1日目・夕食
あなたは自室での食事を希望した。まだ空腹を覚えているとともに、静かな場所で落ち着きたかったのだ。エクセターの人混みで思った以上に疲れてしまったたのかもしれない。運転手はそれを汲んでか、屋敷への報告に一言言い添える。
「やかましいのが出入りしないようお願いしますよ」
あなたの耳が殊更良ければ、受話器の向こうの応答が聞こえたかもしれない。
さて、秋なれど青々と下草の生い茂る丘陵地、成人の腰ほどの低木の小道、そしてだんだん深くなっていく森の中を車は行く。その森が開けると同時に、フロントガラス越しに大きな屋敷があらわれた。
"ガスパール・ホール"だ。
とっぷりと日の暮れた暗闇の中、穏やかな橙色の灯りがカーテンを透かして輝いている。それを受けて浮かび上がる建物はまさに"マナーハウス"だった。向かって正面に横向きの一棟、その左右それぞれに縦向きの一棟を備える大邸宅だ。
夕食を楽しみにするあなたには、右の棟の煙突から薄く煙がたなびくのが見えたかもしれない。あるいは、どこの窓も閉ざされた暗い左の棟に惹きつけられたあなたなら、不穏な予感に胸を高鳴らせても不思議はない。
間もなく、車は正面玄関に横付けされた。
荷物を手に降りるあなたを、白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた老年の男が見つめている。静々と一礼した彼の後ろからは青年が進み出て、荷物を預かってくれた。
「遺産探偵様」
お待ちしておりました、と老年の男があなたを呼んだ。
さあ、館に踏み込む覚悟を決めたまえ。
あなたが通されたのは、玄関を入って左の部屋だった。歴史を感じるような暖炉や食卓、椅子、大きなソファの設えられた談話室だ。部屋の外からも人の多さを察するほどの賑やかさだったが、あなたが踏み込むと同時に話し声がぴたりと止む。暖炉の前で酒杯を傾ける人々、バーカウンターに頬杖をつく男、壁に背を預けた女、箱席で談笑する子どもたち……幾つもの視線が向けられた。
その目のどれもが「お前が探偵か?」と好奇心を露わにしている。あなたは観察者の視線でもってかれらを見返すかもしれないし、肉食動物に囲まれた生き餌の気分で震え上がるかもしれない。どちらにしろ、一瞬のことだ。直ぐ、老年の男が視線を遮るように前に出てくれる。
「お気づきの通り、この方こそ遺産専門の探偵どのでいらっしゃいます」
明日から探索を開始するので、良ければ協力を。男がそう言い添えれば、口々に……いくつかは茶化すような……賛同の声が上がった。スミスさんの仰る通りに、と溺死者のような声がカウンターからも聞こえてくる。男が……家令スミスがあなたにも向き直った。
「皆、当家の食客としてご逗留いただいている方々です。先程茶化したのが腹話術師のサムディ氏、あちらで瓶からお酒を楽しまれておいでなのがミス……まあ、それぞれの方々からお聞きになるとよろしいでしょう」
物知りな方々です、話を伺う機会もあるでしょうから……。
聞かせるともなしに家令スミスが言い添えた。"遺産"のことを探るなら、彼らと話すのは避けられないようだ。
スミスは談話室奥の壁際のソファをあなたにすすめた。机を挟んだ正面に彼も腰掛ける。
「名高い遺産探偵どののご助力を賜れる事、実に嬉しく思っております」
恐らく、談話室の食客達にも聞かせるつもりなのだろう。声を抑えることなく、スミスは滞在に関する説明を始めた。
「その調査の妨げとなるのは誠に心苦しいのですが、守っていただきたい事が」
曰く、調査には館の住人を必ず伴うこと。それから、朝昼夕の食事は自室か食堂で必ず摂ること。加えて、調査は夜の6時までとすること。
いずれも安否確認のため、ひいては安全を守るためと口にして、家令スミスが言い添えた。
「なにぶん古い屋敷です。色々あるのですよ」
