第5.5話 温泉宿 黄昏

「お世話になりました」


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 お客様をお見送りする。

 今日もお客様の笑顔を見ることが出来た。

 最初に来られた時とは別人のような清々しい顔で帰っていった。


 あの笑顔を見ていると私も頑張れる。

 新しい力が湧いてくるように感じる。


 やっぱり私はこの仕事が向いているのかもしれない。


「あ、お姉ちゃん!」


 玄関口から子供の声が聞こえた。

 振り返ると『桐の間』に泊っていた女の子だった。


 このご家族も今日で帰られる。

 ご両親は靴を履き替えているが、この子は私を見つけると、スリッパのまま飛び出してきて私に抱き着いてきた。

 3日という短い時間の間で随分と懐かれたもんだと思う。


「スリッパで外に出て来てはいけませんよ」


 私が軽く笑顔でたしなめると――


「あ、ごめんなさい……」


 そう素直に謝って来たので、私はその小さな頭を優しく撫でた。


 とことこと下駄箱のところに戻ると、お母さんも女の子の頭を撫でて、私の方を向くと軽く頭を下げた。



「いろいろとお世話になりました。この子もすっかり懐いてしまったようで」


「こちらこそありがとうございました。私も妹が出来たみたいで楽しかったです」


 女の子はお母さんの背中に隠れるようにしてこちらをじっと見ている。


「また来てね。待ってるから」


 私がそう言うと女の子はにこっと満面の笑みを浮かべて、また私に抱き着いてきた。


 そして3人の後姿うしろすがたを見送る。

 女の子は姿が見えなくなる最後まで手を振っていた。


 

 3人とすれ違うように一人の女性がこちらに向かって歩いてくる。

 手にはキャリーバッグを持って引いている。


「ただいまー」


 その女性は私の横を抜けていき、宿の玄関に入るとそう言った。


「ああ、おかえり。ん?帰ってくるのは明日じゃなかったかの?」


 出迎えた女将さんが女性にそう言った。


「だって、おばあちゃん一人だと思うと心配で」


「はっはっはっ!こんな山奥に来るもの好きは滅多におらんわ。お前がおらん間に来た客も一組だけだったしの。それに板前もおるから一人じゃないぞ?」


「山脇さんは夜には帰っちゃうじゃない。そしたら夜はおばあちゃん一人でしょ?」


「一人……というわけではないぞ?」


「……まあね。でも、実際は一人みたいなもんじゃない。私がいない間に何かあったらと思ったら、居ても立ってもいられなくなって、予定を早めに切り上げて帰ってきたの!」


「まったく…心配性の孫じゃのお」


 そんな会話をしながら旅館の奥へと消えていった。



 あの女の子の家族は交通事故だったという。

 車に乗って家族で出かけた帰り道。信号待ちで止まっていた時に居眠り運転の車に後ろから追突され、交差点に飛び出した家族の乗った車は横から来ていた他の車数台を巻き込み、結構大きな事故になったらしい。


 両親は即死。女の子も病院に運ばれたけど、その夜に息を引き取ったと言っていた。


 病院で少しは治療を受けていた女の子はまだマシだったけれど、ご両親は全身に大きな傷を負っていて、折れ曲がった腕や足からは折れた骨が飛び出し、原形を留めないほどの損傷を負っている顔は、声を出すことも難しそうだった。


 それが温泉に入った帰りにはあんなにも元気そうになっている。顔も元通りの顔に戻っている。

 そんな両親を見て女の子も嬉しそうだった。


 私はそんな笑顔を見るのが好きだ。


 だからここの仕事が好きだ。

 ようやく天職に出会えた気がする。


 仕事に追われ続けて身体を壊し、それでも働き続けていた私。

 休みも無く、毎日会社を出る頃には日付が変わっていた。

 家に帰っても寝るだけ。そして朝になればまた仕事が待っている。

 誰かと仕事以外の会話をすることもなく、誰からも感謝されることもない。

 ただただ身を削って働いていた日々はそう長くは続かなかった。


 そんな私がようやく見つけた安らぎを感じられる場所。



 ここは山奥にある秘湯の温泉旅館『宿 黄昏たそがれ』。


 現世うつしよの疲れを癒す常世とこよの温泉。


 効能は「魂の修復」。

 病気、事故などで傷ついた魂を癒し、元の健康だった頃の姿に戻します。

 是非一度お越しくださいませ。

 常に多くのお客様で大変込み合っておりますので、予約を取るのは困難かとは思われますが……。



 未練なき旅立ちが出来るよう。


 皆様のお越しを従業員一同、心よりお待ちしております。

 



― 完 ―




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その宿、予約困難につき 八月 猫 @hamrabi

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