第七十八話 さばよひに 其の一
あしひきの
うなげる
手に巻ける 玉もゆららに
うらぐはし児ろ それぞ
あしひきの
首にかけた
手にまいた玉もゆらゆらと揺れる、
美しく愛おしい娘。
それこそ、オレの妻なのです。
※あしひきの……山を導く
※さばよひ……妻問い、プロポーズのこと。
※
※うらぐはし児ろ……My sweet baby
※
* * *
医務室の仕事が落ち着いた昼過ぎ。
「
あたしは、佐久良売さまから借りた、
佐久良売さまは
「昨日の
と微笑む。
昨日、燃え上がったさ寝を思い出すと、まだ、身体が火照る。
頬が赤く染まるのを感じながら、
「ええ、もちろんです。
嶋成を、
とあたしは正直に伝えた。
「づひょう……。」
と
「嶋成、ね。」
と頷き、
「その顔を見るに、良き夜を過ごせたようね。一夜と言わず、本当の
と、涼しい顔で言う。
(この人は簡単に言うわね。)
あたしはため息をついた。
……いえ、簡単ではない。佐久良売さまは、親が押し付けてくる縁談を次々と断り、自分で見つけた
(あたしに同じことはできない。)
「あたしの生まれがそれを許しません。でも……、これで良いです。
もう、思いは
あたしは、左腕の
あたしを全て捧げた。
嶋成に、死にません、と約束してもらった。
あたしの顎を、気にならない、可愛いと言ってくれた。
あたしはたくさん泣いて、信じられないような
生まれ変わる夜、というものが、この世にあるなら、昨日の一夜が、それだ。
あたしは、間違いなく、生まれ変わったのだと思う。
これからは、何があろうと、どんな辛いことがこの先待ち受けていようとも、前を向いて生きていくのだ。
この左腕の
それで、充分だ。
「すごい……。
と、口元に手をあて、大きな目でびっくりした表情をした。佐久良売さまが、
「うふふ、そうね。自信に満ちた、大人の顔になったわね。良いことだわ、大鍔売。
では、本日、
と微笑みのまま言い、そこでの話は終わった。
* * *
大鍔売の退室を見届けた佐久良売は、
「嶋成、ね。」
とつぶやいた。
大鍔売は、嶋成さま、と敬称をつけて呼んでいない。
という事は、己の身分を、まだあの
(きっと、さ寝するからには、身分を明かすのだろうと思って、せっかく、本来の身分にふさわしい衣を貸してさしあげたのに。
流石に、黙っていすぎではなくて?)
佐久良売は顔を不機嫌にしかめ、
「な〜にやってるのよ、早く貴族だって正直に言いなさいよ。」
と
* * *
その頃。戰場で、愛馬
(うおおおー! オレは絶対死なないぞ! そして、益荒男になるんだ!)
と張り切って弓矢で敵を仕留めた嶋成は、
「ばああッくし!」
と派手にくしゃみをした。
* * *
それだけでなく、大川さまと、その従者もいた。
(えっ? なんで?)
と戸惑いつつも、大鍔売は、本来の主に優雅に礼の姿勢をとる。ついで、佐久良売さまに礼の姿勢をとる。
そこまでしてから、にこり、と嶋成に微笑みかけた。
可愛い鷲鼻の男は、でれでれっと笑った。
(ふふ。嶋成ったら、なんて笑顔が可愛いのかしら……。)
「ぅわぁ……。」
と小さく声をもらした。
佐久良売さまが、優しくも凛とした声を放った。
「良く来てくれたわね、大鍔売。副将軍殿の時間を長々とらせるわけにも参りません。
さ、嶋成さま。」
「はい。大鍔売、良く聞いてくれ。
オレの父親は、
オレは、本当は、
「は……?」
あたしは固まった。
(そんな馬鹿な……。)
まわりを見ると、冗談に笑っている顔は一人もいない。佐久良売さまや、大川さまでさえ!
「え……?」
「オレは、父親と喧嘩をして、家を飛び出した。自分を鍛えなおしたくて、
戰が終結したら、家に帰る。
そしたら、オレの妻として、
「はああああああ───っ?」
あたしの口から、自分でも驚く大声がでた。
「わかるぅ……。」
とぼそりとつぶやいた。
佐久良売さまが、
「あなたが心配していた家の釣り合いは、むしろ、貴族である
「…………!」
もはや、声がでない。
頬と眉がひくひくと動き、自分が今、どんな変な表情をしているのか、わからない……。
(貴族って、本当だったのぉぉぉぉぉ───!!)
