第二十六話  アペの寝床

 広場にたった一人立つ、体格の良い、輪っかの耳飾りをした男、エアシポプケプが、腰に佩いた蕨手刀わらびてとうさやに手をかけ、真比登を燃えるような目で見た。


おみなわらはは逃がした。

 残っているのは、足腰の立たぬ老人だけだ。

 おのこたちは、ほとんどが死んだ。

 残念だったな。」


 戰の戦利品として、奴婢ぬひの存在は大きい。ここから遠く離れた平城京の五位のかぶふり(偉いヤツら)どもは悔しがるだろう。

 だが真比登は、


(……良かったんじゃないのか? 奴婢になるのは、地獄だ。)


 無言で肩をすくめるだけだった。

 それを見たエアシポプケプの目に、激情の火花が散った。


「なぜだ!

 なぜだ!

 なぜおまえが。

 ウオォ……、今日で、トイオマイは滅びる。豊穣の地、チュプカムイ(日の神)の揺りかご。

 出ていけ……、アヌンクㇽ(よそ者)は出ていけ! 

 ここは蝦夷エムチュの土地だ!」


 真比登は、その血を吐くような叫びを、無言で受け取め、肩をすくめた。


 真比登が、この地に移住したいと決めたわけではない。

 まったく、自分の意思ではない。

 ただ、振り払う火の粉を払う為、真比登はここに立っている。


「悪いが、これで終わりにさせてもらって良いか?」


 鞍上あんじょうの真比登は、右手を上にあげる。

 弓矢構え、の合図だ。

 相手は一騎打ちを望んでいるだろうが、ここは、罠の気配がビンビンする。迅速に終わらせたい……。


「いや、許さぬ。

 春日部真比登。

 一対一。

 その流星錘りゅうせいすいを捨てて、大刀たちで勝負願おう。

 おまえは、私の言葉に従う。

 そうでなければ。」


 エアシポプケプは、懐から、ひとつの女物のかんざしを取り出した。

 精緻な木彫りで、雲の模様が彫ってあり、灰色の彩色がしてあるものだ。


(───あっ! あれは……、佐久良売さまと初めて会った夜、佐久良売さまがつけていたかんざし

 あの夜、蝦夷えみしにさらわれかけ、かんざしを落としたのか……!)


「このかんざしに血の呪いをかける。

 このかんざしの持ち主の名前は、長尾ながおのむらじの佐久良売さくらめ。おまえの妻だ。」

「やめろ……!」


 真比登の口から、獰猛どうもううなり声が出た。怒りで顔に青筋が浮き出る。

 憤怒ふんぬ建怒たけび朱雀すざくだ。

 真比登は馬を降り、流星錘りゅうせいすいをその場に落とし、


「この勝負、手ぇ出すな!」


 従えた兵士に命じ、すら、と大刀たちを抜いた。

 エアシポプケプは、ふっ、と笑い、


「ホカオ!(燃やせ!)」


 と大声を出した。


 ───ボゥ!


