大正乙女と藁人形

あんみつ

第1話

初夏が来ると、あの洋傘アンブレラを思い出す。


たっぷりのレースとフリルで飾られた生地。


柄は黒檀こくたんで、チョコレートをもっと深く塗り込めたような色合いをしている。


触るとツルツルしていて、毎年、この木のひやりとする冷たさは夏のはじまりの日に心地よかった。


お気に入りの洋傘アンブレラを堂々と使える季節になったのに、やっぱり夏はどこか悲しい。一生、夏なんか来なければいいのに。夏なんか、消えてしまえ、と思う。



人力車のカタカタという音を遠目に聞きながら耳元で切りそろえた黒髪を指先で整えると、胡桃渚くるみなぎさは洋風建築の瀟洒な邸宅に面している小道を歩いていった。この小道を抜ける時、屋敷の持ち主が植えている薔薇の花壇を眺めながら歩くのが、毎年の楽しみだ。


お気に入りの風呂敷に、お弁当をいれているので、動く度に少し気を遣う。

今日は、朝から早起きをして山菜ふきのとうを天ぷらにした。骨が折れたから、少し食べてしまうのが惜しいと思う。

それから、得意の甘い出汁の味のする卵焼きに、キウリの浅漬け。おかかごはん。

卵焼きは、今日の朝ごはんの残り。


「おーい」


胡桃くるみさん!」


遠くに見える薔薇色の洋傘アンブレラが、小走りでなぎさに近づいてきた。


「あら貴方、どなたかしら?」


「まあ、失礼しちゃう。私達、同じお教室よ。姫野和心ひめのわこって言うの。」


緩く巻いた茶髪を”耳隠し”にしている和心わこがその愛らしい顔を綻ばせる。眠気を誘う癒し系ボイスが、陽光に照らされた夏の木陰に静かに響いた。


「あら、そう。それで、私に何かご用でも?」


「用事なんてないわよ。あなたに話しかけたかったから話しかけただけだもの」


よく見てみると、彼女のお道具鞄には気味の悪い藁人形がぶら下がっているようだ。


「あっそう。それ、なあに?その趣味の悪い藁人形よ」


「お父様が外国でのお土産に買ってきてくださったの。とっても可愛いと思わないこと?」


渚は呆れてため息をついた。


「あのねぇ…」


「私、一人でお散歩するのが好きなの。お生憎だけど他を当たってくださる?」





「あ〜あ、つれない人。行ってしまったわ。お昼の時間にもう一度話しかけるんだから!」


和心わこは、セーラア服のスカートのひだがシワにならないように、整えて、それからベンチに腰掛けた。その手には、溶けかかった夏の宝石。


「アイスクリーィムって、とっても美味しいです〜」


ミルクの優しい甘さと、アイスの冷たさに、和心は手のひらを頬に当てため息を洩らした。


「これが西洋ハイカラの味!」


バスの中、同じ学校の制服だけれど、見た事のない顔の女生徒が座っていることに気がついた。

初夏の日差しに反射してキラキラ光る伏し目がちな睫毛を見た時、かすかに白ユリの花が、香った。

後の人生でなぎさは、初夏になるとこの白ユリの花の匂いを、必ず思い出した。

とうのステッキを傍らに立てかけた紳士が、白百合の花束を大事そうに抱えている。春彼岸だろうか。その哀しい目をした男の人には、どこかの文壇にでも立っていそうな貫禄があった。いつの日か、お嫁に行くことがあれば、ああいう方の良き妻として子を産み、お家でチクチクお針子をしているだけのつまらない女になってしまうのかしら。


ふと、彼女は、何か読んでいるようだったが、少女雑誌ではなく文字のギウギウに詰まった純文学だった。

(げっ、文字ばっかりで目が回りそうだわ)

なぎさは気を取り直して””を開くと、お洋服の作り方や、淑女の嗜み、お便りコーナー、挿絵作家のメルヘンチックなイラストを夢中になって読み始めた。

”新しい時代の婦人、淑女として断髪ショートヘアを薦めませう”

という見出し見て、少し得意になった。


ハリウッド女優のように耳の辺りでバッサリ切りそろえた黒髪。

それはまさに新しい時代の象徴。

最近流行りの少女雑誌から抜け出したようなその女学生おとめは、誰がどう見ても不良少女モダンガールであった。

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