第二十八話  狂狡に堕つ

 ※狂狡きょうこう……常軌じょうきいっして乱れる。



    *   *   *




【陸奥国按察使兼鎮守将軍正五位下藤原恵美朝臣朝猟等。

 教導荒夷。馴従皇化。不労一戦。造成既畢。

 又於陸奥国牡鹿郡。跨大河凌峻嶺。作桃生柵。奪賊肝胆。】





 陸奥みちのくのくに按察使あぜち兼鎮守けんちんじゅ将軍しょうぐん正五位藤原恵美ふじわらのえみの朝臣あそん朝獦あさかりら。

 荒ぶるえみしを教え導き、皇化こうかしたがはしめ、一戦を労せず、造り成すことすでをはりぬ。

 また、陸奥国みちのくのくにの牡鹿郡おしかのこほりいて、大きなる河をえ、たかみねしのぎ、桃生柵もむのふのきを作りてぞく肝胆きもうばう。




 ───藤原朝獦らが徳を持たない蝦夷えみしに天皇の徳を教え導くことで、争うことなく(雄勝柵をかちのきの)築城をすでに終わらせた。

 また、陸奥国みちのくのくに牡鹿郡おしかのこほりで、大きな河をまたえ、けわしい山のみねを越え、桃生柵もむのふのきを作り、蝦夷えみし肝胆きもを潰させる───





 続日本紀しょくにほんぎ 天平宝時てんぴょうほうじ四年(760年)より。



 ※すごーく名前と役職名の長い朝獦あさかりは、雄勝柵おかちのき桃生柵もむのふのき、両方、作らせています。




    *   *   *





 桃生柵もむのふのきの政庁は、東西はニ十一丈あまり(約65m)、南北は二十三丈あまり(約70m)の長さで、築地塀ついじべいに囲まれている。

 石畳の広場が中央にあり、正殿せいでん後殿こうでん、東西に脇殿わきでんを備えている。


 佐久良売さくらめは二の(政庁の築地塀ついじべい)の西門をくぐった。


「ああ……!」


 西の脇殿以外、どの建物も、燃えている。

 とくに重要な政務を行う正殿せいでんは、建物の半分ほどが、さかまく炎に包まれている。


 広場では、火矢を持った賊二十人ほどと、日本兵三十人ほどが入り乱れ、戰っている。

 斬り伏せられた賊が、日本兵が、広場にてんてんと倒れ、あるところでは折り重なり、石畳に血溜まりを作っている。

 佐久良売は一瞬、顔をそむけ、


(恐ろしい。)

(ひどい!)

(もう嫌。もう、たくさん。どうして人は争うの……。)


 目をギュッとつむったあと、


(今は、考えない!)


 意をけっして目を見開く。

 日本兵は、猛威を振るう蝦夷の蕨手刀わらびてとうに、次々と沈められてはいるが、それでも、二の(政庁の築地塀ついじべい)の南門近くまで、蝦夷を押し返している。


(南門に近づかなければ、多分、危なくない。)


 日本兵の守りの背後、正殿せいでんの前に、佐久良売は駆け込む。

 増援に駆けつけた兵士。

 逃げ惑う文官。

 悲鳴をあげ、右往左往する、郷の避難していた人々。

 数人だが、桶に水をくんで持ってきて、燃える建物にかける者もいる。火の勢いは衰えないが……。

 

「お父さま、お父さまはどこ?!」


 叫び、あたりを見まわすと、若い文官の男が、正殿せいでんの入口で、兵士ともみあっているのが、目についた。

 文官は、倉木三根人くらきのみねひと若大根売わかおおねめの兄だ。


「───まだ、佐土麻呂さとまろさまが、なかにいるはずなんだっ! なかに入れてくれっ!」

「もう遅い! なかは火の海だ! 

 死にに行くようなものだぞ、やめろ!」


 佐久良売はぽつりと、


「……お父さまは、なかにいるのね。」


 つぶやく。


 佐久良売は、己の思考がまともでない、と自覚する。


(かまうものか。

 燃える桃生柵もむのふのきを前に、狂狡きょうこうとならずにいられるものか!

 お父さま。今、あたくしが行きます。)


 佐久良売は、三根人みねひとと兵士がもみ合っている横を、さっ、とすりぬけ、もうもうと黒い煙をあげる正殿の入り口に駆け込んだ。

 二のの西門をくぐり、やっと追いついた若大根売わかおおねめがその背中を見て、


「きゃああああ!

 佐久良売さまぁ───っ!

