第二十七話 凶手
※
* * *
佐久良売が
───カンカンカンカン!
───カンカンカンカン!
ざわざわざわっ、と医務室がざわめく。
三日月顎の
「こ、こ、この鐘は……。」
と佐久良売に訊く。
「ええ、敵襲を知らせる鐘よ。落ち着いて。ここで嵐が過ぎるのを待ちましょう。大丈夫よ。」
かたかた、涙目で震えだした大椿売。
佐久良売は、目で、
───励ましてあげて。
と合図する。
「大丈夫よ……。」
と笑顔で励ます。佐久良売は息を吸い、
「医療行為は一時中断します。
皆、すぐに逃げられる準備をなさい。
寝床に寝る者で、歩けるものは、
その上で、ここで大人しく、ひとかたまりになって、待つのよ。
悲鳴をあげてはなりません。
悲鳴をあげたくなった者は、自分の袖を噛んで堪えなさい。
怪我の軽い兵は、武装して、戸の近くに立ちなさい。
必ず、日本兵が、
女官は、
「はい。」
と応え、負傷兵は、
「
と応える。
緊張感のなか、皆、静かに医務室で息を潜める。
───カンカンカンカン!
───カンカンカンカン!
押し出し
「チッ、火だ。ヤツら、火を放ちやがった。」
と
(本当だわ。)
ぽつぽつ、と、あちこちから火の手があがっている。
わー、うおぉ……。
どこからか、男たちの争う声が届く。
(
歩けるものは押し出し
「クソッ、派手に燃えてやがる。」
「ここは大丈夫なのか?」
「知るかよ……。」
佐久良売は、
「落ち着きなさい!」
と一喝する。
(どうしよう。医務室から避難するべき?)
迷っていると、真比登の
たしか、名前は、
革をなめした
「皆、ここから逃げてくれ!
ヤツら、油を惜しみなく撒いて、火をつけてやがる。
燃え広がり方が早い。
このままでは、
「……わかりました。伝えてくれてありがとう……。」
(燃える?
佐久良売の頭がガンガンする。
「お父さまは?
「……ご無事かどうかは、確認できてません。
「……!」
(燃える。
佐久良売は、ふらり、とよろめいた。
「佐久良売さま!」
佐久良売は、唇を噛み締め、腹に力を込め、
「皆、ここから避難して。歩ける者は、歩けない者に手を貸して。
近くのヤブに身を潜めなさい。」
そう指示を飛ばしたあと、ぱっ、と
「佐久良売さまっ? いずこへ?!」
(思い出した!
思い出した!
なぜ、今まであたくしは、この事を忘れていたの。
行かなければ。)
* * *
(759年、
八歳の佐久良売は、猫の
お父さまから、さんざん、工事現場に来るな、と怒られてしまった。
でも、今日のこれは、佐久良売は悪くないのである。
「あ、
佐久良売はさっそく
(朝獦さまって、かっこいいんだもん。)
佐久良売は声をかけようとするが、その前に。
───カシャン……。
朝獦さまの目の前で、
「お許しください!」
三十代、佐久良売のお父さまと同じくらいの年頃の、その
「
と優しく声をかけてくれたことがある。
朝獦さまは、
「とらえよ。打て。」
と短く言った。顔が……、氷のように冷たい。
「ひっ! お許しを! 申し訳ありません、申し訳ありません!」
必死に謝る男はとらえられ、上半身を脱がされ、木の棒で叩かれ、
「ぎゃあああ! 痛い痛い!」
と悲鳴をあげた。
佐久良売は物陰に隠れ、ぎゅっ、と目をつむった。
あの
もう、罰は終わるだろう。
「おまえが割ったこの瓦。どれだけの価値があると思っている?
ん?
平瓦だな。
桶巻き作り、土を練り、円筒状に形を作ってから切り分け、台の上にのせて叩き締めているんだぞ?
この印は……、常陸国で作らせたものだな。
先進の技術! 運ばせている労力!
おまえには想像もつくまい。
打て。」
悲鳴。
(罰が終わらない?!)
佐久良売は驚いた。
以前、
「打て。」
悲鳴。
「
どれをとっても、
それを、瓦を一枚割るとは、許せぬ。
打て。」
悲鳴。
(怖い、怖い。もうやめて……。)
佐久良売は物陰に隠れたまま、ガタガタと震えた。
まわりはザワザワとしている。
「朝獦さま……、恐れながら。」
(あっ! お父さまだわ!)
佐久良売は、ぎくりとして、目をあけた。
お父さまが、遠慮がちに、慎重に、朝獦さまに声をかけている。
(お父さま……!)
「お怒りはもっともですが、……それ以上やると、死んでしまいます。」
「
朝獦さまは、お父さまに、にっ、と笑った。
「この
顔を
「打て。 ───打て! 打て! 打て! 打て!!」
(怖い、目をつむりたい。)
でもつむれない。朝獦さまの後ろで、お父さまが真っ青になっている。
お父さまが心配すぎて、目をつむれない。
耳を塞ぎたい。でも塞げない。
朝獦さまがお父さまに話しかける言葉を聞き逃してはいけない。
大きな悲鳴があがった。
「ふん。死んだか。」
(死んだ!)
佐久良売は、初めて、人が棒で打たれ、なぶり殺されるところを見た。
はっはっはっ……。
息が苦しくなり、震えはおさまらず、冷たい汗が全身をつたった。
「───佐土麻呂さま。これは当然のことです。
佐土麻呂さま。くれぐれも、
もし、仮にこの先……。
「そのようなことには、決していたしません!」
お父さまは、見たこともない、青白い顔をしている。怖がっている。
「くっくっ、そうでしょうとも。期待しております。
亡骸は処分しろ!」
限界だった。
「ひぁ───……!」
佐久良売はひきつったような悲鳴をあげて、倒れた。
その後、しばらく、記憶がない。
夢を見た。
真っ暗いなか、お父さまが、瓦を持っている。
瓦の上には、小さな小さな、
お父さまがつまづき、瓦を手から落としてしまった。
───カシャン……。
瓦と、小さな
お父さまの後ろには朝獦さまがいる。
お父さまは振り向き、
「お許しください!」
と許しをこう。朝獦さまは冷たい顔で、
「よくも
と命令する。
このままでは、お父さまが死んでしまう。
「やめてえぇぇぇぇぇぇ!!」
佐久良売は夢の中で絶叫した。
やめてやめて!
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
あの人は怖い人。
簡単に人を殺す人。
もしかしたから、お父さまさえ、殺す人。
怖い怖い。
駄目。
恋しては駄目。
あの人に恋しては駄目───!!
恋しては駄目………。
* * *
二十四歳の佐久良売は、走る。
(そうだ、思い出した。
あたくしは、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます