第4話

「あ~あ」

「模試判定、またランク下がっちゃったよ~」

 高校三年、秋。月日が経ち、部活をうに引退した萌絵が、項垂うなだれた様子で自席へと訪れる。

「ねぇねぇ久美ちゃん。またウチで一緒に勉強、してもらえないかな」

「もう、萌絵ったら」

「はぁ……仕方ないわね。いいわよ、付き合ってあげる」

「ホント!?」

「やったあぁ! ホント好き、大好き! 久美ちゃんは一番の親友だよ! ありがとっ!」


 親友、か――。

 って、私……何考えてるんだろう。素直に喜ぶべきなのに。

 この感情には蓋をする。終わりにする。そう決めたんだ。


 次のルーティンで、最後にしよう。

 そう深く心に刻み、私は口約を交わした。




「時間取らせちゃうのも悪いから、早速始めないとだね!」

 来たる約束の日曜日。

「よしっ!」と気合を入れ、やる気に満ちた萌絵はカバンからテキストとノートを取り出す。

 一方の私は。あさっての方向を向いたまま、じっと窓の外を眺めていた。

 もうすぐで十二月。受験勉強も追い込みの時期。それなのに、私は……。大学受験とは別の、関係ない事に思考が埋め尽くされたままだった。


 それから、およそ二時間後。

「ハア……全部解き終わったぁ~!」

 終始勉強に集中していた萌絵が突然、ベッドに向けダイブする。

「ちょっと休憩」

「お疲れ。十五分でいい?」

「うん。ありがと久美ちゃん」

 十五分後に起こすと約束し、引き続き私は勉強を進めた。すると、ものの数分後だった。

 優しくも微かな寝息が、耳元まで静かに響いてくる。振り返ると、そこには聖女のように、心地良さそうに眠る萌絵の姿が。

「本当に……おつかれさま」

 気づけば私は、萌絵の鼻先までその身を滑らせていた。そして、じっと見下ろす。


 最後にするから……だから。

 二センチ、一センチと。

 艶やかな桃色。その唇に重ね、委ねるため。

 私は息を殺した。


 萌絵……。

 あなたが、好き。

 愛してる。


 だが、次の瞬間。

 スヤスヤと続いていた鳴音の均整が、ピタリと静止した。

「ん、ああ……」

 目を覚ますその同じタイミングで慌てて身を起こすと、私は窓に手を掛けた。

「ちょうど時間よ、萌絵。ほら。冷たい空気でも入れて、集中し直そうか」

「ああ……うん。ありがと、久美ちゃん」

 こうして刹那は、儚くも終わりを告げた。




 それから――。先程の自らの不貞をひたすらに恥じ、私は黙りこくったまま、机上へと視線を固定し続けていた。

「ねえ久美ちゃん」

 すると普段とは違う、妙な沈黙だと察したのか、萌絵が口火を切る。


「本当に久美ちゃん、東京行っちゃうの?」


 じつはここに来て、私は進学先を変更していた。元々は地元の国公立で充分、そう思っていた。だけど――。

「うん。行きたい大学が東京にしかないから。それに一人暮らしをしてアルバイトをするにしても、東京の方が時給も高いし」

 本当は違う。これ以上、ここにいちゃいけないと思った。このままだと私も萌絵もダメになる。彼女を、彼女の未来を、壊してしまう。

 ふと顔を上げると、眼光を輝かせながら耳を澄ませる萌絵が、そこにはいた。


 愛おしい――。

 こんなふうに想ってしまう自分が。

 もう、嫌だったから。



「久美ちゃんが東京行っちゃったら」

「あたし、どうなっちゃうんだろ」



「え?」

「い、いや……何でもない」

「ごめんね。急にこんな話、しちゃって」

 ボソッと零した言葉。瞳を曇らせ、すぐさま濁そうとする萌絵。


 揺れる。激しく揺れた。

 もしかしたら……萌絵は。



 ダメ。



 けれどすぐに、我に返る。

 今のはきっと一時的な発言。多感が故、不安定な思春期を過ぎれば、彼女は美しい大人の女性へと成長していくのだから。そしていつか素敵な男性と結ばれ、光ある未来へと羽ばたいていくのだから。

