エピローグ

 アタシはベッドの上でもんもんとしていた。

 なんでだろう。

 本当になんでだろう?


 洋介くんと話していて楽しかったはずなのに、どうしてか、こんなものかと思ってしまう。

 こんなものか。

 うん、アタシってサイテー。ちょっと言い過ぎたかも知れない。

 洋介くんとちゃんと喋ったことはあまりない。

 もちろん洋介くんと話してて、がっかりしたとか、そんなことはなかった。


 アタシが想像していたとおりのイケメンだったし、しゃべり方も優しくて、めっちゃかっこよかった。

 風太郎、涼花、アタシ、そして洋介くん。

 四人での話はすごく盛り上がった。


 特に風太郎は、話を盛り上げるのがうまいなと思った。

 風太郎が話題を切り出すと、涼花がそれに乗る。そしてみんなで爆笑する。

 いつもの風太郎クラブみたいな会話だった。

 あたしは会話してるとき、すんごくドキドキしてた。

 ケド、それは、洋介くんと話してたから……なのか?

 アタシはどうも腑に落ちない感覚に襲われていた。


「…………………………ん?」


 ふと、スマートフォンが震えた。

 誰だろう? 電話?

 アタシはポチッと通話ボタンを押して、ベッドに仰向けになった。


「あーもしもし」

「おれだ、おれおれ」


 あたしは思いっきり顔をしかめて、スマホを耳から離した。


「あんたその挨拶やめなさいよ」

「いやー美琴ちゃんのお宅がカモだと思ったもので」

「うぐ……それはなに? アタシが騙されやすいってわけ?」

「ズバリその通りだな」

「うわさいてー。あんたってろくな男にならないよ」


「おっとぉ、Xで『日刊プレイボーイ』って最初に呟きやがったのは誰だったかな?」

「……………………ひっ、ばれてた!」

「なんだ、お前だったのかやっぱり」


「うぅ~~~、わ、忘れて! あれはその……ごめん。アタシが悪かった」

「そうだねぇ。人に誹謗中傷するときは、ちゃんと本人に許可を取らなくちゃね?」

「……それ、誹謗する意味あんの?」

「ないな!」


 あははは! と風太郎の声がスマホ越しに響く。こいつマジでうるさい。

 ふと、風太郎の声の質が変わった。


「明日は学校に来られそうか?」

「は? なに言っちゃってんの? 行くに決まってんじゃん。あんた過保護」


「ならいいんだ。小心者の美琴ちゃんが、もし学校で黒野エリカたちと出くわしたらちゃんと対応できるのかなって心配だっただけさ」


「うぐ、あ、あんたねぇ……! アタシをなめすぎ! アタシだってちゃんと、い、いいかえせる……言い返せるし!」


「思い切りどもってるじゃないか。おれはちょっぴり心配になってきたぞ」


「うるさい! うるさいうるさいうるさい! お黙りなさいこの日刊プレイボーイ!」


「おれは日刊プレイボーイじゃないって何度言ったら分かるんだこんちくしょうめ」


 あたしは、ぷっと、噴き出してしまった。

 なんか、ちょっとこいつと話してると、素のアタシに戻ってしまう。

 学校に行ってから、アタシはなにかを取り繕うようになった。

 べつにそれが悪いことだとは思わない。

 むしろ自然なこと。


 笑い方とかしゃべり方とか、ちゃんと女王様になるために日々努力している。

 それが実を結んでるかは……まだわかんないけど。


「……まぁ、一応言っておく。心配してくれてあんがとさん」

「……おう。美琴ちゃんはずいぶん素直になっちゃったんだねぇ。よしよし」

「うわうっざ。なにこいつ。しねば?」

「ひどい。……あまりにもひどすぎて僕のガラスのメンタルが……」


 アタシはクスッと笑ってしまう。

 あれ?