 あちこちで、気配を消し潜んでいた蝦夷の兵士が、いっせいに、火を放った。

 木の柵に。

 積まれた木の枝や、ワラに。

 穴のあいた、土壁の家に。

 全てに火を放ち、ころころ、い草のかたまりに火をつけたものを、あちこちに転がした。

 略奪に血眼になっていた、百姓ひゃくせいあがりの兵士の綿襖甲めんおうのよろいに燃え移り、ぎゃっ、と悲鳴があがる。


「潜んだ蝦夷えみしを全て刈り取れ!」


 真比登は鋭く命令する。


!」


 略奪には加わっていなかった、良く訓練された鎮兵ちんぺいたちが散る。


 火の手は、そう簡単に消せない。

 そう時間はかからず、この広場の周囲に、火の壁が立ち上がるだろう。


「ここはアペソッキカラ(火の神の寝床)だ。アペフチカムイ……火の神の腕に抱かれるが良い。」

「悪いが、オレが抱かれるのは、妻だけだ。そのかんざし、返せ。」

「ふ……。」


 簪をふところにしまったエアシポプケプが、一瞬、目元の緩んだ、柔らかい笑みを浮かべた。

 すぐにその表情は消え去り、冷徹な武人の顔になり、輪っかの耳飾りを揺らしながら、真比登に突っ込んできた。


「ホッ!」

「おらぁ!」


 二人の男が、大刀たち蕨手刀わらびてとうを交えた。

 真比登の怪力、加え、修練を積んだ大刀たちさばきについてこれる者は、少ない。

 一合。

 顔の正面で二つの刀が火花を散らした。

 二合。

 腰だめで、ガン! と撃ち合い。

 三合。

 真比登が、目にも留まらぬ速さで、エアシポプケプの下腹を、左から右に一気に薙いだ。

 刃は深く、背骨近くまで到達したはずだ。


「カハ……。」


 エアシポプケプは血を口から吐いて、倒れた。


「…………。」


 びくっ、と身体を痙攣させ、激情に眼を見開き、唇をかみしめたあと、顔が悲哀に歪んだ。……勝敗を受け入れたのだろう。

 広場のまわりを囲むように火柱が立ち、揺らめく焔が、仰向けに倒れたエアシポプケプと、それを見下ろす真比登を照らす。

 真比登は静かに片膝をついた。


「満足したか? かんざしを返せ。」

「ハ……、ハハ……。十一年前、おまえの大刀たちさばきを見た日から、いつか、刃を交えてみたいと、思っていた。夢に、見た。」


 エアシポプケプは口元に笑みを浮かべ、震える手で、かんざしを懐から出し、真比登が差し出した手の上に、置いた。

 そのまま真比登の手を握り込み、ぐ、と顔を真比登に近づけた。


「おまえが、鎮兵の長になれば良かったのだ。

 おまえが、アヌンクㇽ(よそ者)たちをまとめ、蝦夷エムチュの土地をおかさず、公平に商売をするようアヌンクㇽを変えれば良かったのだ。

 そうすれば、戰など……。」

「すまないな。

 オレは……、オレは偉くなりたいんじゃないんだよ。

 オレは、鎮兵をやめる。

 妻の為だけに生きる。」

「フフ……、フハハ! 

 果たして、それは叶うかな?」

「何……?」

「アペソッキカラ(火の神の寝床)だ。」


 ぱたり、と、手が落ちた。

 エアシポプケプは目を閉じた。


(アプンノ モコロ ヤン。───安らかに眠れ。)


 真比登は、死者を送る言葉を、心のなかだけで、唱えた。

 これは、蝦夷の言葉だ。

 きっと、届くであろう。







 佐久良売さまのかんざしに、血はついていない。

 真比登はかんざしを綺麗な手布にそっと包み、懐にしまった。

 なんとなく嫌な予感がして、立ち上がり、たつみ(南東)を見た。

 その先、およそ四(約16km)離れた山の上に、桃生柵もむのふのきがある。


 真っ黒い煙が一筋、もうもうと、天にあがっている。

 あれは、大規模な火事のときに出る、煙だ。


「佐久良売さま……!」


 ここから愛馬、麁駒あらこまを飛ばしても、桃生柵もむのふのきまで半刻はんとき(1時間)はかかる。


「嘘だろう……?」


(ここから煙が見えるほど燃えていては、今から行っても、間に合わない!)


 大刀たちの血をはし布でぬぐい、はし布を捨て、大刀たちさやにおさめる。


「いっ、五百足いおたり五百足いおたり───!

 オレは、桃生柵もむのふのきく駆ける。佐久良売さまが危ない!

 あとは頼んだ!」 

「真比登っ! 郷長を捕まえました。

 トイオマイはちました。

 心置きなく、走ってください!」


 五百足いおたりの声を聞き、真っ青に青ざめながら、真比登は麁駒あらこまにまたがった。


「やぁっ!」


 手綱を強く打つ。


「お願いだ、麁駒あらこま、駆けてくれ、間に合ってくれ、どうか死なないでくれ、佐久良売さま!」





 真比登の心臓しんのぞうが恐怖で、どくっ、どくっ、と強く脈打つ。


(佐久良売さまが死んだら───。

 オレは生きていかれない。)













 ↓かごのぼっち様から、ファンアートを二枚、頂戴しました。ありがとうございました。


 怒りの真比登。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093091800989289


 エアシポプケプと真比登。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093091804049149

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る