第八十話  月下の恋人たち(一部、男たち)

 明るい月夜。


 花顔雪膚かがんせっぷの美女、佐久良売さくらめは、膝に猫の里夜りやを乗せ、刺繍をしていた。

 里夜りやは、白い毛並みに、土器かわらけ色と黄色の斑斑むらむら(この場合、ぶち)の猫だ。

 里夜りやは、美女の膝から微動だにしない。

 ただ尻尾だけが、たしっ、たしっ、と揺れ、佐久良売への親愛の情を示している。

 静かだ。

 ここ、佐久良売の部屋には、佐久良売と里夜りやしかいない。


 若大根売わかおおねめは、お付きの女官としての仕事を終えると、毎夜、焚き火のところで、許嫁いいなづけであるみなもとと会っているそうだ。

 ちょっとでも早く会いたいだろう、と、佐久良売は今日は早めに、若大根売わかおおねめを解放したのだ。


(まだ真比登は来ないのかしら……。)


 若大根売わかおおねめが傍にいてくれると、飽きない。あの明るさは貴重だ。

 やはり、若大根売わかおおねめが話し相手になってくれないと、少々、さみしい。

 部屋のなかは、月光と、蝋燭で、明るい。


 たしっ、たしっ……。


 里夜りやの尻尾が揺れる。


「あたくしには、あなたがいてくれるものね? 里夜りや。」


 佐久良売は、刺繍の手をとめて、自分の刺繍の出来栄えをすがめて見た。赤い朱雀を刺繍したはずなのだが。


「ん〜……。赤いイモムシに見えるのはこれ如何いかに……。」


 割となんでもこなせる佐久良売だが、刺繍だけは、どうも苦手だ。

 昨日、嶋成しまなりさまは、佐久良売と副将軍殿に、


大鍔売おおつばめは、望陀布もうだぬのの手布に立派な刺繍をして、オレにくれました。

 オレの宝物です。

 オレはもう、あの時から、恋に落ちていました!」


 と堂々と言ったのだ。


(ちょっと良いわね。)


 と思った佐久良売は、重い腰をあげて、自分も木綿に刺繍をして、愛子夫いとこせにあげる事にしたのだ。


「はあ〜……。」


 佐久良売はため息をついた。

 この出来栄えでは、全然、駄目だ。これでは真比登の愛が冷めてしまう。


(いいわ、次の木綿に、新しく刺繍をし直して、真比登にあげよう。

 一枚目は適当に縫い上げて、お父さまに差し上げようっと。

 あたくしの刺繍の贈り物なんて、十年ぶりぐらいだから、お父さまは喜んでくださるわ。赤いイモムシでも……。)


 佐久良売は、静かに刺繍を続ける。

 愛する夫は、まだ来ない。



   *   *   *



 パチ、パチ……。


 焚き火が爆ぜる。

 背が高く福耳のおのこみなもとは、焚き火の前で、にこにこと微笑んでいた。


「嶋成が、大鍔売おおつばめとうまくいって良かった。」


 そばかすの可愛い女官、若大根売わかおおねめは、


大椿売おおつばきめよ。」


 と訂正する。


「大椿売と恋仲になれて、嶋成、今日は一日、浮かれててさ。見てるこっちまで、幸せな気分になったよ。」

みなもとは友達想いね。」

「うん。嶋成は大事な友だ。」


 源は爽やかに笑う。若大根売わかおおねめは照れながら、


「あたし、源のそういう心が明るいところ、好きよ。」


 と告げる。源はますます笑顔を濃くし、


「ありがとう。若大根売わかおおねめ。オレも若大根売わかおおねめ、大好きだ!

