第3話


 ある人は「将来が楽しみな子よね。いや、もう十分過ぎるほどけど」と微笑んだ。


 ある人は「目がぱっちりとしてて、もう『わっ! こっち見てる!』って感じで!」と興奮気味に話した。


 ある人は「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」と称えた。それは女性の容姿に対しての言葉ではないのか。まあいいか。


 香春かわら隆文たかふみは、祝福を受けてこの青い星に生まれついただ。こんな劇物は隔離すべきものなのに、何の因果だか、ごく普通の小学校を転々としていた。そう、



 幸雄が星の話をしなくなったのは、新学期が始まってすぐのことだ。代わりに、転入生の〝文ちゃん〟の話をするようになった。話だけを聞いていると、とんでもないをイメージしてしまうが、幸雄の新たなクラスメイトである文ちゃんは男だ。それでも今度の学芸会では『プリンセス』の役を演じるのだとか。


「なるほどな……」


 その姿を一目見ようと、弟もいるその教室を覗き込む。幸雄は目ざとく、兄を見つけてしまって「にいちゃん、どうしたの?」と入り口までやってきた。


「姫を見てみたくて」


 文ちゃんがどの人物を指しているのか、紹介されなくともわかってしまった。


 ここが舞台の上ならば、常にスポットライトが照らしているような。

 ここが映画の世界ならば、いつでも画面の中央にその姿が捉えられているような。


 他の人間が、もれなくに変えられてしまう。そんな不思議な力の、ほんの一部の波動を浴びせられている。


だ」


 夜空に瞬く星々には優劣はなく、ただただ地球からの距離が遠いか近いかの差であるはずだ。ただそれだけで、人間が勝手に一等星だの三等星だのと格付けする。


 そんな判断基準が適用されないほどに、近くて、美しいものだ。


「あまり見ないほうがいい」

「どうして?」

「なんだか、こう言うのもよくないが、おかしくなってしまう気がする」

「……なんでそんなこと言うのさ」


 一学年下の同性に対して『見ていたらおかしくなる』と評するのは、那由他自身も「よくないってわかっている」が、それでも「オレの第六感がそうささやく」から、幸雄を引き離したい。幸雄だけでも救いたい。


「変なの」


 弟にわざわざ言われなくとも、妙なことを口走ってしまったと反省している。既におかしくなっちゃいないか。


 このクラス全体が、月に魅入られているような。


「にいちゃん、次の授業あるでしょ。クラス戻んなくていいの?」


 チャイムが鳴って、現実を教えてくれる。

 昼休みは終わる。


「あ、ああ。戻る」


 最後の一瞬だけ、文ちゃんと目が合った。まつげが長くて、コンパスで描いたみたいにまあるくて、その一瞬だけで吸い込まれてしまいそうになるような黒目だった。矢が刺さるような、ちくりとした痛みが、左胸を貫く。


「いやいやいやいやいやいや……」


 即座に言い訳を提示しなければ、そのまま転がり落ちてしまいそうだった。弟のクラスメイトを好きになるなんてとんでもない。その弟はもう奴の術中にはまっている。あれだけ星の話をしていた弟が。


(兄として、どうすべきだろうか)


 考える。自分の教室まで戻りながら考える。絶対によくない。このままではよくない。よくない予感がする。その予感を言語化できないから、弟からは「変なの」と言われてしまった。あの異様な雰囲気はなんだ。しかし本人に近づいたら、自分までもおかしくなってしまいそうだ。確実にそうだ。そうなってしまえば、この異変に飲み込まれていくだけだ。


 解決策その1

 弟を説得する。


「香春隆文と関わるのはやめろ!」

「文ちゃんは転入生なんだから、クラスのみんなでサポートしてあげないと可哀想だよ。クラスメイトに関わるなって、にいちゃんこそおかしいよ」


 解決策その2

 母に相談する。


「あの……」

「ああ、あの子! お母さんたちの間でも『かわいい』ってウワサになっているのよねー」


 解決策その3

 担任に話してみる。


「先生、その」

「那由他くん、それは考えすぎじゃあないかい」


 打つ手なし。


「どうしたもんかなあ……」


 星を見上げて、知ったかぶりで話す弟が好きだった。星は名乗らない。弟が間違えていようとも、そこに星があることに変わりはなかった。あの時はなんとも思っていなかったけれども、こうして失われてしまった今なら言える。好きだった。



 やがて時は経ち、学芸会は大盛況のうちに幕を下ろす。

 プリンセスの姿は、見た人全員の網膜に焼き付いて、虜にした。


 が、文ちゃんは引っ越しを余儀なくされる。家庭の事情により、は便利な言葉だ。論点をずらして非難の的を誤認させる。真実は、残された人々には伝えられない。暗闇の中の深いところに埋もれて、誰にも探し当てられないように隠される。


「どうして?」


 正解を知らないほうが幸せなこともある。けれども、正解を求めてしまうのが悲しいさがだ。


「時が止まってくれたらよかったのに」


 時よ止まれ

 お前は美しいから


 とはよく言ったもので、時間の経過による劣化がなければ、美しいものは永久に美しいままであり続ける。


「そうだな」


 変わってしまう前に、止まってくれたらよかったのに。そうすれば、きっと、



 今でも、仲のいい兄弟であったはずなのだ。

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トロワゼトワル 秋乃晃 @EM_Akino

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