この世界で見つけた希望

荒れ果てた険しい道を、一人の女が歩いている。女は弱音ひとつ吐かず、黙々と歩き続けている。その手には小さな、小箱がしっかりと握りしめられていた。


女の名はパンドラと言った。かつてこの世界にありとあらゆる厄災をもたらしてしまった彼女は、世界中に散らばった厄災をかき集めるために、世界の果てから果てへと旅を続けているのだ。


パンドラはふと自分のお腹に手を当てた。パンドラのお腹はほのかに膨らんでいる。


彼女は子供を身ごもっていた。


厄災がもたらされたあの日から。旅を始めたあの日から幾ばくかの時が過ぎたある日。


ある村に辿り着いたパンドラは、そこで一人の青年と恋に落ちた。


その村は、世の中が争いだらけになったにも関わらず、それでもなお平和であった。


まだ厄災の手がその村まで届いていなかったのだ。


青年と恋に落ちたパンドラは、しばらくの間は平穏に過ごしそして。


子供を身ごもった。


青年はこれでもかというくらい喜んだし、パンドラとて同様だった。


二人は幸せだった。


しかし、それも束の間だった。


平和だったその村にもついに、厄災の魔の手が忍び寄ってきたのだ。


幸せというものが崩れ去るのはほんの一瞬だった。


つい先ほどまで互いに笑いあっていた村人たちは互いを罵りあい、互いを傷つけ始めた。


飛び交う男たちの怒声。女たちの叫び声。


パンドラには成す術もなく、ただ呆然とその光景を眺め、そして呟いた。


「私のせいだ。私があの時箱を開けなければこの人たちだって……」


そんなパンドラめがけて一人の男が短剣を持って襲いかかろうとした。


「もうだめだ」


パンドラがそう思った瞬間、短剣を持った男を突き飛ばす者がいた。それはあの青年だった。青年はパンドラの手を引っ張る。


「何をしているんだ!早く逃げよう!」


そうして二人は村から逃げ出すことに成功した。


しかし、そんな二人を村人たちは執拗に追いかけまわす。どこまでもどこまでも。


最終的に二人は逃げられないところまで追いつめられることとなる。


パンドラは足を、逃げている途中ですりむき、これ以上歩くのは困難であった。男も襲いかかる村人との攻防で、体の至る所を負傷していた。


絶望という闇が二人を襲いかかる。しかしその闇を切り裂いたのは。


「僕がおとりになる」


青年は覚悟を決めたように、パンドラに向かってそう言い放つ。


「だから君はその間に逃げるんだ。僕がおとりになれば、遠くまで、十分に逃げられるはずだ」


その言葉に当然パンドラが賛成するはずもなく。あなたと一緒じゃないと嫌、とさめざめと泣き始めた。


「いいかい。このまま二人が一緒にいれば二人とも、いや三人とも死んでしまう」


そう言って青年はパンドラのお腹を見つめる。その瞳はとても悲しそうだった。


「君のそのお腹に宿っている赤ちゃんのためにも、君だけでも生き残らなくちゃいけないんだ」


「嫌よ、私が生き残ったってあなたがいなければ私は生きてなんかいけないわ!それにこの子だってこんな世界に生まれたって幸せになれるわけないわ!それなら三人で一緒に死んだ方が……」


「パンドラ」


青年はパンドラの瞳を真っすぐに見つめる。その瞳には何の迷いもない。


「確かに、この世界は絶望で満ちている。僕の村だってつい先ほどまで平和だったのがこの有様だ。それに僕は知っている。世界がこんな風になってしまったのは君のせいだってことを」


その言葉を聞いて、パンドラは青ざめる。世界がこんな風になってしまったのは私のせいだということを、この人は知っていたの……!?


「それでも、なんだよ。僕は君を恨むことはできなかった。なんでかって、僕は君を愛してしまったから。それに君と日々を過ごしているうちに、君は本当にこころが綺麗な人なんだと思った。確かに世界をこんな風にしてしまった君はとても罪深い。けれどきっと、どうしようもない事情が君にはあったんだ」


そして青年はパンドラを力強く抱きしめた。


「確かに君の言う通り、この子が生まれてきても、こんな世界では幸せになれないかもしれない。それでも。それでも、君が、いや僕たち人間がまだ希望を諦めずにいれば、この子にはいつか笑える日が来るんだよ」


そして青年はパンドラを離し、パンドラのお腹にキスを落とした。お腹にいる赤ん坊を慈しむかのように。


「さようなら、パンドラ。僕はいつまでも君のこともそのお腹の子のことも愛し続けるよ」


そう言うと、青年は走り去っていった。


しばらくすると村人たちの怒声が聞こえてくる。青年は何かを叫びながら走り続けている。村人たちをひきつけているのだ。しばらくすると、青年の声も、村人たちの声も聞こえなくなった。


パンドラは意を決したように、怪我した足を引きずりながらもなんとかその場を離れた。


それから幾ばくかの時が過ぎ……。


あの頃と比べれば、またお腹が少し大きくなった。お腹の子供が少しずつ、しかし確実にちゃんと育ってきているのだ。


パンドラは空を見上げる。曇っていて、とても清々しいとは言えない。道のりもまだまだ険しい。


それでも、と、パンドラは歩き続ける。


この子がいる限り、私は生きることを諦めないわ。あの人のためにも。


そういえば、あの日、世界中に絶望がもたらされたあの日、かすかに声が聞こえた気がした。


「希望を捨てないで」という声が。


ふと、休むのに最適な、大きな木があるのを見つけたので、パンドラはそこで少し休むことにした。


木のふもとに座る。そして、お腹に再び手を当てる。微笑みながらパンドラは、生まれてくる子は恐らく女の子だ、と何となく思った。


「もしそうだった場合、名前はもう決めてあるの。あなたの名前はアウロラ……」


長い夜のような絶望に包まれたこの世界に、少しずつでもいいから光をもたらせる子に育ちますように、と願いを込めて。


気のせいなのか、パンドラの持っている小箱の中が少しきらめいているような気がした。






あとがき。

詩?集のほうに投稿しているお話「少女がもたらしたもの」の続編にあたるお話です。感動してくれたら嬉しいです。

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短編集 chisa♪ @chisa124

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