 なんであたしは今笑ったんだろう。

 べつに風太郎が面白いことを言ったわけじゃないのに。面白い? いや面白くない。


 あたし、今どんな顔してる?

 わかんない。


「あんたのメンタルはガラスじゃないでしょう? プラスチック並みに柔軟性にすぐれてる」

「おぉ、美琴ちゃんから褒められるなんて、おれは嬉しくてたまんないよ」

「そのしゃべり方ウザいからやめて。女子ってそういう人マジで嫌いだから」


「おやぁ? 美琴ちゃんも言うようになったじゃないか」

「キモい。本当にキモい。残念なイケメンってここにいたんだなって言う存在証明がなされましたー」


 あたしは今度は噴き出してしまう。

 こいつと喋ってると、本当に飽きない。

 アタシは体を横向きにして、通話を続けた。


「よけいなお世話かも知れないが、ちゃんと颯太には謝るんだぞ」

「わかってる。悪いこと言っちゃったって自覚あるし」

「よしよしいい子だ。褒めてつかわす」


「うーん、切っていい?」

「あはは。冗談だよ。今夜は眠れそうか?」

「……ん、まぁ色々あったかんねー。ちょっと興奮して眠れないかも」

「そうかそうか。可愛い奴だ」

「だ、誰が可愛いだ誰が!」


 あたしは思わず声を上げてしまう。


「おっとこれも冗談だよ。本気で言ったわけじゃない。美琴はあれだな、ホストに騙されるタイプだな。上っ面な言葉でも、喜んでしまう」


 くっそなにこいつ。アタシのメンタル破壊しに来てるの?

 悪かったわね、単純女で。


「おやぁ? 図星ついちゃったかな?」

「もう切るわ」


 アタシは一方的に通話を切った。

 ベッドの上に腕を投げ出して、スマホをほっぽる。


「あー……」


 何やってんだろアタシ。


「……ばか」


 否定すりゃよかったのに。

 これじゃあ自分で認めているようなもんだ。

 アタシは上っ面なモノに、まんまと引っかかる。



 ――だからお前はおれに惚れちゃいけない。いくら優しく手ほどきされたからって、おれに惚れちゃダメだぞ。なんたってお前は洋介のものになりたいんだから



「っっっああああああああああああああああああもうっ!」


 アタシは枕をぶん投げた。

 なんなんだもう、本当になんなんだ。

 顔が熱かった。アタシはほっぽった枕を拾い上げて、口元に持って行った。


 ばかじゃん。

 アタシバカじゃん。


 傷つくってわかってる。

 モテる男の優しい言葉に騙されちゃいけないってわかってんのに。

 傷つくってわかってるのに、心は素直に、あいつのこと考えて。


「………………うわ」




 これが恋か



 まじですか





――風太郎視点――



 おれは考える。

 例えばの話だ。


 水滴のついたガラスビンがお部屋にあったとする。

 ケドそれ自体が部屋の隅っこに、忘れ去られたように置いてあったら、人々はそのガラスの塊に対してどんな思いを抱くだろうか。


 きっとジメジメした場所に置いてあるのだろう、彼らはそれらを陰湿なモノだと決めつける。

 湿気はカビを繁殖させる一番の原因だからな。

 そりゃ忌み嫌われてもしょうがない。


 ところがどっこい、このビンが窓際の机の上に置いてあったら、どう思うだろうか?

 日の光を浴びて、美しいモノと認識するのではないか?

