界世の側裏

藍田レプン

界世の側裏

 私の弟の話である。


「兄ちゃんはゲームとかする? 3Dのやつ」

 弟にそう聞かれて、私は少しだけなら、と答えた。

 私は細かい操作が苦手で、アクションゲームは苦手だが、地道にレベルを上げていけばクリアできるRPGなら、3Dの作品も何作かプレイしたことがある。

「3Dのゲームってさ、ふとした瞬間に『裏側』が見えることあるじゃん」

 私は頷く。カメラの視点やキャラの位置関係で、本来見えないはずの3Dモデルの裏側や、地面の下が透けて見えてしまう、あれのことだろう。

「俺さ、あれ、この現実の世界にもあるんじゃないかなって思うんだよ」

「裏側が?」

「そう、裏側。実はさ、見ちゃったんだ、この前」

 先週のことだと弟は話し始めた。

 弟は居酒屋でしとどに酔っぱらい、最寄駅から住んでいるアパートへ向かって歩いていた。夜道とはいえ住宅街のため街灯も多く、これまでも数えきれないほど通ったその道で、不意に景色が一変したのだという。

「ほんとにゲームのバグみたいな感じで、足元がすり抜ける感覚って言うの? スッと目の前の景色が上にスライドして」

 気がつくと、無彩色の街が目の前に広がっていたという。

「夜は暗いけど、ほら、色があるじゃん。濃い藍色とか、街灯の黄色だかオレンジみたいなさ。でもそこは本当にグレーの濃淡だけでできているような変な街で」

 色が無いだけでなく、街の建造物自体も変だった。

「AIに描かせた建物みたいに窓の大きさとか仕切りの数もちぐはぐで、おかしいんだよ。一見普通なんだけど、よく見るとエッシャーの騙し絵みたいに構造的にありえなかったり。でも色が無いから遠目で見ると一見普通で、でも変なんだよ。まるで」

 まるで、人間以外の何者かが、人間の街を真似て造ったような。

「人もいた。いや、人かどうかはわからないけど、なんかみんな変なんだよ。体のバランスがおかしかったり、腕や足が一本多かったり足りなかったり、まあそれだけならそんな人もいるかもしれないけどさ、顔が」

 顔のようで、顔でない。

「ぐにゃあって、歪んでるんだよ。髪と顔の境目が溶けたみたいになってたり、目のある位置をなにか黒いもので塗りつぶしたみたいになってたり、やっぱり」

 それは不出来なAIに描かせた人間のような歪さだったという。

「でも、その中に一人だけこっちの世界と変わらない普通の人がいて」

 五十代くらいの女性で、黒髪を肩まで伸ばした、どこにでもいそうな平凡な顔立ちの日本人に見えた。けれどその平凡な顔とは対照的に、その服は『異彩』を放っていたのだという。

「オーロラを着てるみたいな感じだった。その人の服だけ色がついて見えるんだよ。輪郭は曖昧で、腕や足との境目もよくわかんない、ワンピースみたいなオーロラ。その人が俺を見て」

 小さく細い目をさらに細めて、笑った。

「何か話しかけてきたけど、何を話していたのかはわかんない。日本語じゃなかったと思うけど、英語でも中国語でもない感じ。一番近いのは、えーと……逆再生? 動画の声を逆再生すると何言ってるのかわかんない感じになるじゃん、あんな感じ」

「それで」

 それからどうなったの、と私が聞くと、そこで記憶が途切れて、気がつくと朝になっていたと弟は語った。

「いつもの住宅街の道で、ぼーっと突っ立ってた。いや、わかるよ。酔っぱらって立ったまま夢でも見てたんだろうって。でもさあ」

 とても不安になる、不気味なその裏側の世界で会った、オーロラの女が

「なんでだろうなあ、ずっと忘れられないっていうか、また会いたいっていうか、なんかさ……」

 それで、今もう一度あの世界に行けないか、いろいろ試してるんだよ。

「もし成功したら、ビデオ通話するからさ。その時は実況中継楽しみにしててくれよ。バズるぜ、きっと」

 そんな会話を、十日前にした。


 そして現在、私は警察に呼ばれて弟の住んでいたアパートの一室にいる。

 弟が何か事件に巻き込まれた可能性がある、と聞いてやってきた私が目にしたものは、畳から生えている一本の腕だった。

「ようわからんのですわ」

 と警察の人間が言う。

「えー、発見者は●(弟)さんの友人で、よく彼の家に遊びに来ていたそうで。彼から合鍵ももらってたらしいんですわ。それで昨日も、一緒に酒を飲もうと思ってコンビニで酒とつまみを買って、合鍵を使って鍵を開けて、この部屋に入ったら」

 この有様だったらしいです。

「この腕、弟さんの物で間違いないですか?」

 そう聞かれ、私はわかりません、と正直に答えた。成人した男の腕に見えるが、それが弟のものであるかまではわからない。弟はそんなに特徴的な腕をしていなかったように思うし、似ていると言えば似ている、くらいの判断しかできなかった。

「まあ、後でDNA見ればわかりますんで、それはいいですわ。でもねえ」

 なんちゅうか、有り得んのですわと男は言った。

「腕をね、畳から外そうと思ったら外れない。どうなってんだと思って畳をひっくり返して見ましたら、腕がねえ、畳を突き抜けとるんです」

 腕が畳を突き抜けて、畳表の繊維と畳床が腕に食い込み、その下ですっぱりと切れているのだという。

「有り得んでしょう、合体しとるんですよ、腕と畳が。それに切り口も妙で」

 どんな鋭利な刃物を使っても、こんなに綺麗に切れるわけがない、というほどきれいな断面なのだ、と男は言った。

「まあ、そういうわけで、これからいろいろお聞きしてご迷惑おかけしますが、よろしくお願いしますわ」

 腕の隣には弟のスマートフォンが転がっていた。弟が消える直前にビデオ通話をかけようとした形跡があり、そのアドレスが私のものだったらしい。

 フィラデルフィア実験をぼんやりと私は思い出していた。あの転送実験はもちろん架空の話だろうが、弟も

 裏側の世界に行こうとして、失敗してしまったのだろうか。


 畳に残されていたのは間違いなく弟の右腕だと後日判明したが、他のパーツがその後発見されたという話は聞かない。だから、私は弟は今も裏側の世界で生きているのだと思っている。

 弟はオーロラの女と、再会できたのだろうか。

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