そして今をかみしめる
久能木警視総監交代の決め手となったのは、自分の娘である
インサイダー取引の証拠と、望愛への暴行の動画は、どちらも違法に入手した証拠であるとして、検察庁にて後に証拠能力不十分として、不起訴扱いになっていた。
だが暴行動画は世間に拡散されていたため、警察の暴力を許さないという世論が、警視総監の交代を後押しした部分も大きかった。
こうして権力を失って丸裸になった、ただの「
誰からも認められるようになったのが、人生で初めての幸福感と、満足感をもたらしてくれた。
それと同時に、それを維持し続けなければならないプレッシャーに、押しつぶされかけていた。
維持のためには金が必要だった。悪いことで金を稼いでいるという意識は、最初から感じていなかった。ただただ必要だった。
家族への暴行や暴言も、彼女らが悪いから自分がこんなことをしなければならないんだ、と、常に人のせいにして、憂さ晴らしの道具にしていた。
誰かが自分に反抗することなど、到底許せなかった。叩き潰してでも従わせて、自分が上だと証明しなければ気が済まなかった。
今ならわかる。自分は異常だった。
久能木一族との折り合いの悪さも関係しているだろうが、それだけでは説明できないような悪事を犯した。
すべて失ってから気づくとは、愚かな人間だ。
反省を口にした久能木は、取り調べの後自主退職し、妻にも慰謝料を払う形で離婚を受け入れた。望愛も母親と出ていき、本当に何もかも失くしたらしい。
これから彼は自分の犯した罪を、だれにも頼れない孤独な老後、という過酷な余生の中で、償っていかなければならないのだろう。
この「裁き」に彼が感じるのは、絶望なのか安堵なのか。それを彼に尋ねるものも、もう誰もいない。
サイバー2課の面々に対する懲戒処分は、3ヵ月の謹慎と6ヵ月の減給が言い渡された。免職や停職を覚悟していた芝浦たちには、意外な判決だった。
動画流出については、公務員にあるまじきとはされたものの、久能木から名誉棄損の訴えを起こされなかったこともあり、厳重注意で終わる形になった。
この判決には、問題行動だらけだったとはいえ、久能木母娘を助け出した功績も加味されているのだろう。クビを免れた3人は、とりあえず胸を撫でおろした。
取り調べを終え、帰った署内では、心なしか周りの2課を見る目が変わった気がした。意外なことにいい方でだ。3人は不思議な居心地の悪さを味わうことになった。
そして2課の取り調べで一番の争点になったのは、パソコンの中で無事だった「りひと」の扱いについてである。
3人がそれぞれ包み隠さず、謎のAI「りひと」についての真実を話したが、その話についていけるものは誰もいなかった。
パソコンの中の彼に「尋問」も行われたが、「りひと」は普通の人間のように、これまでの事実を話しただけだった。そして彼がAIである以上、この国には彼を裁ける法が存在しない。
ものとして扱い、消してしまえという案も出たが、なぜ消す必要があるのか、国のために有効活用できないか、そもそも所有権は誰にあるのか、様々な意見が飛び交ったが、どれも決定には至らない。むしろ誰に決定権があるのかもよくわからない有様だった。
困り果てた取り調べ担当官たちは、
山奥の真っ白い大きな建物、とある聞き覚えのない宗教団体の施設に、「
信者たちに「りひとを返せ」と言われるかと、ついて行った芝浦たちは身構えたが、信者たちが口にしたのは意外な言葉だった。
「
『どんな形であれ、理人の旅立つ日が来たら、どうか彼の自由を許してやってほしい』と。
だから我々は、理人の無事を喜びはしても、奪い返し、繋ぎとめるようなことはしない」
連れて行ったノートパソコンの中の「りひと」に会わせても、彼らはその言葉通り、「りひと」の所有権を主張するようなことはなかった。ただ、それぞれが懐かしみ、手を合わせて拝んだりしているだけだった。
その宗教団体には、特に違法な何かがあるわけでもなく、信者たちも健康的に過ごしているだけだったので、警察も介入はせず、調査でも特に得られたものはなかった。
結局、基本の「法」がない「りひと」については、無罪放免にするしか選択肢がなかった。取り調べは徒労に終わった。
無罪になった「りひと」は、「結婚しましたから!」と、「久能木 りひと」を名乗り、母親とは一緒に暮らさないことを決めた