 写真に収めればとてもきれいに映えるだろう。インスタに載せればそれだけで周りからの評価が得られそうだ。


 同じ、同じだ。


 本質は同じモノなのだ。ただそれがどこにあるかと言うだけで、人間はそのものの価値を決めつけてしまう。


 ひきこもりだから、陰湿。

 カーストの上の方にいるから、明るい。


 なるほど。青春とは嘘だらけだな。

 本物なんてモノは、探したところで苦労するだけだ。

 ならば上っ面だけを見て、きれいなモノをきれい、汚いモノを汚いと評価した方が遥かに楽だ。



 ……クソ食らいやがれ。





 校門に向かう坂道のアスファルトに、キラキラと反射する朝日を浴びながら、おれは一人の女の子に声を掛けた。


 ライトブラウンに染められた髪の毛は清らかな朝日を跳ね散らかして、天使の輪を作っていた。


 ふわりと香るシャンプーの匂い。そしてほんのりとかすかに鼻孔をくすぐる香水の匂い。


 女の子にボディタッチするのは、なかなか世間一般的には難易度の高いことと思われがちだが、日刊プレイボーイ(他称)たるおれには無縁のことだった。


 なのでおれは容赦なく美琴の肩を、ぽん、と叩いた。


「よっ」

「ひっ!」


 美琴は肩を思い切り跳ね上がらせて、おれの方に恨めしげな瞳を送った。


 じと目……という奴だろうか。その瞳はまるで獣のようだった。ライオンと言うよりはパンサーだな。ウム違いがわからん。


「なに?」

「おはようの挨拶だ」

「きも」


 いつも通りの反応だった。これだけポカポカひだまりの午前中に、まさかそんな就職みたいな氷河期的視線を受けるとは思ってなかったので、僕チンのガラスのハートは傷だらけになってやがて砕け散った。


