第22話松永智也「汚部屋」

 もつ鍋屋での食事を終え、タクシーで各々の家に帰宅…のはずだったのだが。

週末ということでどこのタクシー会社のタクシーも出払っているらしく、手配できたのは一台のみ。仕方ない、相乗りで帰るか。

「尾崎さん。タクシーが一台しか手配できなかったので、相乗りで帰りましょう」

「はいはーい」

にこやかに左手を上げて答える尾崎さん。右手にはしっかりとお猪口が握られている。まあ、中身は水だけどな。


 三十分後。タクシーが到着したという連絡が入った…のだが。まあ、予想通りというか何というか。俺の目の前には机に突っ伏してスヤスヤ眠る尾崎さんの姿。あの酔いっぷりだったらこうなるよなと。

「尾崎さーん。タクシー着きましたから、帰りますよ」

「うーん…」

返答のない尾崎さんの荷物を持ち、半ば無理矢理尾崎さんを立たせてタクシーに詰め込んだ。


 「ほら、尾崎さん。家の住所言ってください」

「うえ…じゅうしょ?…東京都△△区…」

「ちょっと!途中で寝ないで!ああもう!何か住所が書いてあるものありますか?」

「ええ~?めんきょとか?」

そう言って尾崎さんは自分の鞄の中をガサゴソと漁りだした。

「あった~!はい!」

そう言って俺に運転免許証を渡してきた。おいおい、こんな貴重な物を簡単に他人に渡すんじゃないよ…危なっかしい所もあるんだな、この人。そんなことを思いながら、俺は運転手に尾崎さんの自宅の住所を伝えた。


 タクシーが尾崎さんの自宅に向けて出発すると、しばしの沈黙が流れた。俺は何となく窓に目を向けて、煌びやかな光達が流れていく様子を眺めていた。しばらくすると、俺は左肩に何やら重みを感じた。まさか…嫌な予感がしてそっと左側を見ると。やっぱり。尾崎さんが俺の肩にもたれかかって眠っている。お、重い…。

「尾崎さん?ちょっと…おーい…」

起きる気配なし。運転手の話によると、尾崎さんの家まであと十分程度とのことだ。仕方ない、このまま寝かせるか。スヤスヤと眠る尾崎さんの顔をまじまじと眺める。あ、髪の毛食ってる。俺は自分の右手で尾崎さんの口についた髪の毛をとり、尾崎さんの耳に掛けた。唇柔らか…っていうか、なんかめちゃくちゃ良い匂いがする。なんだ?香水?甘いんだけど甘すぎない…やばい。変な気分になってきた。俺は再び窓の外の景色を眺めて時が過ぎるのをじっと待っていた。


 煩悩と戦うこと十分。俺達を乗せたタクシーは無事に尾崎さん宅に到着した。そこはなんと偶然にも、俺の家からそんなに離れていない場所だった。ここからなら自分の家まで歩いて帰れると判断した俺は、タクシーの運転手に料金を支払いを済ませることにした。尾崎さんを無理やり起こしタクシーから降ろすと、俺達がいた場所の足元に何か落ちていることに気付く。?何だ?体をかがめて手に取ってみると…尾崎さんの社員証だ。さっき鞄の中を漁っていた時に落としたのか。気が付いて良かった、後で渡そう。俺は運転手にお礼を行って、タクシーが出発するのを見送った。


 さて、後は尾崎さんを部屋に送り届けるだけだ。

「ほら、尾崎さん。部屋行きますよ」

「は~い」

俺達はマンションのエレベーターに乗り込んだ。尾崎さんは、依然ニコニコしているものの先程よりは酔いが醒めているように見える。この状態なら一人にしても大丈夫だろう。

「何か松永君がここにいるの変な感じだね~」

「さすがに酔っ払った女性をそこら辺に放置して帰る程薄情な人間じゃないんで」

「へへへ~ありがとう」

まだ酔っているのか、俺の嫌味が通じない。


 エレベーターを降りて尾崎さんの後ろに付いて歩いていく。尾崎さんはひとつの部屋の前で立ち止まると、再び鞄の中を漁りだした。……なかなか鍵が出てこない。

「俺、探しましょうか?」

「えへへ~ごめん。お願いします」

ったく、酔っ払いめ。鞄の中は意外とごちゃごちゃしていて、この中から鍵を見つけるのは酔っていなくても難しそうだ。おい、なんで飲みかけのお茶が二本も入ってるんだよ!そんなツッコミを入れつつ手を動かし、キーケースらしきものを発見した。

「これですか?」

「それ!ありがとう~」

鞄の中がごちゃついていた時に気が付くべきだったんだ…。


 「あのね、ちょっと汚れてるけど気にしないでね~」

「は?まあ、別に少しくらいなら全然気にしませんよ」

俺は尾崎さんの荷物を運ぶために、部屋の中にお邪魔した。………いやいや、これのどこがちょっと?床には雑誌やら服やらが乱雑に置かれていて足の踏み場がない。

「松永君、突っ立ってないで奥行ってよ~」

「い、いや。奥行ってって、歩けないでしょ」

「大丈夫だよ~」

そう言って尾崎さんはわずかに見えるフローリングを器用に歩きソファにダイブした。ソファの上はキレイなんだな。

「あ~、疲れたぁ。松永君、今日はありがとうね」

美人ににっこり微笑まれたら心も捕まれる…って、この部屋じゃなきゃな。と、自分自身にツッコミを入れる。

「あのー、尾崎さん。部屋の中っていつもこんな感じなんですか?」

「え?ううん、違うよ~。今日は金曜日だから」

「は?どういうことですか?」

「だから~金曜日だからなの!土日のどっちかで部屋を綺麗にして、平日の五日間で少しずつ汚れていって、で、次の土日にまた掃除して綺麗にする。これがサイクルなの!今日は金曜日だから、一番部屋が汚い日なんです!」

いや、そんなに堂々と言われても。仕事場での尾崎さんからは想像もつかない姿。なんで彼氏いないんだろうって思ってたけど、家事しないタイプの人なのか。いや、土日はやってるって言ってたか。どちらにしても、新たに発見した尾崎さんの姿に思わず笑みがこぼれる。

「何わらってんの~?」

「いえ、何でもないです。じゃあ、俺帰りますね。酔っ払ってるんだから、さっさと寝てくださいね」

 そう言って、俺は尾崎さんの家を後にした。酔っ払うと少し面倒くさいところ、ケラケラ笑う所は職場での姿よりも幼く見えるところ、思ったよりも部屋が汚いところ、なんだか今日は色んな尾崎さんを知れた気がする。何にせよ、偽彼女が決まってホッとした。これで職場が平和になれば万々歳だ。……あ。そういえば。俺は上着のポケットの中を探った。やっぱり。タクシーの中で拾った尾崎さんの社員証を持って帰ってきてしまった。尾崎さんの家に引き返すのも面倒だし、このまま預かっておこう。最悪、月曜日の朝渡せば良いだろう。


 尾崎さんと二人きりでの飲み会。最初はどうなることかと思ったが、思ったよりも楽しい時間になったのだった。


 自宅に着いてすぐにシャワーを浴びた。今日は色々あって疲れた、尾崎さんほどじゃないけど俺もそこそこの量の酒を飲んだしな。部屋着に着替えてリビングに歩いていくと、携帯を手にしてソファに腰掛ける。あれ、メッセージが来てる。誰だ?こんな時間に…メッセージアプリを開いてみると『♡愛梨♡』の文字。なんだ、あいつか。


『先輩、今日は会えて嬉しかったです!今度は私ともご飯行きましょうね!』

俺は当たり障りなく『お疲れ。また今度な』と返信した。


俺がメッセージを返すと、すぐに愛梨からメッセージが届いた。あいつ、こんな時間なのにまだ起きてるのか…若いな。

『ところで、今日先輩と一緒にご飯食べてた人ってお名前何て言うんですか?』

『尾崎さんのこと?』

『尾崎さんって言うんですね!尾崎さんの連絡先教えてほしいです。愛梨、今年就活だから社会人の先輩に色々アドバイスしてほしくて…』

『別に俺だって社会人の先輩だろ。わざわざ尾崎さんに何聞くんだよ?』

『女性にしかできないアドバイスってあるんですよ!面接官に受けが良いメイクとか髪型とか…』

まあ、確かに化粧とか髪型に関して俺がアドバイスできることはない…か。

『分かったよ。後で教える』

『わーい!ありがとうございます!』

ま、大丈夫だろ。愛梨も悪い奴じゃないし、純粋に尾崎さんに相談したいんだろうな。

俺は尾崎さんの連絡先を愛梨に送って、体力の限界を迎えてソファで寝落ちしたのだった。

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恋愛適齢期男女のホンネ 柊チヨコ @rinon_choco

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