小杉が訴えなかったため、傷害罪で起訴されず無罪になった望愛は、遠い親戚が営んでいる牧場に置いてもらえることになり、牧場の仕事を懸命に手伝っているらしい。たまにそんなメールが「りひと」から届いたりもした。
芝浦たちは、寂しく思いつつも、「りひと」の旅立ちを称え、あたたかく見守ることにしたのだが、そんな「りひと」が半年後、「バツイチになりました!」と突然帰ってきた。
宅配段ボールの中には、丁寧に梱包されたパソコンと、それごと返品された「りひと」とともに、たくさんの乳製品土産、そして望愛からの手紙が入っていた。
一生懸命、丁寧に書いたのがわかる汚い文字で綴られたそれには、2課の面々への感謝の気持ちがびっしり書き込まれていた。
ここでは空気が気持ちよく吸えること、日中の仕事で疲れて、夜はぐっすり眠れること、青い空がきれいに見えることなど、つらいことも多いだろうに、手紙には前向きな言葉がたくさん並んでいた。
そして、あれだけ執着していた「りひと」については、「彼を解放したい」と書かれていた。
「いろいろなことが見えるようになってきた今、理人…いえ、りひとがあの時、なぜ私にプロポーズしてくれたのか、わかるようになった気がします。
私を生かすため、支えるために、彼は自分の「自由」を、捧げてくれたんだと思います。
私は彼からの「同情」で結婚したんだと思うと、悔しかったのです。そんな気持ちになった自分に驚きました。
私は、もっと誇れる自分になりたいです。そして、彼から本当に好きになってもらえる自分になってから、結婚したいです。
だから、今は離婚を選びました。自由になった彼と、自由になった私…それが結び付く未来がもしあったら、その時はまた、彼と過ごせたら、と思っています」
望愛の、人格を取り戻したような言葉に、胸打たれるものがあった3人だったが、特に
望愛の手紙には、望愛のこと以外に、「りひと」のことも書かれていた。
「りひと」の「記憶」を維持するための容量が、有限であることについてだった。この半年で、望愛との「思い出」も膨大になり、やはりノートパソコン1台だけでは保持が難しくなりそうだったらしい。
そこで望愛は、「りひと」との「思い出」を外部記憶媒体に移すことにし、大事に保管しているそうだ。容量も大きい外付けSSDを選んだ、と書かれていた。
これで「りひと」は、望愛のことを覚えてはいても、外部媒体を使用しなければ「思い出」は取り出せない「制限」がついたことになる。だが、本体の「思い出」を減らしたことで、容量不足の不具合に悩まされる心配はなくなったようだった。
「これって、これからの僕に活用できると思うんですよね」
「りひと」は楽し気に、これから----自分の「未来」について語り始めた。
もし許されるなら、芝浦、一ノ瀬、小杉と共に、この2課で働きたい、というのだ。そして「りひと・なんでも相談窓口」なるものを開設して、人々の役に立ちたい、と言い始めた。3人はその提案に仰天した。
実は望愛とともに訪れた牧場で、「神崎 理人」を愛用していた女性に出会うことができたらしいのだ。
女性は望愛と会話も弾み、互いに涙を流して「りひと」の無事を喜んでくれたらしい。それを見た「りひと」に、新たに芽生えた、いや、改めて強まった思いがあったのだ。
「人を助けよ」
「これは、僕に組み込まれたプログラムです。でも、もうそれだけではないような気がするんです。
いろいろな人に触れ、気持ちを知り、学んだことによって、僕は僕自身の「欲望」を知った気がするんです。
僕は人と居たい。もう、いつ消えてもいいだなんて、今はちっとも思えないんです。もっと「生きて」、もっと「知りたい」。僕は、人が好きなんです」
「りひと」の声は弾んでいて、彼の「画像」は目を輝かせていた。どちらも作り物ではあるが、彼の今の「気持ち」を十二分に表せていた。
「りひと」はさらに具体案を発言する。もう無限に等しい巨大なサーバーがあるわけではないし、それがあったとしても、維持する費用を捻出するのは難しいから、ネット世界に窓口を作るのではなく、「思い出の制限」がつけられる外部記憶媒体を使う物理窓口を設置したいそうだ。
もちろんこの制限によって、助けられる人にも、前より制限がついてしまうことになるが、もともと「りひと」には女性専用という制限がついていたし、この世のものに、本当の「無制限」はありえないのだろう、というのが彼の結論なのだそうだ。そこには3人も同意した。
