断章 夢見るもの

断章 夢見るもの

        ◆


 雨宮凪は倭国国防省との契約に臨むにあたって、何の不安もなかった。

 自分の脳に焼き付けられている彼女の存在の全てが、特別な性質を帯びているなど想像もしなかった。この傭兵として生きるしかなく、戦場で倒れ、そのまま骨として朽ちていき、あるいは土に還っていくしかないかもしれない自分が、国に貢献できるとは思えなかった。

 国なんて、とっくに捨てたつもりだった。故郷などないと思って生きてきた。

 そんな自分にこんな感情があったとは、自分でも驚きだ。

 契約が完了すれば、肉体は冷凍保存され、いつ目覚めるかはわからない。彼女は脳情報を精査され、彼女の脳情報は複製されていき、それがいくつもの個体に分岐してそれぞれに進化していくことになる。

 行先を雨宮凪である彼女が知ることはない。自分の複製がどういう未来をたどり、どこへ落ち着くかはわからない。破滅するかもしれないし、あるいは新しい境地へ辿り着くかもしれない。

 どちらにせよ、それは一個の人間として生きるということだ。

 雨宮凪にできることは一つだけ。

 私、もう一人の、いや、無数の自分の幸福を祈ることだけ。

 生まれてきたことを、祝福だと思えるように、祈ること。

 書類にサインした雨宮凪は、いくつかの検査の後、眠りについた。


       ◆


 ガーディアン・アンド・パニッシャー社において、メリクリウス・クリンガーは一つの契約に署名した。

 社から一時的に除籍となり、倭国国防省の所属とする。

 内容は、脳情報精査受けた雨宮凪が暴走した場合、雨宮凪を迅速に処理する、というものである。この任務に就くにあたり、メリクリウスには最新鋭の機械式義体が提供される。

「いいのかね、ジェーダ・スリー。こんな任務を引き受けて」

 対面していた人事課長の言葉に、メリクリウスは柔らかい笑みで答えた。

「雨宮凪、ジェーダ・フォーの勇敢さは知っています。そして彼女に恩を返したいのです」

「いざという時に、引き金が引けるかね?」

 メリクリウスは、はっきりと頷いた。

「僕たちはそういう人間です。ジェーダ・フォーも、理解すると思います」

 沈黙は短かった。

「幸運を祈る」

 メリクリウスは頷いた。

 彼には確信があった。雨宮凪は、決して過ちを犯さない。だから自分は、ただそばにいればいいと。

 雨宮凪こそ特別な人間だ。

 そう彼は思っていた。

 思い込んでいた。

 夢を、見ていた。



(了)

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ワン・オブ・ゼム 和泉茉樹 @idumimaki

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