第21話「売り言葉に買い言葉~智也side~」

 偽彼女のことは一旦置いておいて、俺達はもつ鍋を堪能していた。美味しい食べ物のお陰で酒もすすみ、尾崎さんとの会話もはずんでいる。尾崎さんって話しやすいんだよな。素の俺に対しても、これまでと何も変わらず接してくれるし。なんとなく、これまで自分の周りにいた女性達とは何かが違う気がする。


 尾崎さんと話をしていると、やけに個室の外の廊下がガヤガヤしていることに気が付いた。何だ?そう思った俺は個室の引き戸を少し開けて顔をのぞかせた。すると、そこにいたのは大学時代の後輩が数人。俺の姿を見つけた彼女達はキャーキャーと騒いでいる。…またか。せっかく楽しく食事や飲み会をしていても、こういう女性達に会を邪魔されたことは過去に何度もある。しかも今日は会社の先輩との食事の場だ。正直、勘弁してくれ…と思う。チラっと尾崎さんの方を見ると、空気を読んで静かにしてくれている。ああ、気を遣わせてしまっている…。この状況をどうにかせねばと思っていると、社用携帯が鳴りだした。なんだよこんな時に…って、〇〇堂!?〇〇堂とは先日クレームが発生した会社だ。また何かあったら大変だと思い、電話に出ることにした。丁度良い、俺がこの場からいなくなれば彼女達もここから退散するだろう。そう思った俺は、尾崎さんに一声かけて、さらに彼女達に自分達の席に戻るように促してこの場を離れた。


 ○○堂からの電話は問題なく対応でき、ホッと一安心して席に戻った……のだが。なぜか俺の席には、先程突撃してきた後輩達の中のひとり・須藤愛梨の姿があった。

愛梨は俺の三歳下の大学四年。学生時代に可愛がっていた後輩のひとりだ。派手な見た目と言動で誤解されやすいタイプだが、悪い奴ではない。俺が社会人になってからもたまに飲み会で顔を合わせる仲だ。そういえば、俺は学生時代もモテていたんだが、愛梨が俺達のサークルに入ってきてからは比較的平和だったかもな。

「愛梨、まだいたのか」

というか、尾崎さんと愛梨は初対面だよな。二人で何を話してたんだ?女性って初対面でも話ができるものなのか?

「だあ~って~、久しぶりに智也先輩に会えたから嬉しくって。あ、そうだ。先輩も一緒に私達の席で一緒に飲みましょうよ~。こんなおばさんと一緒にご飯食べるより愛梨達と一緒にいたほうが絶対楽しいですよ」

俺は、相変わらずな愛梨の話し方よりもある単語にピクっと体が反応した。あ。やばいな、これ。尾崎さんに『おばさん』は地雷じゃないか?さっきの俺の『お局』呼びにかなり引っかかってたからな。そう思ってチラっと尾崎さんの方を見ると…案の定怒りを露わにしていた。これは相当キテるぞ…。


 「ちょっとあんた、いい加減にしなさいよ」

あ、やばい。マジでキレてる。美人が起こると迫力あるってよく聞くけど、ホントなんだな。って、今はそんなことを悠長に考えている場合じゃないか。

「松永君はね、今私とデート中なの。見てわかるでしょ。気利かせなさいよ」

ん?デート中?尾崎さん、何言ってんだ?俺の混乱を他所に、尾崎さんと愛梨のキャットファイトは続いている。

「はあ!?あんたさっき同僚って言ったじゃない」

「同僚でもあり恋人でもあるのよ」

これはもしや…尾崎さん、売り言葉に買い言葉で俺の彼女って名乗ってるな。


 『これを使わない手はない』と、俺は咄嗟にずるいことを思いついた。尾崎さんはきっとこの場だけ、強いて言えば愛梨の前だけで彼女のフリをするつもりなのだろう。そうはいかせない。

「何よそれ!」

「何よ、文句あんの?だいたいあんたさっきから偉そうに……」

「まあまあ、尾崎さん!」

これ以上はまずいと判断した俺は二人に間に入った。愛梨に適当なことを言って個室から追い出し、俺はある人にメッセージを送った。

『尾崎さん、偽彼女を引き受けてくれました』

送信先は…もちろん、篠宮係長だ。尾崎さん、さっき自分で俺の恋人だって言ってたからな。言質とったってことで。さて後は、俺の目の前でオロオロしている尾崎さんを囲い込むとしますか。


