プリーズ・インサート・コイン

@qwegat

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 プリーズ・インサート・コイン。

 そう、目の前のディスプレイ。灰色の走査線が無数に連なり、なめらかに湾曲したガラスの表面で踊り狂う、その先。電子銃が生み出したいくつものドットが、赤や緑や青の色彩を帯びて、走査線の合間を縫うようにして、眩い光を弾けさせる。光たちは競うように闇の中を突き進むと、僕の視界にぼうっと浮かんで、画面内に散らばるいくつものスプライトを認識させる。

 進行していくデモ・プレイ。すなわち宇宙空間、そのまっただ中で飛ぶ白塗りのスペース・シップ、剥きかけの茹で卵に似た、いかにも悪そうなデザインの敵。

 でかでかと表示されたタイトル・ロゴ。すなわちピクセルが作り出す線。それを束ねて生まれる面。直線的なデザインの文字たち。

 そして何より――それらすべての手前に位置し、時折点滅してみせる、一つのそっけない文字列。

 プリーズ・インサート・コイン。

 〈コイン〉を挿入してください。

 挿入してくださいというからには、使用者には挿入する手段がある。今回もあった。少し屈んで確認すれば、そこには細長い、ちょうど〈コイン〉が一つ入りそうな大きさのスリットが空いていて、暗がりに溶け込んで、僕を見つめている。

 僕は屈んだ体勢のまま、右手を伸ばしてポケットを探る。人差し指から硬い感触が連続する。手持ちの〈コイン〉は、残り三枚。

 僕が顔を上げるのに従って、視線は地面と平行に、薄闇の中を進み始める。そして、空気中に漂う静寂を、まとめてぐさぐさと突き刺していく。突き刺し突き刺し突き刺して、その行き止まりにあるアーケード・ゲーム・マシンにたどり着く。僕がアーケード・ゲーム・マシンを睨みつけた、ということもできるだろう。

 どん、どん、どん。

 重い打撃音が聞こえてくる。リズムからいって、入り口のドアを殴っている拳は一つではないだろう。複数の〈感染者〉が、何としてでも僕を噛み殺してやろうと躍起になっているわけだ。

 タイム・リミットが近い。

 決断を急がねばならない。



 ヤシマと初めて会った日のことだ。

 僕たちはとある立体駐車場でばったり遭遇したわけだけど、彼が、コンクリの天井が落とす闇の中、手のひらに乗せたいくつかの〈コイン〉をちゃらちゃら鳴らし、そして放ったその言葉は、そこが立体駐車場じゃなかったら、あんなに響いて聞こえなかっただろう。

「――自動販売機?」

 バリケードの隙間からわずかに漏れ出た月光が、〈コイン〉にときおり射しかかって、そのたびに光がきらりと見えたことを覚えている。

「知らないね」

 彼の態度は真摯ではなかった。かといって馬鹿にする感じでもなく、いちばん適切な表現は、恐らく『興味がない』だった。そう、彼は〈コイン〉を何枚も持っていながら、自動販売機に興味を示さなかったのだ。

 これには僕もびっくりした。

「知らない、だって?」

 露骨にびっくりした口調で僕が聞き返すと、ヤシマは何とも言えない顔つきで訂正を入れた。

「あー、知らないと言っても、あくまであんたが聞いてきた『この辺にある〈コイン〉が使える自動販売機』の話だよ。別に、自販機じたいを知らないわけじゃない」

 流石に僕だってそれくらいは分かっているし、別にそこを聞きたかったわけではないのだけれど、ヤシマはその少しずれたところの訂正を、妙に熱心に続けた。

「そりゃ……俺だってさ。〈大爆発〉の前は普通に暮らしてたから、自販機を使うことくらいあった。でも今は……そんなわけにいかないだろ? 〈コイン〉は有限だ、大事に使わなきゃならない」

 ヤシマが〈コイン〉を弄びつつ、そんなことを言ったものだから、僕は余計に混乱した。正しいことと間違ったことを、同時に言われた気がしたからだ。

「それって――」

 僕は口を開く。

 正しいこととはいったい何か? 「〈コイン〉は有限だ、大事に使わなきゃならない」。まったくもってその通りだ。発電所が動いても電波塔が動かない今、かつてのキャッシュレス決済はすべて無効化されている。殆ど廃止寸前レベルだったはずの物理的な通貨を使う以外、決済をする方法はない。だからこそ〈コイン〉を見つけたら、大事に保持しておかねばならない。