「ひどい」

「ひどいのはあんたでしょ。女の子の体なんだから、き、きやすくさわんないでよね」

「うーむ、返す言葉がない」


 おれは素直にうなずいておくことにした。たしかによく付き合う前の初デートでは、『女は男に体を許すな、男は女に心を許すな』とは言うもんな。


 正直今回の一件は、おれが特になにかしてやったというよりかは、美琴自身の努力が大きかった。


 これで黒野エリカも学校を我が物顔で歩けないだろう、と思っていたら、校門前でバッチリ出くわしてしまった。


「「「………………」」」


「……」


 あぁ、美琴と向かい合っている彼女達は、いったいなにを考えているのだろうか。

 おれには想像もつかないことを考えているんだろう。


 これからこの子をどうやって潰すかとか、マジきしょいとか、そんな底辺な考えを巡らせているに違いない。

 だけどおれにとっては、もう無関係の話だ。


 おれの目的は美琴を立ち直らせることであって、べつに黒野エリカがどうなろうと知ったこっちゃない。


「は? なに? キモいんだけど。こっちみんな」


 美琴はおれの方を見ずに、言い返した。


「あたし、もうあんたらの知ってる自分じゃない。あんたらに比べたら、ちっぽけな女の子かもしんない。

 けど、目指すべきところが見えた。太陽が照らす明るい世界に、アタシは足を踏み入れた。これから先アタシは堂々と胸を張って歩いて行く。

 あんたらはもう見ない。それだけ。じゃね」


 それから、「いこ」と美琴はおれの方に言って、校舎の方へと歩いて行った。




「よーっし、今日はこれで終わりな。委員長号令!」

「ほーい、起立、礼! あ、先生バイバーイ!」


 教室中から大爆笑が起こる。


「あはは、先生バイバーイ!」

「またねー」

「じゃあしたー」

「なんだし風太郎その挨拶! めっちゃウケる!」


 今日の授業もつつがなく終了した。

 戸塚先生がおれに声を掛けてくる。


「おー神崎。ちょっとこのあと時間あるか?」

「時間ッすか? いやないですけど」

「直球だな。まぁいい。今日七時になったら、組沢バッティングセンターに集合な」

「へぇ、先生もバッティングセンターとか行くんですね」


 おれの代わりに答えたのは、現役野球部マネージャー一ノ瀬アリスだった。


「あ、あたしもいく」

「おっ、美琴も来るのか。お前打てるのか?」

「う、打てるし! もうかきんでこきんでばっきんじゃん」

「意味わからんぞ……。お前らは来るか?」


 おれは健、颯太、恵、涼花にも聞いた。


「おれはパス。野球興味ない」

「おれもパスかな。今日は家族で食事行くんだ」

「ごめん。塾で勉強があって。また今度行ってみたいな」

「うぅ~~~~~行きたいけど、今日の食事当番アタシなんだよね~~、ってことでパス」


 うーむ。ほとんどがパスか。

 まぁいい。いつもとは違ったメンバーで行くのもアリだろう。


「おいどうしたんだ美琴、そわそわして。お前まさかおしっこにでも行きたいのか?」

「ち、違う! あんた! 女の子に向かっておし……汚い言葉使わないでよ!」


「そうよ風太郎。あなたはもうちょっと言語能力を向上させた方がいいわ。でないと、その、我々から見たあなたがザンネン系イケメンになってしまうもの」

「おう辛辣だな。戸塚先生は時間通りに来れそうな感じなんですか?」


「まぁ、なるべく頑張る。書類を片付けるのに手間取ると思うが、まぁ最悪の場合適当にやっとけばいい」

「あんたそれでも教師かよ……」


「いいか神崎。仕事って言うのは、なるべく効率的に行うモノだ。楽をしろって言うわけじゃない。他人に怒られない程度にやるべきなんだ」

「そうかよ。わかりました。じゃあ七時に組沢バッティングセンター集合で」


「りょーかい」

「承知したわ」




 ――美琴視点――



 あたし、三浦美琴は、今現在アリスと一緒にバッティングセンターに向かっている。

 うぅ……緊張する。


 何か、アリスとはいまだに慣れないっていうか。

 会話に詰まったとき、どうしてもアタシの方が申し訳ないと思ってしまうのだ。


「どうしたの?」

「い、いやなんでもない! アリスそのリボンどこで買ったの?」

「あぁこれ。どこだったかしら。……あぁそう。『ゼゼプラチナム』っていうプチプラ専門のアクセショップ。安いからけっこうおすすめよ」


「へぇ~、そんなのあるんだね」

「あなたもそのヘアピンにあってるわよ。どこで買ったの?」

「へへぇ~~、いいっしょ。これ涼花からもらったんだ」


「へー、涼花そんなヘアピンもってたのね。お似合いよ」

「な、なんかアリスってすっごいかっこいいよね」

「そう? よく言われるわ。ありがとう」


 なんか話していくうちに慣れてきた。こうして一対一で会話を重ねていくと、自然と慣れる。それを今実感した。


「どう、みんなとは仲良くなった?」


 アタシは意地悪く言った。


「んー、アリスの見たまんま」

「あら。なるほどねぇ。じゃあけっこう打ち解けたってことね」

「まぁねー、風太郎とは、ちょっとケンカしちゃったけど」


