第3話 美少女、我が家を侵略せり
目が覚める。
きっとここは天国なのだろう——
——と思ったが、俺の視線の先にあるのは吊り下げられた照明と、どこか恐ろしげな木目。見知った天井——我が家だ。
俺は今、ベッドの上で横になっている。
——あれ……? 俺はレヴィアタンにレヴィアブリーカーを掛けられたんじゃ……?
俺は釣りをしていて、レヴィアタンを名乗る美少女を釣り上げた。その後に抱きつかれて、骨がへし折られた。
だが、へし折られた箇所に痛みは全く無かった。まるであの時の出来事が夢であったかのように。
いやそもそも、そもそもだ。
何で伝説上の存在であるレヴィアタンが存在している?
何でレヴィアタンが某龍の玉の主人公みたいな挨拶をする?
そもそもレヴィアタンが実在している時点でおかしいし、仮に実在したとしてもあんな挨拶をするはずが無いだろう。
そう、目を覚ます前に見たものは全て夢なのだ。俺はレヴィアタンなんか釣り上げていないし、この街を破滅の危機に晒してもいない。
「——そうだな、そうだよな。普通に考えてそうだよな!」
安堵と共に体を起こし——
「あ、起きた」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
奴が——レヴィアタンがいる。しかも釣り上げた時と同じく裸だ。
これが本能というものなのだろう。その事実に体は吹き飛ばされたかのようにベッドから落ち、この部屋から、彼女から逃げようとドアへと這って向かった。
——何でいる何でいる何でいる!?
あれは夢では無かったのか——そう思うが、そこに彼女がいるからそうでは無いのだろう。
あの時の光景が鮮明に脳裏に浮かぶ。
眼前の美少女の本来の姿が強大な魔物であったこと。
ただ抱きついただけで、俺の骨をへし折ったこと。
目の前にいる美少女には人を簡単に殺し、街を——ともすれば世界を滅ぼし得る力が宿っているのだ。
俺の脳は、心は、本能は、逃げるという選択肢を取ることしかできなかった。或いは、それ以外の選択肢がそもそも無かった。
ドアノブはすぐ目の前だ。天国への扉へと手を伸ばし——
しかしそれを掴めなかった。
「もーダーリンったら、餅ついてー。横になってなきゃダメだよー」
微笑を零しながら彼女は俺を軽々と持ち上げた。
「うわああああああああああああああああ止めろおおおおおおおおおおおおおお死にたくないいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
こうなっては俺はもう助からないゾ。だったら死ぬ前に足掻き、いのちの輝きを見せてやる。
狭い部屋に悲鳴じみた咆哮を轟かせ、お姫様抱っこされたままじたばたと暴れる——が、当然効力は無く、俺はそのままベッドに戻されてしまった。
——というか、さっき多分「落ち着いて」を「餅ついて」って言ったよな!? あと俺のこと「ダーリン」って言ったよな!?
死を目前にして恐怖がどんどん強くなっていくのに、彼女の独特な言語センスに内心突っ込まずにはいられなかった。
ベッドに横たえられると、彼女は俺に覆い被さるようにベッドに乗ってきた。
——殺されるっ!
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい殺さないで殺さないで殺さ——」
「殺す? オラがダーリンを?」
そう言う彼女の顔を恐る恐る見てみると、きょとんとした顔でこちらをじっと見ていたのであった。
「何で殺す必要なんかあるんですか?」
彼女は訝しげに黒と金の髪を揺らして首を傾げた。
——敵意は無い……のか……?
よくよく考えれば、当時の状況的に彼女は俺に敵意を向けていない。
確かに死にかけはしたが、あれは彼女の感謝のハグ——もといレヴィアブリーカーの威力が尋常でなかっただけだ。
彼女は助けてくれた俺に対して感謝していたが、俺はというと彼女の真の姿を見て恐怖に震えていた。
つまり、俺が彼女のことを一方的に敵視していただけなのだ。
「ほ、本当に殺さないんですか……?」
恐る恐る尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「あたぼうよ! オラを助けてくれたダーリンだもの!」
そう言って彼女は抱きついてきて、死の気配が一瞬にして間合いを詰めてきた。
「わああああああそれ死ぬそれ死ぬマジで死ぬ!!!」
汗と叫びが噴き出した。
その直後、彼女は「Oh」と外国人さながらの発音で零し、殺意無くこちらを殺そうとした腕を咄嗟に放した。
「……と、というか、何で家の場所知ってるんですか……」
荒い呼吸混じりに質問した。
俺は彼女に家の場所を教えた覚えは無い。なのに彼女はこちらの家の場所を知っていて、今こうして家の中に侵入している。
或いは彼女は、こちらの脳を読むことができるのだろうか?