 間違ったこととはいったい何か? 「でも今は……そんなわけにいかないだろ?」。彼の言いぶりだと、まるで自動販売機よりもいい〈コイン〉の使い道があるみたいだ。そんなもの、少なくとも僕は知らない。そもそも〈大爆発〉以前に〈コイン〉が使えた場所なんて、ほとんど他の連中に漁られつくしているのだ。まだ漁られていない例外が、高い堅牢性を持つ自動販売機。少なくとも僕の認識ではそうだ。

「……何だと?」

 そういう疑問を言葉にして伝えたところ、ヤシマはぎこちなく腕を組み、怪訝そうに僕を見た。その瞳は暗がりの中、丸く大きく僕を見つめて、ズレているのは僕の側なんじゃないかと錯覚させるような感じがした。

「……まあいい」

 だからヤシマがそう言ったとき、僕はなんというか――あえて言葉に表すなら、『安心』みたいなものを感じたのだ。

 ヤシマが〈コイン〉を弄ぶ、ちゃらちゃらという音が止まる。それに気づいた僕が顔を上げた先には、手招きをする彼がいて。

「ついてこいよ」



 そこはゲーム・センターなのだった。

 ヤシマはずいぶん度胸があるらしい。僕はその建物に着くまでの道中、そういうことを考えていた。冷たい夜風に撫ぜられながら、僕がおどおどと周囲に気を配り、枯れ枝の折れる音にすら気を配るありさまで、ゆっくりゆっくりと歩く中。ヤシマの背中はてきぱきと、迷いなく夜道を遠ざかっていった。きっと彼は眠るときも、一切躊躇しないんだろうなと思った。〈大爆発〉以来一度も安眠できていない僕としては、なんとも羨ましい限りだ。

 でもそういった考えは、ぜんぶ最終到着地点――そう、ゲーム・センターに吹き飛ばされた。

 何せ、ゲーム・センターなのだ。しかも、そうとう年季の入ったタイプ。見上げた先、夜空をバックに掲げられた看板は、ピンクと黄色のネオン・ライトを帯びている。しかし故障しているのか、ライトの大部分は満足に光っていない。その不完全で不気味な光の下では、ものすごく錆びついている床が、その上に色々なものを散乱させている。そして床が続く先には、汚れたガラスのドアが一つ。あきらかに古風なハンドルがついている。間違っても自動式ではないだろう。

「……ヤシマ。これは」

 僕は聞いた。目の前にあるのが実はものすごく古風なゲーム・センターではなく、何かの武器が置いてあったり、食糧がすごく備蓄してあったり、情報機器が使えたりする、そういう意味のある場所である可能性に縋ろうと思ったのだ。だって、そうでなければ――でもそこまで考えて、「〈コイン〉は有限だ」という言葉を思い出した。つまり、彼はこの建物で〈コイン〉を使おうとしている。それって、やっぱり。

「見てわからないか? ゲーム・センターだよ」

 ヤシマは極めて乱雑に、混乱する僕へと結論だけを押し付けた。

「ゲーム・センター?」

 僕は受け取った言葉をそのまま聞き返した。

 意味が分からなかったのだ。

「どうした? 言ったとおりだぜ――ゲーム・センターだ。ゲームのセンター、遊戯の集中地点。アーケード・ゲームがたくさん置いてある場所」

 アーケード・ゲーム。

 そこまで聞いて僕は気付いた。ヤシマはたぶん狂っているのだ。あるいは狂っている振りをしているだけで、心の中では僕を騙して殺し、食糧や〈コイン〉を奪う計画を立てている最中かもしれない。両方ということもあり得る。逃げなければまずい気がする。でも――さっき見たように、ヤシマはすごく度胸がある。逃げようとしてもきっと無理だ。

「……まあ、入ってみろよ」

 ヤシマがドアのハンドルを引くと、煤けたガラス板はぎしぎしと傾き、ゲーム・センターの店内の光景を、月光の下に露わにした。その床を塗りつぶす埃の中に、いくつもの足跡があるのが見えた。

 ヤシマのものだった。



 プリーズ・インサート・コイン。

 〈コイン〉を挿入してください。

 狭くて暗い店の中。年季の入ったアーケード・ゲーム・マシンが各種並び、その間を歩き抜ける僕たちに向け、ブラウン管を妖しく光らせて、口々にそう要求している。

「……これにするか」

 マシンのうち一つの前で、ヤシマは足を止める。後ろに続く僕も同じだ。歩くのをやめ、ディスプレイを覗き込むヤシマの横顔を眺める。彼の虹彩が、画面上に描画されたいろいろを反射し、淡く光を帯びているのが分かる。