あなたはきっと了承してくれるだろう。怯えながらか、それとも好奇心に目を輝かせてか……そんなあなたの様子に、スミスが薄く笑った。先が二又に分かれた舌で唇を湿らせてから、あなたに立ち上がるよう促した。
お部屋にご案内を、とスミスが前を行く。エントランスの階段を昇り、廊下を行き、また階段を。そうして着いた三階の角部屋があなたの部屋だ。
客室とスミスは呼ぶが、小さなアパートの一室と言われたほうがしっくりくるかもしれない。
入ってすぐが居間となり、クローゼットと四人掛けの食卓が置かれている。壁際には扉が二つ作り付けられ、片方は客室内廊下、もう片方は寝室に続いているそうだ。廊下の先は浴室兼洗面所とお手洗いに繋がっているという。一通りの案内を手短に行なって、
「では、ごゆるりと」
まもなく夕食も参ります、と言い残し、スミスは静々と退室した。
あなたも少し気を抜いて過ごすといい。あちこち見て回るのもいいし、荷解きもしなくては。
何かしらしていれば、そう待つこともなく、部屋の扉が叩かれる。廊下には五人の女が並んでいた。背格好は様々ながら、お仕着せは詰襟の黒いワンピースドレスで揃えている。
一見すれば"娘さん"と呼べるような顔つきながら、あなたを見る目は……老女のように落ち着いた……年長者のものだ。五人の中央、黒猫めいた一人をじっと眺めていたなら、緑の虹彩で囲まれた瞳孔が細まるのを見るかもしれない。
「お食事をお待ちしました」
緑の虹彩の女は、ここの使用人だと名乗った。あなたの滞在においては侍女の立場を任されたのだ、とも。あなたが許せば、彼女らは銀のワゴンを携えて入室してくる。トレイや皿を手に、瞬く間に食事の準備を整えてしまうだろう。
「どうぞ、お席へ」
一際小柄な女があなたの椅子を引いた。
こっくりした南瓜のポタージュに始まって、甘酸っぱいキャロットラペ、皮がパリパリに焼けたチキンソテーにグレービーソースをかけたもの、それから白パンが続く。むく毛の灰色髪の女が、空になったグラスに白ワイン…お気に召さなければ葡萄の果実水…を注いでくれるだろう。食事の様子を嬉しげに見ていた痩身の女が、見計らったようにデザートを勧める。
よければ、ガトーショコラもどうぞ。
あなたは穏やかに食事を摂った。そう思いたいところだが、もしかするとそうではないかもしれない。いつのまにか横に座った金髪の少女……の人形が値踏みするような笑顔であなたを見ていたり、幼児大の真っ白なエリンギがクッションに紛れ込むようにしてソファにいたからだ。あるいはこっそりと扉を開けて覗き込む青黒い妖馬がいたり、食卓に飾られた花々の隙間から窃視する大きな目玉に気付いたから、ということもあり得る。もっと別のものを見てしまった方もいるだろう。
そのことごとくは直ぐ、侍女たちによって優しく……けれど有無を言わさず……客室の外に放り出されたが、もし気が咎めるなら、明日の探索の時に構ってみよう。
ともかく、本日はここまでだ。
あなたも夕食を終えて眠くなってきているかもしれないし、そうでなくても疲れが明日に響いてはいけない。
侍女たちもあなたの疲れを見てとったようで、手早く空の食器を片付けてくれる。
それでは、最後に侍女たちの問いに答えてから休むと良いだろう。
「明日のお昼ごはん、ご希望はおありですか?」
「食堂でみんなと」
あなたはそう答えた。
____________________
※X(旧Twitter)では、以下の選択肢がありました。
・自室でしっかりゆっくり食べる
・食堂で皆と一緒にしっかり食べる
・ジャンクなものが食べたい
・館の人にお任せする
ミダスの館 @fax_Aoki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ミダスの館の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます