第一話 3

 ――やっば!

 真希は叫んでから、口を抑えた。たが一度口から出てしまった言葉は戻らない。どんなに苛ついても、犬扱いは心の中に留めておくべきだった。

 だが真希の焦りとは裏腹に、スマホからはクククッという笑い声が聞こえてきた。


「相変わらずひどいなあ、真希ちゃんは」

 朗らかな声に、真希は肩の力を抜いた。泰河は怒ると、少々厄介なところがある。とは言っても、決して怒鳴り散らしたり、手を上げることはない。ただひたすら面倒くさい人間へと化すのだ。

 安心しきった真希の耳に、楽しげな泰河の声が届いた。


「それで今日の依頼は、真希ちゃんにはわかりそう?」

 わからないわけないよね、と泰河は煽るように続けた。

――ああ、やっちゃった。

 真希はまぶたを閉じた。泰河は犬扱いをしっかり根に持っていた。


「真希ちゃんは、犬の僕の助けなんて不要だよね―。助手、卒業かな?」

 拗ねたような声がまだ続く。真希は小さく息を吐いた。


「今回の依頼は辞退することにしました」

「……理由は?」

 泰河は端的に尋ねた。ガラリと変わった静かな声色に、真希は自ずとスッと背筋を伸ばした。

「警察に届けていない、犯罪が絡んでいる可能性があります」


 真希はさりげなく後ろを振り返り、チラッとめぐみを見た。所在なさげに俯く姿は幼く見え、小学生の子どもがいるように見えない。でも暗い顔つきは疲れ果てて、実年齢以上にも見えた。

――なんというか、チグハグだ。

 じっと観察していると、そんな印象を抱いた。


 じっと見つめすぎたのだろう。視線を感じためぐみが顔を上げた。めぐみは真希の姿を認めると、首を傾げてふわふわの栗色の髪を揺らした。


 真希は曖昧に微笑んで、めぐみに軽く会釈をした。それから再び背を向けると、「ふーん」という声がスマホ越しに聞こえた。


「犯罪って?」

「虐待、監禁あたりが妥当かと」

 瞼を閉じると、脳裏に2枚の写真がよぎった。

 1枚はごく最近撮ったという、母子の写真。2人とも完璧な笑みを浮かべて、絵に書いたような幸せ親子が写っていた。


 もう1枚は6年前に撮られたという写真。そちらは父親の姿もあり、どうやら小学校の入学式の日に撮られたらしい。無邪気な笑顔を見せる息子と、気むずかしそうな表情の父親。その隣で心配そうな表情が隠しきれないめぐみが立っていた。


 普通に考えれば、写真の変化は就学に伴う不安も解消され、幸せな家庭を気づいている象徴だろう。今回の家出は反抗期、もしくは学校で問題を抱えていると考えるのが筋だろう。


 だがめぐみは頑なに警察を拒み、周囲への聞き取りも拒否した。残された置き手紙と地図という手がかりのみで解決しろという要求を一方的に繰り返した。

 あまり知られたくない事情、――もしくは事件を抱えていることは容易に察せられる。



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探偵は今日も現れない 星蔦 藍 @hoshituta9919

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