 ヤシマはコインを取り出した。そして、僕が何かを言うより早く、その銀色の輝きを、マシンの下部に備わった、細長いスリットに飲み込ませた。

 ゲームの画面が遷移する。プリーズ・インサート・コインの文字列が消え、赤かったり青かったりする色々なものが、アニメーションと共に右往左往する。そうして移ろっていく画素たちを前にして――僕は、やっぱり、と思った。

 やっぱり、ヤシマは狂っている。殆ど食糧と同義であるはずの〈コイン〉を失ってまで、一回限りのゲームを遊ぼうとしているのだ。しかもずいぶん昔のゲーム。はっきり言って、気が知れない。どうせ無駄にするなら、その〈コイン〉を僕にくれよと言いたい。

 でもそれ以上に気が知れなかったのは、ヤシマが直後に取った行動だ。

「ほら、あんたの分」

 彼はもう一枚〈コイン〉を取り出して、僕にめがけて放ってよこしたのだ。

「え――」

 僕が咄嗟に〈コイン〉を受け取り、何かを言おうとする間にも、彼は発言をさらに重ねる。

「反対側に回れよ」

 極めつけはこれだ。

「対戦しようぜ」



「なあ、ヤシマさん」

 僕はレバーを慎重に倒す。慎重に倒さないと折れかねないと思ったからだ。そして倒したレバーに連動し、画面の中で大男が歩く。鈍足だ。

「ヤシマでいいよ」

 反対側から声が聞こえる。年代もののマシンに阻まれ、向こう側にいるヤシマの姿は見えない。しかしまあ、彼がしていることはだいたいわかる。画面内で細身の女が放った膝蹴りが、大男の顎に完璧なヒットを決めたからだ。

「じゃあ、ヤシマ。まず君は、いつもどうやって食糧を確保しているんだ?」

 僕はレバーをそっと摘まんで、かちゃかちゃと前後に往復させる。しかし自機であるところの大男はなかなか起き上がらず、女は更なる追撃を加える。まずは回し蹴り。

「確保してない」

「なんだって?」

 更に回し蹴り。コンボ発生だ。

「俺は基本的に、手に入った〈コイン〉を全部アーケード・ゲームに使ってる。何日か食べなくても死にはしない。それ以上過ごしてれば何かしらは見つかる」

 これまた回し蹴り。三連コンボだ。

「何かしら、って……見つからなかったらどうする気なんだ」

 しかしここで僕が仕掛ける。レバーを曲げて中攻撃、大男がアッパーカットを繰り出す。カウンターだ。

「そりゃ、どうしようもなければ自販機に行って〈コイン〉を使うかもしれないが……いやまあ、その時が来てから考えるよ。今のところは大丈夫だ」

 ところが、カウンターも読まれていた。細身の女は華麗なモーションと共にそれを躱すと、しゃがみ蹴りで大男に追撃を食らわせる。

「でも、例えば急に――」

「なあ」

 レバーを動かす速度の問題かもしれない。大男は女のコンボから逃れることはできない。小パンチ。

「あんたは――俺が〈コイン〉を無駄遣いしてる。そう思ってるのかもしれないけどさ」

 蹴り上げ。

「俺にとっては違うんだぜ」

 投げ。画面いっぱいに表示される『ケイ・オー』の文字。

 僕の負けだ。



 その時対戦したマシンの前に、僕はちょうど今立っている。

 さっきの乱雑なノックは継続中だ。〈感染者〉たちは自動ドアに慣れきっているから、このゲーム・センターのような引き戸をどう突破するか知らないのだ。とはいえガラスを破ることはできるから、まあ、侵入は時間の問題だろう。

 とりあえず侵入を食い止めたい場合、適当な重いものを持ってきて、即興のバリケードを作ることが考えられる。とはいえここで問題になるのが、バリケードを作ったところで、どこかに逃げられるわけではないということだ。何せ、このゲーム・センターは既に〈感染者〉たちによって包囲されている。僕に逃げ場はまったくない。遅かれ早かれ、このゲーム・センターで死ぬことになるのだ。

 先ほど確認してみたところ、ゲーム・センターの中には古風な自動販売機が二つあることが分かった。当然ながらキャッシュレス未対応だけど、中身はいちおう〈大爆発〉前の最新商品。

 これを知って僕が最初に思ったのは、ヤシマは本当にゲームのことしか考えていないんだな、ということだ。この二つはまさしく、一番最初に僕が尋ねた『この辺にある〈コイン〉が使える自動販売機』に他ならない。それにヤシマは知らないと答えた。つまり彼はゲーム・センターに通い詰めていたというのに、アーケード・ゲーム・マシンに夢中すぎて、そのすぐ横にある自販機に目もやらなかったのだ。

 とにかく――二つの自販機の片方には、固形食糧が販売されているらしい。〈コイン〉一枚で一パック買えるみたいだから、バリケードを作ったうえであれを買えば……まあ、一週間は生きられる。確実に。

「……でも」

 僕の視線がまた動く。視界の中心にとらえられたのは、さっきと同じ、一つの文字列。

 プリーズ・インサート・コイン。



「勿体ねえなあ」

 いつだったか、こんなことがあった。

 結局あの立体駐車場には、自動販売機が六台あって、そのうち五台はキャッシュレス専用だった。逆に言えば、最後の一台では物理的な通貨が使える。僕は周囲に気を配りつつ、不気味に光る照明のもとから、自販機の挿入口が誘う闇のもとへ〈コイン〉を移していた。

「……なんだって?」

 そこにいきなり「勿体ねえなあ」なんて言われたら、流石に振り向かざるを得ない。僕は商品サンプルの下で灯り始めたライトたちに背を向け、ヤシマを睨んだ。

「ヤシマ。君いま、〈コイン〉を自販機に使うのが勿体ないって……そう言ったかい?」

 ヤシマは僕の第一印象より、ずっと虚弱で貧弱だった。なにせ自分から食糧を得ようとしていない。〈コイン〉をある程度安定して入手できているようなのに、それをすべてアーケード・ゲームに使ってしまうから、結局不安定な食生活を送るほかに無くなっていたのだ。

「あ~……いやその、すまん」

 申し訳なさそうに謝るその声も、改めて聞けば小さくて、少しかすれたものでしかった。

 僕としては別に、ここで終わりにしても良かった。しかし、その日の僕は少し苛ついていた。睡眠が不足していたのである。

「あのさあ。……僕からしてみれば、アーケード・ゲームに全部つぎ込む方が、よっぽど勿体ないと思うんだけど」

「あー、価値観の違いというか……」

 ヤシマは話を終わらせようとした。しかし僕は睡眠不足だったので、それじゃ不満だった。

「価値観の違いって言ってもさ、『自販機に使うのは勿体ない』っていうのは、単なる価値観以上の話じゃない?」

 僕は畳みかける。

「意味が分からないよ。……自販機から食糧を得られれば、その分だけ確実に延命できる。略奪者の連中も、自販機からは盗みようがないからね。どうして寿命を延ばすより、ゲームで遊ぶ方を選ぼうとするんだい?」

「……寿命が延びるっつっても、最終的には死ぬだろ」

「それがわからないんだよ。最終的に死ぬと言っても、長く生きれば生きるほどできることだって増える。失敗もやり直せる。それに、ひょっとしたらこの状況が終わって――」

 僕がそこまで話したところで、

「諦めろよ」

 ヤシマは急に割り込んだ。

「……何だよ。希望を持つのは良い事じゃないか」

「いいや。そもそも死ぬことを受け入れてる時点で、希望も何もあるわけないだろ」

 そこからはもう、喧嘩だ。僕らは色んなものに声を反響させて喧嘩をする。

 ヤシマとはどこか根本的な部分で相容れない、何度そう思ったかわからない。



 まあ、そのヤシマももういない。

 碌に食糧を摂っていなかったせいで、彼の運動能力は極めて低下していた。おかげで〈感染者〉たちの大移動から逃げきれず、このゲーム・センターにたどり着く前に死んでしまった。

 僕も振り返る暇なんてなかったから、いつ死んだのかはわからない。しかしヤシマは確かに、僕の背中を見ながら死んで、僕の背中を見ながら〈感染者〉になったのだ。

 たぶん、ゲーム・センターを取り囲む〈感染者〉の中に、かつて彼だったやつも含まれるんだろう。



「どういうつもりだよ」

 いつだったか、そんな話をした。

「どういうつもり……って、どういうつもりだ?」

 ゲーム・センターのもろもろの光に揉まれながら、ヤシマは少し茶化した様子でそう聞き返す。

「これだよ」

 僕は手のひらを開く。そこには一枚の〈コイン〉があって、環境光を銀色に変えて跳ね返している。ヤシマがついさっき、いつもと同じく投げてよこした〈コイン〉だ。

「どうして僕に〈コイン〉を渡す?」

「一緒に遊ぶためだ」

 ヤシマは即答する。実際、そうだ。僕はヤシマと会うたびに、彼にコインを投げ渡されて、そのまま流れ的にアーケード・ゲームに付き合わされる。

「それがわからないんだよ。君がゲームに〈コイン〉をぜんぶ投入するのは、まあ、納得しないけど理解はできる。でも」

 僕はヤシマを指さして言う。

「『二人で』遊ぼうとする理由は何だ?」

 これがずっと疑問なのだ。単純に考えて、二人プレイにはふつうの二倍の〈コイン〉が必要だ。だったら一人プレイを二回やった方が、時間的には長く遊べるはずだ。何十年も前のゲームだけど、シングル・プレイ・モードの人工知能と僕なら、ゲームの腕前も大差ないだろう。

 そこでいったん会話が途切れる。

 アーケード・ゲーム・マシンに阻まれた先で、ヤシマが少し屈むのが見える。きっと、コインを入れているのだ。僕も同じく屈んで、いつものスリットにいつもの銀色を滑り込ませる。

 電子音。ゲームの開始。僕はレバーを勢いよく倒す。大男が派手に躍動する。

「いや、むしろ」

 ヤシマは会話を再開しながら、小柄の女を華麗に舞わせる。とはいえ、それも読んでいる。

「あんたが俺のゲームに付き合ってくれる理由のほうが、気になるんだけど」

 まるで予想外な返しだった。

 大男に生まれた隙をつき、女がカウンターを入れる。ずるい。

「とりあえず、二人で遊ぶ理由は……簡単だよ、その方が楽しいからだ」

 追撃。

「やっぱりこう、生身の人間と人工知能じゃ、遊んだ時の感覚が違うしな」

 追撃。

「でもそこより、気になるんだよ」

 追撃。既に画面上部の体力バーは、かなりの割合を紅に染めている。

「俺は……〈コイン〉を渡しちゃいるけど、別にあんたも断ることはできるはずだ」

 頭がうまく回らない。僕はレバーを強引にがちゃがちゃやって、大男は女のコンボから抜け出す。

「あんたからすれば、ゲームに付き合わされるなんて時間の無駄でしかないはずだろ?」

 ……それは。

 一体どうしてだったか。

 僕には、わからない。ここから勝つ方法も、自分がどうして勝とうとしているのかも。そう、自分が勝とうとしている、それに今気づいたのだ。

 僕はゲームを楽しんでいる。

 女が男を投げ飛ばしている。『ケイ・オー』。

 そのまま何かにたどり着くことなく、僕らはまたしても解散した。次回はいつか、次回が本当にあるのかも知らないままに。



「……はぁ」

 僕は溜息をつく。

 〈コイン〉をなるべく食事に使った意味なんて、大して無かったのかもしれない。食べなかったヤシマは逃げきれず、食べた僕は逃げきれた。それだけの違いだ。それで僕が得られる寿命のアドバンテージは、どう頑張っても数週間かそこらだろう。

 死は唐突に訪れる。それを、知っていたはずなのに。

 どん、どんどん、どんどんどん。

 打撃音が聞こえる。人差し指と親指は、まだポケットの温もりの中で〈コイン〉を数えている。三枚。何度数えても、三枚だ。



 思えば――ヤシマと出会ったその瞬間に、後戻りなどできなくなっていたのかもしれない。

 あるいは――後戻りのできる事柄なんて、最初から一つもないのかもしれない。

 入ったゲーム・センターからは出られない。挿入した〈コイン〉は戻らない。死んだ人間は帰ってこない。

 そんな世界で、人生を少し長引かせて。それで「やり直しが効く」なんて思いこんでいたのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。



 結局のところ――どうすればいいかなんて、きっと最初から決まっていたのだ。

 僕は人差し指と中指で、ポケットから〈コイン〉を一枚引き抜く。残った二つがポケットの中で擦れ合い、ちゃらちゃらと小さな音を立てる。それは巨大なノックにも掻き消されず、妙に鋭く僕の耳を打つ。

 僕はアーケード・ゲーム・マシンを見る。厳密には、そこに備わったディスプレイをだ。そこには、こんな文字列が描画されている。

 プリーズ・インサート・コイン。

 〈コイン〉を挿入してください。

 僕は言葉に従って、銀色の円盤の形をした自分の命を、かちゃりとスリットに放り込む。

 ゲームの画面が遷移する。プリーズ・インサート・コインの文字列が消え、赤かったり青かったりする色々なものが、アニメーションと共に右往左往する。

 チャンスは三回――いや、チャンスなんて最初からない。強いて言うなら回数より、時間だ。ノックの音が聞こえなくなり、代わりに足音が殺到し始めるまでに、三回分の電子音を鳴らしきれるか。ここからは、そういう勝負になってくるはずだ。

 レバーに手をかける。ボタンに軽く触れる。正面から画面を見据える。

 僕は、一人でゲームを遊ぶ。

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