黄色い線の外側までお進み下さい

ユウグレムシ

 

 朝のプラットフォームには、酔っ払いの吐瀉物やワンカップ酒の空き瓶、吸い殻に残る灰のせいで、生ゴミの袋を開いたときのような苦くて酸っぱい悪臭が、今日も充満している。

「間もなく電車がまいります。黄色い点状ブロックの内側まで退がってお待ち下さい」

 構内放送が響き渡ると、人々は手元の携帯型端末から視線を上げ、乗車扉の停まる位置に整列し直す。このあと、夜更け頃には身も心も疲れ果て、カフェインやアルコールやニコチンの世話になることが分かっていても、立ちこめる悪臭などどこ吹く風、と涼しい顔で、各々の戦場へ向かう覚悟を決めるのが、一人前の立派な社会人というものだ。


 そんな通勤ラッシュでごった返す駅の片隅に、一箇所だけ異質な路線があった。

 よれよれの背広を着た白髪交じりのサラリーマン崩れ、車椅子にミイラ同然の年寄りを座らせているオバサン、おかあさんに付き添われたパジャマ姿の中年男、推しのぬいぐるみを大事そうに抱き締めるゴスロリ女、イヤホンやヘッドホンで両耳を塞ぎ、肩を震わせてうずくまる中高生ばかりが、めいめい思い詰めた表情でプラットフォームに並んでいる。

「間もなく電車がまいります。

 この路線では構内放送も到着する列車も他とは違う。自殺志願者向けの、飛び込み専用プラットフォームだからだ。

 普通の列車が人を撥ねると、車輌が壊れたり、レールが汚れたり、安全確認が済むまで運行の妨げになって大勢の乗客に迷惑をかけるが、自殺専用列車の先頭車輌は、自動運転のためガラス窓が必要なく、あらかじめ頑丈なドーザーブレードを装備しており、停車も減速もせずにプラットフォームを突っ切れば、潰れた肉片を次々と線路脇の側溝へ押し流すことができる。しかも列車の接近と同時にプラットフォームの床全体が線路側へ傾くので、土壇場で飛び込みをためらう馬鹿が出ても問題なし。

 特別製の装甲無人列車が景気よくミンチを量産する様子は、けだるい朝の待ち時間、通勤・通学客にとってちょうどいい見世物になっていた。アクション映画やサスペンスドラマや無双ゲーみたいなものだ。いつだって自分と無関係の殺人に勝るエンタメはないよな?まして薄ら気持ち悪い陰キャとか、給料泥棒の落ちこぼれどもを始末できるとなれば、爽快感もひとしお!!社会が厳しいのは当たり前。厳しい社会についてこれない奴にはそもそも生き残る資格がない。個人的にどんな事情があろうと、社会の役に立てないなら、そいつはもう生ゴミと一緒なんだよ。


 世渡りのコツは、自分がこうむるストレスを背負い込まず、全て他人になすり付けることだ。遠慮や優しさなど何の価値もない。生真面目な奴は損だ。他人を押しのけなければ、どんどん他人に押しのけられ、最後には飛び込み専用プラットフォームへ追いやられるはめになる。人間、あんなふうになったらおしまいだな……。そう思っていると、俺の頭上で電光掲示板の赤い文字が明滅した。

「間もなく電車がまいります。黄色い点状ブロックの……」

 デパートの終業時刻などによく使われる、“あのメロディ”を合図にして、足元が揺れ、油圧リフトの轟音とともに少しずつ床が傾き始める。

「……黄色い点状ブロックの

 ああ、そうだ!!昨日のニュースを今さら思い出した。利用客の急増により一路線だけでは死体の処理が追いつかなくなってきたため、便んだっけ!!

 昇降口を見ると、全速力で急げば間に合う距離だ。助走をつけて線路に飛び出す客、みっともなく泣きわめきながら逃げ惑う客を、邪魔だ!邪魔だ!テメェのケツも拭けずに公共交通機関のサービスに頼るんじゃねぇ!!死にたきゃ独りで死ね!!と突き飛ばし、床面が水平に近いうちにプラットフォームを駆け抜ける……が、ゴールまであと数歩というとき、誰かの肩が背中にぶつかり、転倒してしまった。俺を突き飛ばした奴はギリギリで階段へ滑り込み、俺の目の前で、ついに血飛沫まみれのシャッターが閉じた。

 違うんだ、俺は死にたいわけじゃない!こいつらと違って役立たずでも生ゴミでもない!俺のゴールは線路じゃないのに!俺には生きる資格があるのに!ただ、ちょっと疲れが抜けきらなくて、寝ぼけていて行き先を間違えただけなのに……!!


 吐瀉物や空き瓶や吸い殻と一緒にレールの上へ放り出される最後の瞬間、通常路線のプラットフォームに並ぶ無数の通勤客達が冷たい目で俺を観察するのが見えた。


おわり

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