「んー? あ、そういえば教えてなかったね、ダーリン」
「で、できればダーリンって言うのは……いや何でも無いです」
一つでも選択肢を間違えたらバッドエンドまっしぐら——そう考えてしまい、ダーリン呼びを止めるよう言うことができなかった。
彼女は木目の天井をじっと見て、言葉を探しているかのような素振りを見せる。
「簡単に言うと……オラ達はキスとかセックスとかして相手と繋がることで、相手の記憶や知識を得ることができる……ってところかな」
「キスとかセックスとかって……」
方法のえぐさはともかく、彼女が俺の家を知っていること、そしてついでにオタクじみた喋り方をしていることに納得できた。
彼女と出会った時に確かに彼女にキスされ、その瞬間に——
「いやちょっと待ってさっき『オラ達』って言ったよね!?」
「え、うん」
俺の問い掛けに、彼女はそれが当然のことであるかのように答えた。
ということは、この世界には彼女と同じような存在が少なくとも一人以上いる……ってコト!?
ベヒーモス!? ベヒーモスとか!? え待って某傍に立つヴィジョン使いのように惹かれ合ったりしないよね!?
ま、まあそれはともかく。
彼女が俺にキスをして、その時に俺の持っていた記憶や知識が彼女に共有されたということか。
俺の記憶や知識が共有される……
「……あの、俺の秘密も共有されてるんですか?」
人間は他人に知られたくないことを十個や百個も持っている生き物だ。そういったことは、勿論人間と同様の振る舞いをするレヴィアタンにも知られたくない。
だが、それがキスを通じて共有されたとなれば——そう考えただけで、汗が吹き出し——
「今朝は巨乳の人妻で致した、でしょ!?」
「うわぁ『でしょ!?』じゃねぇよおおおおおおおおおおおお!!!」
キメ顔で指摘した彼女に悲鳴が止まらなかった。
最悪だ。俺の性癖とか性事情とかが開示されてしまった。
「あ、でも途中で共有止めちゃったのもあって全て共有されている訳じゃないから安心して!」
「できるかァッ!!!」
安心。
その言葉を聞いて気付く。父さんと母さんは無事なのか。
次の瞬間には体が自然に動いていた。「あ、ちょっと!」という彼女の静止も聞かず、扉を開けてリビングへと向かう。
緊張感に包まれたままリビングを開け——
「あ、涼介、起きたんだ。大丈夫?」
母さんはテレビからこちらへ視線を移してそう言った。隣でスマホを弄っていた父さんの視線も、こちらに向けられている。
——あれ……? いつもと変わらない……?
全裸の神秘的な少女が俺を連れてきたというのに、こうも普段と変わらない生活を送れるものなのか……?
え、もしかしてあのレヴィアタン、俺にしか見えていない?
「な、なあ父さん母さん。変なこと聞くけどさ、金髪の裸の——」
「ああ、レヴィアタンちゃんのこと?」
あれー? やっぱり見えてるー?
それにちゃん付けで呼んでるー?
なんか、その言い方はまるでレヴィアタンが家族みたいに扱われているように思えて——
「これも言ってなかったね。今日からこの家に住むことになったんだ、ねっ、パパ! ママ!」
「そうだよねーレヴィアタンちゃん!」
「そういう訳だ、涼介」
俺の知らないうちに、レヴィアタンが俺の家族になっていた。その事実に頭の中が真っ白になる。
理解できなかった。「お前も家族だ」なんて俺としては——というか恐らくこの街の誰しもが——言いたくないのに、両親にとっても見ず知らずの存在なのに、たったほんのちょっとの時間だけでこうなるか?
——これは、アレしかない。
レヴィアタンを手招きで呼び、彼女と一緒に廊下に出る。
にこにこしながらこちらを見つめる彼女に小声で、
「……あの、洗脳したんすか……?」
恐る恐る尋ねた。
すると彼女は「んーんー」と言って、黒と金の髪を暴れさせながら首を横に振った。
「ちょっと『お話』しただけだよ!」
「日本のインターネットでは『お話』って『脅し』とかそういう意味も持つんですけど!?」
もう不安でしかない。彼女が強大な力を見せつけて、それで無理矢理家族になったのかもしれない。
だとしたら、我が家はどうなるんだ……? これから一瞬にして滅ぶのか……? それとも緩やかに崩壊していくのか……?
我が家は最早、レヴィアタンに侵略されたと言っても過言では無い。神がおわしますならば、趣味に使う金を全て捧げても救いを乞いたい気分だ。
「ほいっ」
「——ッ!? ちょっ! は、放してっ……!」
あれやこれやと考えている隙に、彼女にお姫様抱っこされた。
彼女のか細い両腕の中で再び暴れるが、先程もそうだったように彼女には効果が無い。
「これからオラとらぶらぶちゅっちゅの時間だよー! ダーリン、今夜は寝かせないゾ!」
「たっ、助けてっ……!」
両親に救援を求めた——が、声が届いているはずなのに、二人は助けに来なかった。
我が家が、両親が侵略され、今度は俺の体が彼女に侵略されることになってしまった。
Don't leave me alone! レヴィアたん 粟沿曼珠 @ManjuAwazoi
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