 だから私は意を決し、口火を切った。

「あのさ、萌絵」

「うん? どうしたの?」

「今日で私たち。会うの最後にしよ」

「え……? っ、どうして……そんな」

 当然の反応だった。


「受験に集中したいから」

「そんな、久美ちゃん」

「久美ちゃん久美ちゃんって、もううんざりなの! いつもそうやって私にすがって!」

 私は声を荒げた。潤んだ萌絵を睨みつけるも、目頭が熱くなるのを自覚し、目を伏せる。


 傍に居てはいけない。あの日からそう。部活を相談された時だってそう。陸上部を薦めたのは、個人種目だから。仲間と息を合わせ、戦う萌絵の姿を見たくなかったから。手を合わせ、汗に濡れたユニフォームで、私じゃない誰かと抱き合う姿なんて見たくなかったから。そんなよこしまな気持ちだけ。ただそれだけだった。


「いやだよ……久美ちゃん」

「もう決めた事だから」


 最後にそう言うと、私は部屋を飛び出した。

 ムリだった。このままだと堰を切ってしまいそうだったから。


 結局それが、萌絵との最後のやりとりとなった。



 ◆◆◆



 時は経ち。喧騒の中に佇む、歴史ある古めかしいキャンパス。噴水の水流と適度に広がる緑でどうにか担保されていた風情も、この日は皆無と化している。


 あれから一年と四か月が経過し、季節は桜色の春を迎えた。

 私は無事東京の名門大学に合格し、今日からはもう二年生へ。

 授業を終え、建屋を抜ける。


 と、その時だった。


 おびただしい人の群れの中に一人――キョロキョロと挙動不審な新入生の姿が。

「……まさか」

 爆ぜる熱。湧き上がる焦燥。幻だと思った。

 でも違う。それは見覚えのある、愛しき姿だった。


「……っ、萌絵」

「あっ、久美ちゃん」

「どうして……萌絵が」

「あたしね。受かったんだよ! ここに!」

 そこには私服姿の萌絵がいた。

 彼女は高校卒業後。浪人生活を送り、バイトをしながら受験勉強に一人で励んでいた。そして。同じ大学に決めたのは――私がいるから、と……。

「どうして……」

「あなたは、私と一緒にいたらダメなの!」

「萌絵は大学で男の人と恋愛をして、いろんな経験をして……それで」

 私は泣いていた。それが憂いからなのか、嬉しいからなのか。もうわからなくなっていた。すると温かな肌が、私の手をギュッと包み込む。

「あたしね、久美ちゃん。久美ちゃんの言うには、あんまり興味がないみたい。多分お父さんとのことがあったからかな。何というか……。男性に対して、そういう気持ちがあんまり湧かなくって」

 そう言うと、萌絵は私の顔をじっと見つめる。優しい笑顔だった。


「いいよ」

「え……」

「してもいいよ」

「しても……って。何を?」


「――キス」


「っ、え?」

「いいよ久美ちゃん、あの時みたいに躊躇ちゅうちょしなくても。あたしも、もしかしたらって……そう思ってたから」

「って……何だか恥ずかしいね。言葉にすると」

「萌絵。まさかあの時――起きてたの?」

「うん……。ごめん、なさい」

「でも邪魔するつもりはないから。だって久美ちゃんの人生だもん。だけどもし、心細かったり、拠り所がほしいと思ったら。その時はあたしのこと、頼ってほしい」


 相変わらずだと思った。

 私の気持ちもわかってるクセに。


 でもいい。

 あなたは来てくれた。

 だから今度は、私が。


「ねえ萌絵。それは違う。違うよ」

「えっ?」

「あの時の言葉? 覚えてる?」

「あの時の? 言葉?」



「ずっと一緒」



 耳元でそっとささやく。

 そして、瞬間。

 軽く重ねた唇。



「「好き」」



 私たちは再会を喜び、強く抱擁を交わした。


 もう、離れない。

 二人が共にあること。



 それが、秩序なのだから。





 終

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ルーティーンガール 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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