の恋愛ストラテジーに変化を与えました。
後々ガッカリされるショックを味わうくらいなら最初から期待しないでもらった方が心穏やかでいられる。そのためには、自分がザコくてヘボくて情けない人間であることを認めてそれを周りの人たちに表明しよう、と。
ここでネックになるのが、かの有名な山月記にもある『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』です。
上記の理由により恋愛のための要件としては弱い自分を開示していく必要があるのに、その実行を余計なプライドが邪魔するんです。
この傾向は、同級生や年下に対して強く表れました。
年下に自分がダメなやつだと思われるのはすごく嫌。同い年相手にはなんか負けたくない。
スタートラインが同じ、もしくは自分より後ろのスタートラインから走り出した人に負けるってことに対する忌避感。
何を言ってるのか自分でもよくわかりませんが、その思いが強烈に自分の心に焼き付いて、弱い自分の開示を拒みます。
それに対して、年上が相手の場合は違いました。
とにかく、弱い自分の開示に対する抵抗感が驚くほど少ない。負けを認めることに安心感があったんです。
*****
この感情に近いことは、先に挙げたペシミさんのNoteでも論じられていました。年上ヒロインは自分よりも長い年月を生きて、何かに貢献しているのだから、その事に対する敬意を抱き得るのだ、と。
特段、否定の余地は無い気がしますし、自分もこれまでは漫然とそれが魅力だと思ってきました。
なんだよグダグダと語っておいて結局は先駆者と同じことを言うだけかよ、と思われてしまうかもしれませんけど、今の自分的には微妙に違うと思ってます。違うというか、概念をさらに詳細化したい、という感じでしょうか。
『敬意を抱いている』というのとは違う心理、例外が自分の中にあることを知っているからです。
ぶっちゃけて言ってしまえば、たとえ母性属性も積み重ねた実績とか尊敬の気持ちとかがなくても、年齢さえ上ならなんでも好きになれる自分がいます。
年齢さえ上なら、何年も引きこもりでわがままなキャラでも、相対的に好感度は高いってレベル。
典型的な年上ヒロインとしての包容力とか母性なんかの属性が一切ないキャラであっても、『実年齢が上である』という1属性さえあれば、自分は愛することができるのです。
これは上記の一般的な年上属性が与えてくれる安心感とかに信頼感、敬意といったポジティブな感情と同じだとは、必ずしも一致しない例外です。
ここまで考えてみると、自分の年上好き心理の根底には、むしろ、自分にとっては後ろ向きなネガティブな感情が横たわっていることに気がつきます。
端的には、自分が自分自身のことを弱いと認めることを許せる、そんな心持ちになれる相手であること。
同じ『安心感』や『包容力』でも、自分が求めてるのは『与えられる安心感』や『実際に包み込んで切れる包容力』といった年上女性側からアクティブに提供される肯定的な感情ではなく、『自分自身が負けを認めても構わないと思える』安心感や包容力といった
相手から与えてもらうポジティブな何か(入力される物事)は重要なファクターではなく、自分の中の意識の変化もしくはアウトプットする自身の振る舞いに要点があるということ。
相手には何かをしてほしいわけじゃなく、自分がそう思える立場の相手であってほしい、という独り善がりな思想です。
つまり、自分が年上キャラに求めているのは、「
自分の年上ヒロイン好きの根源は、自分の弱さを認められる安心感の渇望だった。ただし、そのためには実年齢が上でないとその安心感を得られないものとする。タイトル回収。
あぁそうか。自分は実際に年齢が上のヒロインがでてくるならなんでもいいんだ。
結論、浅っ! 7000文字も使って語る内容じゃなかった......。
けど、思えば、ヤンデレ物を書いているのだって弱い
なるほど、だとするなら、とにかくヒロインの年齢は年上にしておけばなんでもよくて、ついでの設定として「自分の弱さを自分で認めて表明してもいいって気持ちにさせてもらえる」ような話を書けばいいのかな。
ちょっとだけ、書きたいものが見えた気がします。気のせいかもしれませんが。
次回作がどんなものになるかは、期待せずにお待ちいただけると幸いです。
*****
とっくに社会に出てる今となっては1歳や2歳なんてものは誤差で、本質的にはどうでもいいことだと思います。頭ではそう理解しているんですよね。
ただ、自分にとっては、30歳を目前に控えた今でもなお、年齢的に自分より上であることの重要性は高いままなのです。
いつの間にか、アニメやら漫画やらゲームの年上ヒロインよりも自分のほうが年上になっちゃってる事例だらけですが、それでもなお変わらず好きなのは、三つ子の魂なんとやら。
年齢的にだいぶキショい思想な上に、年上ならなんでもOKと言わんばかりの、っていうかそういう主張をしてる自分は相当アレですね。
ま、いくらキモくても、その心理の一端が「自分が自身を認められる素地」にあるとしたら、多分一生捨てられない属性なのでしょう。
なんとも器の小さい男で辟易としてしまいますが、そういう人間なので諦めます。自分は自己肯定感が高いのです。
というわけで、自分が年上ヒロインに執着する理由を考察してみました。
もし読者の方の中に、『自分の器が小さいことをは自覚しつつ、その矮小さをお相手に認めて受け入れてもらいたい願望を持ち、かといってその弱さを表明することに忌避感がある人』がいらっしゃって、未だに年上ヒロイン沼に溺れられていない方がいらっしゃれば、共に年上キャラを愛していくのはどうでしょうか。
年上キャラが好きな方がいらっしゃれば、好きなキャラは誰だとか、どんなキャラのどこが好きなのかとか教えてもらえると嬉しいです。
逆に、年下が好きだという人の意見も、聞いてみたいですけど。
あぁ、中身の薄いエッセイを書いてしまいました......。
以上、駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
【エッセイ】自分の年上ヒロイン好きの根源は、自分の弱さを認められる安心感の渇望 赤茄子橄 @olivie_pomodoro
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