5-8 夢の残滓
◆
倭国国防省本部ビルの中にある、兵器管理課先進兵器分析局の中でも第二分室と呼ばれる部署の室長のためのスペースに、一人の人物が顔を見せていた。
スペースの主、鷹咲十次郎中佐はその人物を迎え入れ、わずかに相好を崩した。
「よく戻ったな、カクリ。いや、メリクリウス・クリンガー」
直立した金髪碧眼の青年は、次には躊躇いのない動作で鷹咲中佐の前に進み出ると、小さなデータカードを執務卓の上に投げ出すように置いた。
「レインからの預かり物だ」
「中身は何かな?」
「雨宮凪の遺伝子情報だ。同時に、彼女が死亡したことの証明でもある」
そうか、と鷹咲中佐は椅子にもたれた。体こそ脱力しているが、声には覇気があった。
「あの女も死んだか。なるほど。レインが殺したのか?」
「そうだ」
何度か鷹咲中佐は頷くとふっと笑った。
「結局、雨宮凪でさえ、脳の情報化とその後の複製の量産には耐えられなかった、ということか。うまくいくかと思ったが、ままならないな」
カクリ、本当の名をメリクリウスという機械式義体の青年は微動だにしなかった。それをじっと鷹咲中佐は椅子に座ったまま見据えている。
「きみが我々に協力する理由は消えたな。契約満了ということだ」
「命をもう一つ、用意してくれたことには感謝している」
そっけないメリクリウスの言葉に、初めて鷹咲中佐の口元に力のない笑みが浮いた。
「そう皮肉を言うな。雨宮凪には必ず安全装置が必要だった。それはきみも理解していたはずだし、最初からその契約だった。雨宮凪の死を前提に、きみは傭兵から我々に鞍替えした。後悔しているか? 雨宮凪の死に責任を感じるか?」
「いいや、あれは必然だった。彼女の過信が導き出した、必然だった」
「その割にはきみは、アメミヤ・ナギの逃亡を止めなかった。むざむざ、本来の脳を失いさえした。私はこうしてきみと関係がなくなり、神に感謝しているよ」
ピクリとメリクリウスの眉間に震えが走ったが、それ以外に反応らしい反応は彼にはなかった。機械の肉体なのだ、些細な表情の揺れはただの誤作動に過ぎなかったとも言える。
必然的な誤作動かもしれなかったが。
「それでは失礼する、鷹咲十次郎中佐。二度と会うこともないだろう」
今や倭国国防省との契約を終えたメリクリウスは、敬礼することもなく、頭を下げることもなく、身を翻した。その背中に、鷹咲中佐が声をかけた。その表情をメリクリウスは確認しようとしなかった。足こそ止めたが、拒絶の意思を示すためか、背中を向け続けていた。
「メリクリウス、きみはレインに殺されても構わないと思ったのか?」
答えには数秒の沈黙が必要だった。
「俺は、雨宮凪の過ちを正すために、お前たちと契約した。だが、雨宮凪は成功すると思った。成功したと思った。それなら、俺は裏切り者として死んでも当然だと思った」
「だが、死ねなかったな。そしてレインは最後にはお前を必要とした。結局、メリクリウス、お前の判断はどこまでも正しかったわけだ」
メリクリウスは、一言も応じなかった。鷹咲中佐は、なんでもないように問いかけた。
「レインは今、どこにいる?」
メリクリウスはやはり言葉を発さずに、ただ再び歩き始めた。彼の姿が消えるまで、鷹咲中佐はその背中を見ていたが、答えがないことに落胆した様子もなく、ただ素早く執務卓の上の電話に手を伸ばして受話器を取り上げた。
どこかとボソボソとやりとりした鷹咲中佐の表情は、冷酷そのものだった。
(続く)
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