「ふふ、あなた風太郎のこと好きでしょ?」

「は!? はぁ!? ち、違う! 違う違う! ふ、風太郎のことなんか全然好きじゃないし! はぁ!? あ、あたしが好きなのは、よ、洋介くん…………………………」


「ぷっくく。あなた嘘が本当に苦手なのね」

「う、うわ……。なんでわかったの?」


「そりゃそうよ。昨日の話はなんとなく涼花から聞いていたわ。けどあなたがその場で洋介って言う人物に『好きです』とは伝えなかった。

 私だったら、長いあいだ恋愛感情を抱いてきた男の子に、その場で告白しちゃうと思うけど。

 もうチャンスはないわけだし」


「……う、鋭いね、アリスって」

「乙女なので」

「あんたラブコメとかだとけっこう人気出るタイプのヒロインだよね」

「らぶ……こめ? なにそれ? どこで採れるの? 秋田? 北海道?」


 これにはさすがのアタシも爆笑した。


「米じゃないし!」

「むっ、わ、笑わないで頂戴。あなたの趣味のこと、私が全然知らないだけよ。

 けど、はぐらかしてるけど、やっぱりあなた風太郎のこと好きなのね」


「う、うん……。けどね、アタシ、思うんだ。この感情、風太郎には伝えられないなって」

「ふふ……、あなたも成長したじゃない?」

「そう……なのかな?」


 成長したのかな。

 ふつうだったら好きな人に対しては、素直に好きだと伝えるのが一番いいことだ。

 けど、アタシには友達ができてしまった。


 きっと、いや、わかんないけど、アリスとか、恵とか、涼花とかは、風太郎のこと好きなんだろうな、って感じはする。


 それが友達としての好きなのか、恋愛としての好きなのかはわからない。


 けどわかるのは、アタシがもし風太郎に告白したら、アタシたち友達の関係性が一気に崩れてしまうってことだ。


 それくらいはわかる。

 いや、わかるようになった。

 友達ができて、初めて気づいたことだ。

 アタシのわがまま一つで、みんなを傷付けたくはない。


 せっかく築き上げたモノを、新参者のアタシが崩したくはない。


 だから風太郎には、この思いをナイショにしておく。


「罪な男よね」

「ほんとにね」


 アタシ達は前を向いて歩きながら、そう呟きあった。




 ――風太郎視点――



 おれ、神崎風太郎はバッティングセンターに到着した。

 ちなみにバットは自前のモノを持ってきた。

 家からな。

 いやなんというか、アリスの前で無様な姿を見せたくないなという思いがあった。

 だから今回は自前のバットだ。


 バッティングセンターは基本的に軟式球なので、おれは中学時代に使ってたバットを持ってきた。

 バッティングセンターにおいてあるバットは、みんなが使えるようになってる分、金属疲労を起こしまくっているというデメリットがある。

 金属疲労って言うのは、言葉のままに、長年使ってるバットだと飛距離が出なくなる、というものだ。


 どうせアリスは、おれに対してバッティング勝負を挑んでくるからな。

 だったら本気でやりたいじゃん?

 男の子はいつだって本気なのだ。


 というわけでバッセンの中に入る。早くもアリス、美琴、戸塚先生の三人が到着していた。


「待たせました」

「おっそいぞ、神崎。遅い男は嫌われるぞ」

「あんたそれ他の男に絶対言うなよ」

「でも風太郎って、早いんじゃなかったっけ?」


 戸塚先生に続いて美琴まで言ってきた。


「おい美琴。お前それ男の前で絶対言うなよ。プライドがズタボロになる」

「そ、そういうもんなの? ごめん、ちょっと言い過ぎたかも。でも風太郎言ってたじゃん、いじりといじめは違うって。これはいじりだよ?」


「いじりでもダメなんだ。いいか美琴、言っていいことと悪いことがある」

「はーい。まぁクソどうでもいいわ。ちゃっちゃとバッティングしてよ」


 何だこのスルースキル。

 美琴はまた一段と大人になったらしい。

 お兄ちゃん悲しいよ!

 まぁお兄ちゃんじゃないけどね!


「あら? なに自前のバットなんか持ってきちゃってるの? なに、そこまで本気になるの? うわださ」


 アリスに言われた。……こいつに言われるとか予想外だ。


「いやお前とバッセンに言ったらめっちゃ勝負しかけてくるから、今回は本気だそうと思って」

「あなたバカなの? 美琴がいるんだから、わざわざ勝負しましょうなんて言うわけないでしょう?」


 たしかに……。

 おれがうかつだった。

 ごめんちゃい。

 おれはしょんぼりーぬとうなだれる。


「まぁまぁ。男の子なんだから意地をはったっていいじゃないか。そういう神崎の子どもっぽいところも、私は大好きだぞ」

「先生すき! 愛してる!」

「ふわああ! 十年ぶりくらいに言われた! 先生泣くぞ!」


「もうめんどくさいから先生から入ってよ」

「あはは。美琴も先生の扱いがうまくなってきたじゃない」


 先生が泣きそうな顔でネットをくぐっていく。

 なんか女性陣ってけっこう辛辣だ……。

 先生だって心にきてるんだぞ多分。


「くっそー! ヤリモクは死ね!」


 違った。もうこの人可哀相とかじゃないわ。ちゃんとした相手見つけて下さい!




