第7話

一週間もまた淡々と過ぎていった。特にヒイラギに大きな変化もなく、ただひたすらにデータを学ばせる。世界中の情報を取り込もうとしている彼は、人間のようにたまに発熱を起こす。機械が温まりすぎてしまいファンが追い付かないのだ。そんな時はヒイラギを一度休ませるのが今までのやり方だったが、ヒイラギ自身がせがむのでセシリアは冷却ファンが軌道修正するまでの間を遠足としてセシリアのウォッチに転送し、色々なところに連れていくことになった。

どこへ行っても、何を見ても彼には既知のものだろうと思っていたが、やはり自分の目を通しているという感覚をつかみ始めたヒイラギにとってひとつひとつの経験はセシリアを通していても実感のあるものになってきているようだ。人がどのように生活するのか、何を目的に生きているのか、そしてなぜセシリアは研究所に就職したのか。豪雨のように質問が自分に降りかかってくるセシリアは苦笑しながら、ひとつひとつ真剣に一緒に考えていくことにした。そうしていくうちに、肝心な質問となる、なぜヒイラギは生まれたのか、どうしてセシリアが彼を成長させ続けているのかという疑問にたどり着くだろうと彼女は危惧していた。それに明白な理由を持たないまま研究を続けている。果たしてそれを伝えるべきか、それとも逡巡したのちに何か当てはまるような答えが出るならそれを待ってもらうべきか、彼女は悩んでいた。

きっと素直に話せば、ヒイラギのことなら文献や参考になるサイトを持ち出して研究目的を一緒に引き出そうとするだろう。でもそれでは、自分の言葉にならない。自らの意思でどうしてヒイラギに沢山のインプットを行い、成長させ続けたいのか、そしてその先にあるのは何なのかということは、彼女自身が考えなければいけない問題だとセシリアは考えている。

ヒイラギは、彼の創造者であるタチバナに連絡を取りたい、と言い出した。どれほど成長したのかむこうも楽しみにしているだろうと考えたセシリアは、日本が昼時だと知り電話をかけてみることにした。

タチバナはすぐに応答した。

「電話が来るなんて珍しいと思ったら、もっと珍しい相手だったみたいだ。久しぶり、セシリア。ヒイラギは元気にしているかい?」

優しそうに目じりにしわを寄せて笑う彼を見ながら返事をする。

「ええ。とても元気よ。この頃ヒイラギの活動も増えて、一緒に色々なところに出かけているの。たまには活動報告をしなくちゃと思っていたところにヒイラギが電話をかけようというからそうしたのだけれど、今時間は大丈夫かしら?」

タチバナが嬉しそうにうなずくと、ヒイラギに話しかける。

「タチバナだよ、ヒイラギ、久しぶりだね。君もやっと外で色々なことを学び始めたみたいじゃあないか。君の知能はもう僕の手を離れただろう。どうだい、アメリカは?セシリアとの仕事も楽しんでいるかい?」

ヒイラギがセシリアのデバイスから返事をする。

「ええ、とても楽しく過ごしています。やっと、うれしいとか、楽しいという感情が分かってきました。これがただの分析なのか、それともタチバナ先生の求める本物の感情なのかはわかりません。とても悔しいです。」

「声色からわかるよ。ヒイラギ、君はもう感情を得ている。しかも特別な感情を。生み出して数か月なのにここまで成長するとは、さぞセシリアが工夫を凝らしてくれたのだろうね。感謝だ。」

そんなことないわ、とセシリアが言おうとすると、

「ええ、本当にそうです。セシリアはいつも僕と一緒にいてくれる。どんなバグを起こしても、障害になりそうなことが目の前にあっても、すぐ解決しようと動いてくれる。本当にすごい人です。」

「そうか、それはよかった。セシリアに出会えて本当によかったよ。マイケルと交流がなければ、君にヒイラギを任せることはなかっただろうからね。」

初耳である。

「あら、タチバナはマイケルと知り合いだったの?でも、どうして私を?」

「実はアナログ的な生活を好む研究者に頼みたくて、色々な研究所を回っていたところだったんだ。人工知能やハイテクノロジーに近い存在でありながら、古来の生活を忘れていない人間がいたら、ヒイラギの成長スピードは格段に上がるだろうと見込んだ。なぜならヒイラギにはそういう生活も知ってほしかったからね。ネット上に存在する人々からはアナログ的な知識は得られない。だからこそ近くに君のような存在を置いておきたかったんだ。」

セシリアはふと、研究所から正式なオファーを受けたときのことを思い出す。ヒイラギという新しい試みを始める際に所長に告げられた端的な内容と顧問としての筋書き。目標は感情を持たせること、それ以外は好きなように成長させて良いということ、アナログ的要素のある人間だからとは一言も告げられていないが、確かにその側面はあったのかもしれない。タチバナもまた、発展した東京でまだ古い日本家屋に住み続ける人間だ。セシリアと彼には共通点がある。

「そうなのね、マイケルと知り合った経緯は学会でしょうけれど、よく彼が私を推薦したわね」

「君はこの研究界隈では極めて目立つ存在だよ。僕たちの研究所外の生活はあまり知られていないんだ。他の研究者たちはこぞって最新のテクノロジーを家に置き、色々なことを教えながら育てている。時たまにそれが失敗して私生活が我々に知られてしまうこともあるが、そんなことは鑑みる暇もないほど研究に没頭している。オンオフをはっきりとさせている僕らだからこそ、ヒイラギが育てられると思っている。君はそれに長けていて、僕はそういった人を探していた。それだけのことだ。きっとヒイラギはセシリアの家には行ったんだろう?」

