第七十九話  さばよひに  其のニ

 大椿売おおつばきめは、佐久良売さまの部屋を辞し、簀子すのこ(廊下)で嶋成と二人きりになった。


 嶋成は、


「長く、黙っててごめん。」


 と謝った。あたしは苦笑した。

 彼がここでただの鎮兵として頑張っている事は、知っている。


「良いわ。あたしも、戯奴わけと口走ったこと、お許しください。嶋成……さま。」


 礼の姿勢をとる。嶋成は複雑な顔をした。


「ここでは、今まで通り嶋成と呼んでください。皆、そう呼びます。

 牡鹿おしかに行ったら、皆、嶋成さまとオレを呼ぶので、それにあわせて、皆の前では、嶋成さまと呼んでください。」


 嶋成はあたしの手をとった。

 あたしは、その手を握りかえした。


「でも二人の時は、ずっと、嶋成と呼んでください。身分が大事なのではない。人とは、中身が大事なのです。

 オレはその事を忘れたくない。

 あなたには、嶋成、と呼んでほしいのです。」


 あたしは頷く。


「わかりました。

 あたしのことも、もう、大鍔売おおつばめとは呼ばないでください。

 この名前、あたしは大嫌いでした。

 あたしは、大椿売おおつばきめ。誇り高い花、美しい名前なのです。」

「わかりました。大椿売おおつばきめ。美しく可愛らしい、あなたにぴったりの名前です。」


(嬉しい。)


 あたしは喜びを噛み締め、微笑んだ。


「大椿売。大切にします。一生、オレの傍にいてください。

 あなたは、オレのいも(運命の女)です。」




    *   *   *




 嶋成は思う。


 大椿売おおつばきめが、昨日、死なないで、と言い、嶋成しまなりは、死なない、と約束をした。

 ここは戰場だから、死んでしまう事はある、と、頭の片隅でちらと思う。

 だから、神にうけひはしない。


 嶋成の身体の傷を見ただけで泣いてしまうおみなが、桃生柵もむのふのきで嶋成の無事を願い、帰還を待っている。

 そう思うと、自分でも驚くほどの力が、全身にみなぎった。


(オレは、おのこの人生においてたった一人しかいない運命のおみないもを得たのだ。)




    *   *   *




「オレのことを、愛子夫いとこせと呼んでください。」


 嶋成しまなりに言われて、大椿売おおつばきめは目を見開いた。


(嬉しい……。いもにしてもらえた。あたしは、嶋成のいもなのね。)


 嬉しさがこみあげて、涙がぽろぽろとこぼれた。


「あたしの愛子夫いとこせ。戦が終結したら、牡鹿おしかに連れて行ってください。」


 嶋成の愛に包まれて、親密に、蜜のように甘い日々を過ごしたい。


愛子夫いとこせと幸せに暮らしたい……。」

「オレもです!」


 嶋成は手をほどき、素早くあたりを見廻し、人影がない事を確認してから、あたしの肩に手をやって、一瞬、唇をかすめるような口づけをした。


「あっ!」


(恥ずかしいっ!)


 あたしは瞬時に顔が真っ赤になり、嶋成を軽くにらみつけた。

 嶋成は肩から手をぱっと離し、


「えへへ……、すみません。もうしません。」


 照れ笑いをした。ふにゃふにゃとした顔である。


(そんな顔をして! もう! 可愛いんだから……。今回だけよ、許してあげるのは……。)


「次にやったら、許しませんよ。」


 あたしは唇をとがらせ、ふりふり、肉付きの良い腰をゆすり、怒ってみせた。 

 嶋成は、身を揺するあたしをじっと見つめながら、


「今夜、また、部屋に行っても良いですか? オレのいも。」


 と小声で訊いた。あたしは耳まで真っ赤になりながら、身を揺するのをやめ、


(もう人の噂になろうと、かまわないわ。

 あたしは戰が終結したら、嶋成の妻となるのだから。

 噂されようと、恥じることはない。)


「待ってますわ……。あたしの愛子夫いとこせ。」


 とうなずいた。





   *   *   *




 へい


 やったよ!


 オレにも春が来たんだ。


 特大の春だよ。毛桃けももの香り立つ、甘い春だよ。


 うーべなー、うーべなー。


 大椿売。なんて可愛い、オレのうらぐわし児ろ(My sweet baby)。


 へい! へい!!


 昨日の夜も、とっても美味しかったんだ。柔らかい毛桃けもも


 へい! へい


 彼女は未来のオレの妻。

 オレのいも、運命のおみななのさ。


 どうしても!

 昼間!

 外で一回!

 口づけしてみたかったんだよね。


 へい! へい


 だって真比登が!

 いっつも!

 照れながら幸せそうなんだもん。


 うーべなー、うーべなー。


 羨ましかったんだもん。

 羨ましかったんだもん!


 うーべなー、うーべなー。


 困らせちゃった、ごめんね、オレのうらぐわし児ろ(My sweet baby)。


 へい! へい


 照れてはにかんだ笑顔も、最高さ。








「ぁあああああ、春ぅ──────っ!」


 オレは年甲斐もなくぴょんぴょん飛びはねながら伯団戍所にむかった。


「やったぞぉ───!」


 オレが大声で報告しながら戍所に駆け込むと、


「嶋成───!」


 駆け足の速い韓国からくにのみなもとが抱きついてきた。


「うべな───!」


 すぐに、荒海あるみの久自良くじらも抱きついてきて、その重量に、オレと源は押し倒された。


「ワハハハハ!」


 皆が笑う。

 オレも笑う。

 少し離れたところでは、北田花麻呂と吉弥侯部きみこべの古志加こじかが立っていて、


「良かったなあ!」

「良かったね。」


 と話をしている。

 オレと吉弥侯部きみこべの古志加こじかの目があった。

 癖っ毛の女兵士は、優しく微笑んでくれた。




   *   *   *


 


 若大根売わかおおねめ土器土器どきどき日記にっき


 お姉さまへ。


 上野国かみつけのくにから来た大鍔売おおつばめ、本当は大椿売おおつばきめと言うんですって。

 昨日は、あたしが髪の毛を結ってあげて、佐久良売さまが化粧をなさって、とうとう、嶋成さまと思いをげました。


 むっは───!


 今朝、顔を見せた大椿売の顔。

 女らしくつやめいて、綺麗でした。

 一晩で、人の顔ってここまで変わるんですね。


 いいなぁ……。






 佐久良売さまのお使いで、あたしは副将軍殿を呼びにいきました。


 ───軍議が終わりしだい、すぐにあたくしの部屋にお越しください。

 何をおいても、お越しください。

 他のところに向かおうものなら、あたくしがそこへ迎えに参ります。


 佐久良売さまの伝言をそのままお伝えしましたら、


 ───ひっ。


 と副将軍殿が青ざめていましたが、なんででしょうね?

 あたしは、嶋成さまにも、


 ───すぐに部屋に来い。


 と伝言をお伝えしました。ちなみに、


 ───嶋成さまにはずいぶん言葉使いが……?


 とあらかじめ、あたしが佐久良売さまにお訊きしたら、


 ───ふん。それで充分よ。


 と佐久良売さまはおっしゃってました。たしかに、この伝言を伝えた嶋成さまは、


 ───ひっ。


 とあわてて、すぐに佐久良売さまの部屋に向かいましたので、たしかに充分だったのでしょう。

 佐久良売さまは、嶋成さまと福将軍殿に色々とお話になったようです。

 あたしは、大椿売を医務室に迎えに行っていたので、その話は聞いていません。


 佐久良売さまの部屋で大椿売と会った時の嶋成、でれでれでれ、と目尻が下がり、鼻の下がびろーんと伸びた笑顔を浮かべました。

 一晩で、人の顔ってここまで変わるんですね。


 いえいえ、前に、大椿売に見せた、ここぞという笑顔も、力みすぎた驚くような顔をしてましたし、嶋成には顔芸の才能があるのでしょう。

 ……おっと、嶋成さま、ですね。


 嶋成さまは、皆の前で堂々と、大椿売に妻問いをなさいました。

 大椿売は、妻問いを受け入れました。

 そのあと大泣きもしてて、嶋成さまと微笑みを交わした顔は、本当に幸せそうでした。

 良かったですよね……。

 恋が実ること。

 こんなに素敵なことって、ありませんわ、お姉さま。

 ちんちくりんの嶋成さまも、なんだか凛々しく、雄々しいおのこにみえましたよ。


 まあ、それでも源にはかなわないんですけど。

 全然。

 これっぽっちも!

 もうまったく!

 だって源は、笑顔を浮かべるだけで、キラッとまわりが輝くようで、カッコよくて、それなのにあたしのことを、昨日も、


 ───若大根売わかおおねめの瞳は、碧玉へきぎょくみたい。

 奥深い輝きを秘めてる。

 見つめられると、幸せな気持ちになるんだ。

 あなたの瞳は、特別だね。可愛い若大根売わかおおねめ


 と言ってくれて……。

 んもー! 輝いてるのは、あなたの方! 

 源の方よぉぉ───ッ!

 はあ、うっとり……!!







 古富根売ことねめお姉さま。

 佐久良売さまが、


 ───郎女いらつめには、郎女のしがらみがあり、おみなは自由ではないわ。

 あたくしだって、家に縛られています。

 でもね、愛子夫いとこせと出会い、添い遂げることを人生のなかで選べたのなら、それがおみなの自由だと、あたくしは思いますよ。

 

 とおっしゃってました。

 あたし、この言葉が身に沁みて、身に沁みて……。

 みなもとの顔が思い浮かびました。

 それと同時に、佐久良売さまは、真比登さまを愛子夫いとこせとなさって、今は幸せなのね、と、何回めになるかわからないけど、また、実感しました。

 佐久良売さまは、大椿売に、


 ───嶋成さまと幸せになってね。


 と、幸せを願われました。


 あたしとお姉さまの敬愛する佐久良売さまは、なんて心の温かい、お優しい方なのでしょう。

 あたしはもう、感動がこみあげて、ぼろぼろ泣いて、鼻水がでてしまいました。

 すすりあげたら、目立ってしまって……。

 あれはちょっと恥ずかしかったなーっ。







 若大根売わかおおねめより。










↓挿絵と、作者より感謝の言葉です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093079894013848

 

   

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