星雲都市

伊島糸雨

星雲都市


 都市が紫紺を秘めた青水晶に呑まれゆくのを、私は見た。真昼の倦怠が連なる高楼の影を伸ばしては、散り散りに蠢く小粒を覆うさまを瞳で捉え、水平を舐める灰燼の日が一切を焼き滅ぼすさまを見た。柔きものは焼滅し、形あるものは脆くひび割れくずおれたあと、まったき冬の気配が夜露を孕み結晶質に変容させて、かくして崩壊の一途は硬直された。その一手の所以は定かでないが、瞬く星の点描は、都市が遥か以前からそのような円環の元にあるのだと密やかに語り合った。

 都市は今や、煌めきに声を発する鉱脈であった。かれらは骨組みに根付く囁きであり、自然において唯一存在し得る確かな意志と目されていた。その言葉を知るためには色相環の冬に類する区間を必要としたので、私は心臓を結晶で象り、七日をかけて冷光の主人となった。金生水。その狭間こそが境界であり、私の血液は結晶質の寄主となって、性質と呼ぶべき生態は徐々に転換と変性を経ていった。

 星雲とは声なき声の残響である、とかれらは言った。私はかれらが人類の軌跡を頼りにかたちづくった神殿で、絶え間ない意味の瞬きを記憶する役を担っていた。ギリシア円柱、廊のバシリカ、尖塔鐘楼、楔のバットレス、雪景円屋根ドーム自己相似フラクタル唐草模様アラベスク、神明大社の大鳥居──そして、超新星の色紋硝子ステンドグラス。それら不揃いの貴石は理解の彼方で溶融し、致命的な位相の瑕疵バグとして単一座標に蝟集している。故に、すべての言葉を記録し得る大図書館は、祭壇や食卓、告解室や役場の窓口と同義であり、私は司書や巫女、家政婦に修道者、あるいは受付でうたた寝をする地域猫と近縁にあった。

 かつて、都市は夜のために光を湛える渓谷だった。電線は蜘蛛糸の如く幾何学的に絡み合い、不可視の神託は液晶と傷病を結びつける。遷移する影絵の虚ろに人は倒れ、湿り気を帯びた路地裏にある階段と換気扇の群体は、ビルの合間でたむろする。立体駐車場の最上から見下ろす世界には、緩慢に発進する電車のパンタグラフが点々と浮き、声もない駆動音の遠い先では、残照に沈む背の低い街々の草臥れた生活の痕跡が累々と地面を濡らしている──。そのような微視の集合としての巨視的光景は、かれらにとって実に住み良い土壌であったといい、一面の結晶世界は真夜中にひしめくネオンさえも呑み込みながら、その再現を思わせて蒸気波ヴェイパーウェイヴを漂わせた。当初予見された崩壊の幻想は、かれらが人類の残骸に根を張るほどにその感触を変えていき、神殿をとりまく記述の描画層レイヤーも私の印象を受けて増減した。心臓の冷光は静かに冬の気配を抱え続けている。かれらは私を同胞と呼ぶ。私はそれが嬉しかった。

 繁栄と衰退について、かれらは昼夜ではなく黎明や黄昏の類型として語ることを特に好んだ。それらは分岐的で多世界的なあらゆる因果を導くための過程にして境界であり、それ自体が特段の権威を持っているわけではないのだとも。星が生まれるための運動と星が滅ぶための停滞に違いはなく、無数の盛衰によってこそ歴史や言葉や意味は生まれる。終幕後に灯る光は新たな物語の狼煙となり、拡散する微細な言葉が次の反応を創出するさまは蝶の羽搏きとよく似ている。都市とはそうした混淆の坩堝であり、それ故に星々の声の主人たち、凍てつく月の結晶に住まう星雲の稚児たちは、人の営みを選定した。自らの故郷、母胎に通ずる開闢の混沌カオスに、それは最も近しかった。

 意志はそのようにして誕生する、と私はかれらの言葉で記述する。光明の瞬きは心臓の鼓動。閃く声の残花を拾い、結晶質の造花を並べる徒労が私の使命と悟っている。選ぶことと選ばれることは隣接し、再生と再開のために為すべきことは、原初の萌芽より定まっている。

 流動性の貴石を散らす噴水の中庭から、明けない星の空を仰ぐ。神殿の重複する様式が落とす影は菫色。溶け混ざる抽象の花々は開花と枯死を繰り返し、その先には天地を繋ぐ鏡面の泉と十字に架かる朱色の木橋、浮かび上がる瓦斯灯と灯籠群が淡い火影を落としながら、当て所ない道行を示している。私は行く先々で終末の気配とその断片を発見する。壊れた鉱石ラジオの遺骸は蒼玉と紫水晶の宿主となり、彼方の呼び声を秘密めかして囁いている。足を止めた電車の車窓には星雲たちの歪な揺らぎ。立ち込める靄の果てには極彩色の幻視の砂漠が広がっており、私は灰色をした塵芥の中に真新しい病衣の散乱を見る。消失と喪失、あるいは遺失とも呼ばれ得る現象は、そのような形式を持って生成された。

 かれらはこれら残り香の存在をいたく重視していた。遺されたものは内包される一切が過去の軌跡そのものであり、故に星雲の生涯と近似している。収集される記憶と記述される言葉が神殿を満たすほどに、あらゆる声は祈りの色を帯び始め、結晶の放つ燐光は次第に調和を成して淡い瞬きの合唱となる。重みのない澄んだ水。都市は仄白い水底の青。初雪の匂いは星の霊気。共生は合一の婉曲として、私たちは幾度も生まれ直した。

 私が結晶質の心臓により冷光の主人となり得たのも、突き詰めれば同様の理由によるものだった。私は都市が散らした残光の一筋。名称を得て存在を示すことで、かつて存在し今もまだ漂い続けるものの在処を示唆する傍線だった。それはある種の奇跡的必然、運命的偶然であり、私は現状に満足していた。かれらは美しかった。都市を満たす冬の夜の青い静寂は、私が願った温もりそのものだった。

 すべての始まりには光がある。星の鼓動は連続する色彩の渦を拡散し、都市は呼吸を再開する。光あれ。かれらと共に唱えた祝詞は、神殿を埋め尽くす声の真水さみずを解放し、流転する意志の導きとして路地を街路を浚っていく。

 黎明。星の生まれるその瞬間ときに、意志わたしたちはまた、目蓋を開く。

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星雲都市 伊島糸雨 @shiu_itoh

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