 「いやー、嬉しいなあ。偽彼女、ありがとうございます!しかもプライベートの方で早速実践してくれるとは。まさか尾崎さんの方から付き合ってる宣言してくれるとは思わなかったなぁ」

「い、いや…これは何と言うか…売り言葉に買い言葉で…」

尾崎さんは何やらごちゃごちゃ言っているが、そんなことは気にしない。さっきは愛梨に対して怒りの表情を見せていたと思ったら、今はオロオロして戸惑いの表情を見せる。尾崎さんは表情豊かで、見ていて本当に飽きないな。


 そうこうしていると、俺の携帯がメッセージの受信を知らせた。俺はその内容を確認し、メッセージの画面を尾崎さんに向けた。

『お、説得成功したか!さすが松永だ!尾崎にもよく決心してくれたと伝えてくれ』

既に篠宮係長に報告済みだということを知った尾崎さんは、どうやら観念したようにも見える。…少し可哀そうな気もするが、自分で俺の彼女って宣言してたしな。


 尾崎さんは目の前にあるレモンサワーをぐびぐびと飲み干した。酒に逃げたい気持ちは、まあ理解できる。これから偽彼女になってもらうんだから、今日くらいは付き合いますか。

「お、尾崎さん飲みますね。今日は偽彼女誕生記念ですから、飲んじゃいましょう!」

こうして俺は尾崎さんに酒を進めたのだが、これが俺の長い夜の始まりになるとは……。


 「松永君、お代わり頼んで。次は日本酒」

「お、尾崎さん?さすがに飲みすぎなんじゃ…」

「うるひゃい!先輩が頼んでって言ってるんだから、黙って頼みなさい!だいたいねぇ、もつ鍋には日本酒でしょうが~……」

尾崎さん、酒癖悪……。というか、単純に飲みすぎだな…。ビール一杯、レモンサワー三杯、これで終わりかと思いきや次は日本酒かよ。次からは水を渡そう。そう考えた俺は、店員に頼んでとっくりに人肌に温めた水を入れてもらった。

「はい、尾崎さん。日本酒ですよ」

「ありあと~」

そう言ってニコニコとした笑顔を俺に向けて、お猪口に注いだ日本酒もどきを飲み干した。

「あ~、おいしいねぇ!」

よし、作戦成功。もうこれ以上酒は飲まさないようにしよう。だいぶ呂律が回ってないし。俺が尾崎さんを見ていると視線に気付いたのか、普段よりも屈託のない笑顔を向けて「な~に~??」と話しかけてくる。七分丈のニットからのぞく手首は華奢で、触れたら折れてしまいそうなほどだ。普段よりもピンク色に上気した頬ととろんとした目は、思わず見入ってしまうほどだ。この人、合コンとかで酒飲んだら無双するタイプなんじゃないか?


 「まつながくーん?おーい?」

「あ、すみません。何ですか?」

「何考えてたの~?」

あなたに見惚れてました…なんて言えるわけないだろ。

「いえ…尾崎さんって酒好きなんですね」

「えへへ~、そうだね~。お酒美味しいし、嫌な事とかも忘れられるしね」

「嫌な事って?」

「ん~、仕事で失敗したこととか?」

「意外。尾崎さんでも仕事で失敗することあるんですね」

「あるよ~あるある。しかも私の悪い所はさ、失敗した時の気持ちを引きづっちゃうの。だからず~っと落ち込んだ気分になったりする」

尾崎さんはそう言って日本酒…もとい水を飲み干した。


 「誰かに話を聞いてもらったりとかしないんですか?七瀬さんとか」

「ん~。会社の人に仕事の愚痴言うのって、あんまり得意じゃなくて」

「彼氏とかいないんですか?」

『彼氏』という単語にピクっと尾崎さんの体が反応する。

「彼氏!?彼氏なんてとうの昔からいないわよ~。当分独り身で悠々自適に過ごそうって思ってたのに…偽彼女とか…そうよ!偽彼女!」

篠宮係長が偽彼女の候補に挙げるくらいだから彼氏はいないんだろうなと思ってはいたけれど、本当にフリーなんだ。なんか意外だ。話しやすいし、モテそうなのに。って、酔っ払いに偽彼女の話題はまずいだろう…ウザ絡みされる前にさっさとお開きにしよう。というか、この人さっきから水しか飲んでないのになんでまだこんなに酔っ払ってるんだよ…。

「お、尾崎さん!今日はもう遅いですから、そろそろお会計して帰りましょう」

「ええ~、もう帰るの…」

俺は尾崎さんの返事も待たずに会計をして、帰りのためのタクシーを呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る