第二十七話  凶手

 ※凶手きょうしゅ……悪者の毒手。悪者のしわざ。人を殺傷した者。

 


    *   *   *




 佐久良売が桃生柵もむのふのきの医務室で、いつものように医師の手伝いをしていると。


 ───カンカンカンカン!

 ───カンカンカンカン!


 やぐらの鐘が、鳴った。


 ざわざわざわっ、と医務室がざわめく。

 三日月顎の大椿売おおつばきめが真っ青になって、


「こ、こ、この鐘は……。」


 と佐久良売に訊く。


「ええ、敵襲を知らせる鐘よ。落ち着いて。ここで嵐が過ぎるのを待ちましょう。大丈夫よ。」


 かたかた、涙目で震えだした大椿売。

 佐久良売は、目で、若大根売わかおおねめに、


 ───励ましてあげて。


 と合図する。若大根売わかおおねめが、すっ、と大椿売の隣に立ち、肩を抱き、


「大丈夫よ……。」


 と笑顔で励ます。佐久良売は息を吸い、


「医療行為は一時中断します。

 皆、すぐに逃げられる準備をなさい。

 寝床に寝る者で、歩けるものは、かのくつを履きなさい。

 その上で、ここで大人しく、ひとかたまりになって、待つのよ。

 悲鳴をあげてはなりません。

 賊奴ぞくとに見つかりやすくなるでしょう。

 悲鳴をあげたくなった者は、自分の袖を噛んで堪えなさい。

 怪我の軽い兵は、武装して、戸の近くに立ちなさい。

 必ず、日本兵が、賊奴ぞくとを追い払ってくれます。信じて、待つのよ。」


 女官は、


「はい。」


 と応え、負傷兵は、


。」


 と応える。


 緊張感のなか、皆、静かに医務室で息を潜める。


 ───カンカンカンカン!

 ───カンカンカンカン!


 やぐらの鐘が、ずっと、鳴り止まない。


 押し出し間戸まど(窓)の外を伺っていた負傷兵が、


「チッ、火だ。ヤツら、火を放ちやがった。」


 と忌々いまいましく言った。佐久良売も押し出し間戸まどから、外を見る。


(本当だわ。)


 ぽつぽつ、と、あちこちから火の手があがっている。


 わー、うおぉ……。


 どこからか、男たちの争う声が届く。


桃生柵もむのふのきのなかに、敵の侵入を許したんだわ……。)


 歩けるものは押し出し間戸まどのそばに集まった。


「クソッ、派手に燃えてやがる。」

「ここは大丈夫なのか?」

「知るかよ……。」


 佐久良売は、


「落ち着きなさい!」


 と一喝する。


(どうしよう。医務室から避難するべき?)


 迷っていると、真比登の伯団はくのだん鎮兵ちんぺいが、一人、医務室に走ってきた。


 恰幅かっぷくの良い男。

 たしか、名前は、久自良くじら

 革をなめしたよろいすすと返り血で汚れている。


「皆、ここから逃げてくれ!

 ヤツら、油を惜しみなく撒いて、火をつけてやがる。 

 燃え広がり方が早い。

 このままでは、桃生柵もむのふのきの屋敷が、全部燃えかねん。」

「……わかりました。伝えてくれてありがとう……。」


(燃える?

 桃生柵もむのふのきが、全部、燃える?)


 佐久良売の頭がガンガンする。


「お父さまは? 桃生柵もむのふのき領主は、無事なの?」

「……ご無事かどうかは、確認できてません。務司まつりごとのつかさを行う正殿せいでんは、まっさきに火をつけられたようです。」

「……!」 


(燃える。

 桃生柵もむのふのきが、全部、燃える。

 桃生柵もむのふのきが壊れてしまう。)


 佐久良売は、ふらり、とよろめいた。


「佐久良売さま!」


 若大根売わかおおねめが後ろから支える。

 佐久良売は、唇を噛み締め、腹に力を込め、


「皆、ここから避難して。歩ける者は、歩けない者に手を貸して。

 近くのヤブに身を潜めなさい。」


 そう指示を飛ばしたあと、ぱっ、と桃生柵もむのふのきの建物の中心、務司まつりごとのつかさを行う正殿せいでんにむけて、走りだした。


「佐久良売さまっ? いずこへ?!」


 若大根売わかおおねめが慌てて、あとを追う。


(思い出した!

 思い出した!

 なぜ、今まであたくしは、この事を忘れていたの。

 行かなければ。)




    *   *   *




 己亥つちのといの年。

(759年、天平宝字てんぴょうほうじ三年、今より16年前)



 八歳の佐久良売は、猫の里夜りやと遊びながら、桃生柵もむのふのきの工事現場にこっそり忍び込んだ。

 お父さまから、さんざん、工事現場に来るな、と怒られてしまった。

 でも、今日のこれは、佐久良売は悪くないのである。

 里夜りやが来たがったからである。


「あ、朝獦あさかりさま。みーつけたっ! うふんっ!」


 佐久良売はさっそく朝獦あさかりさまを見つけて、上機嫌に笑った。


(朝獦さまって、かっこいいんだもん。)


 佐久良売は声をかけようとするが、その前に。


 ───カシャン……。


 朝獦さまの目の前で、役夫えきふ(働く男)の一人がよろめき、運んでいたかわらを割ってしまった。


「お許しください!」


 三十代、佐久良売のお父さまと同じくらいの年頃の、その役夫えきふは、名前は知らないが、以前、


郎女いらつめ、怪我しないようにね。」


 と優しく声をかけてくれたことがある。


 朝獦さまは、


「とらえよ。打て。」


 と短く言った。顔が……、氷のように冷たい。


「ひっ! お許しを! 申し訳ありません、申し訳ありません!」


 必死に謝る男はとらえられ、上半身を脱がされ、木の棒で叩かれ、


「ぎゃあああ! 痛い痛い!」


 と悲鳴をあげた。

 佐久良売は物陰に隠れ、ぎゅっ、と目をつむった。

 あのおのこは打たれた。

 もう、罰は終わるだろう。


「おまえが割ったこの瓦。どれだけの価値があると思っている?

 ん?

 平瓦だな。

 桶巻き作り、土を練り、円筒状に形を作ってから切り分け、台の上にのせて叩き締めているんだぞ?

 この印は……、常陸国で作らせたものだな。

 先進の技術! 運ばせている労力!

 おまえには想像もつくまい。

 打て。」


 悲鳴。


(罰が終わらない?!)


 佐久良売は驚いた。

 以前、下人げにん葡萄葛えびかずらの酒壺をひっくり返してダメにした時だって、お父さまは棒打ち一回で終わらせた。

 

「打て。」


 悲鳴。


桃生柵もむのふのきは、私が作らせている。日本国の威容いようを示すために。

 築地塀ついじべい! 瓦! 朱塗りの柱!

 どれをとっても、蝦夷えみしどもは目にしたことがないだろうよ。

 それを、瓦を一枚割るとは、許せぬ。

 打て。」


 悲鳴。


(怖い、怖い。もうやめて……。)


 佐久良売は物陰に隠れたまま、ガタガタと震えた。


 まわりはザワザワとしている。


「朝獦さま……、恐れながら。」


(あっ! お父さまだわ!)


 佐久良売は、ぎくりとして、目をあけた。

 お父さまが、遠慮がちに、慎重に、朝獦さまに声をかけている。


(お父さま……!)


「お怒りはもっともですが、……それ以上やると、死んでしまいます。」

佐土麻呂さとまろ殿!」


 朝獦さまは、お父さまに、にっ、と笑った。


「この役夫えきふは、瓦を割ったのです。

 桃生柵もむのふのきの瓦を!」


 顔を役夫えきふの方にもどし、笑顔を消し、


「打て。 ───打て! 打て! 打て! 打て!!」


(怖い、目をつむりたい。)


 でもつむれない。朝獦さまの後ろで、お父さまが真っ青になっている。

 お父さまが心配すぎて、目をつむれない。

 耳を塞ぎたい。でも塞げない。

 朝獦さまがお父さまに話しかける言葉を聞き逃してはいけない。


 大きな悲鳴があがった。


「ふん。死んだか。」


(死んだ!)


 佐久良売は、初めて、人が棒で打たれ、なぶり殺されるところを見た。


 はっはっはっ……。


 息が苦しくなり、震えはおさまらず、冷たい汗が全身をつたった。


「───佐土麻呂さま。これは当然のことです。

 桃生柵もむのふのきの瓦を割った者は、こうなるのです。

 佐土麻呂さま。くれぐれも、桃生柵もむのふのきを守ってくださいよ?

 もし、仮にこの先……。

 蝦夷えみしおさめるべき桃生柵もむのふのきが、逆に、賊奴ぞくと陥落かんらくさせられるようなことがあれば、そのとがは、族滅ぞくめつ(一族皆殺し)にあたいするでしょうなぁ?」

「そのようなことには、決していたしません!」


 お父さまは、見たこともない、青白い顔をしている。怖がっている。


「くっくっ、そうでしょうとも。期待しております。

 亡骸は処分しろ!」


 限界だった。


「ひぁ───……!」


 佐久良売はひきつったような悲鳴をあげて、倒れた。

 その後、しばらく、記憶がない。





 夢を見た。





 真っ暗いなか、お父さまが、瓦を持っている。

 瓦の上には、小さな小さな、桃生柵もむのふのきが乗っている。


 お父さまがつまづき、瓦を手から落としてしまった。


 ───カシャン……。


 瓦と、小さな桃生柵もむのふのきが、粉々に、割れた。


 お父さまの後ろには朝獦さまがいる。

 お父さまは振り向き、


「お許しください!」


 と許しをこう。朝獦さまは冷たい顔で、


「よくも桃生柵もむのふのきを壊したな。───打て!」


 と命令する。


 このままでは、


「やめてえぇぇぇぇぇぇ!!」


 佐久良売は夢の中で絶叫した。


 やめてやめて!

 桃生柵もむのふのきはあたくしが守るから!


 怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。


 あの人は怖い人。


 簡単に人を殺す人。


 もしかしたから、お父さまさえ、殺す人。


 怖い怖い。


 駄目。


 恋しては駄目。


 あの人に恋しては駄目───!!







 恋しては駄目………。







    *   *   *




 二十四歳の佐久良売は、走る。


(そうだ、思い出した。

 あたくしは、桃生柵もむのふのきを守らねば!)





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る