 若大根売わかおおねめの目に見つめられると、特別な、心が沸き立つような心地になる。

 若大根売わかおおねめの瞳、キレイだ。

 ずっとオレを見ていて欲しい……。」


 と左手で握りしめた若大根売わかおおねめの手の甲を、親指でスリスリ、と愛撫した。

 若大根売わかおおねめは、


「へにゃん……。」


 と顔を真っ赤にしながら微笑み、源も整った顔に笑顔を浮かべ、若大根売わかおおねめを見つめる。



   *   *   *



 明るい月に照らされて。

 伯団はくのだん戍所じゅしょでは、頭に藍色の布を巻いた、秀でた顔立ちの花麻呂が、


「あー、嶋成も幸せになりやがってぇぇ。畜生、めでてえ!」


 大岩に座り、浄酒を呑んでいた。

 口調は荒いが、顔には、嶋成の幸せを喜ぶ笑顔が浮かんでいる。

 お腹が立派で、目が小さい久自良くじらが、


「さみしいなあ、独り身は?」


 とつきに浄酒を注ぐ。


「あー、本当だよ。嶋成や源や、真比登を見てると、しみじみ、そう思うよ。

 おまえ妻がいるんだもんな。

 羨ましいぜ。

 オレの恋の話はもうしたろ? 久自良の話をきかせろよ。

 妻は同い年?」

「二歳下。」

「どこで知り合った?」


 いつの間にか、男二人の話は、ひそひそ話となる。


「幼馴染さ。」

「ほう、それで……、やったのはいつだ?」

「それ、訊くか。……妻が十六。」


 ひそひそ話は続く……。




   *   *   *




 鷲鼻の嶋成を、自分の女官部屋に招き入れた大椿売おおつばきめは、緊張で、手を握ったり、開いたりしていた。

 嶋成は、それを目ざとく見つけ、


「大椿売……?」


 と遠慮がちに訊いた。


「あの、勘違いしないで。

 嶋成とさ寝するのが嫌なわけじゃないんです。

 ただ、うまく言えないのだけど……、もう初めてではないのに、何を、と思われるでしょうけど、あの……。」


 大椿売は、両頬を手でおおい、恥じらいながら、


「昨日は、気持ち良すぎて、ちょっと怖かったのです。

 一夜だけのつもりでしたから、あたしも思い切って、その……。」


 恥ずかしそうに目が泳ぎ、声が聞き取れないほど、小さくなった。


「乱れましたから……。」


 声の大きさが戻り、


「嶋成にはわからなかったと思います。

 今宵、もう一度、と思うと、ちょっと怖いのです。」


 と言った。嶋成は、


(ええ───っ! あれだけ優しくしたのに、怖がらせちゃったのか!)


 と驚きで口を鴨のようにつきだした。


(たしかに、オレも久しぶりだったし、舞い上がっちゃってたから、やりすぎちゃったかもしれない。)


「すみませんでした。もう怖くしません。」







 ……実は、嶋成は、昨日、充分すぎるほど優しかった。

 結果、あまりに快楽くわいらくが深かったので、大椿売は驚いてしまったのである。

 嶋成は優しく導いたので、何も悪くはないのだが、大椿売にこう言われ、即座に自分が悪かった、と思う素直さは、彼の宝である。


 ちなみに、もし昨日快楽が足りてなければ、大椿売から、痛かったと言われていた。

 どちらに転んでも、今宵、嶋成は、大椿売に謝る以外の道はなかった。

 その事を二人は知らない……。







 



 嶋成は、ぱぱっとはだかになった。


「これが、あなたの愛子夫いとこせの身体です。オレがあなたを傷つける事はありません。大椿売。」


 嶋成は、衣をきっちり着たままの、大椿売の手をとった。


「オレを、触って確かめてください。」


 柔らかい手のひらに口づけし、自分の頬に押し付け、そのまま、首、胸、と導いてゆく。


「……はい。」


 ごく、と唾を呑み込んだ大椿売は、いつしか、自分から手を動かし、嶋成の身体をためらいがちになぞりはじめた。






 無理のないように。

 優しく。

 静かに。

 嶋成はさ寝をする。





      

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