第3話
ある人は「将来が楽しみな子よね。いや、もう十分過ぎるほど整ってるけど」と微笑んだ。
ある人は「目がぱっちりとしてて、もう『わっ! こっち見てる!』って感じで!」と興奮気味に話した。
ある人は「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」と称えた。それは女性の容姿に対しての言葉ではないのか。まあいいか。
*
幸雄が星の話をしなくなったのは、新学期が始まってすぐのことだ。代わりに、転入生の〝文ちゃん〟の話をするようになった。話だけを聞いていると、とんでもない美少女をイメージしてしまうが、幸雄の新たなクラスメイトである文ちゃんは男だ。それでも今度の学芸会では『プリンセス』の役を演じるのだとか。
「なるほどな……」
その姿を一目見ようと、弟もいるその教室を覗き込む。幸雄は目ざとく、兄を見つけてしまって「にいちゃん、どうしたの?」と入り口までやってきた。
「姫を見てみたくて」
文ちゃんがどの人物を指しているのか、紹介されなくともわかってしまった。
ここが舞台の上ならば、常にスポットライトが照らしているような。
ここが映画の世界ならば、いつでも画面の中央にその姿が捉えられているような。
他の人間が、もれなく名前のないモブあるいは背景以下の存在に変えられてしまう。そんな不思議な力の、ほんの一部の波動を浴びせられている。
「月だ」
夜空に瞬く星々には優劣はなく、ただただ地球からの距離が遠いか近いかの差であるはずだ。ただそれだけで、人間が勝手に一等星だの三等星だのと格付けする。
そんな判断基準が適用されないほどに、近くて、美しいものだ。
「あまり見ないほうがいい」
「どうして?」
「なんだか、こう言うのもよくないが、おかしくなってしまう気がする」
「……なんでそんなこと言うのさ」
一学年下の同性に対して『見ていたらおかしくなる』と評するのは、那由他自身も「よくないってわかっている」が、それでも「オレの第六感がそうささやく」から、幸雄を引き離したい。幸雄だけでも救いたい。
「変なの」
弟にわざわざ言われなくとも、妙なことを口走ってしまったと反省している。既におかしくなっちゃいないか。
このクラス全体が、月に魅入られているような。
「にいちゃん、次の授業あるでしょ。クラス戻んなくていいの?」
チャイムが鳴って、現実を教えてくれる。
昼休みは終わる。
「あ、ああ。戻る」
最後の一瞬だけ、文ちゃんと目が合った。まつげが長くて、コンパスで描いたみたいにまあるくて、その一瞬だけで吸い込まれてしまいそうになるような黒目だった。矢が刺さるような、ちくりとした痛みが、左胸を貫く。
「いやいやいやいやいやいや……」
即座に言い訳を提示しなければ、そのまま転がり落ちてしまいそうだった。弟のクラスメイトを好きになるなんてとんでもない。その弟はもう奴の術中にはまっている。あれだけ星の話をしていた弟が。
(兄として、どうすべきだろうか)
考える。自分の教室まで戻りながら考える。絶対によくない。このままではよくない。よくない予感がする。その予感を言語化できないから、弟からは「変なの」と言われてしまった。あの異様な雰囲気はなんだ。しかし本人に近づいたら、自分までもおかしくなってしまいそうだ。確実にそうだ。そうなってしまえば、この異変に飲み込まれていくだけだ。
解決策その1
弟を説得する。
「香春隆文と関わるのはやめろ!」
「文ちゃんは転入生なんだから、クラスのみんなでサポートしてあげないと可哀想だよ。クラスメイトに関わるなって、にいちゃんこそおかしいよ」
解決策その2
母に相談する。
「あの……」
「ああ、あの子! お母さんたちの間でも『かわいい』ってウワサになっているのよねー」
解決策その3
担任に話してみる。
「先生、その」
「那由他くん、それは考えすぎじゃあないかい」
打つ手なし。
「どうしたもんかなあ……」
星を見上げて、知ったかぶりで話す弟が好きだった。星は名乗らない。弟が間違えていようとも、そこに星があることに変わりはなかった。あの時はなんとも思っていなかったけれども、こうして失われてしまった今なら言える。好きだった。
*
やがて時は経ち、学芸会は大盛況のうちに幕を下ろす。
プリンセスの姿は、見た人全員の網膜に焼き付いて、虜にした。
が、文ちゃんは家庭の事情により引っ越しを余儀なくされる。家庭の事情により、は便利な言葉だ。彼自身の問題であるというのに論点をずらして非難の的を誤認させる。真実は、残された人々には伝えられない。暗闇の中の深いところに埋もれて、誰にも探し当てられないように隠される。
「どうして?」
正解を知らないほうが幸せなこともある。けれども、正解を求めてしまうのが悲しい
「時が止まってくれたらよかったのに」
時よ止まれ
お前は美しいから
とはよく言ったもので、時間の経過による劣化がなければ、美しいものは永久に美しいままであり続ける。
「そうだな」
変わってしまう前に、止まってくれたらよかったのに。そうすれば、きっと、
*
今でも、仲のいい兄弟であったはずなのだ。
トロワゼトワル 秋乃晃 @EM_Akino
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