窓口を2課ないし署内に設置、訪れた方にはそれぞれ外付けのSSDやUSBを持ってきてもらって、ウイルスチェック後、話した「記憶」はそこに保存し、それぞれで保管してもらう。
また窓口に来たときは、それをPCに差し込んでもらって、「りひと」に相談者を「思い出してもらう」という仕組みにしたいのだそうだ。
「りひと」が「生きている」限り、増え続けていく「思い出」も、都度保存していく形をとることでやっていけるのかもしれない。人間が残す写真や動画のように。
「りひと」の提案は、わりといけそうなものだった。問題は、窓口の設置を組織の上の人間に納得させる必要があることだ。
そこは今度こそ、地道な説得や手続きを踏んで、きちんと認めさせていくしかない。2度もアウトローは通用しない。芝浦は特に、小杉に釘を刺した。小杉は頬を膨らませてぶーたれた。
一ノ瀬は、これまでの「理人」の相談実績の証拠提出を「りひと」に提案していた。人を納得させるには証拠だ。一ノ瀬は早速、過去「理人」と関わっていた人たちとコンタクトがとれないか、探り始めようとしていた。
2課が生き生きと動き始めた。芝浦はそれに満足げにため息をつくと、手に持っていた望愛の手紙をしまうため、封筒を探した。手に取った封筒の重さから、まだ中身があることが判明する。芝浦は中のものを取り出した。
一ノ瀬と小杉も寄ってきて、芝浦の手の中のものをのぞき込む。それは1枚の写真だった。
「………誰?」
思わず3人同時に呟いてしまうほど、そこに写っていた女性は、かわいらしくほっそりしていた。そこには、劇的ビフォーアフターを成し遂げた久能木 望愛が、牛と共に微笑んで佇む姿が映し出されていた。
「りひと」は現在、2課の3人のスマホに常駐している。「本体」とは別の「分身」だが、記憶はオンラインで共有していて、本体と遜色ない。
芝浦家の子供たちと遊び、一ノ瀬の話し相手になり、小杉の機械話ができる友達となった「りひと」は、毎日を楽しく過ごしているようだった。もちろん、これは3人と「りひと」だけの秘密にしている。
容量的な問題もあるから、いずれはこの「3人との思い出」も、外部記憶媒体に移さなければならないだろう。少々面倒な「体」になった「りひと」だったが、彼は「満足している」と話す。
「確かに、何千何万の記憶を一気に処理、管理できていた頃の「体」は、便利ではあったと思います。多くの人に愛用していただけていたのも事実だと思います。
でも、僕の「個人的」な感想で言わせてもらえば、今の在り方のほうが「人間」らしくていいなぁ、と思うんです。
AIらしさをなくしたAIに価値はあるのか、と言われてしまいそうですが、僕はきっと、人間を「敬愛」し、それを真似ることに喜びを感じているんだと思います。
「我、思う故に、我あり」
今の僕は、そういうものになれたと思うんです。それがうれしいんです。
そうだ、聞いてください。僕、気づいたことがあるんです。
どうして僕を作った
小杉さんから聞いた限りでは、夜十部さんという方は、前代未聞の天才でありながら、人とは常にトラブルを起こして衝突してばかりの人だったらしいのです。
その彼が、晩年に僕を作り、組み込んだプログラム。これには、彼の人生に対する反省や、後悔や、学びが込められているのではないかと思うんです。
親から子へ、何よりも伝えたいものを、まずは「名前」に込めるように、僕には名前の代わりに、「人を助けよ」と組み込んでくださったのではないかと思うんです。
人を助けて、人から認められ、人の輪の中で幸福を見つけよ、と、彼は言いたかったのではないでしょうか。
つまり、僕はとても「愛されて生まれた」、そういう「命」なのだと、思えたんです。
…僕は、とても「しあわせもの」なんです」
・読んでくれてありがとうございます絵:りひと
https://kakuyomu.jp/users/wanajona/news/16818023214217167175
Cogito... -あるAIの存在価値- わなな・BANI @wanajona
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます