狂恋から狂愛、執愛へ・後編

 数日後。

 倦怠感や微熱など、エマの体調があまり良くない日が続いた。

「……エマ、そろそろ医師に診てもらおうか」

 パトリックは少し考える素振りをし、エマに提案した。

「え? 多分単なる風邪だと思うから平気よ。少し寝たら治るはず」

 エマは眉を八の字にして、困ったように微笑んだ。

「いや、診てもらおう。エマに何かあったら心配なんだ」

 心底エマを案じているアメジストの目。パトリックの真剣そうな表情を見たエマは、何も言えなくなり頷くことしか出来なくなった。

「ロルフ、今すぐここに女性の医師を呼んでくれ」

「承知いたしました」

 パトリックはすぐに侍従のロルフに医師を呼ばせた。


 十五分もかからないうちに、ロルフは女性医師をランツベルク城まで連れて来た。

 医師はエマを診察し、ある診断を下す。

「おめでとうございます。若奥様は妊娠されております」

 その言葉に、エマはアンバーの目を大きく見開いた。

 パトリックは診断結果に満足そうに口角を上げる。

「やっぱりか」

 パトリックはエマを愛おしげに見つめる。そのアメジストの目は、どこか仄暗くねっとりとエマを捕らえている。

「リッキー、やっぱりって……もしかして知っていたの? 私は自分の体のことなのに全然気付かなかったわ」

 エマは驚いたようにパトリックを見る。

「まあね。夫が妻の体のことを知っておくのも大切なことだよ。エマ、僕の子を身籠もってくれてありがとう」

 パトリックは優しくエマを抱きしめる。

(時期的にエマの出産は来年の夏頃。つまり、妊娠や出産を理由にエマを社交界から遠ざけてランツベルク領に閉じ込めておくことが出来る。辺境伯家は国境を守る役割があるから社交界に顔を出さなくて良い。僕もエマと一緒に領地に留まれば、エマのことを、その太陽のような笑みを独り占め出来る……!)

 アメジストの目は恍惚としていた。


 実はパトリックはエマの月のものの周期や排卵日をエマ以上にしっかりと把握していた。

 エマを抱き潰していたのも丁度その時期を狙ってのことだった。

 ちなみにエマはパトリックがエマの体のことをがっつり把握していることには全く気付いていない。パトリックもエマに気付かせないようにしている。


「ええ。リッキーの子供、頑張って産むわね」

 エマは太陽のような明るい笑みだ。出産の覚悟が決まっているようだ。

「うん。出産には壮絶な痛みが伴うから、その痛みを抑える出産方法の技術や知見を持つ医師、薬剤師をナルフェック王国のヌムール公爵領から既に手配してある。妊娠や出産には命の危険も伴うから、少しでもその危険を減らせるよう、医療体制も整えてある。だからエマは安心して」

 サラリと爽やかに微笑むパトリック。先程の仄暗さが嘘のようである。

「そんなに整えてくれていたの!? ナルフェック王国のヌムール公爵領と言えば、近隣諸国でも最新の医療技術を誇る土地じゃない!?」

 エマは当たり前のように出産に関する医療体制を整えていたパトリックに対し、アンバーの目を大きく見開いた。

「当たり前だよ。僕は何よりもエマのことが大切だからね。痛い思いをして欲しくないし、命の危険からも出来る限り遠ざけるのはエマの夫として当然のことだ」

 真っ直ぐ優しく微笑むパトリック。

「リッキー、ありがとう」

 エマの胸の中に、じんわりと温かいものが広がった。

「そうだわ。リッキーが手配した医療体制をランツベルク領全体に広めることは出来るかしら? 出産の痛みを軽減する医療技術や生存率の向上はランツベルク領にとっても利益があると思うの」

「エマならそう言うと思ったから、もう既にランツベルク領内にも広めているよ」

 優しく、どこか得意げな表情のパトリックだ。

「凄いわ。ありがとう、リッキー」

 エマはパトリックに尊敬の眼差しを向けた。そして、太陽のような明るい笑み。

 それにより、パトリックの心は満たされるのであった。


 その後、エマの出産の為の医療部隊をランツベルク城内に呼び集めたパトリック。エマが出産を迎えるまでの期間、万が一のことがあっても対応出来るよう、常時滞在してもらうのだ。もちろん医療部隊の医師や薬剤師や看護師などは全員女性。女性の方がエマも安心して診察してもらえるという配慮もあるが、自分以外の男がエマの体に触れることが許せないパトリックの独占欲と嫉妬も混じっていた。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 数日後。

「ねえリッキー……私、一人で歩けるわよ」

 エマは困惑した表情でパトリックを見つめている。

 現在エマはパトリックに横抱きにされてランツベルク城内を移動しているのだ。

「駄目だよ。エマに何かあったら大変だから」

 パトリックはエマを抱く力を強める。

「でも、適度な運動は必要よ。動けなくなるのは嫌だわ」

 エマは眉を八の字にして困ったように微笑む。

「もうエマは既に一日の適正な運動量を超えるくらい動いていたよ。それに、動けなくなったら、僕がエマの面倒を見るよ」

 パトリックは優しく微笑んだ。アメジストの目はねっとりと仄暗い。

「……ありがたいけれど、それだとリッキーが大変な思いをするわよ」

 相変わらず困り顔のエマ。

「エマに関することなら僕は何でもするさ」

 甘くとろけるような笑みでパトリックはエマの額にキスを落とす。

 エマを抱きしめるその表情は恍惚としており満足げであった。


 パトリックはエマの妊娠発覚後、四六時中とまではいかないが、なるべくエマの側で過ごしている。

(本当は四六時中ずっとエマの側にいたい。そうしないと僕と血が繋がっているとはいえ、エマのお腹にいる赤ん坊が僕よりエマと過ごす時間が長くなってしまう)

 自分の子にすら嫉妬心を抱いてしまうパトリック。

(でも、エマの時間も大切だ。四六時中僕と一緒だと息が詰まるかもしれない。そんな状態ではエマはきっと心の底から笑えないだろうし。それに、エマは気付いていないけれど、もう既に僕の目の届く範囲、僕の生活圏内にエマを閉じ込めているようなものだ。せめてエマの姉君やエマと同性の友人をここに呼んで小さなお茶会を開かせるくらいはしないと)

 パトリックは必死に自身のどす黒く悍ましい欲望を抑えてコントロールするのであった。

「エマ」

 パトリックは愛おしげにエマの名前を呼ぶ。

「リッキー、どうしたの?」

 エマはパトリックに横抱きにされたままきょとんとしている。

「愛してるよ。世界中の何よりもエマをね」

 パトリックはエマの唇に自身の唇を重ねた。

 甘く甘く、深過ぎるキスだ。

 エマはほんの少しだけ苦しそうではあるが、パトリックのことを受け入れていた。

 エマへの狂恋は狂愛、執愛に変わっていた。しかし、エマはパトリックのその感情には全く気付いていない。パトリックもエマに自身の悍ましい感情を悟らせるつもりは今もこの先もないのである。

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