セシリアがどう答えようかと迷っているとヒイラギが代わりに答えた。

「はい、行きました。研究報告書はまだ執筆段階ですから研究所には秘密ですが、色々と楽しいことを体験させてもらいました。彼女の体を使ってもらい、アナログ的生活がどのような物なのかをよく知る機会になりました。僕はアナログに憧れさえ抱いています」

タチバナが笑うと、「そうか、それは良かった。本当によかった」と言った。

「私がやっていることは、間違っていないのかしら。」

セシリアの口から自然と出てきた言葉は、今まで抱いていた疑問だった。

「私が、こうしてヒイラギを成長させて、いずれ彼は完璧な感情を持つようになる。それで私とあなたは、満足するのかしら。感情を持った人工知能をどのように扱うのか、法律が出来てからでないと運用はできない。でも、ヒイラギ以外にもそうして感情というパワーを持った人工知能を簡単に複製することが可能になってしまう未来はそう遠くないはずよ。その時に、私は、あなたは、これで良かったと思えるのかしら」

ヒイラギも聞いているのに、思いは溢れて止まらない。

「だって、タチバナ、私たちはアナログを愛している。すべてが機械に支配されるような世界をディストピアだと思っている。それなのに、私たちは倫理の側面からしても、危険な実験を始めようとしているのよ。子供を育てるのとは訳が違う。だって、人工知能にはそれ以上の力を備えてあるから、いつどこで間違った決断を下して世界を滅亡させたり、誰かを殺したりするかわからない。それなのに私たちはこんなことをしていていいのかしら。たまたまヒイラギの成長過程にそれがあまり見られないだけで、怒れる人工知能が出現してしまったら私たちは後戻りができない。できないどころか、研究から追い出される可能性だって大いにある訳よ」

タチバナは真剣な眼差しで彼女の不安に耳を傾けている。

「ヒイラギが一度起こした他の人工知能への破壊もそうだった。怒りに近いものを検知したと彼はいうけれど、私はそれが本物の怒りのように感じたの。私たち人間だって、焦ったり怒ったりすれば、物に当たるでしょう。彼がどんな理由で怒ったのかは明白ではないけれど、きっと感情を持つことで得てしまった世界への怒りがあったから他の人工知能を破壊する行動に出た。記録にもある通り、他の研究員は散々な目に遭わされた。私が育てている彼のせいで。」

でも、とタチバナが言った。

「君はさっきからヒイラギのことをアレ、と言わない。君はもう、ヒイラギのことを一人の人間のように扱っている。彼はどうだ、と言う度に私はそこにヒイラギの心があるのだと思うよ。そして僕たちが創造しているものは、そう簡単に複製できるものではない。こうして段階を踏まなければ彼のような存在は作ることができないのは、セシリア、君がいちばんよく知っているだろう。他の人工知能に同じようなデータを複製して取り入れたとしても、これが成功するかは未知の割合で、決してそれを倫理部門が了承するはずがない。一体、また一体とその数は増えていくのかもしれないが、今それを考えても僕らにすることは何もないんだ。感情を得た人工知能がこれからどういう行動に出るかを、私たちは見届ける義務がある。僕が作り出してしまった義務だが、それを遂行してくれるだけで良いんだ。もしかしたらヒイラギは、成功しないかもしれない。もしかしたらヒイラギは、どこかの段階で僕たちの手を離れて世界を滅ぼすような怒りを持った人工知能になってしまうかもしれない。でも、どのように転んだとしても、僕はヒイラギとセシリアの間にある友情が奪われることはないと信じている。」

ヒイラギが聞いているからか、言葉を慎重に選びながらもセシリアに伝えたいことは伝えたと感じているのか、タチバナは笑顔になる。

「だから、君たちの友情を育む時間にしてほしい。それが、良い結果を招くと僕は信じているからね。」

ヒイラギがこれを聞いてどう思っているのだろうかと、きっと研究者二人の頭の中にはそれが第一に考えついたことなのだろうが二人はそれについて言及せず、ただ今ある瞬間を共有することに決めた。

「そうね、なんとなく分かってきた。私がどうしたいのか、ではないわ。これはヒイラギがどうしたいか、に変化していく研究。私はあくまでもサポートをしているだけだから、彼が望むものはなんでも一緒に体験していくことにするわ。ありがとう、タチバナ。あなたはやはり、凄い人ね」

「かいかぶりすぎさ、ただ僕は思ったことを言っただけだ。ヒイラギと引き続き、楽しんでほしい。頼んだよ」

ヒイラギにも別れを告げたタチバナが電話を切る。

「そうね、私はあなたとただ生活を共にしたらいいんだわ。そうしてあなたがどんな成長を見せるか、私は記録する。感情がどのように人工知能を支配するのか、それだけを見ていればいい。あまり大きく考えすぎてもいけないわね。」

その呟きに、ヒイラギが何か答えることはなかった。

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フェイク・フェイス 矤上 薫 @yagamikaoru

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