大川さまが麗しく笑い、
「ふむ。
……ああ、まだ、大鍔売の返事を聞いていないな。
大鍔売、おまえの口から、気持ちを聞かせなさい。」
「…………。」
大鍔売は、頭の理解が追いつかず、
「大鍔売!」
と嶋成……、さまをつけるべきか。
嶋成さまが背中を支えてくれた。
昨日、たくさん愛してくれた男の肩に、こてん、とあたしの頭が乗った。
「大鍔売、驚かせてごめん。
大丈夫か?
大川さまと佐久良売さまとオレ、三人がいるここで、大鍔売の返事が欲しいんだ。
恋うている。
妻問いを受けてくれ!」
「あ、あたし……。あたしも……。」
(母刀自には、許しを得ていない。
でも、これだけ、身分が高い相手なのだ。
大川さまも、お味方くださるだろう。)
あたしは腹に力をいれ、
「あたしも、嶋成さまを恋うています。
妻問いを受けます。」
としっかり言った。
「大鍔売……!」
嶋成さまが、背中から、ぎゅう、とあたしを抱きしめた。
(待って。それは恥ずかしい。皆見てるでしょう!)
やっぱり、嶋成、で充分だ。
あたしは嶋成の右手を、むぎゅっとつねった。
嶋成は、抱きしめるのをやめた。
大川さまが美しい笑顔で、
「良いだろう。大鍔売、車持君の家には、私から良く伝えよう。何も心配するな。」
とあたしに頷いたあと、
「嶋成さま、婚姻はいつになさいます?」
とあたしの後ろの嶋成を見た。
「オレは、
「わかりました。では、まだ大鍔売は、
大鍔売。
未来の貴族の妻ならば、医務室で働かなくとも許される。どうしたい?」
「あたし……っ!」
血の匂いや悲鳴を思い出す。
そして、あたしの世話を待ってる負傷兵の顔を、ありがとう、と言ってもらった沢山の言葉を思い出す。
「あたし、医務室で働きたいです。
戦が終結するまで、負傷兵がいなくなるわけじゃないから……!」
佐久良売さまが、
「良く言いました。」
と、天女のように優しい笑顔を浮かべ、頷いてくださった。
「佐久良売さま……。」
あたしは嬉しくなって、佐久良売さまを見つめた。大川さまが、
「良し。」
と頷き、
「では、大鍔売の扱いはそのように。他に何かありますか? 嶋成さま、佐久良売さま?」
と二人を見る。
二人は首をふった。
(今だわ!)
あたしは、どうしても願いたい事がある。
「大川さま、恐れながら、大川さまに叶えていただきたいお願いが一つ、ございます。」
あたしは、背中を支える
「あたしに、
広瀬さまに、
でもあたしは、あたしの名前は、大椿売です。
あたしに、大椿売の名前を、返してください!」
「許す。」
大川さまは、涼しい笑顔で、即答してくださった。
「あ……。」
あたしの名前。
広瀬さまに、わけもわからず、取り上げられた名前。
「ああ……!」
返ってきた。
あたしは取り戻した。
「大川さま、ありがとうございます。
嶋成!」
後ろを振り返り、
「あたしは、本当は、
今すぐ、本当の名前で呼んで。」
懇願する。
「大椿売!」
「あああああ……!」
あたしは、失くしたものを、全て、取り戻した。
「わああ……!」
あたしは膝から崩れおち、顔をおおって、大泣きをはじめた。
こんな事って。
こんな事ってあるの。
もう、諦めていた。
取り戻せるなんて、思ってもみなかった……!
佐久良売さまが、
「大椿売、とこれからは呼んだほうが良いのね?」
と穏やかに訊いた。
「はい。」
「大椿売、
郷の女には、郷の女の。
女官には、女官の。
あたくしだって、家に縛られています。
でもね、
嶋成さまと、幸せになりなさい。」
「はい……!」
「ずぶび───っ!」
(……?)
今、盛大に鼻をすすった音がした。
その場が静まりかえった。
佐久良売さまが、こめかみに手をやり、
「
とため息をついた。
「ず、ずびばぜん、あたし、感動して……っ! ずぶびーっ!」
鼻水をすすった。あたしは、
「ぷっ、あははははは!」
と笑った。それにつられて、皆、あはは、と笑いはじめた。
始終無言の大川さまの従者のみ、無表情で笑わなかった。
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