 翌朝。

 おれはめちゃくちゃ筋肉痛になった。

 いやまさか十五ゲームもやるなんて思わないじゃん?


 戸塚先生が張り切って、「ほら神崎! はやくやろ!」と毎回毎回急かしてきたのだ。

 楽しいのはいいけど、遊びはほどほどにしておいて下さいね。

 色んな意味で。


 そんなおれと戸塚先生のやり取りを、美琴とアリスは微笑ましげに見守っていた。



 ――おれは美琴の乙女な視線に気がつかないほどバカじゃない



 だがここは黙っておくことにしよう。

 それがいい男である条件だ。そうだろ?

 おれはパンツ一丁で、ベランダに出た。

 おれはちょっとだけ首を巡らせる。


 ベランダの排水溝ってわかるだろうか。あそこの水が溜まるところは、同時に土も溜まりやすい。


 おれはちょっとした家庭菜園が好きなのだ。

 だからベランダでミニトマトとか、ピーマンとかを育てている。

 これまた絶品である。是非美琴にも食べさせてやりたい。


 ベランダの隅。そこに新芽が生えていることに気がつく。


 何の芽だろう。なんて考える暇もなく、たかだか雑草の種がここまで飛んできてそこに芽生えた、という推測くらいは立つ。

 しかしどこから飛んできたんだろうな。

 おれはゆっくりと腰を下ろし、その芽をつまんだ。根っこがまだ白い。


 部屋まで戻ると植木鉢を用意してやった。

 なにもここまでしてやることはないだろうが、おれはちょっとおセンチメンタルというか、一仕事終えて開放的な気分になっていたのだ。


 美琴は今日も学校に来る。

 まぁひとまずは、ミッション達成ってとこだろうな。

 今は四月の二十九日。

 あぶねー。

 いやべつに期限とかはないのだが、おれの中では四月中に終わらせることができてよかったなと言う思いがある。


 おれは植木鉢に土を入れて、そのなかに新芽を植えた。高々と家と家のすき間を舞い飛んできた、雑草の子ども。


 おれは一仕事追えたとばかりに、農家のおっチャンのように額の汗をぬぐった。しかし熱い。もしかしたら昨夜はおれが寝ている間に雨が降ったのかも知れない。


 通り雨は横浜の空を横切って、今度はどこに行ったんだろうか。

 まぁそんなことはどうでもいいか。


 おれは雨上がりの空を見た。青々として、太古の人々も同じ空を見ていたのかと思うと、なんだかしんみりとした気分になる。


 今日は気分がいい。なかなかにいい。朝はいつも暗い気持ちで起き上がり、だるい気持ちでシャワーを浴び、戸塚先生に恨み辛みを吐きながら、ゆっくりと学校に行く。


 おれは試しに、にかりと笑ってみた。一人で笑うなんて気持ち悪いと思う人もいると思うが、べつに一人で笑ったっていいじゃないか。


 おれは新芽を眺めた。風に二つの葉を揺らすその姿は、先ほどまでとは違ってとても華々しく、かつ輝かしく見える。


「ふわああっ」


 おれはあくびを一つして、スマホをポチッと操作する。


 美琴からラインが来ていた。どうせろくなことはないのだろう、こいつもおれに対してかなり言うようになったからな。


 どうせなら未読スルーしてやろうかと思ったが、うっかり手が滑ってトーク画面を開いてしまう。



『あんたって本当に罪な男よね』



「どういう意味だっ」


 おれは苦笑した。

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雨上がりのサイダーはやたら溶けない 相沢 たける @sofuto

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