 お戻りくださいまし───っ!」


 恐慌状態になり、両頬を手で覆って、叫んだ。


若大根売わかおおねめ!」

三根人みねひと兄さまっ! 佐久良売さまが、佐久良売さまが……。」

「オレがなかに行く。おまえはここで待て!」


 若大根売わかおおねめにそっくりな顔立ちの兄、三根人みねひとは、近くにいた者から水の桶をとり、頭からかけ、三根人みねひとはばもうとする兵士の手を、


めるなっ!」


 ふりはらい、正殿のなかに消えた。


「うっ……。」


 若大根売わかおおねめは涙目になり、唇をかみ、自分を抱きしめ、頭をふるふるとふり、


「あたしも行く!」


 と駆け出すが、


「やめなさい!」


 兵士に腕をつかまれた。


「離して! 佐久良売さまが! 三根人みねひと兄さまが!

 いや───っ!

 佐久良売さまぁ───っ!」


 絶叫するが、兵士の腕をおみなの細腕では、振り払えない。

 若大根売わかおおねめの頬を涙が伝う。





    *   *   *





 炎がさかまく。


 赤い灼熱の舌が、床を、一尺二寸(約36cm)の柱を、机を、倚子を、贅を凝らした丸いすずりを、舐めて燃やしてゆく。


 燃える。


 燃える。


 全て燃えてしまう。


 桃生柵もむのふのきが燃える。






「お父さまぁ───っ! ごほ、ごほっ……。」


 佐久良売は、手布で口をおさえ、務司まつりごとのつかさを目指し、走る。

 火の粉が散る。

 ごうごう、と炎が燃える音がし、白い煙、灰色の煙、黒い煙があたりに立ち込める。

 領巾ひれ(ショール)に火がついた。


「くっ!」


 領巾ひれをその場に打ち捨てる。

 務司まつりごとのつかさの部屋についた。


「ごほっ、お父さま、お父さま! 

 あたくしです。佐久良売です。

 どこですの?」


 あたりを必死に見回す。

 机の下、仰向けで倒れている恰幅かっぷくのよい、紫の衣の男を見つけた。


「お父さまっ! しっかりなさって!」


 佐久良売は父親を抱き起こす。


「う……ん、佐久良売か? なんでここに……?」

「どうでも良いですわ! 早く逃げましょう!」

「ん……、そうだな。」


 佐土麻呂は立ち上がるが、ふらついた。


「お父さま!」


 佐久良売が肩を支える。


「ああ、すまないな……。」

「謝らなくて良いですわ。さあ、歩いて!」

「ふふ……。」


 佐土麻呂は、このような状況だというのに、小さく、嬉しそうに笑った。


樛木売つがのきめの夢を、久しぶりに見たんだ。」

母刀自ははとじの?」

「そう。本当に美しいおみなだったのだよ。若い頃は、おのこどもが妻にしたいと殺到したものだ。

 その、若い頃の姿で、私に笑ってくれていた。目をあけたら、佐久良売がいて……。そっくりになったなあ。」


 佐土麻呂は、片足を引きずっている。

 炎を避け、ゆっくり歩きつつ、佐土麻呂の口は止まらない。


「佐久良売も、都々自売つつじめも、自慢の娘だ。私は、幸せだ。

 佐久良売、采女うねめにしてしまって、すまなかったな。」

「何を言うのです?!」

ひな(田舎)の地方豪族、なんの後ろ盾もない豪族の娘が、采女うねめになって、苦労もしたろう。

 戰のお陰で、帰ってきたおまえが、嫌がっていると知っていながら、無理に縁談をさせた。どうしても幸せになってほしくてな。

 だが、今から思えば、それも私のワガママだったかもしれん。

 許せ。」

「お父さま。あたくしも少々、ワガママがすぎました。ツンツンした態度をお父さまにとりました。お許しください。」

「ふふ……。」


 佐土麻呂がまた、笑った。


「幸せかい?」

「ええ、あたくし、真比登をつまにして、幸せですわ。」

「そうか。……充分だ。もう、私を置いて、一人で逃げなさい。」

「お父さま!」

「火が見えて、恐慌状態になって逃げる人に突き飛ばされて、踏まれたらしい。足をくじいたようだ。走れぬ。

 父を置いて逃げなさい。」

「そんなことできませんわ! ……ごほっ!」


 そこに三根人みねひとが到着した。


「佐土麻呂さま!

 オレが北門の修繕の下調べに行ってる間に、なーにやってるんですか!

 早く逃げますよ!」


 ぶちぶち小言を言いつつ、佐久良売が支える逆側の肩を、素早く支えた。

 佐土麻呂の歩みが早くなる。


 そこへ。


 バアーン! と、燃えた柱が倒れてきた。













↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093083448405918

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